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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第一章 -少年編-
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007.秘めたる力は

騎士団の一員となったセラに最初に与えられたのは、スマゴラという街のはずれにある小さな家だった。

石造りの簡素な建物で、窓は一つしかなく、家具も最低限のものしか置かれていない。しかし、十一歳の少年が一人で暮らすには十分すぎるほど広い。

獣人族の集落で過ごしてきた彼にとって、個室があるというだけでも贅沢に感じられたのだろう。シンシア団長の方針により表立った差別は禁じられているとはいえ、男性騎士への待遇がこの程度なのは、言わずもがなといったところか。


要するに納屋のような場所だったという事だよ。


室内を見回すと、ベッドと机、椅子が一つずつ。壁際には食料庫があり、長期保存の利く硬いパンや干し肉、塩漬けの野菜などが常備されていた。騎士団が用意してくれたものだが、その質素さは実に分かりやすい。


彼は部屋の隅に槍を立てかけると、硬いベッドに身を横たえた。

久しぶりにまともな屋根の下で眠ることができる安堵感と、明日からの新しい生活への不安が入り混じった複雑な気持ちで、セラは眠りについた。


寝る前に少し彼と話したかったのだが、あの寝顔を見たらそういう気も失せてしまったよ。私も意識を沈めて明日に備えることにした。


---


翌朝、セラは日が昇る前に目を覚ました。

体に染み付いた習慣とは恐ろしいものだ。彼は静かにベッドから起き上がると、槍を手に取り、家の前の小さな庭で鍛錬を始めた。

カルラから教わった基本の型を繰り返し、体に染み付いた動きを確認していく。

周囲はまだ薄暗く、街の人々が目を覚ます気配はない。

朝露が草に宿る中、セラの槍が空気を切る音だけが静寂を破っていた。

薄闇に浮かぶ少年の影は、永く戦友として共に歩んだカルラと重なって見える。


鍛錬を終えたセラは、簡単な朝食を済ませると騎士団本部へ向かった。

街を歩く人々の視線は相変わらず冷たかったが、昨日ほど気にならなくなっていた。慣れというものは恐ろしいもので、人間はどんな環境にも適応してしまう。

それが良いことなのか悪いことなのかは、事象によって判断が分かれるところだ。

この環境について言うのであれば、私は後者だと思うがね。


騎士団本部の門前で、不機嫌な顔でセラを出迎えた女騎士がいた―アム・グリエだ。

彼女は既に制服に身を包み、きちんとした騎士の装いをしている。白く整った礼服に、濃紺の短いマントが肩から下がっていた。セラを見る目に複雑な感情が垣間見えたのは、実力は認めても偏見は捨てきれないといったところだろう。

少なくとも敵意はなりを潜めているようだったので、良しとしよう。


「おはよう、セラ・ドゥルパ初級騎士。初日の今日は私が施設を案内してあげる。私はアム・グリエ初級騎士。よろしくね」

アムの声色に、昨日までの傲慢さは感じられなかった。セラも警戒を解いたようだ。


「ああ、よろしくな、アム」

「言葉遣い。"今日からよろしくお願いします、アム先輩"――ほら、もう一度」

セラはこういう時、顔にでる。態度にもね。

「............キョウカラ、ヨロシク、オネガイ、シマス、アムセンパイ」


「このやろ...まあいいや。フレデリック副団長とは懇意みたいだけど、みんなの前では必ず敬意をもって話してよね」


フレデリックの事に言及されたのは意外だった。てっきり何等かの意図で名前だけ与えられたものだと思っていたからな。末端の騎士ですらフレデリックに敬意を払えと指導しているという事は、シンシアという騎士団のトップがどのような人物か推察出来る。そして二人は挨拶を終えると、騎士団本部の中に入っていった。


石造りの廊下は長く、両側には様々な部屋が並んでいる。訓練場、武器庫、食堂、会議室、そして団員たちの談話室。アムは一つ一つの部屋を丁寧に説明していく。

その説明は事務的で、早く終わらせたいという気持ちが如実に表れていた。


「ここが食堂よ。一日三食、決まった時間に食事が提供される。男女問わず同じメニューが出されることになってるけど...まあ、実際のところは微妙ね」

食堂を覗くと、丁度朝食を取っている女性騎士たちの姿があった。


彼女たちの前には豪華とは言えないまでも、それなりに充実した食事が並んでいた。一方、男性騎士たちの席を見ると、確かに同じメニューのはずなのだが、なぜか量が少なく、パンも小さめのものが置かれていた。

