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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第三章 -師団長編-
35/38

035.邂逅

- 時は少し遡り、新暦269年晩春。セラが一星騎士に叙任される一か月前... -


シグヴァルド要塞を落とした私達は、百人ほどの騎士達を残しフェナンブルクに帰還した。

道中、多くの女兵士から賞賛の声をもらったのは意外だった。

小隊の仲間の背中を見て、この国の下らない文化が変わろうとしているのだろうか。

そう思うと、足取りは少し軽くなった。


一か月の徒歩を経て、やっと帰ってきた。フェナンブルクに。

日はとうに落ちて、窓の外は濃い藍色。遠くでかすかに聞こえるのは、街の酒場から漏れる笑い声と、遅くまで鍛錬をしている騎士達の掛け声くらいだろうか。

戦の前と比べると、そのざわめきには幾分か明るさが混じっている気がする。


これが、戦いに勝ったということなのだろうか。

街に活気が出てくるのは良い事だと思う。

浅慮な考えがふと頭を過ったとき、"彼"が語ってくれた戦争の本質を思い出す。

まだまだ私は――無知な子供みたいだな。


---


兵士達はそれぞれ帰路についた。

隊のみんなに労いの言葉を掛けようと思った矢先、ハイネが大声で私の名を呼ぶ。


「セラくーん!明日は飲むでえ!祝い酒や祝い酒!小隊みんなで集まろうや!」


活力のある甲高い笑い声だ。

要塞からの帰還報告や後始末もようやく一段落し、明日は丸一日、訓練も任務も入らないと聞いた瞬間、あの女は目を輝かせて言い出したのだ。


随分と元気が有り余っている――それもそのハズ。

私の黒雷で一時的にでも戦闘不能に陥ったハイネは、道中ずっと担架で運ばれていた。

ウィルはずっと、フォウとビューラは交代で彼女を運び続けたのだ。


疲労がありありと顔に浮かぶフォウは、呆れたようにため息をつきつつも口元は緩んでいたし、

ウィルは「そうですね!小隊で初の任務成功ですし!」と、本当に嬉しそうだった。

「店の樽をすっからかんにしてやりましょうっ!楽しみですっ!」ビューラも息巻いている。


...いい顔をしていた。

みんな、ちゃんと生きて帰ってきた。

その事実が、私にとっては何より嬉しい。


仲間との明日を楽しむためにも、

私は今日、やらねばならないことがあった。


---


「……ただいま」


スマゴラの街の外れは、相変わらず閑散としている。

小さな我が家の扉を静かに開けて、家の中に一歩足を踏み入れた瞬間、胸の奥に沈んでいた別の重みが、ずしりと存在を主張してくる。


「あ、おかえりなさい。セラ」

「...ただいま、アリア」


粗末なベッドの上に腰掛けていた怪我人は、ゆっくりとこちらを振り返る。

長い白銀の髪、少女のような出で立ち。

比喩ではなく、本物の殺戮者であると同時に――母さん達を助けてくれた恩人。

彼女はゆっくりと立ち上がり、拙い足取りでこちらに近づいて来た。


シグヴァルド要塞に向けて出発する頃は、自力でなんとか上半身を起こすのが限界だった。

まあなんだ、その...不可抗力で裸を見る機会が多かった。便所もいけなかったからな。


そんな中彼女を家に残すのは心苦しかったが、他でもないアリアが強くそれを望んだ。

当初はこう思っていた。私に世話をされることが、彼女のプライドを傷つけてしまうのだと。

しかし――今は違う。


「随分と...動けるようになったんだな」言いながら、部屋の中をぐるりと見回す。


洗い替えの包帯はきちんと畳まれ、薬草の束も整理されている。

手の届かなかった棚の上の水差しが、机の端に降ろされていた。

「ええ。セラのおかげです。本当にありがとうございます」


今こうして話している目の前の女は――

きっと多くの、私の仲間を殺しているのだろう。

「全く痛まないと言ったら嘘になりますが...もう、自分の足で立てる程度には回復しました」


お互いが誰なのかを理解している。

そして――お互いが敵であることを知っている。

「お、お手洗いも!一人で大丈夫ですからね!」


頬を赤らめる無垢の少女と、これから話すことがどういう帰結を迎えるのか。

未だ答えは出ないままだ。

「あ、あの......セラくん?どうしましたか?」


アリアの目を見ながら、ベッドに腰掛けた彼女に歩み寄る。

細く揺れる蝋燭の炎が、二人の影を照らし出す。

「セラくん...ダメです――私達、まだ、あの、知り合ったばかりで、その...そういうのはもっと大人になってから――」

「アリア。」「は、はいいぃっ!」



彼女が何故集落にいたのか、目的が何なのか。

聞かなければいけない。





「ヴァルキリー隊総隊長、アリア・ヴェルディス。帝国の"風神"――人の領域から足を踏み外した研究者。あんたに聞かなきゃいけないことがある」





少女の目は、黒よりも暗い闇の色。

幼い頃、月の無い夜に井戸の中を覗き込んだ時を思い出す。

こんなに重たい空気は初めてだった。


とても長い沈黙を経て、少女は口を開いた。

「――――――異名まではいいです。しかし何故、私の研究のことを、ご存じなのですか」



