008.はじめまして
セラは実に間の抜けた反応を返した。まあ、無理もないだろう。自分の武器が突然話しかけてきたのだから、驚くのも当然だ。しかし、この反応を見る限り、アムの言った「呪われた槍」という言葉の意味を、彼は全く考えもしなかったらしい。細かい事を気にしないのはカルラ譲りだろうから、何も言うまい。
セラは慌てて私を床に置き、数歩後ずさった。割と丁寧に私を扱ってくれたのは存外悪い気分ではなかったな。投げ捨てられるものだと思っていたのだが。一方セラの顔には恐怖と困惑が入り混じっていた。
「お、お前...今、喋ったのか?」
「そうだ。私は長い間、君と共にいた。君がカルラから受け継いだ、この槍に宿っている」
私の説明を聞いても、セラの困惑は深まるばかりだった。彼は壁に背中をつけ、槍から距離を取ろうとしている。まるで毒蛇でも見るような目つきだった。セラにとって、いや一般的にこのような事象は常識の範疇を超えているのだろう。意思を持つ呪いなど聞いたことがない。
今のは笑うところだぞ。
「お前は化け物か?悪魔か?それとも...」
「落ち着け、セラ。私は君に害をなすつもりはない。むしろ、君を守りたいと思っている」
言葉を選んでも、なかなかセラの疑念は拭えなかった。完全に信用してもらうには相応の時間が掛かると覚悟はしていたがな。あのゴブリンとの戦いや、女騎士との闘いも傍にいたというのに、もどかしいものだ。それでも私は、彼に伝えなければならなかった。彼が未来を紡いでいく為に。
「君は一か月後、過酷な世界に身を投じる事になる。戦争という名の地獄にな。何の知識もないまま送り出すわけにはいかない」
セラは恐る恐る槍に近づき、床に座り込んだ。その表情には、恐怖よりも好奇心の方が勝っているようだった。子供というものは、恐ろしいほど適応力があるものだ。この柔軟性こそが、彼の最大の武器かもしれない。しかし同時に、それが彼を危険に晒すことにもなりかねない。
その純粋さ故に、染まってしまうのだ。
「お前は...一体何者なんだ?」
「私の正体か。それは少し複雑な話になるが...分かった。まずはそこから教えていこう」
私は慎重に言葉を選んだ。真実を全て話すべきか、それとも彼が受け入れやすい形に変えるべきか。しかし、これから戦場に向かう彼に嘘をつくわけにはいかなかった。この時は彼との信頼関係を形成すべき時だったし、嘘とはいずれ明るみになるものだと思っている。小さな棘がいずれ傷口を広げてしまう事を私は知っている。
「私は――呪いだ、セラ。この槍の刃、黒曜石に宿る呪いが、長い年月を経て自我を持ったものだ」
セラは良く分かっていないようだった。表情が物語っていたのだ、「何を言っているんだお前は」と。そもそも呪いという概念について理解が及んでいないのだろう。しかし、逃げ出そうとはしない。この少年の未知に対する姿勢は素晴らしいと、改めて感じた瞬間だった。
「元々は『魂を吸う呪い』だった。黒曜石の切っ先で一度傷をつければ、敵の魂を食らう。この槍を打つ為に十四人の鍛冶師が命を落とし、葬った敵の数は千を越える。即ち、千の魂が私の正体といったところか」
説明を聞きながら、セラは私を真っすぐを見つめていた。その目には恐怖と共に、何か別の感情も宿っているように見えたんだ。私はそのまま説明を続けた。
「だが、長い年月の間に無数の魂を吸い続けた結果、いつの間にか自我というものが芽生えていた。そして今では、意図的にその能力を封印している。金輪際この呪いを発動させるつもりは無い」
セラは深く息を吸い、しばらく考え込んでいた。彼の頭の中では、様々な思いが駆け巡っているのだろう。カルラへの信頼、自分への不安、そして未来への恐れ。それらが複雑に絡み合って、彼を苦しめているに違いない。
「...母さんは、それを知ってたのか?」
この質問こそが、セラにとって最も重要な問いなのだと私は直感した。彼にとって、カルラは絶対的な存在だった。その母が危険な武器を自分に託したという事実を、どう受け止めればいいのか分からずにいるのだろう。故に、真実を伝えなければならない。偽りなく。
「カルラは私の正体を知っていたよ。君の旅立ち前夜、カルラと話して決めたのだ、君と同行する事をね。彼女も君と同じように最初は困惑していたが、君も知っているだろう。カルラは細かい事は気にしない質だ。」
「ああ...確かに。」