調理担当者の"うっかり"なのだろうが、恐らくこの"うっかり"は明日も明後日も続くのだろうと、何となく予感させるものがあった。


「次は武器庫ね。あんたの槍は自前みたいだし、メンテナンス用の道具くらいしか必要ないと思うけど。あとさ、――」

アム・グリエは黒曜石の槍を指さし、言った。

「なんであんた、わざわざ呪われた槍を使ってるの?」







「...えっ?呪われてなんかいないぞ?」

「まあ、あんたがいいなら別にいっか」


アムは笑いながら言った。この小娘が私の存在に気付くとは、正直驚いたよ。こんな形でセラに伝わってしまったのは本意ではなかったが――まあ、いずれは話さねばならなかったことだ。

いい機会だったかもしれないな。


武器庫は騎士団本部の地下にあった。石の階段を下りていくと、ひんやりとした空気が肌を刺す。

扉を開けると、そこには数多くの武器が整然と並べられていた。剣、槍、弓、斧。どれも実戦で使用されてきた歴戦の武器たちで、刃こぼれや傷跡がその歴史を――そして、かつて振るった者たちの最期を静かに物語っていた。

手入れはしているようだが、武器とはただの消耗品に過ぎない。

私のような特別な存在を除いてね。


「これらの武器は全て騎士団の共有財産よ。規則上は誰でも使えることになってるけど、実際は...まあ、色々と手続きが面倒なのよね」


アムの言い回しは曖昧だったが、セラにもその意味するところは理解できた。

表向きは平等でも、実際には様々な障壁があるのだろう。


---


武器庫を出ると、彼女は少し躊躇うような表情を見せた。何か言いたいことがあるようだが、口に出すのを迷っているようだった。


「あんたさ、魔法について何か知ってる?」

「なんだそれは」


彼女は大げさに溜息をついた。

「本当に何も知らないのね...フレデリック副団長が言ってた通りだわ」


獣人族は本来魔力を持たない種族だし、集落にも使える者もいなかったハズだ。カルラも魔法については教えていない。


「魔力適正の検査を受けたことは?」「ない。」

アムの表情はさらに怪訝なものになっていく。


魔力適正の有無は、この世界では非常に重要な要素だ。日常生活は当然のこと。戦闘においても、魔法が使えるかどうかで戦力に大きな差が生まれるのは周知の事実だ。ただの歩兵が、砲台を担いだ歩兵になる。

...我ながら上手く例えられたと思うのだが。


「じゃあ...一応検査だけしておこうか。騎士団には魔法研究室があるから、そこで調べられる。行こう」


---


二人は本部の最上階にある魔法研究室へ向かった。

階段を上がるにつれて、空気中に微かな魔力の残滓を感じるようになる。

壁が近いせいで、セラは槍を――


いや"私”を運び辛そうにしていた。

アムの控えめなノックの後に扉を開けると、そこは何に使うのか分からない道具や、奇怪な形のアーティファクト、そして多くの古びた書物で埋め尽くされた部屋だった。倉庫と言われても疑うことなく受け入れてしまうだろう。


壁際には様々な薬品の瓶が並び、机の上には複雑な魔法陣が描かれた羊皮紙が散らばっている。

そして何より臭かった。鼻腔をつく刺激臭のせいか、セラの眉間に深い皺が寄る。人一倍、五感の鋭い彼のことだ。さず辛かったに違いない。


「失礼致します!!!アム・グリエ初級騎士であります! 新入団員の魔力適正検査をお願い致しますっ!」


アムが無駄にデカい声を上げたせいで、部屋の研究員らしき団員の視線が全てこちらに集まる。羊皮紙を力いっぱい握りしめた妙齢の女性が近づいてきた。


「無駄にデカい声だすな、グリエ。室長が寝ている」


その研究員は部屋の中のさらに奥まった場所にある小さなドアを指で差す。アムは小さく会釈をして静かにお詫びをした。研究員は溜息をつきながら、作業机の汚い小物入れから木箱を取り出した。

