遭遇隣人
ベッドの上から差し込んでくる柔らかな光に反応した。
まだ日の出から間もない霞んだ光を受けて俺はスッと体を起こす。
その見慣れない風景に一瞬自分がどこにいるのか理解できなかった。
――そうだ、ここはゆうねぇの家で、今は俺の部屋だった。
見慣れない天井や壁紙を眺めながらそんなことを思う。
――今一体何時ごろだろうか
部屋に時計がなかったことに今さら気が付いた。
部屋のドアを開ける。
目の前にはゆうねぇの部屋のドアがある。
ちゃんと閉めていないのか、少しあいていた。
その隙間から部屋を覗き込むと無造作に布団を蹴飛ばしたゆうねぇが見えた。
どうやらまだ寝ているようなので起こさないようにリビングへと向かう。
時計を探すとキッチンとリビングを仕切るカウンターの上に時計があった。
時刻は五時前、これは起きるにはさすがに早い、のだろうな。
これといってやることが思い浮かばない。
………………
………………
………………あ。
そういえば新聞をとっているんじゃないのか。
玄関へと足音を立てないように進む。
玄関ドアに張り付いた郵便受けには予想通り新聞が刺さっている。
それを取ろうと手をかけた。
だが広告が厚いのか、取り出し口から内側へ引っ張ると千切れてしまいそうだった。
――仕方ない
安全を期してドアを開けて表から取り出すことにした。
静かに鍵を開けて表に出る。
と、視界に入った人影に反射的に身構えた。
「――あれ?」
やたらガタイのいい男が隣の部屋のドアの前に立っていた。
その右手がドアノブにかけられている。
いうなればラガーマンといった感じだろうか。
髪はショートでサッパリとした印象、だが黄色に近いような茶髪。
そして左耳にはイヤリングと何か典型的な不良のような印象も受ける。
「――アンタ、誰?」
彼は憮然とした表情でこちらを見ると不思議そうに俺に問う。
「そこ、ゆうセンセの部屋だろ?」
「はい、そうです」
「……じゃあ、だからお前誰だよ?」
「あっ、えっと俺はゆうねぇの弟で……」
そこまで言ってそれ以上言葉が出なかった。
「弟? そんなの……あぁ、そう言えば前にいるって聞いたことがあったような……」
彼は首をかしげながら話す。
「渡良瀬 色です。昨日からここに下宿をしています」
「あ、そう。俺は栄太。お隣さん」
いいながら表札を指差した。
そこには山名と書かれた表札がある。
彼は山名 栄太というらしい。
「ん? そういや下宿って何?」
「今日から日下学園に編入するので、ここでお世話になるんです」
「編入? こんな半端なタイミングで? 珍しいな」
栄太は少し驚いたといった具合に目を丸めた。
「俺も一応そこの生徒だぜ。第二学年」
「あっ、俺もです」
「第二学年?」
「はい」
「へぇ、そっか。なんだ同級生か」
それまで表情をほとんど変えなかった彼は、俺が同級生だと分かると少し口角を上げた。
「……っと、いけね。やることあるんだ。そういや色、でいいよな? 今日から?」
「はい、今日から」
「そっか、じゃあまた後で会うな。多分」
「はい、そうですね、多分」
「じゃあ、まぁ、とりあえずよろしく」
栄太はそう言って軽く笑う。
いいならドアノブへ手をかけていた。
「こちらこそ」
俺もつられて笑顔を作る。
栄太はそこまでいうとドアを開けて中へと入っていった。
――お隣に同級生が住んでいるとは思わなかった。
俺は表から新聞を抜き取るとそれを持って玄関ドアを閉めた。
「まったく、そんなに気を使わなくていいよ。疲れるでしょ?」
朝の食卓を囲んでゆうねぇは少し呆れた様に俺に向かう。
「私が寝てるからってテレビつけちゃいけないなんてないんだし」
「いや、新聞を読んでたからテレビは別に」
「ホントに? 色バカだから音たてちゃダメとか気をつかったんじゃないでしょうね?」
「そんなんじゃないよ」
そういうわけではない。
ゆうねぇはテレビもつけないで、と怒っているらしいが。
新聞を読んでいたら集中してほかの事をしなかっただけのことだった。
無意識のうちに時間が過ぎて、気が付いたらゆうねぇが目覚ましを蹴り飛ばして起きてきた。
本当にそれだけの話だった。
「そっか、ならいんだけどさ」
ゆうねぇはひとしきりまくし立てた後、ようやく納得したらしい。
「でも、いまどきの若い子がテレビより新聞……ねぇ?」
「変かな?」
「多分ね。私読まないもん」
「えぇ?」
「一応社会人だから義務みたいに新聞とってるだけだし。正直スーパーの特売広告のほうが重要だったりするわけよ」
いいながらどんぶりをかき混ぜる。
ご飯と卵、それに納豆がごちゃ混ぜになっている。
ゆうねぇの作る朝ごはんはどうやらこれらしい。
自分の前にもご飯の上に卵と納豆を落としただけのどんぶりがおいてある。
とりあえず見よう見まねでスプーンを使ってかき混ぜる。
食べてみると結構普通においしかった。
そりゃ卵かけご飯に納豆が混ざっているだけだ。
まずくなる理由なんて特にないのだが。