セラの表情が少し和らいだ。カルラが信頼していたなら、そう悪いものではないのかもしれない、と考えているのだろう。実に単純な思考だが、それが彼の長所でもあった。複雑に考えすぎることなく、本質を見抜く力がある。
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「それで、何を教えてくれるんだ?」
「まずは魔法についてだ。君は今日、自分に魔力適正がないことを知った。だが、魔法というものを理解しておかなければ、対処のしようがない」
私は彼が理解しやすいよう、丁寧に説明を始めた。きっとこの知識が、彼の命を救うと信じてね。
「魔法とは呪文を詠唱する事で自身のマナを集中させ、自然現象を引き起こす技術を指す」
この世界に於いて魔法とはそれほど万能なものではない。決して超常ではないのだ。彼にはそれを分かってもらう必要があった。
「とは言っても、自然に存在するエネルギーを形態変化させるに過ぎない」
「火属性の魔法なら、周囲の熱エネルギーを集めて炎を作り出す。水属性なら、空気中の水分を集めて水を生成する。私の知る限りに於いて、だがな。」
セラは真剣に聞いている。彼の集中力は、カルラ譲りなのだろう。一度集中すると、周囲のことが見えなくなるほど没頭する。その姿を見ていると、幼い頃からの訓練風景が思い出される。
「重要なのは、魔法は決して万能ではないということだ。形あるものはどうとでも対処できる。炎なら水で消せるし、氷なら熱で溶かせる。物理法則を超越するものではない。」
「でも、今日聞いた話だと、敵は竜巻と雹を同時に作り出したって...」
セラの疑問はもっともだった。複合属性魔法は、確かに常識を超えた技術だ。しかし、それでも話はそう難しくはない。
「それは確かに脅威だ。だが、それでも物理法則の範疇で起こっている現象に違いない。竜巻は風の魔法、そして雹は水の魔法の一種であり、それらを同時に発動させているだけだ」
「つまり、魔法を使う奴を倒せば魔法は止まるってことか?」
「あー...何も"つまって"はいないんだが、然りだ。魔法は使用者がいなければ発動できない。君の腕前なら、魔術師に接近して葬る事は容易いだろう」
セラの表情に自信が戻ってきた。彼にとって、接近戦こそが最も得意とする分野だった。
「まあ、あれだな。セラ、魔術師と接敵したら、何とか近付いて倒せ」
「分かった!」
安直過ぎただろうか...
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「次は...戦争について話そうか」
私の声が重くなると、セラも表情を引き締めた。空気が一変し、先ほどまでの和やかな雰囲気が消え去る。この話こそが、彼にとって最も過酷な現実となるだろう。
「戦争とは何か、セラ。君はどう思う?」
「正義のために戦うもの...じゃないのか?」
彼が口にした応えはあまりにも純粋で――無垢だった。
罪なほどに。
その無邪気さが、逆に痛々しく感じられる。
この少年が、これからどれほど残酷な現実と向き合わなければならないのか。
十一歳の少年にこんな話をするのは、流石の私でも気が滅入ったよ。
「違う、セラ。戦争に正義などない。如何なる場合においても、だ」
私の断言に、セラは困惑した表情を見せた。彼の価値観を根底から覆す言葉だったのだろう。
しかし、これは彼が知っておかなければならない真実だった。
「戦争とは、人が人を殺し、亡骸の上に平和を築こうとする最も愚かな行為だ。どちらの側にも、守りたいものがある。愛する家族、故郷、仲間。そのために戦う者たちに、善悪の区別などつけられるものか」
セラは静かに聞き続けた。
「君がこれから戦う相手も、君と同じように家族を持ち、故郷を愛している。彼らを殺すことで、君は誰かの子供を、誰かの恋人を、誰かの親を奪うことになる。だが...それでもやらなければならない。君の仲間を守る為に、君自身が生き延びる為に――」
「顔も知らない誰かを不幸にする覚悟が必要なのだ。」
獣人族の集落でも、こういった事が無いわけではなかった。
互いの信念を通すため、決闘し、片方が死ぬ。
しかし決定的に違うのは、厳格なルールによって互いの尊厳を守り、敗北しても遺恨は残さず、誇りと共に眠ることが出来る。善良な心を持つ彼にとって、ただ人を殺すという行為は受け入れ難いものに違いない。
長い沈黙が続いた。セラは床を見つめたまま、動かない。私の言葉を上手く消化出来ずにいたのだろう。この静寂の中で、彼の心は大きく揺れ動いている。
