帰宅選択
教室に戻りその事を栄太に話そうと思ったが、栄太は見事なまでにうつ伏せっていた。
後で、いいかな。
と、思っていたのが間違いだった。
放課後の金が鳴る。
ほぼ同時、それまで死体のように動かなかった栄太が恐るべき反射神経で立ち上がるとそのまま無言で教室を後にした。
「あっ!」
しまった、言いそびれた。
「あ」
こちらの様子に気が付いたのか芽衣さんが一言声を漏らした。
「連絡、どうする? 栄太には私がしようか?」
気にしてか、南口さんが声をかけてくれた。
「なんなら私から言っても?」
「いえ、お隣ですし、帰った頃を見計らって直接話します」
「そっか、わかった」
南口さんはそれだけいうと、荷物を手に取った。
「じゃあ私、いくね」
芽衣さんが声をかけた。
「あれ、今日って図書?」
「そうだけど」
「そっか、頑張ってね」
「うん、じゃあまた」
そう言うと軽く手を振って出て行った。
「っし! じゃあウチもそろそろ行くわ。後でまた連絡するな」
「はい、わかりました」
「じゃあまたな」
手を振って出ていった。
それを見送って、教室を見渡す。
彩姫さんは、どうやら教室を出てしまっている。
どうしよう。
勉強会、なんてこともあるのだ。
少し勉強してから帰ったほうがいいかもしれない。
カバンを手に教室を見る。
まばらになった生徒たち
運動系の部活へ向かった生徒たちのカバンは乱雑に机の上に置いてある。
おしゃべりの声がしたり、なにやら黒板で遊んでいたり、この雰囲気はさすがに勉強に不向きだ。
教室を出て少し考える。
屋上、は違うな。
うん、学内で勉強するのであればやはり図書室だろう。
そういえば図書室はまだ行った事がないな。
場所は知ってはいた。
校舎三階の一番奥にそれはある。
開館日が書かれたカレンダーが張り付いている古びたドアを押して開けた。
細い廊下が奥へと続く。左手には貸借カウンター、右手には雑誌が飾られた本棚がならぶ。
……図書館なら自習が可能のはずだけど。
机らしきものは入り口からでは見当たらない。
奥へ進もうと足を前へ。
と、カウンターの中に見慣れた顔を見つけた。
「南口さん?」
不意に声が出てしまった。
「……ぇ?」
下を向いていた彼女が顔を上げる。
「あわわっ!」
突然声をかけたのがよくなかったのか?
彼女は飛び上がるようにした後、目を丸くした。
「ビックリした。なんで色くんがここにいるの?」
「少し勉強して帰ろうかと思って」
「――え?」
「いえ、少し勉強してから」
少し複雑そうな顔をしてから、彼女は口を開く。
「もしかして、勉強会気にしてる?」
「えっ?」
――まぁたしかにそうかも。
「人と一緒に勉強するなんて初めてですし、ちゃんといろいろ整理してからと思って」
「えっと、ごめんね」
突然謝られた理由がわからない。
「私たち、変な気使わせたみたいで」
「えっ、いや、そういうわけじゃ」
「でも、そういうの必要ないよ。別にね、勉強会なんて名ばかりなんだから」
――どういう?