「さ、納豆は体にいいんだから毎日食べないとねぇ」
ゆうねぇは一気にかきこみながら話す。
……に、しても……
「――ゆうねぇ、料理は苦手なままなの?」
「……いいから食べる!」
語気が一段と強くなった。
そんなこんなで結構いい時間になってきている。
もうすぐ7時、テレビでは星座占いをやっていた。
学園への道、今日は初めての登校になるのでゆうねぇが車で送ってくれた。
学園長への挨拶もあるため早めにつく必要がある。
明日からは、どうしよう。
自転車を買う手もあるな。
十分もしないうちに学園へとついた。
感覚だが歩いても二十分ちょっとだとは思う。
正門らしき入り口を通り過ぎた先にある職員用の出入り口から
駐車場へと入った。
「さぁ、ついたわよ」
ドアを開けて降り立つ。
外観は白レンガ造りの古めかしい建物がそこにあった。
3階だてのそれはくすんだ色合いからもその年季を感じとれる。
「これは旧館ね。今は文化部の部室とかになってるの」
見上げていた俺にゆうねぇはそう言いながら歩き出す。
駐車場から建物の側面へと回りこむとその先には広いグラウンドと新しいコンクリートの建物が見えた。
「あれが校舎、で、目の前のはグラウンドね。ここ以外にテニスコートは別にあるわ」
こちらが聞く前にほとんど必要なことは全部話してくれる。
どうやら本校舎はコンクリートの四階だて、いたって普通の校舎らしい。
グラウンドはフルコートのサッカーが可能な広さより一回り大きなサイズのもの。
これ以外にテニスコートとバスケットコート、プールは別。
体育館は校舎から見てグラウンドと道を挟んで向かい側にある大きなもの。
バスケットコートが横に四つ分の広さを持つスペースと一段上がった教壇になるステージ分の広さ。
食堂、購買完備、図書館は校舎の二階にあるらしい。
校舎に入る入り口はグラウンド側から見て校舎の中央に開いている。
同様の入り口は反対側に持ついていたらしい。
どうやらそのまま校舎の向こう側にも抜けられる。
そこで気が付いた。
正面から見ると普通に見えたコンクリートの校舎はどうやらコの字型をしているようだ。
その中央スペースは手入れをされた中庭になっていた。
噴水つきの池を有した日本庭園風の庭。
必要性は……よく分からない。
校舎を通り抜け、中庭をはさんで向こう側の校舎入り口へと向かう。
そこには職員室、そして隣に役員室、学園長室とある。
学園長室の前でゆうねぇは少し服装を確認するようなしぐさを見せた。
そしてノックをする。
「渡良瀬です」
「はいはい、どうぞ」
すぐに返事があった。
中へと入るゆうねぇの後ろについて学園長室へと足を踏み入れた。
エンジ色のじゅうたん、ガラスケースに複数の盾やトロフィーに天井近くの壁に飾られた証書の数々。
テンプレどおりの学園長室といった感覚だった。
「いらっしゃい」
目の前の大きな机に一人の老人が座っている。
中肉中背、表情はとても穏やかな感じのいい老人。
「学長、転入手続きはすでに終えていますので今日から通うことになります、弟の色です」
そう言って左手で俺を指し示す。
それに促されるようにゆうねぇの左側へと並ぶ。
「ゆう君の弟、にしては随分年が離れてるんですね」
とても落ち着いた静かな話し方をする。
「そうですか? よく実年齢より若いって言われるんで二人並んだら年齢差わからないでしょ?」
学長は少し困ったように笑いながら、再びこちらへと向き直る。
「こんにちは、学園へようこそ。学長の石場三郎太だ」
「あっ、はい。渡良瀬色です」
名前を答えると学長は少し困ったような顔をして頬に
「都心からの転入生なんてほとんど例がないからこちらが少し戸惑うな。まぁ生徒が増えるのはいいことだ。大いに歓迎するよ」
「ありがとうございます」
学長はほほにしわを作りながら笑顔を見せた。
「学園について質問はあるかい?」
問いかけに少し考える。
まぁ構造はゆうねぇにある程度は見せてもらったし、徐々に慣れればいいだろう。
「いえ、特には」
「そうか……まぁうちはいろいろとイベントも部活動も多いですからいろんなことに触れる機会は増えると思いますよ。楽しんでください」
学長が微笑む。
――イベント、部活動……か。
「クラスについてだが、第2学年の4組は彼女、ゆう君の担当クラスで、慣れていないしいいかとも思ったのだが、親類縁者が担任と生徒というのはさすがに、なぁ」
その通りだ、親類縁者が担任と生徒というのは少し問題があるだろう。
「ちょうど他のクラスより人数が一人少ないということもあるし5組で行こうと思う」
「……5組」
その言葉にゆうねぇが渋い顔をする。
俺は特に何も思わなかった、というかそれだけ言われても何がなんだかよく分からない。
「古川君のクラスだし、きっと楽しいと思うよ」
「――大変ね、色」
学長の笑みを含んだ言葉に、ゆうねぇのため息混じりの苦そうな顔。
古川というのは担任だろう。
大変な担任って、どんな人だろうか?