006.入団試験
こんな拙い文でも、足を運んで下さった貴方に、心からの感謝を。
砦の中庭を抜け、フレデリックとセラは騎士団本部の建物へと向かった。。廊下を歩く騎士たちの足音が規則正しく響き、ここが確かに軍事組織であることを物語っている。男性の騎士も数人見かけたが、その数は圧倒的に少ない。申し訳なさそうに端を歩く彼らの姿は、この組織内でも立場の弱さを如実に表していた。
皮肉なことに、力を誇る騎士団でさえこの有様なのだから、この国の男性の地位がどれほど低いかは推して知れるだろう。
フレデリックは慣れた様子で廊下を進み、執務室の前で立ち止まった。
「団長、フレデリックです。斥候任務から戻りました」
「入れ。」
扉の向こうから響いた声は美しく――それでいて背筋が伸びる凛とした女性の声だった。フレデリックが扉を開けると、執務室の奥で一人の女性が書類に目を通していた。
静かに――しかし消えることなく燃え続ける炎のような女だった。
道すがらフレデリックに聞いた話によれば、騎士団長の任に二十歳という若さで着任したのは彼女が初めてだったそうじゃないか。他に適任者がいなかっただけかもしれないと当時は邪推したが、そうではない事はすぐに分かった。
長い赤髪を耳にかけ、一瞬顔を上げて訪問者を見据える。彼女が瞬きをするその刹那、全てを曝け出したような気分になった。自分自身ですら気づいていない深淵を覗かれたような――異様なほどの洞察力。
現在の地位は実力で掴み取ったものだと、暗にそう言われている気がした。
彼女の机の上には山のような書類が積まれており、戦時下の多忙さを物語っている。室内の空気は張り詰めており、セラは息をするのも憚られるような緊張感を覚えていた。壁には歴代騎士団長の肖像画が掛けられているが、その中でシンシアだけが異様に若く、同時に最も美化されて描かれていたのが印象的だった。
「...ご苦労だった、フレデリック。報告を聞こう」
シンシアは顔を上げることなく、淡々と言った。
感情の起伏や抑揚が無い、無機物のような一声。
瞳はせわしなく書類の文字を追い、時折手に持った羽根ペンを迷いなく動かす。
「はい。帝国軍の動向についてですが、確認出来ませんでした。ゴブリン数十匹の足跡が痕跡として残っておりましたので、恐らくは誤報かと思われます。」
フレデリックの報告を聞きながら、シンシアは地図に印をつけていく。羊皮紙の上に記されたその印は既に数多く、この戦争がいかに複雑で長期化しているかを物語っていた。
「そのゴブリンは確認出来たのか」
「はい。すでに討伐まで完了しております」
「了解した。危険な任務ご苦労だったな。今日は休め―――――それで?」
端的な疑問の投げ掛けと共に、シンシアはようやく顔を上げる。
視線で、"射殺す"。
彼女の瞳はそれを可能にするような力があるように思えた。相手の嘘を許さないと言ったほうが正しいだろうか。この人間の前では、自ら真実を紡いでしまうような妙な雰囲気を纏っていたんだ。
どこから入ってきたのか、いつの間にか彼女の肩に"白い梟"が一羽、大きな欠伸で自らの存在をアピールしていた。
「フレデリック、そちらの少年はこの場に同席する必要があったのか」
彼女の問いには、僅かながら困惑の色が滲んでいた。
今は戦時中であり、ここは軍最高司令官の執務室。
この場に子供が立っているという状況自体が異常であり、彼女のとした日常に波紋を投げかけていたのかもしれない。
「...彼について相談があります」
フレデリックはセラの肩に手を置いた。その手は実の父親のように温かく、セラにとって心強い支えとなっていたと思う。何せ少年にとって人族の文化圏に於ける知人は、今まさに横に立つこの大男のみだったからだ。
「彼の名はセラ・ドゥルパと申します。獣人族の集落で育った人族の少年で、非常に優秀な戦闘技術を持っています。」
彼の報告は矢継ぎ早に続く。
「先ほど報告したゴブリンの群れを討伐したのは、彼です。群れにはゴブリンジェネラルも含まれていました。吾輩が一部始終を見ていたので、間違いありません。」
そして大きく、深く、息を吸う。
「彼を――騎士団に迎えたいと考えております。」
シンシアの表情に僅かな変化が現れた。眉間に小さな皺が寄り、明らかに困惑している様子だった。彼女は書類から完全に目を離し、セラを真っすぐ見据える。恐ろしいほどに鋭いその視線には、驚きと、そして僅かな警戒心。
獣人族に育てられた人族の子供など、彼女の常識の範疇を超えていたのだろう。
