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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第一章 -少年編-
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010.ルクセン平原の戦い(1)

大陸の西に位置するフェナンブルク王国、東に位置するゴア帝国、この両国を南部で繋ぐのが今回の戦場となるルクセン平原だ。

ルクセン平原の朝は、戦争の緊張感で重く覆われていた。広大な草原の一角に、フェナンブルク王国騎士団の陣営が築かれている。昨日の夕刻から土属性魔術士たちが総出で構築した岩石壁が、簡易的ながらも堅固な砦を形成していた。石の壁は人の背丈ほどの高さがあり、所々に弓矢を放つための射撃孔が設けられている。その内側では、五百名を超える初級騎士たちが出陣の準備を進めていた。


セラは砦の一角で、他の男性騎士たちと共に矢筒の整理をしていた。彼の表情は明らかに不満に満ちており、作業をする手にも苛立ちが現れている。周囲の男性騎士たちも似たような表情をしており、誰もが同じ思いを抱いているのは明らかだった。


「なんでオレが後方で荷物の整理なんだよ...」


セラの呟きは小さかったが、近くにいた男性騎士の耳に届いたらしい。三十代半ばに見える男性の騎士は、まるで我が子を見るような優しい顔で、セラの事をまっすぐ見据えた。


「仕方ないさ、セラ。これが現実なんだ。俺たちに前線で戦う機会なんて、最初から与えられていないんだよ」


その男性騎士の声には、長年の諦めが滲んでいた。セラは拳を握りしめたが、何も言えなかった。入団してまだ一ヶ月、この現実を受け入れるしかないのかもしれない。この頃のセラには、現在の待遇にフレデリックの思い遣りが介在している事など考えられなかったろう。男女の性別の前に、子供なのだ。


一方、砦の中央部では女性騎士たちが武器の点検と最終的な戦術確認を行っていた。アム・グリエもその中にいて、愛用の剣を丁寧に研いでいる。彼女の表情は強張っていた。恐らく彼女もまた、セラと同じく初めての実戦なのだろう。


「アム、準備はどうだ?」


声をかけてきたのは、アムより少し年上に見える女性騎士だった。実戦経験が豊富なのか、落ち着いている。今回の作戦で小隊長の一人に任命されたギームイ・ロト中級騎士だった。顔についた戦傷が中々良い味を出している。


「はい、いつでも行けます。でも...本当に陽動作戦なんでしょうか、ギームイ先輩?」


アムの疑問は当然だろう。陽動とは言いながら、投入される戦力は決して少なくない。五百名を超える騎士団を動員するのは、単なる陽動にしては規模が大きすぎる。それが、何人死ぬかも算段に入れた構成だとは考えないのだろう。


「それは上層部が決めることよ。私たちは与えられた任務を全うするだけ。ただし...」


ギームイは声を低めた。


「敵も馬鹿じゃない。こちらの意図を見抜いている可能性もある。油断は禁物よ」


二人の会話を聞きながら、私は複雑な気持ちになっていた。この作戦が本当に陽動で終わるのか、それとも予想以上の激戦になるのか。いずれにせよ、セラが戦場に立つ機会は与えられそうにない。彼の実力を知る私としては、もどかしい限りだった。

太陽が中天に昇る頃、砦の中央に設営された天幕から、一人の人影が現れた。フレデリック副団長である。しかし、その姿を見た瞬間、セラを含む全ての騎士たちが息を呑んだ。


「えぇ.......」


セラは思わず驚嘆の声を漏らした。フレデリックの顔には、丁寧に施された化粧が施されていた。不精髭は綺麗に剃られている。頬には薄く紅が差され、唇には艶やかな口紅が塗られている。眉は細く整えられ、まつ毛には黒いアイライナーが引かれていた。そして艶やかに風に靡く長い髪...まあカツラだな。その姿と振舞いはまるで貴婦人のようだった。


「皆さん、いよいよ出陣の時が参りましたわ」


フレデリックの声は、普段の低い男性の声ではなく、少し高い声になっていた。その変貌ぶりに、セラは目を丸くして見つめている。


「副団長...その姿は...」


セラが言いかけた時、周囲の女性騎士たちから歓声が上がった。


「フレデリック様、今日もお美しいです!」

「副団長に続いて戦えるなんて、光栄です!」

「私たち、絶対に勝利してみせます!」


女性騎士たちの士気は一気に高まった。彼女たちの目には、明らかな憧憬の色が浮かんでいる。フレデリックの戦化粧は、単なる変装ではなく、部隊の士気を高める重要な儀式だったのだ。