「...母さんも、そんな戦いをしてきたのか?」
ようやく口を開いたセラの声は、震えていた。
「ああ、カルラは長い間戦い続けてきた。君は知らないだろうが、血にまみれた道を歩んできた女性だ」
私はカルラとの出会いを思い出していた。あの頃の彼女は、まさに戦いの化身だった。今のセラが知る優しく、厳しい母親とは、まるで別人のような存在だった。確か、異名もつけられたいたような気がするが...まあいいか。
「私がカルラと出会ったのは、彼女がまだ十代の頃だった。既にその時から、彼女は戦場で名を馳せていた。自分が殺した敵兵から、私――この槍を奪ったんだ」
セラは身を乗り出すようにして聞いている。養母の過去を知りたいという気持ちが強かったのだろうが...。
「当時のカルラは、今の君が知っている優しい母親ではなかった。冷酷で、容赦がなく、敵を殲滅することしか考えていない戦士だった。血に飢えた獣とは、彼女の為にあるような言葉だよ」
私の言葉に、セラは信じられないといった表情を見せた。確かに、彼が知るカルラとは正反対の人物像だろう。温かい手で頭を撫でてくれた母親が、かつて冷酷な殺戮者だったなど、想像もできないはずだ。
「だが、ある戦いで彼女は重傷を負った。その時、私は彼女に語りかけたのだ。それが我々の出会いだった」
私はあの日のことを鮮明に覚えている。血まみれで倒れていたカルラが、私の声に驚いた時の表情を。
当時の彼女はまだ若く、そして絶望的なほど孤独だった。
「その後私とカルラは、相棒として共に戦い続けた。数え切れないほどの敵を葬り、数え切れないほどの血を流した。だが...ある日突然、カルラは戦いをやめた――セラ、君を拾った日だ。あの時の彼女の変わりようには、私も驚いた」
私はあの日のカルラの表情を思い出していた。
泣いている赤子を抱き上げた時の、あまりにも空虚な笑顔を。
それは、長い間戦場で失っていた何かが戻った瞬間だった。
「君を育てることで、カルラは本当の自分を取り戻したのかもしれない。戦いに明け暮れていた頃の彼女は、どこか空虚だった。だが、君がいることで生きる意味を見つけたのだろう」
「母さんは、俺を育てる為に変わってくれたんだな...」
「そうだ。君はカルラにとって、何よりも大切な宝物だった。勿論、妹のラビもな。だからこそ、彼女は君に与えられる全てを教えたのだ。いつか人族である君が一人で生きていかなければならない日が来ることを知っていたから」
私の言葉に、セラは静かに頷いた。カルラの愛情の深さを、改めて理解したのだろう。
そして同時に、その愛情がどれほど重いものかも。
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セラは私を再び手にとった。もう恐怖はないようだった。代わりに、新たな決意のようなものが彼の目に宿っている。
「なあ、お前に名前をつけてもいいか?」
セラの提案に、私は少し驚いた。名前など、これまで必要だと思ったことはなかった。
カルラとは違い、こういった感性は人族のそれなのだろうな。
「そんなものは不要だ。私は道具であり、呪いに過ぎない。名前など必要ない」
私の拒絶に、セラは少し残念そうな表情を見せた。しかし、すぐに理解したようで、それ以上は言わなかった。この少年の空気を読む能力は、なかなかのものだ。外はすっかり暗くなっていた。
明日からセラの本格的な訓練が始まる。
一ヶ月という短い期間で、どこまで彼を成長させられるか。それは私にとっても大きな挑戦だった。
「セラ、今夜はもう休め。明日からは厳しい訓練が待っている」
「ああ、分かった。でも、その前に一つ聞きたいことがある」
セラは真剣な表情で私を見つめた。その目には、これまで見たことのない深刻さが宿っている。
「オレは、人を殺せるかな」
「...実際にその時が来なければ分からない。だが、君が生き延びたいと思うなら、その時は必ず答えが出る。」
「よく――分かんないや」
セラは深く頷き、ベッドに向かった。
明日からの厳しい日々を前に、今夜は最後の平穏な夜になるかもしれない。
彼の背中は小さく、まだ子供のものだった。私は彼が眠りにつくまで、静かに見守っていた。
この少年が、一ヶ月後にどのような戦士になっているのか。それを見るのが、今から楽しみでもあり、不安でもあった。
例え、目の前に待つのが――地獄の門だったとしても。