ガラスから見える木箱の中には、薄い緑色の布切れが入っている。


「これはマナトリ草という特殊な植物の繊維で編んだ布なんだよ」アムがおもむろに説明を始めた。


「マナトリ草は魔力に対して非常に敏感で、触れた者の魔力適正に応じて様々な反応を示すの。火属性なら火花が上がるし、水属性なら布が水で滴る。魔力の強さによって反応の大きさも異なるの」


研究員は面倒そうに手袋を嵌め、木箱からそっと布を取り出す。

セラの方に歩きながらアムの説明を補足した。


「この布は非常に貴重でな。マナトリ草自体が希少な上に、加工にも高度な技術が必要なんだよ。だからこそ、正確な測定ができる。ただ...どうせ何も起きないだろうがね」


淡白な態度だった。男性が検査しても何の反応も出ないのが当たり前だからなのだろう。

対照的に、セラは興味深そうに布を見つめた。これまで魔法というものを身近に感じたことがなかったが、この小さな布切れが自分の可能性を教えてくれるのかもしれないと、そう思っていた。


これくらいの年齢なら、自分は特別でありたいという願望は少なからずある。


「それじゃあ、この布に触れてみて」

アムに言われて、セラは恐る恐る布に手を伸ばした。淡い期待を胸に。

迸る火が、滴る水が、そよぐ風が。彼を何者かにしてくれることを。





指先が布に触れた瞬間――何も起こらなかった。

布は薄緑色のまま、微動だにしない。数秒待っても、変化は現れなかった。


「まあ当然か」アムの声には、予想通りだったという響きがあった。

「...魔法は使えないということか」


セラの肩が、ほんの少しだけ落ちた。

カルラの厳しい訓練に耐えてきたという自信はあっても、魔法という未知の力への憧れもまた、確かにあったのだ。こうして現実と向き合う度に、少年はひとつずつ大人になっていく。これは彼が成長していく上で避けては通れない道なのだ。


「でも昨日の戦いを見る限り、あんたの槍術は十分突破力があるし、戦略的な魔法攻撃は別の部隊に任せればいいんじゃないの」


魔法が使えないという事実よりも、純粋な技術で勝利を収めたことの方が印象的だったのだろう。初めて会った彼女とは大きく変わって、幾ばくかの敬意が含まれているようだった。

そしてその時、騎士団本部に鐘の音――全団員に対する緊緊集会の合図が響き渡った。


---



「招集の合図だ。団長が呼んでる。急ぐよ」アムの表情が急に引き締まり、セラもその緊張感を察した。


二人は急いで大会議室へ向かった。

既に多くの騎士たちが集まっており、ざわめきが室内に響いている。女性騎士たちの間には緊張感が漂い、何人かは不安そうな表情を浮かべていた。

男性騎士の姿もちらほらと見えるが圧倒的に少ない。皆示し合わせたかのように、部屋の隅を守っている。そんな中、シンシア団長――静かなる烈火の女が壇上に現れると、室内は一瞬で静寂に包まれた。


左右にフレデリックと、面識のない男性の少年騎士が立っていた。髪は白く、黒い肌。そしてとがった耳。ダークエルフだという事はすぐ分かったが、肩を並べて立つ他の二人とは雰囲気が異なっていた。

白い礼服はだらしなく着崩され、とても退屈そうにしていたんだ。早く帰りたいと顔に大きく書かれている。


あの時の"君"は、何を考えていたんだ?




「――傾聴。」シンシアが短く発した言葉で、団員は一斉に姿勢を正し、目線を前に向けた。

「日々の任務、鍛錬、ご苦労。今日は諸君に重要な報告がある。ゴア帝国との戦況についてだ」


張り詰めた空気を、シンシアの声が貫いていく。部屋の隅々まで響き渡る声を耳にすると、セラも自然と背を正した。


「北部戦線において、我が軍は大幅な後退を余儀なくされた。敵の未知の攻撃により、向かった王国軍はほぼ全滅。およそ千人の同志達を失う結果となってしまった」


どよめきは起こらない。

ただ沈痛な雰囲気だけが広がっていく。

次は自分かもしれないという恐怖、そして動揺。悲壮という名の蛇が彼女らの首をゆっくりと絞めていく。

どうやらこのフェナンブルク王国騎士団に所属する者達には、敗北する母国しか見えていないらしい。


「報告によると、敵は我々の常識を超えた魔法を使用してきた。信じられないほど巨大な竜巻が突如として戦場に出現し、その内部には拳大の雹が無数に漂っていたという。」


私の知る戦争でもこのような事態は珍しくなかった。歩兵が前線を押し上げても、重戦術級の魔法によって崩され、押し込まれる。カルラと私だったら、打開出来たと思う。過信と思うかい?