「ローレル・パルミが......教えて、くれたんだ」

「なっ...そんな馬鹿なことあるはずが...彼女が裏切るなんてありえません!」

「アリア、話すよ。オレのことを。だから...アリアも、話して欲しい」


---


私自身のことを話すのは、デミ、アムに続いて三人目になる。

言葉を紡ぐたびにアリアの表情は驚愕の色に染まっていった。


一度死んだこと、

今の私は呪いであること、

シグヴァルド要塞攻略戦の委細。

そして――私が殺したローレルの、魂がどこにあるかを。


あの女魔術師を殺した時、魂を吸い取った時、何か大きな力が私を突き動かしていたのは事実だ。

しかし罪悪感はない。

これが戦争である以上、私は骸の道を歩まなければならない。

今、目の前にいるアリアは、きっとそれを理解している。


「......セラくん、呪いの本質がなんなのか、ご存知ですか?」

考えたこともなかった。

つまりそれは、私が何者であるかということ。


「呪いとは、"願い"。祈りとも、渇望とも異なります。純粋な願いこそが、呪いの正体なんです」

彼女が何を言いたいのか、理解出来ない。

しかしアリアの双眸には、もう闇はない。

夜明けの明星を見るような、暖かな眼差し。






「つまり――セラ。貴方はただの殺戮者ではなく...そう、"紡ぎ手"」

「命を奪った相手の想いを、記憶を、未来に繋ぐ者」

「そんな誰かの願いによって生まれ変わったのが、セラ・ドゥルパという人間なのです」


この女は何を言っているんだ。

私は自分の仲間を殺した敵だぞ。



なのに何故――彼女の言葉はこんなにも響くのだろうか。

自分の頬を伝うものが涙だと気づくのに、時間は掛からなかった。


「ちくしょ......全然止まらねえじゃんか...」

白銀の髪の少女は、私をそっと抱き寄せる。

嗚咽も、止められなくなってきたみたいだ。


---


「――そして、和平の使者としてフェナンブルクに向かう道中、カルラ達に助けられたのです」

「アリアのこと、なんだか他人だと思えないな。大変だったんだよな、あんたも」

「...ふふ、まさか私のことを理解してくれるのが、敵国の少年兵だとは思いもよりませんでした」

物心ついてから、初めてあんなに泣いたかもしれない。

今は二人でベッドに腰掛け、互いに肩を寄せ合っている。こんなに安心するのは、自分のことを全て理解してくれているからなのだろうか。




「こっこれって、良い雰囲気ってやつ、なんでしょうか...」

「えっ?何が?」

「いえええ!?なんでもありません!」

彼女はたまによく分からないことを口にする。


「そうか――なあ、戦争を...終わらせることなんて、出来るのか?」

「ええ、きっと。その為にはセラくんの協力が必要です」


「ああ、アリアには...救われた気がする。出来ることなら言ってくれよ」

「それは私の方ですよ――ずっと、あなたにどう話すべきか迷っていたんです。自分の正体を明かした瞬間、あなたが槍を構えるのではないか、と」


ゴア帝国とフェナンブルク王国。

敵国の重鎮が、自分の家のベッドで療養している。普通に考えれば、それだけで大問題だ。

にもかかわらず、私はずっと”そういうもの"として受け入れてきた。

彼女がカルラを守ってくれたという事実と――

「ただいま」と言えば「おかえりなさい」と返してくるこの姿とを、全部ひっくるめて。


「...正直に言うとさ」

ゆっくりと言葉を探す。


「オレは、人族とか帝国とか王国とか、そういうのはよく分からない。違いなんてないと思ってる」


燃え盛る死体の山と、アリアが風で砕いた獣人族の頭蓋。

今でも胃のあたりが冷たくなる。

それでも、


「アリアがオレの家族を助けてくれた。母さん達が今も生きて、どこかで泣いたり笑ったりしてるなら、そのきっかけを作ってくれたのは、間違いなくあんたなんだろ?」


彼女は静かに頷いた。


「なら、それで十分だ。帝国の使者だろうが"風神"だろうが、オレにとっては恩人で。今は同じ屋根の下で暮らしてる、ちょっと面倒見なきゃいけない奴ってだけさ」


我ながら、言葉を選ぶのが下手だな。

自分でも笑ってしまうような言い方だった。だが、嘘はひとつもない。


「……本当に、カルラに似ていますね」懐かしむように、小さく呟く。


「もしあなたが望むなら、私は今すぐこの家を出ていきます。騎士団に捕縛されるのを待つのもいいでしょうし、帝国に戻るために逃げることも出来るかもしれません。でも――」


そこで、ほんの一瞬だけ視線が泳いだ。

「でも私は、出来ることなら……もう少し、ここにいたい」


交錯する視線を外せないまま、彼女の言葉を静かに聞いた。

「君と共にいたいのです、セラ君」


その言葉は、あまりにも静かで、あまりにも弱々しくて。


ん?顔が近い気がする。

心なしか鼻息が荒くなっているような――

いつのまにか、耳まで赤く染まっている。





「い、いいですよね?」


「何が」と聞き返す間はなかった。

起きたことを理解するより先に、心臓が跳ねた。

私の口は、彼女の唇によって塞がれてしまったから。

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