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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第二章 -立志編-
20/38

020.それが私の

「お前!何したって聞いてんだよ!!」


深い悲しみと怒りが込められた少年の怒号が夜空に響く。悲痛で、僅かな希望、いや懇願か。全身から殺気が立ち上り、明確に私を敵と認識している。私には関係のないことだが。

獣人族の家族と過ごした温かな日々は、光の残滓となって消えていく。カルラの笑顔、ラビの無邪気な笑い声、リリスの寝顔。それらの記憶は確かに私の中にあるのに、まるで他人の思い出のように遠く感じられた。心が凍っているのではない、凍る心すら今の私には耐えきれないほど重いのだ。だから、手放してしまった。


「殺した獣人族を燃やしているんです」


まるで今日の天気について話すかのような口調で、私は彼に告げた。この返答が彼をどれほど傷つけるかも考慮することなく。戦場で数え切れないほどの命を奪ってきた私は、こうして心を殺すことで生き延びてきたのだ。それが、私の生きる術だった。

誰かが不幸になっても仕方がない。

誰かを殺しても仕方ない。


仕方ない。

仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない。



私は...悪くない。


少年の表情が一瞬で変わった。希望は消え去り、驚愕、そして激昂へと。同時にその怒りの奥に、私は別の感情を垣間見た。絶望。とてつもなく深い、底なしの絶望。きっと彼もまた、この集落に何らかの縁があったのだろう。もしかすると、燃え盛る炎の中に、彼の大切な人がいるのかもしれない。


だが、そんなことを考える私の心は、同情も、共感も、何も湧いてこない。ただ事実を受け入れ、処理するだけの存在に成り果てていた。


「なんで...全員殺したんだよ!!」


少年は問い詰めながら、一瞬で間合いを詰めてきた。素手での攻撃だった。その速さは常人のものではない。獣人族に育てられたのか、それとも特別な訓練を受けたのか。その動きには洗練された技術と野生が美しく同居している。

しかし私も戦場で鍛え上げられた身だ。数多の敵と対峙し、生き延びてきた経験がある。


「我に仇為す痴れ者を拒絶せよ。断絶風<エア・リジェクト>」


間髪入れずに詠唱し、圧縮された風の壁で少年を撥ね退けた。彼の体は宙を舞い、地面に叩きつけられる。しかし、間を置くことなくすぐに立ち上がった。私は僅かに眉をひそめた。相手は男性の子供だ。普通なら、あの衝撃で戦闘不能になるはずなのに。

彼はすでに理解していた。目の前にいる殺戮者は、もはや人間ではないということを。感情を失い、ただ機械的に反応するだけの存在だということを。それでも彼は問い続ける。答えを求め続ける。その姿が、なぜか私の胸の奥で小さく疼いた。


「...全員ではありません。殺したくてやったわけではありませんから」


この言葉は真実だった。私は確かに、この集落の獣人族たちに心から感謝していたし、カルラ達と過ごした半年間は、戦場で荒んだ私の心を癒してくれた貴重な時間だった。だが、何らかの異常な現象により、私は彼らと戦うことになった。そして、結果的に多くの命を奪ってしまった。残酷な物言いをしてしまっただろうか。人形と化した私には、他者の痛みを共感する能力が欠けていたのだ。


「じゃあお前は自分が悪いわけじゃないって言いてえのかよ!!」


その一言は効いた。私は僅かに怯んだ。確かに自分の行いを正当化しようとしていた。この集落の獣人族たちを殺したのは、何らかの異常な現象によるもので、私の本意ではなかった。だが、それでも私の手で彼らは死んだのだ。私の魔法で、私の判断で。


少年の紡いだ言葉は、私の心の奥深くに眠っていた罪悪感を呼び覚ました。どんな理由があろうとも、どんな事情があろうとも、事実は変わらない。そして、この少年の前で、その責任から私は逃げようとしていた。


