その職人、予約済みにつき
湾岸エリアにある廃倉庫。
その薄暗い空間に、肉を打つ鈍い音が響いていた。
「ぐぅッ……!」
「おいおい、まだ開かねぇのかよ。手元が狂ってんじゃねぇか?」
ソウジの顔は、殴られて腫れ上がっていた。
目の前には、協会のマークが入った頑丈な合金製金庫。
ソウジは血の混じった唾を吐き捨てる。
「へっ……安物の金庫だな。鍵穴が錆び付いてやがる」
「減らず口を叩くな!」
アガタがソウジの指を踏みつけた。
ボキリ、と嫌な音がする。
「がぁッ!?」
「大切な商売道具なんだろ? 早く開けないと、その指、全部へし折るぞ」
ソウジは激痛に脂汗を流しながらも、ニヤリと笑ってみせた。
「……バーカ。俺の指はな、安っぽい泥棒のためにあるんじゃねぇんだよ」
「あァ?」
「俺は、芸術家だ。……それに、明日は大事な『客』の納期なんでね。お前らの相手をしてる暇はねぇんだよ!」
ソウジは、黒木との約束を思い出していた。 あの冴えないおっさんが、照れくさそうに注文してきたペンダント。
あんな安っぽい仕事一つすら守れないなら、俺は一生、路地裏のクズのままだ。
「上等だ……! なら、二度と仕事ができねぇようにしてやるよ!」
アガタがナイフを振り上げ、ソウジの手首に突き立てようとした瞬間。
ドォォォォォォン!!
轟音と共に、倉庫の鉄扉が内側へ向かって吹き飛んだ。
砂煙が舞う中、半グレたちが動揺して振り返る。
「な、なんだ!? 警察か!?」 「いや……一人だぞ」
逆光の中に立っていたのは、一人の男だった。
安物のスーツ。くたびれた革靴。
どこにでもいるサラリーマンに見えるが、その右腕だけが、異質な漆黒に染まっている。
黒木だ。
彼は顔を隠すバイザーすら着けず、堂々とそこへ入ってきた。
「……あー、すまん。ちょっと道に迷ってな」
黒木は頭をかきながら、周囲の凶悪犯たちを無視して、ソウジの方へと歩み寄る。
「よう、ソウジ。こんな所で何サボってるんだ?」
「だ、旦那……!? なんでここが……てか、顔! 顔バレしてますって!」
ソウジが驚愕して叫ぶ。
黒木は裏稼業の人間だ。正体がバレれば、平穏な生活は終わる。
だが、黒木は平然と言い放った。
「構わんさ。……ここには、『目撃者』はいなくなるからな」
「テメェ、何者だ!?」
アガタが怒号を上げ、手下たちに合図を送る。
十人ほどの男たちが、鉄パイプやナイフ、簡易的な攻撃魔法を構えて黒木に襲いかかった。
「殺せ! 死体は海に沈めろ!」
殺意の波が押し寄せる。 だが、黒木はため息をついただけだった。
「……ったく。明日は嫁とデートなんだ。スーツを汚したくないんだがな」
黒木の右腕が波打った。
《流体操作・黒鞭》。
袖口から飛び出したのは、無数の黒い触手だ。
それらは意思を持つ蛇のように空間を走り、襲い来る男たちの武器を瞬時に弾き飛ばし、手足に絡みついた。
「な、なんだこれ!? 取れねぇ!」
「ギャアアアアッ!」
黒木が軽く腕を振るうだけで、大の男たちが木の葉のように宙を舞い、壁に叩きつけられる。
魔法障壁も、物理防御も関係ない。圧倒的なテクノロジーの格差。
わずか十秒。
立っているのは、黒木とアガタだけになった。
「ひ、ひぃッ……! ば、化け物……!」
アガタが腰を抜かし、後ずさる。 黒木はゆっくりと彼に近づき、胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「おい。ウチの『下請け業者』の手を怪我させたな?」
「あ、あが……ッ」
「こいつの手はな、高いんだよ。納期が遅れたら、違約金はお前の命じゃ足りんぞ」
黒木の瞳は、深淵のように冷え切っていた。
アガタは恐怖のあまり泡を吹き、気絶した。
黒木は興味なさげに彼をゴミのように投げ捨てると、ソウジの拘束をワイヤーカッターで断ち切った。
「……生きてるか、ソウジ」
「へへ……。悪い、旦那。迷惑かけちまった」
ソウジが力なく笑う。 黒木は彼の手を取り、腫れ上がった指を見た。
幸い、骨まではイカれていない。カレンの手配した闇医者なら、一晩で治せるレベルだ。
「勘違いするな。俺はペンダントを取りに来ただけだ」
「わかってるよ。……納期は守るぜ。俺はプロだからな」
「いい心がけだ。……行くぞ。治療費は経費で落としてやる。それにしてもおまえ、なんで『スーツ』を使わなかった?俺とタイプは違っても、おまえのスーツならこいつらなんて一瞬でやれたはずだ」
「ダンジョンで使ってるスーツ使ったら、脚が点いちまうでしょうが。モンスター相手ならまだしも、こいつらは一応人間だから」
「バカ。いくらだって上手いやりかたがあるんだよ。無茶しやがって」
黒木はソウジに肩を貸し、倉庫を出て行く。
背後でサイレンの音が近づいてくる。カレンが匿名で通報したのだろう。
『蛇の目』は、この夜をもって壊滅した。
翌日。 黒木家のリビングで、優美が歓声を上げていた。
「わぁっ!すごい鉄也!これ、欲しかったペンダント!」
「似合うよ、優美」
「ありがとう!えへへ、鉄也ってたまに凄腕よね!」
妻の首元で輝くローズ・クォーツ。
それは、徹夜で指を治療したソウジが、包帯まみれの手で仕上げた渾身の一作だった。
俺はコーヒーを飲みながら、こっそりとスマホを見る。
ソウジからメッセージが届いていた。
『まいどあり。次はもっとすごいモン作りますよ、ボス』
俺は苦笑して、画面を閉じた。 ボスじゃない。ただの得意先だ。 ……まあ、悪くない響きだが。




