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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第三章 -師団長編-
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037.来訪者

玉座の間の扉が、背中の方でゆっくりと閉じていく音を聞きながら、私はしばらくその場を動けずにいた。

赤い絨毯は、さっきまでと何一つ変わらないはずなのに、足裏に触れる感触が違って感じる。

無理やりつけられた肩にかかる濃紺のマントがどんな意味を持つのか、未だ理解することは出来ない。

邪魔なだけだ。


新暦269年の夏、中級騎士という私の肩書は突如として名を改めることになる。

一星騎士。それが新しい階級だった。

確か男性は星付きになれないとフレデリックから聞いていたのだが、制度が変わったのだろうか。


王女...ではなくヘンリエッタ王陛下からそう言われた時も、頭では理解したつもりだった。

だが、玉座の間を出た後、その言葉だけがぐるぐると脳内でこだましはじめる。


「...王陛下、か。一番偉いってことだよな」

第一王女と自己紹介されていた人間が、何の前触れもなく王冠を載せている。

王族のことなんて微塵も分からないが、こういうものなのだろうか。


数か月前――戦場で見た時は、ただの兵士に扮していた第一王女。それが今、この国の王になっている。

その王様に星だの爵位だの与えられて、

気づいたら私は騎士の頂きに片足突っ込んでいるらしい。

何がどうなっているのだ。




「セラ!」


後ろから聞き慣れた野太い声が飛んできた。振り返ると、シンシア団長とフレデリックが玉座の間を出てくるところだった。

団長はいつもの無表情――のようでいて、どこか口元がわずかに柔らかくなっている気がした。対照的にフレデリックの方は、目を丸くしたまま半分口を開けて固まっている。


「お、お前!いや、セラ・ドゥルパ一星騎士、か...!」

「やめてくれよフレデリック。まだ実感なんてないんだ」

こそばゆい。この階級という考えがなぜ必要なのか――人族の文化は理解に苦しむ。


「むっ……すまん。いやしかしだな!まさか本当に一星騎士になるとは、吾輩は感無量だぞ!」

フレデリックは大股でこちらに歩み寄ると、いつものように大きな手で私の肩をがしっと掴んだ。肩関節が外れるかと思うくらいの力強さだ。


「男性で初の星付き騎士だぞ!?もっとこう、胸を張ってもいいと思うのだがな!」

「フレデリック副団長、それくらいにしておけ。確かに王国にとっては大きな意味を持つことだが――当人にとっては、性別を前に出されるのはあまり愉快ではないだろう」


団長に窘められたフレデリックは口を紡ぐ。

「シンシア団長、あの..."星付き"って、何がそんなに凄いのですか?」


私の問いに、シンシアの眉がほんの少しだけ上がった。ほんの少しだが、それでも彼女なりの「呆れ」なのだろう。


「一星騎士以上は、国王陛下のみが任叙権を持つ。騎士としての武功だけでなく、国家に対する貢献と将来性に鑑みて与えられる称号だ。私...五星騎士まで含めても百人はいない。」


フェナンブルク王国にどれだけの人が住んでいるかなんて知らないが、それなりの地位ということらしい。今までは女性しか許されなかったこの制度を変えた特別な存在――なんて考えると少しだけ気持ちが昂るような気がした。