シンシアの話を聞きながら、私は恐らく複数の術者によって発動させたのだろうと思ったが、ことはそう簡単ではなかった。


「直撃を受けた兵士は空中に舞い上げられながら、激しい打撃によって意識を奪われる。そのまま地面にに打ち付けられ、絶命した。驚くことにこの魔法を発動したのは、たった一人の魔術師だったということだ」


...断じて、ありえない。理を捻じ曲げている。

魔法は魂に結び付くもの。生まれつき使える属性は必ず限定される。

風を操る者は、その生を全うする迄風と共に生きる。

もし仮にそんなことが出来る者がいるとしたら、悍ましい闇の中に棲む怪物であることは疑いようがない。


「風と水の複合属性魔法、我々の知る魔法体系には存在しない技術だ。ゴア帝国が何を成し遂げたのか、現時点では不明だが――今王国騎士団は、未知の脅威に直面していると言える。」






「しかし、我々も手をこまねいているわけにはいかない。南部戦線から大規模な攻勢を仕掛けると誤認させ、敵の注意を南に向けさせる。その隙に北部戦線で決定的な反撃を行い、一気に前線を押し上げる」


作戦の概要が明らかになるにつれ、騎士たちの表情がさらに険しくなった。

陽動作戦ということは、南部に派遣される部隊は囮になるということだった。当然にして敵に悟られぬよう、全力で攻める必要があるだろう。

危険な任務であることは誰の目にも明らかだった。


「南部戦線への派遣部隊は、主に初級騎士で構成する。陣頭指揮はフレデリック副団長だ。一ヶ月後の作戦開始に向けて、準備を進めてもらう」


その言葉を聞いた瞬間、セラの心臓が大きく跳ねた。

初級騎士ということは、自分も含まれるということだった。

入団したばかりで、

いきなり実戦、

しかも囮作戦に投入されるとは――


この王国がどれほど追い詰められているのか、幼い彼にはまだ理解できていない。

隣のアムも緊張した表情でシンシアを見ていた。

彼女もまた初級騎士であり、この作戦に参加することになるのだろう。


「詳細については、後日各部隊長から説明がある。それまでは鍛錬に励み、万全の準備を整えておけ。以上、解散せよ」


---


集会の後も会議室内は重苦しい沈黙に包まれていた。

一ヶ月後の運命を思って不安に駆られていたのだろう。未知の魔法を使う敵との戦いという要素が、恐怖をさらに増大させていた。思い思いに会議室を後にする騎士達の足取りは重く、先ほどまでの日常が一変してしまったことを物語る。




しかしそんな中で、心に灯を宿した者が二人。


「陽動だけなんてまっぴら。セラ、あんたは背中に隠れてなさい。あたしが敵将の首を刎ねてあげるから」

「こっちのセリフだ!オレの方が先に刎ね――るます!」


アムなりの気遣いだったのか、はたまた自分を奮い立たせる為だったのかは分からない。

しかしセラもいい具合に気持ちを高められたようだ。

二人は騎士団本部を後にし、それぞれの宿舎へ向かった。

セラは一人で街を歩きながら、一ヶ月後の戦いについて考えていた。これまでの人生で最も大きな試練が待っているのかもしれない。


しかも、相手は未知の魔法を使う敵だった。


---


家に戻ったセラは、再び鍛錬を始めた。

一ヶ月という時間は長いようで短い。その間に彼が何を学ぶかによって、生死を分ける事になるだろう。

何より、未知の魔法どころか魔法を見たことが無いのだから問題だらけだ。

夕日が窓から差し込む中、セラの槍が空気を切る音が小さな家に響いていた。

彼の影が壁に映り、まるで踊っているかのように揺れている。


この時の彼には、戦いを知っていても戦争は理解出来ていなかった。

それはきっと、幸運なことなのだ。


新暦268年の春、この絶望的な状況を前に、


セラという少年の物語が動き始めた。

そして彼は、この日初めて私と邂逅することになる。


「セラ、我が友よ。初めまして――いや、ずっと共にいたのだから、改めて、か。私は君の槍に宿る者。少し、話をしないか」

「...............................えっ」


少年はいまだかつてない程、目を大きく開けて反応した。

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