「...獣人族の集落で育った、と。」
シンシアの声には、信じ難いものを聞いたという困惑が込められていた。それはそうだろう、一般的に人族と獣人族の関係は決して良好ではなく、ましてや人族の子供を育てるなど考えられないことだろうからな。ひと昔前は、獣人族は人族によって奴隷狩りに遭っていたはずだ。野蛮で、下卑た風習だよ、まったく。
「はい。詳細は後ほど紙面にまとめますが、先ほど報告したゴブリンの群れを殲滅したのは、この少年なのです。ゴムリンジェネラルを含めた五十匹のゴブリンを相手に――子供が、一人で、です。」
フレデリックの証言に、シンシアの表情がさらに複雑になった。十一歳の少年がゴブリンの大群を倒すなど、にわかには信じ難い話だ。常軌を逸していると言っても過言ではない。しかし、彼女にとってフレデリックという人物は信頼に足る人物なのだろう。彼女の表情からは深い葛藤が見え隠れしていた。
長い沈黙が流れた。視線をセラから離す事なく、指で机をトントンと叩く。察するに彼女を最も悩ませていたのは、セラが男性であり、そして子供ということ。
「...フレデリック、君の推薦は理解した。しかし、騎士団には厳格な入団基準がある。年齢、性別に関わらず、全ての志願者は同じ試験を受けてもらう」
それは公平性への配慮ではなく、この試験で諦めてもらおうという意図も感じられた。恐らく彼女の心の中では、セラが騎士団に馴染めるはずがないという確信があったのだろう。
「...セラ、そういうわけだ。そんな難しい事ではない、落ち着いて挑むといい」
「ああ、分かったよ。で、オレは何すりゃいいんだよ、シンシア。」
フレデリックの顔が強張る。
「言葉に気をつけんか!馬鹿者!」
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シンシアは執務室の隅にある小さな棚を開け、赤子の頭程度の大きさの水晶球を持ち出した。その水晶は透明で美しく、内部で微かな光が揺らめいている。まるで生きているかのような神秘的な輝きを放っており、部屋全体を幻想的な雰囲気に包んでいた。
「これは真偽球と呼ばれるアーティファクトだ。触れた者に敵意があれば――黒く濁る。」
そのまま彼女が真偽球をそっと触ると、目がくらむほどの――光。
「騎士団員として最も重要なのは、王国と仲間への忠誠心だ。まずは君の心を試すとしよう」
シンシアの説明には、長年この球を使ってきた経験に基づく重みがあった。このアーティファクトが彼女の言う通りであるなら、これまで多くの間者を暴いてきたのだろう。セラにもきっと何らかの問題を抱えているはず、とでも思っていたのかもしれない。
「さあ、手を触れてみろ」
セラは恐る恐る手を伸ばした。水晶の表面は冷たく、触れた瞬間に微かな振動を感じた。
しかし、変化は起こらない。
敵意なんてないのだから驚くことはないのだが。むしろ、"私"に反応してしまうのではないかと内心焦っていたのだが、杞憂に終わったよ。
「合格だ...しかし、何も反応が出ないとは。」
シンシアが呟いた。通常は何かしらの想いが色となって現れるのだろうが、セラの純粋さは、あらゆる色を受け入れる無色透明という形で水晶に現れたのだろう。
セラは安堵の表情を浮かべた。しかし、シンシアの表情は依然として厳しいままだった。この試験を突破したところで、まだ安心はできない。むしろ、次でこの子供の限界を見極めてやろうという意図が強くなっていた。
「次は体力テストだ。新人団員との模擬戦を行ってもらう」
シンシアは執務机の上のベルを鳴らした。澄んだその音は要塞の廊下に響いて誰かを呼び寄せる。
しばらくして、扉が開き、一人の若い女性騎士が現れた。金色の髪に、エメラルドのインナーカラー、整った顔立ちそして...明らかな傲慢さ。自分の実力に絶対的な自信を持っているのが見て取れた。
「アム・グリエ初級騎士、参りました!お呼びでしょうか、シンシア団長!」
無駄に声がデカい女だった。フレデリックには軽い会釈を、そしてセラには――まあ、言わずもがなだな。
「グリエ騎士、入団希望の試験を引き受けてもらえるか。この少年が希望者だ」
アム・グリエと呼ばれた女性騎士は、セラを見下すような視線を向けた。その表情には軽蔑が露わで、まるで虫を見るような目つきだった。
「団長、お待ちください!入団テストの相手がグリエ騎士とは、流石に度が過ぎているのではありませんか!?」