「吾輩より上の階級になるとは...いやはや参ったな!がっはっは!」


「シンシア団長。ヘンリエッタ王陛下って、いつ王になったんですか?」

一瞬、目を細めたような気がした。

先ほどの"呆れ"ではなく、もっと大きな――いや遠くを見据えるような瞳。

しかし彼女はすぐにいつもの無表情に戻る。


「つい先日だ。まだ正式な戴冠式も終えていない。玉座に座ることを優先した形になる。詳細は...まだ王宮内でも一部の者しか知らない」

「そうですか...分かりました。深く考えないことにします」

少しだけ、シンシアは笑ったような気がした。


この日、団長と副団長が揃ってくれたことは僥倖だった。この国の将来を左右するであろう事柄について、私は二人の意見が聞きたい。

――帝国との和平に就いてだ。

信頼できる人に、アリアのことを聞かなければならない。


「えっと...フレデリック、少し相談したいことがあるんだ」

「...お前から"相談"なんて言葉が出るとは思わなかったぞ」

驚いたような、嬉しいような。複雑な表情だが、その眼差しは真剣だ。


私一人が動かせるものは、ごく僅かだ。

ヘンリエッタに相談しようと思ったのに、なんだかそういう雰囲気ではなくなってしまったしな。

そして、もう一人。


「ドゥルパ、フレデリックは副団長なのだから、敬意をもった言葉遣いを――」

「シンシア団長。貴女にも聞いてほしい」


彼女の言葉を遮って告げると、シンシアの顔が曇った。

「私も、か」

「はい。団長にも、聞いてほしい話なんです」


短い沈黙のあと、シンシアは小さく頷いた。

「一星騎士となると、私も無下には出来ないな――承知した。時間を取ろう。どういった類の話なんだ?」

「ええっと...これからの騎士団に関する話、ですかね」

嘘は言っていない。


---


場所はシンシアの執務室に決まった。

王城を出て、私達は騎士団本部に向かう。外の陽光は夏らしく強くなってきているが、分厚い石壁の中はどこか冷たい圧迫感を与えてくる。

シンシアの執務室は、以前訪れた時と変わっていなかった。書類の山と地図、私の家の何倍もある広さ。空気はピリピリと私の肌を刺す。


「二人とも、そこに掛けなさい」

団長に促され、私とフレデリックは来客用の椅子に腰を下ろした。もし、万が一、アリアを捕縛するという結論を降された場合は――まあその時考えよう。


「では、改めて。シンシア団長、フレデリック副団長。本日はお時間を割いて下さり、誠にありがとうございます」

「敬語を使うお前は、やっぱり落ち着かないな」

「フレデリック副団長、茶化す場面ではない。自重しろ」


シンシアに一喝され、フレデリックは肩をすくめる。

「さて、ドゥルパ。君の相談とやらを聞こう」


少し間を置き、私は言った。

端的に、包み隠さず。

「今、帝国の"風神"が、私の家にいるのですが――」




誰も何も言わぬまま、窓から差し込む夏の日差しだけが空間に横たわる。

やがて――


「「ふううううううううう……」」


二人同時に、長い息を吐き出した。

シンシアは額に指を当て、フレデリックは目頭を強くつまんでいる。


「セラ...お前はいつも吾輩の想像の斜め上をいくな……」

「はあ......完全に、想定外だ。冗談では済まされんぞ――これから聞く質問には、一切の虚偽なく答えろ」


シンシアの双眸は、一切の嘘を許さない気迫を宿していた。

元より嘘をつくつもりなど毛頭ないのだが、彼女の放つ空気は尋問のそれに近い。

少しだけ、彼女は言葉を噛みしめるようにしてから、はっきりと言った。


「セラ・ドゥルパ一星騎士。君は――フェナンブルク王国の敵か?」

「いえ、断じて」


自分でも驚くほどに、迷いはなかった。

シンシアはじっと私の目を見つめる。『真偽球』を使っていないにも関わらず、彼女の視線はそれ以上の精度で私の心を見透かしているような気がした。

先ほどから、胸のあたりに違和感がある。むず痒いような感覚が。


「...いいだろう。では、次に経緯を説明しろ。どういう流れで、帝国の"風神"が君の家にいる?」


私は、山岳地帯の集落で起こったことをかいつまんで説明した。

帰郷の途中で遭遇した集落の異常、死体の山、アリアとの邂逅、そして――

彼女がカルラたちを逃がしてくれたこと、自分が彼女を攻撃し、結果的に重傷を負わせてしまったこと。倒れた彼女を放っておけずスマゴラの家まで運び、看病してきたことを。


フレデリックにこんな形で帰郷のことを伝えなくてはいけなくなったのは...ほんの少し、寂しい。


「つまり、帰郷した際に重傷の彼女を見つけ、連れ帰って介抱していた、と?」

「はい。今も、家で療養中です」

「逃亡の可能性は」

「今のところはないかと。私と共に―――あー、いえ。ここに残りたいと言っていました」


そこまで聞いたところで、シンシアとフレデリックは互いの顔を見合わせた。言葉を交わさずとも、多くを共有している者同士の視線だ。

前置きはもういいだろう。そろそろ本題に入らなくては。


「彼女は、自分自身を和平の使者だと言っていました。帝国の皇帝であるユー...なんとかって陛下から、フェナンブルクとの和平交渉を託されたと。でも、私にはそれが本当なのかどうか分からない。どうしたらいいのか、判断がつきません」


さらに、沈黙。


部屋を満たすのは、張り詰めた思考の音だけ。シンシアの目が僅かに伏せられ、指先が机の上で静かに動く。フレデリックは腕を組んだまま天井を見上げ、深く息を吐いた。


「...ヘンリエッタ王陛下に謁見させるには、余りにも情報が不足しているな」

シンシアがが出した結論は、至極当たり前のものだった。


「帝国の使者を名乗るだけならば、誰にでも出来る。和平を口実に、王を暗殺しようとする者が現れてもおかしくはない状況だ。特に今は、王位継承の直後という不安定な時期だ」

「吾輩も団長と同意見ですな。だが、少なくともセラが裏切るつもりがないことは分かった。”風神"の言が真実であれば、王国に一筋の光を――戦争を終わらせる糸口になるかもしれん」



「ヘンリエッタ陛下は、前王よりも遥かに聡明であらせられる。どの段階で王に上申し、どの程度の情報を開示するかはよくよく吟味せねばなるまい。しかしその前に――我々が直接確認する」

直接。どういう意味だろうか、そんなことは分かり切っている。

主語は私ではない。彼女が、直接確認する。出来れば来てほしくないが...

一縷の望みをかけて、答えが分かっている問を投げかける。


「...直接、と仰いますと?」

「これから、君の家に行く」


くそう、偉い人をもてなしたことなんてないぞ。団長は干し肉を出したら怒るだろうか。

「ここで頭を捻っていても始まらん。本人に会って話を聞くのが一番早い。ドゥルパ、違うか?違わないな?」

「......違わない、です」


なんだか...母さんを思い出す。言い訳をさせてもらえない時、母さんはこうやって追い詰めてくる。

少し――懐かしい感じがした。


---


「アリア、オレだ。客が一緒に入るぞ」


念のため配慮して、扉越しに声を掛ける。客人を連れてきたことを、予め知らせておくべきだろう。

「あっちょ...セラくんダメです!少し待ってください!」

「...だ、そうです。少しお待ちください」


数刻して内側から開かれたドアの前に立っていたアリアは、顔が上気していた。なんというか――艶っぽい。少し、下半身がむずむずするような気がする。

「すみません、お待たせしました!――成程、状況はおおよそ理解しました。話をさせてもらう権利はあるのでしょうか?」

「むしろその為に来たのだ。この戦争に終止符を打つことが出来るのか、確かめにな」


相対するのは――両国の龍。

「フェナンブルク王国騎士団団長、シンシア・ルーヴェンだ」

「ゴア帝国ヴァルキリー隊総隊長、アリア・ヴェルディスです」


きっと今日は、とても重要な意味をもつ。

――場所がよくない。なんで私の家なのだ。

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