その瞬間の隙を、少年は見逃さなかった。電光石火の速さで距離を詰めた彼の蹴りが私の腹部に深々と突き刺さり、私は吹き飛ばされた。息が止まるほどの衝撃に、口から血が溢れる。痛みが私の凍った心に、僅かな熱を与えた。しかし吹き飛ぶ間際、咄嗟に風弾術を放った。少年もまた吹き飛び、背後の岩に頭をぶつけて血を流した。"圧縮"が甘かったか、致命傷には至っていない。


誰の為でもない殺し合いは続いた。少年は布で包んだ武器を使おうとせず、素手で向かってきた。魔法が使えないにも関わらず、この実力。かなりの年月を鍛錬に費やしているのが分かる。...私は彼の動きに見覚えがあった。その体捌き、その拳や蹴りの鋭さ、軌道。どこかで見たことがある。


特に、彼の格闘スタイル。ラビの鍛錬を何度も観察したからこそ、気づく。基本の型から応用技まで、全てが似ている。だとすれば、この少年は...


暗い闇の底に、一筋の光が差し込んだ気がした。人形のような冷たさが、少しずつ溶けていく。ふと、カルラと会話したことを思い出した。戦場で出会った人族の赤子のこと。遠い故郷で、きっと立派に成長しているだろうと話していた、愛する息子のこと。煉獄の炎が照らす山岳の空はまだ朱に染まっている。地獄の舞踏はまだ終わっていない。にも関わらず、途端に目の前にいる少年が夜明けを告げる明星に思えたのだ。


「げほっ...少年、貴方はここの生まれなのですか?」

「だったらどうした!戦いの最中に口を利くな!」


少年は答えながらも、再び低く姿勢をとった。しかしどこか彼の声には、家族を失った悲しみ、愛する人を奪われた絶望。そんな感情が含まれている。私がそう思いたかっただけかもしれないが。

そして確信した。彼こそが、ラビの愛する兄であり、カルラが育てた子供なのだろう。命の恩人である彼女が、愛情を込めて育て上げた息子。



「そう、でしたか」



四肢に絡まっていた傀儡の糸は切れたのだ。胸の奥底から感情が溢れ、涙が頬を伝う。この少年の前で、私は自分の罪と向き合わなければならない。逃げることも、正当化することも許されない。

まっすぐに罰を受けるのはいつぶりだろうか。命の取り合いの中でこんなことを考えるなんて、狂っている。人間の心とは度し難いものだ。


私は意を決して、両手を広げた。魔法を使うことをやめ、真っすぐ彼を見つめて、彼の拳を受け入れる構えを取った。彼の怒りを受け入れるべきだった。これは私の我儘。幼い少年を断罪者に見立て、勝手に罪を裁いてもらい、自らの心を救ってもらうための。

少年、ごめんなさい。私の身勝手に付き合わせてしまって。


凄まじい勢いで拳が私の顔面に炸裂した。その瞬間、世界が白く弾けた。あまりの衝撃に意識が飛びそうになりながら、私の身体は宙に舞い上がった。彼の拳は想像していた以上に重く、鋭かった。地面に叩きつけられた私は、しばらく立ち上がることができなかった。鼻血が大量に溢れ、視界がぼやける。しかし私は這いつくばりながらも、ゆっくりと顔を上げた。少年も、私の行動に困惑したのか、次の攻撃を止めていた。


「...何のつもりだよ」


痛い...すごく痛い。殴られるのは生きて来て初めてだが、これほど痛いとは。日々戦場で戦う前線の兵士達には頭が上がらない。少年の声には、先ほどまでの激しい怒りが薄れていた。代わりに、困惑と疑問が混じっている。私は内ポケットから出したハンカチで血を拭いながら、震える声で静かに告げた。


「無事です。...カルラ達は無事ですよ」


その瞬間、少年の顔から怒気が消えた。ほどかれる拳を見ながら、私はカルラに心の中で感謝した。彼女が愛情を込めて育てたこの少年が、私を人間に戻してくれたのだから。



これから彼に説明しなければ。

何があったのか。なぜこうなったのか。


住人達の送り火は、まだ消えない。

夜明けは、まだ遠い。

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