夢詰喫茶
商店街の一角にある小さなカフェ。
地面から窓の高さまでレンガで組まれた外観。
少し懐古的な気分になる外観だった。
その前に一人女の子が立っている。
「おっす、彩姫」
駆け足で芽衣さんが駆け寄り、そして抱きついた。
「おはようございます」
それに遅れること十数秒、挨拶を交わす。
「おはよー、ってあれ? 今日学園あったの?」
こちらに不思議そうに聞いてくる。
そしてそのままうつむいた。
「しまったなぁ、知らないままサボってしまった……トモせんせに謝らないと」
「ハイハイ、さっさと入るよ」
なぜか落ち込んでいる彼女を半ば強制的にカフェの中へと連れて行った。
「私たちも入りましょう」
留美さんが促すままに団体の最後に
ドリーム ー夢ー
と、書かれた看板をくぐる。
入ると目の前にレジがあった。
コーヒー独特の香りが広がる。
黄色を帯びた明かりが照らす店内、足もとの軋みから年季を感じる。
木製の机が並び、またレジ横にはカウンター席がある。
カウンター内には一人の女性がいた。
「あら、いらっしゃい」
こちらを見つけると挨拶する
「……ふーん、キミがうわさの転入生か」
うわさ?
「なんだっけ、渡良瀬 色?」
「はい」
「そう、私は理恵でいいわ。ここの店長」
それだけいうとマジマジとこちらの顔を見る。
「ルックスは、まぁまぁね。うん、悪くない。その髪型をすいてもう少し爽やかな感じにすれば結構モテるかも」
「はぁ……」
会話に芽衣さんが割り込んだ。
「ちょっと、なにナンパしてんすか理恵さん」
「うるさいわね芽衣、優良物件には早めに手をつける。鉄則だよ」
いいながら笑う。
「あんたたち、飲み物は?」
理恵さんの声に続いて芽衣さんが口を開く。
「とりあえず全員コーヒーでいいかな?」
まぁ、かまわないかな。
「えっと、私はお水で」
――と、彩姫さんが少し遠慮気味に話した。
「了解、水1つにコーヒー3つね。あ、ブレンドでよろしく」
その言葉を受けて芽衣さんがお願いした。
「あいよ。一番奥のテーブル使っていいからさ。ごゆっくり」
芽衣さんの後をついていく。
さほど大きくはない店内、その一番奥にソファーつくりのテーブルがある。
テーブルの周囲をくるりとソファーが設置されている。
5、6人がけだろうか。
全員が座った後に自分も席に着く。
キャリーの都合もあるので通路側に座ることにした。
すぐにやってきたコーヒー、それを飲みながらその勉強会は始まった。
始まった、んだよな?
静かだった。
みんな勝手に勉強を始めている。
テストになるのは全科目、だがここでは筆記テストになるであろういわゆる主要科目について勉強を行う。
勉強会なんていうのでどういったものなのだろうか、ミーティングのようなものだろうと勝手に思っていた。
この解法はどうするのだろうか、とかここの式についてもっと簡略化できないか、などといった。
「――ん、わかんねぇ……」
芽衣さんが頭をかかえている。
結局場所は共有しながら勉強は個別でやっている。
ガラガラだった店内に少しずつお客さんが入ってくる。
当然勉強会など関係なく普通におしゃべりをしたりする。
そんな雑音のある空間での勉強、なんて勉強と呼べるのか自分には分からない。
「ねぇ、色くん」
左前から不意に声がかかった。
芽衣さんがノートを差し出しながら聞く。
「ここの式の展開なんだけどさ、二つ目から三つ目にいく間の変化が全然わかんない!」
ちょっと怒ってるのか?