「ありがとうございます、皆さん。私も皆さんと肩を並べられる事、誇りに思います。今日は陽動作戦とはいえ、敵も本気で迎え撃ってくるでしょう。しかし、私たちには負けられない理由があります」


フレデリックは優雅に手を上げると、女性騎士たちは熱狂的に応えた。


「この戦いは、王国の未来を左右する重要な作戦の一部です。私たちが敵の注意を引きつけることで、北部戦線での反撃が可能になります。」

「あの...副団長」


セラが勇気を振り絞って声をかけた。


「オレも前線で戦わせてください。後方支援だけでは...」


彼の言葉遣いもかなり改善されたのだ。あのアムという小娘にも感謝せねばなるまい。


「セラくん」


フレデリックはセラの方を向いた。その表情には、母親のような優しさが宿っている。


「あなたの気持ちは分かりますわ。でも、戦争というのは適材適所が重要なのです。あなたたちには後方での重要な任務があります」


「でもっ!」

「セラ・ドゥルパ初級騎士」


フレデリックの声には、有無を言わせぬ雰囲気があった。


「命令です。後方で補給と支援に徹してください。これも立派な戦いの一部ですのよ」


セラは唇を噛んだ。戦争が個の戦いではない事を学んだ以上、自分の考えを無理やり通す事が如何に浅慮なのかは誰しも理解出来る。セラもひとつ大人になったという事だな。


「...わかり、ました」


フレデリックは満足そうに頷くと、再び女性騎士たちの方を向いた。


「それでは、出陣の準備を整えましょう。敵陣まではおよそ三キロメートル。途中で敵の斥候と遭遇する可能性もあります。警戒を怠らないように」


女性騎士たちは一斉に敬礼した。その動作は美しく統制されており、長年の訓練の成果が表れている。


「近接攻撃部隊は私が直接指揮を執ります。中距離攻撃部隊はギームイ小隊長、頼みますわよ」

「はい、フレデリック様!」


ギームイの返答は一種の崇拝じみた感情が込められていた。フレデリックの戦化粧した姿は、女性騎士たちにとって憧れの象徴らしい。騎士たち士気の上がり方は尋常ではなかった。

準備が整うと、フレデリックは砦の門の前に立った。その傍らには、大型のトカゲような体躯をした二足歩行の獣が控えていた。強靭な脚力を持っているのが一目で分かる。ハイドラと呼ばれる騎馬の代わりとして使用される騎獣だった。


フレデリックは優雅にハイドラの背に跨ると、全軍を見渡した。そして時は満ちる。


「...全軍、出陣!」


フレデリックの号令と共に、女性騎士たちが砦から出発していった。近接攻撃部隊が先頭に立ち、中距離攻撃部隊がそれに続く。彼女たちの足音が大地を踏み鳴らし、戦場へと向かっていく。

セラは砦の壁の上から、出発していく部隊を見送っていた。その目には悔しさが色濃く出ていた。彼の手は無意識に槍の柄を握りしめていた。


「セラよ、焦るな。いずれ、君にも戦う機会が訪れる。今は我慢の時だ」


私は彼に語りかけた。もちろん、周囲に聞こえるような声ではない。しかし、セラの気持ちが収まることはなかったし、遠ざかる自軍の背中から目を反らすこともなかった。


---


ルクセン平原の中央部では、フェナンブルク王国騎士団とゴア帝国軍が対峙していた。両軍の間には約一キロメートルの距離があり、互いの動きを注意深く観察している。

ゴア帝国軍の陣営には、推定で三百名の兵士が整然と配置されていた。フェナンブルク王国軍の五百名と比べれば数的には劣勢だが、その装備と練度は一目で分かるほど高い。重装歩兵、軽装歩兵、騎兵、そして魔術師部隊が完璧に連携を取っており、長年の戦争経験が感じられる。


「敵の数は思ったより少ないわね...量より質って事か。気分悪いわね」


ギームイが不満げに呟いた。彼女の表情には緊張が浮かんでいる。


「でも、私たちには副団長がいます!きっと勝利出来ますよ!」


それに対しアムが力強く答えた。彼女の目に映るフレデリックはハイドラの背に跨り、部隊の最前列で敵陣を見つめていた。静かに、鋭く。そして空気が張り詰めていく。初級騎士の他愛のない雑談も自然と小さくなり、フレデリックはハイドラを旋回させて口を開いた。