フレデリックの問いかけに、騎士団長は毅然と言い放った。
「貴殿の推薦だからこそだ、フレデリック。試験は実力を推し量るものであって、甘やかすためのものではないぞ」
「...了解しました。」
フレデリックには気がかりな事があるらしかったが、シンシアの言葉は明らかに拒絶していた。
「...男性の子供が相手ですか?これは模擬戦と呼べるのでしょうか」
一方アム・グリエと呼ばれた小娘の声には露骨な不満が込められていた。自分の貴重な時間を、こんな子供の相手で無駄にするのかという憤りが隠しきれずに表れている。
「はぁ...アム。我々の仲間となろうとしている者を卑下するな。性別、年齢に何ら関係なく、礼を尽くして相手をするように。以前にも注意したが、騎士団内でのそういった歪みを私は容認しない。」
「は!申し訳ありません!」
フレデリックといい、シンシアといい、組織の取りまとめとは難しいものだ。まあこんな事を言っているが、実のところシンシアはセラに現実を思い知らせ、早々に諦めさせるつもりだったのだろう。私はこの小娘程度でセラがどうにか出来るとは思わなかった。
彼の師――カルラの訓練の内容を知っていれば誰もがそう言うだろう。
「承知致しました。では、第一訓練場でお待ちしております」
どうせこの小娘の中では、セラを完膚なきまでに叩きのめしてやろうという考えが渦巻いていたことだろう。浅慮ここに極まれり、だな。
アム・グリエが去った後、シンシアはセラに向き直った。
「相手となるアム・グリエ初級騎士は新人とはいえ、それなりの実力者だ。加えて、試験で使用するのは木剣ではないぞ。大怪我をするかもしれないが、それでも戦うか?」
「ああ、やるよ」
彼女この問いかけには、明らかに「諦めろ」というメッセージが込められていた。しかし、セラは迷わず頷いた。その時のセラはいい顔をしていたよ。カルラとの厳しい訓練を思い出し、これまでの全てがこの瞬間のためにあったのだと感じていた。まったく、この少年の頑固さには呆れるばかりだ。
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案内された第一訓練場は石造りの広いスペースで、周囲には観戦用の席が設けられている。既に何人かの騎士たちが集まっており、珍しい光景を見ようと興味深そうに眺めていた。彼女たちの視線には、明らかに嘲笑の色が混じっている。まるでサーカスの見世物でも見るような好奇心に満ちた表情で、セラを品定めしていた。
「子供が騎士団って...」「どうせすぐに泣いて帰るでしょう」「アムは手加減下手だからなあ」
騎士たちの囁き声が訓練場に響く。その声には同情よりも興味本位の色合いが強く、セラにとっては居心地の悪い状況だった。しかし、彼は周囲の声に動じることなく、静かに戦いの準備をしていた。
アムは既に鉄の剣を手にして待っていた。なるほど...確かに腕は立つらしい。剣を持つ手つきには自信が溢れており、この戦いの結果を微塵も疑っていないのが見て取れる。鼻っ柱を折ってやるのが楽しみでならなかった。
セラも背中に背負った槍を手に取った。黒曜石の美しい刃が陽光を反射し、周囲の騎士たちの注目を集める。
「あの槍...かなりの業物のようですね」
観戦していた騎士の一人が呟いた。それもそのはずだ。刃は黒曜石を圧縮して硬度を保ちつつ、恐ろしい程の切れ味を両立させている。柄は聖樹の枝から切り出したものだ。普通の武器と言われてはたまったものではない。使い手次第なのはどの武器も同じなのだが。
「しかし、使い手が子供では宝の持ち腐れでしょう」
今私が思った事を別の騎士が嘲笑混じりに答えた。その通りだよ、あの女どもに使われる武器が可哀そうでならない。
シンシアが合図の準備をしている間、セラは深く息を吸った。カルラから教わった基本の型を思い出し、心を落ち着かせる。この槍に込められた想い、母の愛情、そして自分自身の決意。全てが彼の中で一つになっていく。訓練場の空気は張り詰めており、観戦者たちの期待と好奇心が渦巻いていた。
二人が中央で向かい合い、矛先が互いを指した瞬間――世界が息を止めた。
囁きは途絶え、訓練場を満たすのは張り詰めた沈黙のみ。風すらも、この一戦を見守るかのように凪いでいた。
「...始め!!!」
シンシアの号令と共に、模擬戦が開始された。アムは即座に前進し、セラに向かって剣を振り下ろす。
その動きは迅速で正確、明らかに手加減する気はない。彼女の表情には冷酷な笑みが浮かんでおり、この一撃で決着をつけるつもりだった。まあ、筋は悪くなかった。
