023.シグヴァルド要塞攻略戦(1)
フェナンブルク王国の城門前に集結した光景は、私が想像していたものとは大きく異なっていた。石畳の広場に整列する五千の人影は、確かに数としては圧巻だったが、その内実は騎士団らしからぬ者たちで溢れかえっていた。私達の小隊も指定された位置に整列していたが、周囲を見回すたびに胸の内で違和感が膨らんでいく。
まだ少し冷たい朝の空気がじんわりと肺を満たしていく。私の左隣に立つハイネは相変わらず飄々とした表情を浮かべていたが、右隣のフォウは眉間に深い皺を刻んでいた。ウィルとビューラは少し後方に位置していたが、二人とも困惑の色が濃い。私自身も、この異様な雰囲気に戸惑いを隠せずにいた。
整列している人々の中には、明らかに戦士とは呼べない者が数多く混じっていた。震える声で隣の者にすがりつく中年女性、涙を流しながら立ち尽くす若い娘、腰の曲がった老婆、そして私と同じか、あるいはそれ以下に見える幼い少女たち。覚悟を持てず、恐怖に体を支配されているように思えた。とても戦場に向かう軍隊の顔ではない。
「なあ、この雰囲気、なんか変じゃないか?」
私は小声でフォウに問いかけた。騎士団の一員として一年を過ごしてきた私でも、これほど士気の低い集団を見たことはなかった。通常であれば、出陣前の兵士たちには緊張と共に戦意が満ちているものだが、今日の広場には重苦しい絶望感だけが漂っている。雰囲気に飲まれそうでとても息苦しかった。
「徴兵された農民が大勢いるからだろう」
フォウの答えは簡潔だったが、その声には深い憂慮が込められていた。彼女の濃紺の髪が朝風に揺れる中、二つの瞳はどこか違う場所を見ているような気がした。
「チョウヘイ...?」
私には聞き慣れない言葉だった。獣人族の集落で育った私には、人族の軍事制度について詳しい知識がなかったのだ。困惑する私の様子を見て、ウィルが説明してくれた。
「国が強制的に民を軍へ召し上げる制度のことです。通常、騎士団に入るには志願が必要ですよね?ですが、戦況悪化を理由に発令されたこの制度で、騎士団ではない農民や商人までもが、戦場へ駆り出されるようになったのです」
ウィルの説明は丁寧で分かりやすかった。
「つまり、戦いたくない人も無理やり連れてこられたってことか?」
「そうです。彼女たちの多くは昨日まで畑を耕していたり、市場で商売をしていた普通の女性たちです。剣を握ったことすらない人も大勢いるでしょう」
ウィルの説明を聞いて、私は改めて周囲を見回した。確かに、武器の持ち方すら分からずにおろおろしている女性や、支給された鎧のサイズが合わずに困っている老女の姿が目に入る。これが戦争の現実なのか。私は胸の奥に重いものを感じた。そんな空気の中、「おもんな。シンシアは何考えてんねん」と小さな声が聞こえてきた。珍しくハイネがイラついているようだ。
そんな会話をしていると、広場の中央に設置された演説台に一人の女性が現れた。身長が低いのを気にしているのか、演説台の上にさらに踏み台を重ねている。その風体は、一目見ただけで強烈な印象を刻むものだった。黄緑色の短髪をつんつんと逆立て、ふくよかな体躯を包む華美な軍服には金糸の刺繍が踊っている。胸元には数多くの勲章が輝いており、宝石箱を覗き込んだかのようだ。日光が反射して眩しい。
「うーわ...スカルドホルムやんけ」
ハイネの声には明らかな嫌悪感が込められている。他の小隊員たちも、演説台の女性を見て複雑な表情を浮かべていた。演説台に立った女性は、大きく胸を張って声を張り上げた。
「我こそは二星騎士、レイトッド・スカルドホルムである!」
その声は広場全体に響き渡ったが、期待されるような歓声は上がらなかった。むしろ、徴兵された女性たちの間からは小さなため息や不安そうな囁きが聞こえてくる。スカルドホルムの表情には、この反応に対する苛立ちが浮かんでいた。
「諸君!今日我々は、ゴア帝国の北部拠点であるシグヴァルド要塞の攻略に向かう!この戦いは王国の命運を左右する重要な作戦である!」
スカルドホルムの演説は続いたが、その内容は型通りのものだった。王国への忠誠、勝利への確信、敵への憎悪。しかし、聞いている兵士たちの反応は冷ややかだった。特に徴兵された女性たちは、明らかに話を聞いていない者も多い。雰囲気は最悪のままだ。
「我が軍には志願した勇敢な騎士団員だけでなく、国家の危機に際して立ち上がってくれた尊い国民の皆様も参加している!騎士団員諸君は、彼女たちに対して十分な配慮を示すように!そして国で待つ男、子供の未来の為、命を賭して戦うのだ!」
この部分だけは、スカルドホルムの言葉に誠実さが感じられた。徴兵された女性たちへの気遣いを示そうとする意図が伝わってくる。私は、この人は悪い人ではないのかもしれないと思った。少なくとも、弱い立場の人々を思いやる心はあるようだ。
「我々は必ずやシグヴァルド要塞を攻略し、ゴア帝国に王国の力を思い知らせてやるのだ!諸君の武運を祈る!」
