早朝女王
空は透き通るほどに澄んでいる。
どこまでも高い。
早朝で日差しはまだ柔らかい、だがこれはお昼あたり熱くなりそうだ。
人影の少ない道を歩く。
頬で感じる風は朝だからか少しだけ冷たいく、それが心地よい。
俺は家を出る時間が早いのか、学園の生徒の姿をほとんど見ない。
時々見かける制服の子は大きなスポーツバッグや長物を持っていたりする。
朝練かなにかなのだろう。
朝練もないのにこんなに早く出てるのはきっと俺くらいかもしれない。
まぁ今日は歩きだが明日からは自転車にしようと思う。
歩くにしては微妙に距離があるし、自転車なら学校以外にも足として使えるだろう。
財布には多めにお金を入れてきた。
放課後にどこかへ立ち寄って買おう。
ホームルームが始まるまで一時間以上ある。
階段、廊下、静寂をたたえるその先からは人の影は見て取れない。
5組とかかれたそのドアに手をかけた。
「――ん?」
電気はつけられていなかったが、全窓南向きで朝日が差し込む教室はやわらかな光で満ちている。
それをはじく様にきらめく金色。
――少し驚いた。
こんな時間に人が居る。
手には小さめのジョウロ、その手を止めた。
鋭い視線が俺を捕らえる。
確かに整った顔立ち、その金髪は風になびくたびに光を四方へと撒き散らす。
可愛いという感じではない。
彼女の持つ鋭さは美しく、同時に氷のような冷たさを持っていた。
美人は冷たい感じがするといわれるが、まさにそれだと思う。
その表情が少し鋭さを持つ。
少し困ったような顔をしてその少女へと言葉を向けた。
「……えっと……朝早いのね。何か用事があるわけじゃないんでしょう?」
やや高く澄んだ声は少女の容姿によく合っていると思う。
――それにしても、まぁ日本人には見えないな。
昨日もそんなことを思ったなと思う。
先生が彼女のことを、確か……
「ベッキー、さん?」
それを発したとたん、彼女はとたんに不満そうな顔をした。
「はぁ? ベッキィ? なんで昨日今日きたばかりの転校生にいきなりそんな呼び名で呼ばれなきゃいけないの?」
ちょっとイラついたような語気だ。
……まずい! 間違えたか?
「ごめんなさい、まだ顔と名前が一致していなくて」
そういうと彼女は呆れたようにため息をついた。
ジョウロを近くの机に置く。
「まぁ、そりゃそうなんでしょうけどね、渡良瀬 色」
名前を呼ばれてビクッとする。
その様子に彼女は少し笑みを浮かべた。
「転入生なんて珍しいもの。名前くらい覚えるわよ。あなたはクラスの名簿とか見てないの?」
「――いえ」
「ふーん、そっか。興味ないってわけね」
納得したといった具合にうなずく。
「……ってことはもしかして、私の本名知らない?」
――知らない。
確かベッキーと呼ばれていたのは間違いない。
ベッキーとは確かレベッカのあだ名で使われるものだ……
「えっと、正式にはレベッカさんなんですか?」
俺の言葉に一瞬固まった彼女は、笑いながら答えた。
「レベ、ッカって……アハハ!」
「えっ、あの……」
「はぁあ……おかしっ……ハハハハ」
「……えっと」
どうすればいい?
「ハハッ、ハァア。まぁ、笑わせてくれたから許してあげる。私はね、安部よ。安部律子っていうのが本名」
今度はこっちの思考が止まる。
「え……? えっと……」
彼女は髪の毛をくるくると指に巻きつけて言う。
「これでしょ? 金髪だから外人に見えるってやつ?」
――えっ?
金髪だから、ということは……
「……それ、地毛じゃないんですか?」
「ん、地毛だよ、ちゃんと地毛」
ムッとしたようにそう言って根元を指す。
確かに染めたような感じには見えない。
やはりその髪は地毛で間違いないらしい。
「あの、安部さん。じゃあなんでベッキー……」
――あ。
そこまで言いかけて、俺はなんとなく分かったような気がした。
「……察しの通り。安部で、金髪だからベッキーなの。単純で分かりやすいでしょ」
俺の表情から察したのか、ため息混じりにそんなことを言った。
「気に入ってないんですか?」
「まぁ先生が当たり前に使うから、もう慣れてるといえばなれてるけど」
言いながら少し怖い表情へと変わる。
「この私に対して直接ベッキーなんていうクラスメイトは、まぁ、ほとんどいないわ」
そういうと再びジョウロを持って教室を出て行った。
「――そりゃまずったな」
ホームルームの直前、隣の席で芽衣さんが渋い顔をしていう。
「ベッキーって呼ばれるのあんまり好きじゃないみたいだし」
南口さんも続けて言う。
「って今いっちゃったけど」
芽衣さんは頬杖をつき、話し始める
「もともとはね、トモちゃんが言い始めたんだよね」
「トモちゃん?」
「ん、担任よ。古川智也だからトモちゃん」
なるほど……しかし前にも思ったが教師をそんな風に呼んでいいものなのだろうか?