語気が荒い。
「――あぁ、これはここ全体が7xでくくれて、するとxの係数が……」
「はぁはぁ、あぁ! なるほどね、サンキュー!」
理解してもらえたのか、そのまままた勉強を再開した。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
隣に座っていた留美さんは化学を聞いてきた。
化学式の変化、これもなんとか理解してもらえたようだ。
「ねぇ、色くん」
今度は目の前から。
彩姫さんが声をかけてくる。
「はい、コレ!」
渡されたルーズリーフ。
「?」
「色くんの似顔絵」
「――勉強はいいんですか?」
「……だめだめ」
何をやってるんだろうか、この子は。
その似顔絵だというルーズリーフを机の端において聞く。
「……どこが、ですか?」
「えっとね……どこがわからないのかが分からない」
そう言って、英語の教科書を見せた。
文法、か。
これは基本的に暗記科目だからな。
「英語は、苦手ですか?」
「うーん、すっごい嫌いなん」
そう言って舌を出した。
とりあえず訳し方や基本的なことを教えてつつ、説明はした。
「要するにプロバブリィは濁すというか、程度の単語だから……」
「ほぉ」
「で、ここの接続詞で後半の分全部がココにかかってくるから……」
「――そっか、うん! なんとなく分かったよ。ありがとう」
笑顔でお礼を言う。
その様子に気が付いたのか芽衣さんが話しかけてきた。
「なに、嘘!? 彩姫が英語を分かったって?」
「うん、なんとなくだけどね」
「マジで? 彩姫が英語……ちょっと私にも今のところ教えてもらえない?」
まぁ、別にかまわない。
同じようなことを言う。
気が付いたら留美さんも同じようにこちらの話を聞いていた。
「……なるほどね、そうやって訳すのか……」
芽衣さんは解説が終わると静かにそう言葉をこぼした。
「――なんか、穴がないよね、色くん」
それに感心した、と付け加える留美さん。
「……いえ、人に教えるなんて初めてだったからうまくいったかどうか……」
芽衣さんの手が机を叩く
「いや、無茶苦茶うまいよ! うちならともかく、彩姫にまで英語を教えられるなんて」
――彩姫さん、そんなに英語できないのか?
「あぁ、ひどいな芽衣ちゃん」
「だってウチはもともとスペックは高いけど、彩姫は……ね」
「ひどいなぁ」
芽衣さんの言葉に、少しすねるようなそぶりを見せる彩姫。
留美さんがなだめるように間に入っていく。
と、人影が近づいた。
「学生諸君。差し入れ」
理恵さんはサンドウィッチを差し出す。
「これは将来有望なキミたちにおごってやるから、飲み物の追加を頼みなさい」
「……理恵さん、セコイっすね」
「セコイとは心外ね。サンドウィッチおごってあげてるのに」
留美さんが確認するように
「ブレンド3、で、お水?」
「うん」
彩姫さんも答える。
それを確認すると理恵さんはカウンターのほうへと戻っていった。
「ちょうどいいからちょっと休憩しましょうか」
留美さんの提案に全員が同意した。
「でも本当に凄いよね、色くん」
留美さんは隣でそう言って笑いかける。
「そうだなぁ、ホント頭いいのは間違いないよな。こりゃ学年成績ランキング、荒れるぜ」
そう言ってサンドウィッチに手をつける。
「しかも教えるのも上手だね。ホントに人に教えたことないの?」
留美さんが不思議そうに聞くが、人と勉強するのだって初めてだ。
教えるなんてそんな経験あるわけがない。
「ふーん……にしても、うまいというか……天才? 学校の先生とか向いてるかも」
天才なんて、そんなわけもなく。
「お役に立てたのなら、いいですけど」
「役に立つなんてもんじゃないよ、大助かり!」
そんな風にいわれるほど何かした気がしないが。
「何か聞いたときにすぐ答えてくれる人が近くにいるのはすっごい助かるし、やる気が出るし」
「そうそう、ウチ一人じゃ途中でやる気なくして投げ出しちゃう」
「あ、それ私もそうだなぁ。すぐ絵描いちゃって」