「一緒に集まっておしゃべりするだけよ。おまけで勉強」
「はぁ、おまけ、ですか」
「そうそう。でも色くんがいてくれれば分からないことすぐ聞けてちょっと便利かなっておもっちゃったり」
「便利、ですか?」
「うん。歩くウィキ……百科事典、みたいな」
そう言って手元にあったのか、厚めの辞書を手に取った。
「だから、別にそんないろんな準備とか、しなくていいからね。ってかごめん」
彼女は深々と頭を下げた。
「あ、全然気なんて使ってないですから気にしないでください」
「そう。でもごめんね」
笑いながらやっぱり彼女は謝った。
「案内するよ、ちょっと待ってて」
南口さんは目の前に広がるノートや書類を片付けると貸し出しカウンターから出てくる。
「いいんですか?」
「いいのよ、利用者なんてほとんどいないし。とりあえず、っと」
カウンターに「御用の方はベルを鳴らしてください」と書かれたプレートを置く。
「ついてきて」
言われるがままについていく。
入り口から続く細めの道
「このあたりは古め辞書とか文献とか、普通の人が最も寄り付かない場所ね。入り口のとこの雑誌は暇つぶしで読む人もいるけど」
そうしているうちに広めの場所へと出た。
「ここがいかにも図書室って感じの場所かな」
その場所には複数の机がずらりと並んでいた。本棚と植木で区切られている。
「その机で勉強するのは自由だけど、あまり人は来ないかな。期末テスト前だとそれでも人がくるんだけど」
確かに、ガラガラ、というか人なんていない。
「明日から連休でしょ? 誰もこんなところこないわよ」
「そう、みたいですね」
その後、次々と場所ごとの本の種類を教えてもらう。
意外だったのは音楽CDやDVDもレンタルしているということだ。
一般の市営図書館などでは見かけるが……
「以上、大雑把かもだけど大体教えたかな?」
「ありがとうございました」
「どうするの、やっぱり勉強してく?」
他に当てもないし、せっかく来たし
「そうですね、一応やっていきます」
少しだけ間を空けて、南口さんは答える
「……そう、わかった。じゃあ私カウンター戻るから」
「ありがとうございました」
「いえいえ」
軽く笑みを見せるとそのまま通路の奥へと去っていった。
それからしばらくして、帰宅しようと思ったのだが、
なんとなく旧校舎、美術部のある場所へと向かっていた。
特に考えたわけではなく自然とそちらへ向かっていた。
相変わらず埃っぽくギイギイ鳴く床を慎重に歩く。
美術部と書かれた部屋のドア、ノブに手をかける。
――ガチッ
さびた鈍い音が響く。
ドアノブは動かない。
鍵がかかってる?
「――あれ、キミは?」
後ろから声がして振り返る。
「えっ?」
「美術部員かい?」
そこにいたのはひげ面の初老の男性だった。
そのひげは首元を隠してしまうほどの長さで、白髪交じりの髪が麦藁帽の隙間から見える。
「いえ、あの――北川さんは?」
「彩姫くんか? 今日は体調がよくないとかで荷物だけ置いて帰ったんじゃが」
「そうですか」
そうなのか。
「キミは、見ない顔だが」
「クラスメイトの渡良瀬です」
「渡良瀬? あぁ優くんの弟さんか」
納得したというようにうなずくと
「私は柳原、美術部の顧問をしとる」
美術部の顧問、なるほど。
「彩姫くんに用だったのか?」
用というほどの用はない。
「いえ、そういうわけでは……」
「……」
こちらを見るその瞳をオレはとてもじゃないけど直視できない。
とても不思議な感じがする瞳だった。
「ちょっと見ていくか?」
「えっ?」
こちらの返事など待たずに柳原というその男はドアの鍵を開けた。
「あの……」
そのまま美術室の中へと消える。
ここで帰るわけにも行かないだろう。
仕方なく美術室へと足を踏み入れた。
「――あっ」
驚いた、部屋の中心には依然見たキャンバスがある。
その時は白いキャンバスにただ無色のつくしが描かれていただけだった。
だがそこにあったのは、様々な色を放つキャンバス。
「これ、は?」
つくし、なんだとは思うが色はそんなものお構いなしに塗られている。
淡い赤、深い蒼、澄んだ翠。
それらはつくしの色ではない。
「昨日完成したらしいんじゃが……」
昨日、か。
「――どうだね?」
静かな声が問いかける。
絵の事、だろうか。
「絵についてはよく分からないので、自分にはなんとも……」
「そんな難しいことなんて聞いてないよ。ただ、どう思ったかが聞きたいだけだ」
どう、思うか?