初日に感じたが随分とフランクな関係性を持った学園のようだ。
「安部でベッキー、あだ名として結構可愛いと思うんだけどね。アイツも喋らなきゃ人形みたいで可愛いしよく似合ったあだ名じゃんね?」
つぶやく芽衣さんに南口さんも続ける。
「そうよね、何が嫌なんだろうね。……うらやましいくらい可愛いのに」
「しかも成績全科目常に上位、スポーツもかなり出来るし、才色兼備もいいところだよ」
そんなこんなで彼女のことはこういった会話の中ではベッキー
だが本人を前にした場合は基本安部さんということで統一らしいと教わった。
「まぁ彼女、とっつきにくいところあるし。冷たく見えるって言うか、本当に冷たいのか」
誰とでも問題なく話が出来そうな芽衣さんが言うのだからよほどなのだろう。
「そうね、そのまま氷の女王みたいな感じもあるかな? 彼女、人を遠ざけるとこあるし」
南口さんも言う。
「……そう、なのかな?」
俺は無意識にそんなことを言っていた。
「ん? どうかしたの」
芽衣さんは不思議そうに言う。
「えっ、いや……なんでもない」
俺はうまくいえなくて口ごもった。
ジョウロを持っていた彼女の姿は、でもそんなに冷たいものに見えなかった。
ホームルームの鐘が鳴る。
それがなり終わると同時に三人の人影が飛び込むように入ってくる。
教室後ろのドアから栄太が飛び込んだ。
その手は女の子の腕をつかんでいた。
彩姫さんだ。
栄太に引っ張られるようにして入ってくる。
同時、前のドアから担任である古川先生が入ってきた。
三人は肩で息をしながら席へと進む。
教卓の前で古川先生が息を整えながら語る。
「栄太ぁ、オマエ遅刻だろ!」
「まてよ、だったらテメェも遅刻じゃねぇのか?」
「んだと!」
「同時だったろ?」
「俺はセーフだ!」
「ふざけろよ……今のはどう見たって同時……」
教壇の上で担任は白い歯を見せてニヤける。
「残念だったな、ここでは俺がルールだ!」
「――横暴だ!」
「残念、教師なんてそんなものなんだぜ?」
クラス中がその様子を笑いながら時折野次を飛ばしている。
俺の目の前で繰り広げられる口論、しかしなんでこんなことで必死になるのか?
「あははっ、そりゃ必死にもなるだろうよ」
芽衣さんに聞いてみる。
「どうしてですか?」
「遅刻三回で、中庭掃除1回なんだ」
「中庭ですか?」
「そう、草抜きとか掃き掃除だけど外だからね、広いし。めんどくさいんだよ」
「さて、オマエは今回で確か三回……」
口論はいつまで続くのだろうか。
そう思った矢先、突然けたたましい音と振動が教室に響く。
机といすをを倒して、彩姫さんが倒れていた。
「北川!」
「彩姫!?」
横で芽衣さんも驚いたように叫び、立ち上がる。
古川先生は駆け寄ろうとするかのように一歩踏み出し、そして止まる。
「オマエ、何をしている」
「ごめん、コケた……」
机の中に入っていたらしい教科書類が豪快に散乱している。
尻餅をついていた彩姫さんは腰をさすりながら立ち上がった。
「オマエさ、どんな天才だよ? なんでそんな何もないところでコケられるんだ?」
ため息混じりに先生がいう。
周りの生徒が片づけを手伝ったのですぐに彼女の周囲は元通りになった。
「――あぁクソ、天然が! ……もうなんかめんどくさくなってきたな」
先生は頭をかきながら教卓の上を見つめる。
「とりあえずホームルームやんないとな」
「……俺と北川は?」
「あ゛? もうどうでもいいや」
それを聞くと、ようやく栄太は席へとついた。