演説の最後の部分で、スカルドホルムは拳を高く掲げた。しかし、期待された歓声や拍手は起こらなかった。広場には陰鬱な沈黙が流れ、時折聞こえるのは泣き声や不安そうな囁きだけだった。
またもやスカルドホルムの顔に苦い表情が浮かぶ。明らかに期待していた反応とは程遠い結果に、彼女自身も困惑しているようだった。彼女は短く出立の号令をかけると、足早に演説台から降りていった。
「出立!」
号令と共に、五千の軍勢がゆっくりと動き始めた。その行進は統制が取れているとは言い難く、列は乱れ、足並みもバラバラだ。徴兵された女性たちの多くは、重い装備を背負って歩くことすら困難そうだった。私たち小隊も行進の列に加わったが、周囲の雰囲気の重さは変わらなかった。これが本当に戦争に向かう軍隊なのだろうか。私は心の中で疑問を抱きながら、荒地を進む。王国の色である濃紺のハンカチを振りながら、多くの男が見送っていたのが印象的だった。
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行進が始まって間もなく、私は改めてスカルドホルムという人物について考えていた。演説での配慮ある言葉や、徴兵された人々への気遣いを見る限り、彼女は決して悪人ではないように思えた。少なくとも、弱い立場の人々を思いやる心は持っているようだ。
しかし、ハイネの反応を見る限り、スカルドホルムには何か問題があるらしい。軍事的な能力に疑問があるのか、それとも人格的な問題があるのか。いずれにせよ、この大規模な作戦を指揮する人物として適任なのかどうか、不安を感じずにはいられなかった。
「隊長、大丈夫でしょうか...私これが初陣なんですけど、この雰囲気ヤバくないですか?」
ビューラが不安そうに呟いた。彼女の声には明らかな動揺が表れている。確かに、現在の軍の状態を見る限り、勝利への道筋は見えてこない。
「オレも前線に出るのは初めてだ。全体がどうなるかは分からないが、少なくともオレ達の最優先目標は生き残ることだ。五人が離れない状況で戦うことが出来れば生存率はぐっと高くなる」
私は自分に言い聞かせるように答えた。ビューラの懸念はもっともだ。このまま士気が上がらなければ勝利はない。この状況で出来ることは限られている。せめて自分たちの小隊だけでも、しっかりと戦い抜かなければならない。
行進は続いた。太陽が昇り、気温も上がってきたが、軍全体の雰囲気が明るくなることはなかった。徴兵された女性たちの中には、すでに疲労で遅れ始める者も現れていた。このペースで北部の要塞まで辿り着けるのだろうか。
私は槍を背負い直しながら、前方を見つめた。遠くには山々が見え、その向こうに目指すべき要塞があるのだろう。この行軍の先に何が待っているのか、まだ誰にも分からなかった。ただ一つ確実なのは、この戦いが今までとは全く違う規模と性質を持っているということだった。
初めてのことだらけで、私も少し考えるのが疲れてきたころだった。突然ハイネがニヤニヤと笑いながら私の方を向いた。この女、何か企んでいる。
「そういえばセラくん、ビューラから聞いたで?なんや、女にヤられてもうたんやって?」
ハイネの言葉に、あの日のことを思い出した。ビューラが不自然な程騒ぎ立てたときだ。今ごろアリアは寝ているだろうか。もう少し回復するまでは様子を見たかったが、とりあえず歩けるようにはなったので安心している。しかし、その言葉を聞いたウィルが急に慌てたような表情を見せた。
「なああっ!?早すぎますよ隊長!まだ十二歳じゃないですか!」
それを聞いた周囲の女性兵士が、少し笑っていたのが気に入らなかった。なんだというのだ。
ウィルの反応も、ビューラと同じく大げさで、まるで何か重大な事件でも起こったかのような驚愕ぶりだった。彼の顔は真っ青になっており、本当に心配しているようだ。大事な何かを無くした子供を慮るような...解せない。
「悪いがハイネ、その言葉の意味が分からないんだ」
私は正直に答えた。ハイネとウィルが何について話しているのか、さっぱり理解できなかった。アリアが家で療養していることと何か関係があるのだろうか。
「この反応は白だな。そうに違いない。そうであってほしい」
フォウが安堵したような表情で呟いた。普段は感情を表に出さない彼女が、なぜかほっとしているように見える。一体何がそんなに重要なことなのか、私には全く分からなかった。
ただひとつ言えるのは、ハイネがこの話題を出したせいか、小隊の周りの雰囲気は少し和やかになったように感じた。彼女なりの気遣いだったかどうかは分からないが、立ち振る舞いは学ぶものがあるかもしれない。そして私はもう一人、ハイネの影に隠れた人物に聞くことがある。
「ビューラ、この話はどこまで広がっているんだ?」
気配を消していたビューラの肩を優しく叩くと、驚くほど飛び上がる。これはもう騎士団全体に広がっている可能性があるな...