そこに描かれていたのは数本のつくしと周囲の雑草。
だがその彩色はつくしのそれじゃない。
でも、よく分からないけどそれは……
「――鮮やかで、綺麗――ですね」
「そうか……」
こちらの答えを聞くと満足そうに笑った。
「わしも、そう思う。美術に関しては分からんがな」
「えっ?」
「わしは美術の先生じゃないからの。担当は倫理だし絵心なんて持っていない」
そんな人が、顧問なのか?
顧問というからてっきり美術の先生の一人かと思った。
柳原先生はその場を後にするというのでそれと一緒に部屋を出た。
いい加減さっさと帰ろう
そう決めて階段を降りる。
――と、1階出口付近まで降りたところで人だかりに出会う。
金色の髪を複数の男子女子が囲んでいる。
あれは、安部さん?
その内の一人の男子が安部さんと話をしているらしい。
「――その気はないです」
とても静かで淡々とした安部さんの声が聞こえる。
「はぁ? だってまだ俺のこと知りもしないでしょ? 一回くらい……」
「――分からない人ね、そんな必要ないわ。無駄な時間になるって分かりきってるもの」
周囲はどうやら野次馬らしく、男子は喝采、女子は冷ややかな視線を送っているようだ。
しかし、安部さんは迷惑そうだ。
「――っ!」
と、不意に目の前の男から視線をそらした彼女の目が階段途中で立ち止まっているオレと合う。
「渡良瀬君!」
少し大きな声で名前を呼ぶ。
周囲の視線がいっせいにこちらへと向いた。
そのまま群集をかき分けるようにしてこちらへとやってきた。
(……ちょっと適当に話し合わせて)
――えっ、と?
「今から職員室でしょ?」
「えっ……と、は、はい」
(おどおどしない!)
――と、言われても――
「私も先生に用事があるの。一緒に行くわ」
「えっ、あぁ……はい」
周囲のざわめきが止まらない。
「おい、安部! なんだよそいつ」
先ほど安部さんと話していた男子が張った語気で言う。
髪は茶髪で長め、周囲の人たちに比べ垢抜けている、といった感じだ。都会寄りな空気感。
長身でカッコいいといった雰囲気を持っている。
「先週来たばかりの転入生、知らないこと多いから私が世話してるの」
――はぁ?
「なんでオマエが」
「私は5組の学級委員よ? 当たり前じゃない」
「――ぐっ!」
何の話をしていたのかは知らないがどうも雰囲気がよくない。
「じゃあ、私はコレで」
そういうと袖を引っ張ってオレをどこかへつれていく。
もちろん職員室に用などなく、引っ張って連れて行かれた先は人気のない校舎脇の階段下スペースだった。
「――はぁ、裏門から帰ろうかしら」
「えっと、あのー」
「あぁ、ごめんなさい」
それだけ言うと袖をつかんでいた手を離す。
「ありがと、助かったわ」
「一体何があったんですか?」
「何って、告白されたの」
「あぁ、そう……って、えぇ!?」
「あら、あなたが驚く顔はじめて見たかも」
いや、そんなことはどうでもいい。
「告白って、あの……」
「そんなの、私と付き合いたいってことよ」
あっさりという彼女、告白?
「……ん、なに?」
「いえ、ビックリしただけです」
「なにが?」
「告白なんて初めて見ました」
少し間をおいて、彼女は口を開く。
「……星雲って確か男子校だったのよね。そりゃそこで学内告白なんてなかなかないでしょ」
といいながら笑う。
「でも、いいんですか? あんな風に逃げてしまって」
「いいのよ、付き合うとかそんなつもりないし。それにもう3人目だし」
「3人目?」
「新学期始まって3人目。いい加減めんどくさくなってきちゃった」
――なんかすごいな。
「まぁとにかく助かったわ、じゃあね」
言葉をなくしているうちに彼女は裏門のほうへと去っていった。