「皆さん、敵は私たちより少数ですが、決して侮ってはいけません。ゴア帝国軍は精鋭揃いです。一人一人の戦闘力は非常に高いと考えてください。今回は陽動が目的です。敵に陽動と悟られる事なく、大胆に攻めましょう。しかし被害が大きくなる敵拠点付近までは近寄りません。難しい任務ですが、皆さんと一緒ならきっと成し遂げられると信じていますわ」


女性騎士たちの士気が高まった。フレデリックの言葉には、不思議な説得力があった。その時、ゴア帝国軍の陣営から一人の騎士が前に出てきた。彼女もまたハイドラに跨っており、重厚な鎧に身を包み、美しく鍛え上げられた剣を手にしている。杖を持っていないという事は、近距離を得意とする戦士なのだろう。その威圧感は、遠くからでも感じ取れるほどだった。


「我が名はゾーイ・バッケン!ゴア帝国四天将の一柱なり!フェナンブルク王国の者よ!我らゴア帝国の地に何用か!」


バッケンの挑戦的な問いかけに、フェナンブルク王国軍の騎士たちがざわめいた。四天将という地位の重さを、彼女たちも理解していた。本来このような前線にいるべき者ではない、という事だ。フレデリックはハイドラを前進させた。その動作は優雅でありながら、戦士としての気迫に満ちている。しかし四天将の名を聞いたフレデリックの額には、冷や汗が浮かんでいた。


「我が名はフレデリック・アーケイン!フェナンブルク王国騎士団、副団長のフレデリックですわ!」


フレデリックの名乗りに、味方の騎士たちから歓声が上がった。


「バッケン四天将!勘違いされませぬよう!ここは王国の領土ですわ!足が竦んで動けないようなら、肩を貸して差し上げましょう!」


フレデリックの言葉は外交的だったが、バッケンの表情は険しくなった。


「寝言を口にするなら月が顔を出してからにせよ!ルクセンの草木に貴殿らの血を吸わせるのは耐え難いが、致し方無し!我らが最期の敵であることを誇って逝くがよい!」


両軍の指揮官の言葉が戦場に響くと、空気が一変した。これから始まる戦いの重要性を、全ての兵士が理解していた。


「それでは...戦いを始めましょうか」


フレデリックは右手を地面に向けた。その瞬間、彼の周囲の大地が微かに震動した。


「鋭き牙は地より出る、咢は今開かれん。地刺槍<アーススパイク>」


フレデリックの詠唱と共に、地面から鋭い岩の棘が幾つも立ち上がった。それは自軍を守り、敵の進行を阻む壁となった。男性でありながら、彼は土属性魔法の使い手だったのだ。最前線に於ける迅速な逆茂木(さかもぎ)の設置は、前線押し上げの強力な推進力となる。


「魔術師隊、牽制開始!騎竜隊は私に続きなさい!歩兵も遅れませんよう!」

「お任せください!」

「フレデリック副団長に続けえええええ!!」


フレデリックの大斧が高らかに掲げられる。騎士団の雄叫びが上がり、場は動き始めた。

バッケンも剣を掲げ、応戦を始める。


「風と水で応戦しろ!火属性魔法は使うな!視界を確保したまま敵を牽制しろ!」


ゴア帝国の兵士が杖を天に掲げ、一斉に詠唱を始める!

「天を舞う風の槍よ、螺旋を描き敵を舞い上げよ。雲を裂き、空を割れ!竜巻<トルネード>!」

「水は集い、束なる。流れは生まれ、敵を穿つ。大いなる奔流の力を今ここに!高圧水流<トレントスプラッシュ>!」


「敵魔法に注意!」

ギームイが叫ぶと同時に、戦場には竜巻が生まれ、凄まじい勢いの水流が飛びはじめる。様々な属性の魔法が飛び交い、戦場は混沌とした様相を呈してきた。フェナンブルク王国軍の騎士たちは、魔法攻撃を避けながら敵陣に迫っていく。しかし、その過程で最初の犠牲者が出た。敵の水魔法が女性騎士の一人の胸を貫いた。彼女は苦悶の表情を浮かべながら、血を口から溢れさせて倒れた。まだ二十歳にもならない若い騎士だった。彼女の名前を知る者は少なかったが、昨夜まで確かに生きていた一人の人間だった。