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行軍が始まって三日が経過した頃、早くも行軍は予定より遅れが出ていた。王国を取り囲む荒廃した土地は歩きづらく、徴兵された市民にはさぞ厳しいことだろう。雰囲気に飲まれないよう、私の小隊はなるべく会話を絶やさぬようにしていた。時には徴兵された女性と会話もした。蔑むような態度をする者がほとんどだが、中には会話に応じてくれる者もいた。女尊男卑の文化を気にしない女性も、一定数いるらしい。
そんな中、私はハイネと並んで歩きながら気になっていたことについて聞いてみることにした。
「なあハイネ、スカルドホルムのことを教えてくれ。演説を聞く限り、いいやつに見えたんだが」
私の率直な感想に、ハイネは苦笑いを浮かべた。彼女の表情には、どこから説明すればいいのか迷っているような困惑が見て取れる。
「あいつは初級騎士から二星騎士に一気に格上げされた特例中の特例やからなあ。侯爵のひとり娘で、目上の人間に媚びへつらうのが上手なんよ」
「つまり、実力が伴わないまま出世したということか?」
「そそ。しかもあいつは致命的に馬鹿やねん。戦略は無視して自己判断しないといけないことが多いさかい...この戦い、かなりの死人が出るやろなあ」
ハイネの言葉を聞いて、私は複雑な気持ちになった。確かに演説では配慮ある言葉を口にしていたが、それが軍事的能力とは別の話だということか。実際の戦場では、善意だけでは勝利を掴むことはできない。
だとしたら、指示を待つのではなくこの小隊での計画を練る必要がある。要のフォウに意見を求めることにした。彼女が戦術眼に優れていることは訓練を通じて理解していたからだ。
「フォウ、北部の要塞をどう攻めるのがいいと思う?」
フォウは少し考えてから、冷静な口調で説明を始めた。
「この季節、シグヴァルド要塞が位置する北部には雪もなく、足場に不自由はない。だが問題は、要塞の立地そのものだ」
ハイネ、ウィル、ビューラも自然と話を聞く。周囲の徴兵された兵士達も聞き耳を立てているようだ。
「シグヴァルド要塞は坂の上に建てられており、守りやすく攻めづらい構造になっている。つまり、攻略の難易度が非常に高いということだ。以前攻めた時は、敵の複合属性と思われる重戦術級魔法で一気に瓦解した」
フォウの説明を聞いて、私は眉をひそめた。複合属性の重戦術級魔法といえば、ルクセン平原で報告されたあの恐ろしい攻撃のことだろう。たしか、雹塊ともに巻き上げられる広範囲の竜巻だったか。坂を上ろうとする兵士達を竜巻が襲えば、間違いなく立て直しが出来ないほどの被害が出るだろう。
傾斜を利用した質量攻撃にも注意する必要がある。土属性魔法で大岩でも転がされたら、即座に魔法で対処しなければ命はない。
「恐らく射線上である坂には、敵兵を配置していない。よって今回の要は、坂の上まで駆け上がったあと、高い砦の壁を乗り越え迅速に内部から門を開ける事だ」
「じゃあ正面突破しかないってことか?」
私の質問に、フォウは首を振った。随分と周囲の視線が集まりつつあるのに気付いていたが、むしろ聞いてもらった方がいいだろう。
「半分あたりで、半分不正解だよ隊長。地形的不利な戦いでは、土属性魔法でいかに地形操作をしながら進めるかが一番重要になる。当然、敵もそれを警戒している。素早く起点を作り続け、敵の魔法を避けつつ進む必要がある。坂の下から魔法で攻撃しても、距離・射角減衰を受けやすい。白兵戦に素早く持ち込み、叩く。...と、いうのがセオリーなんだが。」
どうやら続きがあるらしい。フォウの端的な説明で今回の戦闘に於ける全容の理解は出来た。何か秘策があるのだろうか?
「打開策があるって...ことか?」
「いや?そんなものはない。」
「そ、そうか...なあウィル、ルクセン平原で戦った敵将は水属性魔法で空を飛んだぞ」
私はルクセン平原でのゾーイとの戦いを思い出しながら言った。あの時の彼女の動きは常人離れしており、魔法の応用技術の高さに驚かされた。あの高度まで飛び上がって離脱した後、安全に着地する技術もあったということになる。千切れそうなほど首を横に振るウィルを見て、周囲の兵士も笑った。
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行軍を始めて三週間、野営を続けながら荒地を進んだ五千名の兵士達の顔には疲労が色濃く表れていた。持病が悪化して亡くなった老婆もいた。亡骸を荒地に埋め、先を目指した。
そして東西を隔てる高い山岳には、人の手で拓かれた道が続く。
東西の往来を司る唯一の関所――シグヴァルド要塞が鎮座するその坂は、想像を遥かに超える高さと、苛烈な傾斜を誇っていた。
目測、要塞まで15km。
その距離が私達を待ち受ける戦場までの道のりだった。




