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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第二章 -立志編-
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029.ヤドカリ王女

シグヴァルド要塞陥落から三週間が経過した朝。新暦269年の初夏は普段より涼しい始まりを迎えていた。「女ならば戦場で武功を立ててこい」――母上の懐古的な信念に従った結果が、この全身を苛む筋肉痛である。まったく、合理性の欠片もない。


フェナンブルク王国の第一王女として生まれた私には、ヘンリエッタ・イクスピアリ・フェナンブルクという名前が与えられた。

無駄に長い。まったく合理的ではない。物心ついた頃から、自分の名前が嫌いだった。

魔力適正は絶望的なまでに低かった。高名な魔術師を家庭教師に迎え、幾星霜もの訓練に身を投じた私に許されたのは――空気を僅かに湿らせる程度の、塵のような魔法。才能という名の壁は、私の努力で崩れることはなかった。


――そんな私を夢中にさせたのは、学術だった。


全ての自然現象には必ず理由がある。努力が塵となって消える魔術より、確実に学んだことを積み重ねていける。その先に新たな気付きが、発見が、革新が、私を待っているのだ。ああ、何と素晴らしいことか!この滅びゆく運命のフェナンブルク王国が息を吹き返すには希望が必要だ。そう!学術で民を救うのがこの私に課せられた天命。

そうして第一王女ヘンリエッタは、崇高な目的を胸に――部屋に引きこもるようになっていった。巷では"ヤドカリ王女"と呼ばれているらしい。出てきたと思えばハサミを振りかざす、終われば貝に引きこもる。そんな高慢に振舞った覚えはないけれど、なかなか上手いと思ったものだ。


母上のような豪気な振る舞いは私には出来なかった。非社交的な私は、この二十八という年齢になってもろくに交友関係を築けずにいた。面倒なことに、性欲は人一倍旺盛なのだ。きっとこれは血のせいだと自分に言い聞かせながら、毎晩自分を慰める日々。インキュバスの経営する男娼館には何度も足を運び、今では私専用の部屋が用意されているくらいだ。陰気な私には、この国の男性は合わない。相手も陰気なのだから僅かでも楽しいと思えないのだ。


---


徴兵令を出すと母上が言い出した時は、まさか自分も戦場に行くことになるとは思っていなかった。

王族並びに貴族は対象外となっていたにも関わらず、一度も戦いに身を投じたことがないというのは如何かと、どこぞの名前も知らぬ貴族が口にしたらしい。母上は政に微塵も興味がないお方だったが、自分の名が貶められるようなことは絶対に許さない。

その貴族はその日の内に斬首され、この私に飛び火したというわけだ。まったくもって遺憾である。


幼い頃から顔を知っているレイトッド卿が指揮を執ると知った時、絶望した。彼女は人に取り入る才能に長けた人物だが、物事を深く考えられないという欠点があった。徴兵された士気の低い兵士達を導いても、またこの国の民が苦しむだけなのは火を見るよりも明らかだった。短い人生の幕を下ろす覚悟すらして戦場に向かった私を待っていたのは、筆舌に尽くしがたい"死"の臭い。次は自分があの坂で挽肉になる番かという時、こんな血生臭い場所には似つかわしくない少年が目に付いた。


精悍な顔つきに、白銀の髪。

周囲が女ばかりでも物怖じしない、その姿勢。

一目惚れだった。


王国の英雄として名をはせるハイネ・フォン・ガリレイ氏と対等に話し、この絶望的な状況を打開しようと愚かなレイトッドに上申しに向かった彼を追いかけた。テントの外から聞こえた彼の真っすぐな物言いは、爽快の一言だった。


彼と話してみたい。そうして坂を登る手段を悩んでいるところを狙って声を掛けた。

兵士の兜があって本当に助かった。恐らく、いや確実に人には見せられない下卑た表情をしていたことだだろう。


そして――彼は本当に成した。

あの不落の要塞をたった一日で。

鬱蒼とした顔つきの民は、いつしか本物の戦士になっていた。

これを英雄と言わず、何と呼ぶのか。


その日からずっと彼のことばかり考えている。夜毎、自らの妄想の中で彼を求め続けた。

触れたい。声を聞きたい。あの真摯な瞳で、私だけを見つめて欲しい――なんとしてでもあの少年が欲しい。仮に"ハサミ"を使うことになっても。

明日、玉座の間に於いてシンシア・ルーヴェン氏の面会がある。

彼を婿に迎えるには任叙して、爵位を与えることから始めなければ。


欲しい。

セラ・ドゥルパという少年が。

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