近くにいた騎士が彼女の名を叫んだが、既に遅かった。少女の瞳にはただ虚空が映っていた。


両軍の距離が縮まり、白兵戦が始まった。アムは剣を構えて敵の重装歩兵に立ち向かった。黒い鎧に金の装飾が差し込まれており、凄まじい威圧感を放っている。帝国の兵士は巨大な盾と長槍で武装しており、アムは剣を振り下ろしたが、敵の盾に阻まれた。金属同士がぶつかる鈍い音が響き、火花が散る。アムは間髪入れず、詠唱を始める。


「光よ、生まれ出でよ!閃光術<フラッシュ>!」


刹那、眩い光が敵の視界を奪う。アムはそのまま素早く身を翻すと、敵の側面を狙って再び攻撃を仕掛ける。アムの剣が敵兵の鎧の脇腹を貫き、鮮血が飛び散る。敵兵は悲鳴を上げながら倒れたが、その瞬間にアムの背後から別の敵が襲いかかった。アムは咄嗟に振り返ったが、敵の槍先が彼女の肩を掠めた。鎧の隙間から血が滲み、激痛が走る。彼女は歯を食いしばって戦い続けた。


戦場では両軍の兵士たちが激しく衝突していた。剣と剣がぶつかり合う金属音、魔法が炸裂する爆発音、戦士たちの雄叫び、そして死にゆく者たちの断末魔の叫び。戦争というものが姿を現し始めたのだ。

地面は既に血で染まり始めていた。倒れた兵士たちの体から流れ出る血が、地に根を張る草木に染み込んでいく。負傷した兵士たちは、仲間に踏まれながら苦しみ続けていた。


フレデリックは果敢に正面から斬りこみ、道を開いていく。進んでは土魔法で逆茂木を造りつつ、着実に前線を前に押し上げていった。時折ハイドラと共に戦場を見渡し、的確な指示を出していた。


「右翼部隊、迂回して砦の側面を突きなさいっ!中央は私が押さえます!」


フェナンブルク王国軍は数的優勢を活かして徐々に敵を圧迫していくが、その代償は大きかった。既に数十名の初級騎士が命を散らしており、負傷者の数はさらに多い。

ギームイは自分の部隊を率いて敵の魔術師部隊に接近していた。白兵戦が始まった以上、迂闊に魔法を発動させると味方を巻き込んでしまう。もう少し距離を詰めれば砦への直接攻撃が可能になるが、その道のりは険しかった。


「うあああああ!」


しかし、ゴア帝国軍は精鋭揃いだった。ギームイの部下の一人が、敵の雷魔法で感電し、絶命した。彼女たちは巧みに陣形を変え、背後の部隊の射線を確保していた。その時、遠くからフレデリックの声が響いた。


「騎士団!一度後退です!敵を牽制しつつ下がりなさい!」


---


戦場の惨状は更に酷くなっていた。切断された手足が地面に散らばり、内臓が飛び出した兵士が苦悶の表情で息絶えている。生き残った兵士たちも、血と泥にまみれて戦い続けていた。


「助けて...助けて...」


倒れた若い騎士が、か細い声で助けを求めていた。しかし、誰も彼女に手を差し伸べる事はない。出来ない。戦場では、自分の命を守ることで精一杯だった。やがて彼女の声も聞こえなくなり、また一つの命が失われた。フレデリックの号令で騎士団は徐々に後退を始めていたが、帝国はそれに合わせて攻撃を激化させ、その間にも多くの命が失われ続けていた。


---


砦で待機していたセラは、戦場の様子を固唾を呑んで見守っていた。遠くから聞こえてくる戦闘音と、時折上がる煙を見て、戦いの激しさを実感していた。そして、風に乗って運ばれてくる血の匂いが、戦争の現実を物語っていた。


「くそ...オレも戦いたい...」


セラの呟きは、誰にも聞こえることはなかった。しかし、私は彼の心の叫びを感じ取っていた。この少年の戦いたいという気持ちは、本物だった。だが同時に、彼がまだ戦争の真の恐ろしさを理解していないことも分かっていた。戦いはまだ始まったばかりだった。ルクセン平原での激戦は、これから更に激化していくことになる。そして、この戦いが今後の戦局にどのような影響を与えるのか、まだ誰にも分からなかった。そしてセラ達補給部隊が守る拠点を、冷たい目で見る者が一人。


「そんな長い陽動に付き合っていられませんからね。とりあえず兵糧から叩いておきますか」


そこにいたのは、四天将ゾーイ・バッケンだった。彼女は散歩でもするかのようにゆっくりと歩き始めた。

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