ダンジョンの始末屋
深夜二三時。新宿ダンジョン、地下四階層。
じめついた石畳の回廊に、絶望的な悲鳴が響いた。
「嘘だろ……ッ! なんで上級魔法が効かないんだよ!?」
「イヤぁ! 来ないで、来ないでぇ!」
尻餅をついて後ずさるのは、若手の探索者パーティだった。
見るからに高そうなミスリルの杖に、オーダーメイドの法衣。おそらくはどこかの配信企画か、あるいは大学生の腕試しか。
だが、彼らの目の前に立ちはだかる現実は、あまりに巨大すぎた。
「GRUAAAAAAッ!!」
変異種のオーガだ。
全身が鋼鉄のような角質で覆われ、若者たちが放った『火炎魔法』など、そよ風程度にしか感じていない。 オーガが巨大な棍棒を振り上げる。 魔法使いの少年が、顔を歪めて震え上がった。死ぬ。その場にいる誰もがそう確信した、その時だ。
『――現着。仕事の時間だよ、先輩』
インカム越しに、場違いに明るい少女の声が聞こえた。 直後、闇を切り裂くような風切り音が鳴る。
「ッ!?」
オーガの腕が空中で止まった。 いや、見えない糸によって、強制的に縫い留められたのだ。 天井の影から、軽薄そうな笑い声が降ってくる。
「へへッ、捕まえたぜ旦那! こいつの皮膚、クソ硬いけどな!」
宙吊りになったジャージ姿の青年――ソウジが、指先から伸びる極細の単分子ワイヤーを操り、巨体を封じ込める。 オーガが咆哮し、力任せにワイヤーを引き千切ろうとした瞬間、今度は横合いから銀色の影が突っ込んだ。
「我らが主の行路を塞ぐとは、万死に値する!」
ズドン! と重い衝撃音が響く。 ワイヤーの拘束を抜けようとしたオーガの巨体を、小柄な少女が構えた大盾が真正面から受け止めていた。
アイリスだ。華奢な腕のどこにそんな怪力があるのか、数倍の体格差がある怪物を一歩も通さない。
「な、なんだアイツら……?」
呆然とする若者たちの間を抜け、一人の男が歩み出る。 ヨレたスーツに、緩んだネクタイ。 どこにでもいる、疲れ切ったサラリーマンにしか見えない。ただ、顔をマスクとバイザーのようなもので隠している点を覗いては。
だが、その男――黒木鉄也は、深くため息をつくと、面倒くさそうに頭をかいた。
「……ったく。明日は早出だっていうのになあ」
ボヤきながら、ポケットから右手を抜く。 瞬間、黒木の右腕を覆うスーツの袖口が、ドロリと水銀のように波打った。 《形状変形・ブレード》。
管理者AIから与えられたナノマシンが、黒木の思考一つで鋼鉄をも断つ刃へと再構築される。
『解析完了です、ダーリン。頸動脈の下、装甲の隙間はわずか二ミリ』
脳内に響く相棒(AI)・マリアの声に、黒木は無言で頷く。 足は止めない。走らない。ただ、すれ違うだけだ。
「GAッ、アア――?」
アイリスとソウジが同時に飛び退く。
俺はオーガの懐に一歩踏み込み、流れるような動作で右腕を一閃させた。 音はない。 抵抗もない。
俺が若者たちの前を通り過ぎ、背中を向けた数秒後。
ズズン、と重い音を立てて、オーガの首が地面に転がった。
「え……?」
若者たちが腰を抜かしたまま、俺たちの背中を見送る。
俺はすでに右腕の変形を解き、ただのサラリーマンに戻っていた。 背後から、ひそひそとした興奮の声が漏れ聞こえてくる。
「おい、今の黒いスーツ……まさか噂の『始末屋』か?」
「マジかよ、実在したのか……。魔法も使わずに一撃なんて」
「やっべ、俺初めて見た……」
英雄への称賛。 だが、黒木には関係ない話だ。 スマホを取り出し、ナビゲーターのカレンに短く告げた。
「仕事は終わった。……帰って寝るぞ」