しかし、セラはその攻撃を槍で受け流し、すぐさま反撃に転じた。
黒曜石の穂先が、アムの頬を一筋の紅で彩る。観戦していた騎士たちの間にどよめきが起こった。誰もがアムの一方的な勝利を予想していただけに、この展開は予想外だった。
「え...アムが先に動いてたよね?」「...偶然でしょ?」
騎士たちの声には動揺が混じっていた。しかし、それは偶然ではない。必然だ。セラの一挙手一投足には、カルラから受け継いだ確かな技術があった。獣人族の集落で培われた野生の勘と、長年の鍛錬による正確性。それらが見事に融合していた。カルラも鼻が高いだろう。
自分の頬に傷がついたことを受け、対峙する小娘の表情が変わった。表情から余裕は消え、代わりに真剣さが宿る。きっと彼女のプライドを深く傷つけてしまったのだろう。
男性の、子供に、傷をつけられたという事実が彼女の怒りに火をつけた。
「やるじゃん...でも、これからが本番だよ」
アムは剣の構えを変え、より攻撃的な姿勢を取った。もはや手加減する気はまったくなかった。
そして再びの突進。今度は先ほどよりも速く、より正確に。しかし、セラもそれに対応した。槍を体全体で回転させながら防御し、アムを翻弄すると同時に変則的で自在な攻撃を繰り出す。
二人の武器が激しくぶつかり合う音が訓練場に響いた。火花が散り、観戦者たちの緊張も高まっていく。当初は子供の一方的な敗北を予想していた彼女たちも、今では真剣に戦いを見守っていた。
シンシアもまた、セラの動きに注目していた。その技術は確かに優秀だが、それ以上にセラの精神力に驚いた事だろう。プレッシャーに屈することなく、冷静に戦況を判断している。これは生来の才能というより、厳しい環境で培われた強さだった。彼女の予想は完全に外れ、この子供への評価を見直さざるを得なくなっていた。
戦いは膠着状態に入った。アムの経験と技術、セラの野生の勘と不屈の精神。どちらも一歩も譲らない。訓練場の空気はさらに熱を帯び、観戦者たちの息遣いも荒くなっていく。しかし、時間が経つにつれて、体力の差が現れ始めた。年齢や体格ではない。
セラはこの一週間、満足な食事も休息もとっていないのだから当たり前だろう。
動きが僅かに鈍くなった瞬間、アムが決定的な攻撃を仕掛けた。鋭利な軌道で襲い掛かる剣がセラの槍を空中に弾き飛ばし、彼の胸元に迫る。観戦者たちの間から悲鳴が上がり、勝負ありと思われた。
――しかし、その時だった。
セラは武器を失いながらも、アムの懐に飛び込んだ。
躊躇なく振り下ろされる刃をその掌で掴み取り、体を素早く浮かせる。体軸を捻り、全体重を乗せてアムの側頭部に蹴りを叩き込んだ。吹き飛んだアムが起き上がろうとしたときには、黒曜石の切っ先が鼻先に添えられていた。その行動は常識を超えており、誰もが唾を飲んだ。
「アム・グリエ。あんた、強かったよ」
「あ...ま、参りました」
アムが降参を宣言した。彼女の目にあるのはもはや軽蔑ではなく、敬意だった。自分の剣を素手で掴むという狂気じみた行動に、この女騎士は完全に度肝を抜かれていた。止まった刃ではない――敵を討つために振り下ろされた、速度の乗った鋼を、生身の掌で掴み取ったのだ。ちなみこれはセラが五歳のころに、カルラがやっていた訓練だった。
訓練場に静寂が訪れた。誰もがこの結果を予想していなかった。男の子供が新人騎士と互角に戦い、最終的に勝利を収めたのだ。この沈黙は、驚愕と困惑の入り混じった複雑なものだった。女が男に負けた、という事実の方が、騎士団の連中にとっては重たい事実だったのかもしれないがな。
拍手をし始めたのは誰でもない、シンシア団長その人だった。いまやその表情には、予想を裏切られた困惑と、同時に僅かな感動が色濃く映し出されている。
「...合格だ、セラ・ドゥルパ。君を騎士団の一員として迎え入れる――我々と共に、未来を切り開いていこう」
その言葉と共に、訓練場に大きな拍手が響いた。騎士たちの表情にも変化が現れている。最初の軽蔑は消え、代わりに興味と期待が宿っていた。セラへの見方が、完全に変わった瞬間だった。
セラは安堵と共に、新たな決意を胸に抱いた。ここが彼の新しいスタート地点。
私はその時、セラの未来に少なからず期待を抱いていた。困難は数多く待ち受けているだろうが、きっと乗り越えていける。そんな確信があった。まあ、それが甘い考えだったということは、後になってから分かるのだが。