いや、彩姫さんに限ってはここでも描いていた。
「ねぇ、ホントどうやって勉強してるの?」
留美さんの質問、どうやって? といわれてもそれを考えたこともない。
ないけど……
「そう、ですね。当たり前に勉強してたから、どうやってなんて考えたことはないですけど……自分の中にもう一人自分を作る、のかな?」
「――はい?」
聞き返す芽衣さんに続けて答える。
「要するに、理解した、とか自分本位にならないように常に中立な立場のもう一人を作って常に監視させる、のかな? 理解したと思うところにいろいろ自分自身で疑問を見つけて質問して、それを埋めていくと理解が深まる、様な気がして……」
――と、そこまで話したところで三人がポカーンとしているのに気が付く。
「え、あ、あの……」
「……すっごいなぁ、それ」
留美さんが目を丸くして言う。
「そりゃ、確かに頭よくなるんだろうね。教えるのが上手いのもなんか納得した」
芽衣さんはうなづきながらコーヒーを手にする。
そこからしばらくして少し話しがずれる。
「聞けてなかったこと、聞いてもいい?」
不意に留美さんが話を変えてくる。
「色くん、今はゆうちゃんと二人暮し、なんだよな?」
「はい、そうです」
「両親は?」
「父は都心に。……母は、随分前に亡くなってます」
「――! ご、ごめんなさい」
「いえ、全然幼かった頃に亡くなってるので別に気にしないでください」
そう、母が亡くなったのは自分が7歳を少し過ぎた頃。
だから記憶もあいまいだし、母がいないことがかなしいという認識すらない。
「お父さんは何をされてるの?」
父親の話、か……
「……医者、です」
「「お医者さん!?」」
二人が同時に叫ぶ。
留美さんが続けて話す。
「おぉ! そっか、凄いねぇー! お医者さんなんだ!」
つづけて芽衣さんが聞く。
「じゃあ、なに? 色くんもお医者さん目指してるとか?」
――目指してる?
まぁ、目指してる、のだろうな。
父の姿が少しだけ脳裏に浮かんだ。
そう、それが未来だ。
「そうですね、医者にならなきゃいけないんだと思います」
「ほぉー、そっか! 医者かぁ!」
回答に芽衣さんが笑う。
でも、その回答に対して不思議そうな顔をして、彩姫さんが口を開いた。
「なりたいんじゃないんだ?」
「えっ?」
まっすぐこちらに飛んできた言葉
「なりたいんじゃなくて、ならなきゃいけないの?」
「――っ!」
……頭を、なにか思いっきり殴られたような。
なりたい?
ならなきゃ?
……何かいわないと。
でも言葉が出ない。
何を言えばいい?
――ガツン!
「よっ!」
突然、今度は本当に後頭部に衝撃が走る。
振り向くとそこには栄太が立っている。
「わりぃ遅れた」
そう言って頭を軽く下げる。
「なぁに? バイト終わったの?」
芽衣さんが少しけだるそうに話す。
「あぁ。で、そこの土産だ」
そう言って大きな箱をテーブルに置いた。
「ってピザ?」
「あぁ、一枚かっぱらってきた」
「そりゃダメだろ……ってか持ち込みしていいのか、ここ一応お店だろ?」
「理恵さんには話してある。問題ない」
箱の上蓋を開くとあふれ出す蒸気とともに食欲をそそる香りが広がった。
「うわっ、美味そう!」
「一応お店の最上クラス、ゴージャスデリシャスミックス」
「わぉ、ゴーデリミックス!? サンキューな栄太!」
すぐに芽衣さんが手を出し、続いて御礼を言いながら留美さんも手をつけた。
「――ん、どうかしたのか色?」
机の脇に立っていた栄太が問いかける。
「いや、なんでもないです」
「……そっか」
少しつぶやくようにいうと、こちらの耳元に顔を近づける。
「……昨日、妹のヤツが世話になった。コレで足りるとは思わないけど一応お礼だから、食べてくれよ」
ささやくようにいう。
「――そうですか、すみません」
そうして目の前のピザを手に取る。
それは確かにおいし、そうだった。
だがその前の彩姫さんの言葉が心に刺さって味など感じることなどできなかった。