学園野球
一日がこんなにも長いとは思わなかった。
――土曜日、29日は国民の休日だった。
何か朝からなんともいえない違和感を覚える。
ゆうねぇは今日も学園で雑務があるらしく出かけて言った。
ポツンと一人、静かな部屋
出てテレビをつける。
見たことのないバラエティ番組、知らない芸人が場を盛り上げている。
……特に、興味はない。
リビングから自室へと戻る。
見渡した自信の部屋
デスクの隅に教科書が置いてある。
――勉強……は、する必要はないかな。
昨日やったところまでなら十分理解できている。
前の学園の学習カリキュラムが超ハイスピードであったこと、ここに来て実感している。
あれ……勉強、しない?
――そうか、分かった。
どうして今日がこんなに長いのか。
学園も塾もない一日なんて自分の記憶にないんだ。
塾がない、予習の必要も、復習も別に問題ない。
つまり勉強をしなくていい、となると特にやることが見つからない。
そんなことに、そんな自分に気が付いた。
「どうして、勉強するの?」
彼女、彩姫さんの言葉がよみがえってくる。
「――将来のため、だろ? 普通――」
……無意識につぶやいた言葉……
じゃあどうして、俺はそう答えなかったんだろうか?
――ピロリロリロ――
……と、電話の音がする。
電話のほうへ向かう。
電話番号が表示されていない。
というか、表示する液晶がない。
俺しかいないのだから出るしかない。
「……あ、もしもし渡良瀬さんのお宅でしょうか?」
「はい、そうですが」
「色さんはいらっしゃいますか?」
どこかで聞いたことのある声だ。
「自分ですが」
「あ、やっぱりそうか」
突然体裁が崩れ、笑い声が漏れる。
「えっと……どちらさまですか?」
「わかんない? 東出」
「――芽衣さんですか?」
「そういうこと」
明るいトーンの声が響く。
……あれ?
「どうして、電話番号」
「あ、そんなの教員の電話番号調べれは一発」
そうか、ゆうねぇのデータがあるのか。
「ちょっとゆうちゃん出てくるんじゃないかって警戒したけどね。それはそれで面白そうだけど」
笑いながら続ける。
「今何してた?」
「今、ですか? えっと……」
「あ、やっぱり勉強とか? あ、そうそう来週の頭で数学当たってるからさ、今度教えて!」
「いえ、それはいいんですが今日は特にやってなくて」
「ふーん、そっか。あのさ、連絡なんだけどね。明日は大丈夫?」
「明日、って日曜日ですよね?」
「うん、予定とか」
「特にない、ですが」
「そっか、よかったー。連絡完全に忘れてたからみたいだから」
安堵したといった具合だが
「明日の午後1時、学園のグラウンド集合」
「えっ? グラウンド?」
「体操服とか動きやすいヤツでよろしくね」
「あの、何があるんですか?」
「ん? アハハ、くれば分かるよ」
言葉とともに少し意地悪そうな微笑が聞こえた。
次の日、日曜日なのでゆうねぇは家にいた。
タンクトップに短パンといったラフな格好でソファに座っている。
「あれ? 色、今日は出かけるの?」
斜めがけスポーツバッグを手にしていた俺を呼び止める。
「えっと、学園に」
「学園?」
よほど意外だったのか、声が一段階大きくなった。
「どうして?」
「どうしてかは、分からないんですが」
「えぇ? 分からない?」
「分かりません、言われただけで」
俺は電話で呼び出されたことを伝える。
すると何か分かったのか、納得したようにうなづいた。
「あぁ、そっか、自主練かなぁ?」
「えっと……」
「あ、それ野球だよ、多分だけど」
「――野球?」
自転車で校門を通過する。
少し早くついたかもしれない。
時刻は12時30分をまわったばかり。
休日だからか校門は少しだけしか開いていなかった。
自転車置き場、駐輪する。
いつもは自転車であふれるこの場所だが、今日は数台しかとまっていなかった。
その中に見たことのある自転車が一台、たぶん彩姫さんのものだ。
どうやら彼女も来ているらしい。
そのままグラウンドへ向かう。
そこには複数人、ジャージ姿のクラスのメンバーがいた。
やっていたのは、キャッチボールや素振りなど。
要するにゆうねぇが言ったとおり野球だった。
「おおっ、転入生!」
声がかかる。
近づいてきたのは、学級委員の竜太だった。
「学級委員の田中 竜太だ。呼ぶ時はそのまま竜太でいい。ちゃんと話すのは初めてだよな?」
確かにちゃんと話すのは初めてだ。
うわさはいろいろ聞いていたが。
「あ、渡良瀬 色です」
とりあえず差し出してきた手を握り返す。
「連絡ちゃんといったんだな。俺のミスで完全に連絡忘れてたからさ、よかったぜ」
「あ、はい。でも何で呼び出されたのかはよく分かってないんですけど」
そういいながら周囲を見渡す。
「野球、ですよね?」
「ん、あぁそうそう。野球」
バットを持ったふりをして素振りしてみせる。
「えっと、どうして野球を?」
「――そっか、それを知らないのか」
腕を組み、語り始めた。
「来月頭の連休明けくらいからクラス対抗の野球戦があるんだ。今日はとりあえずそれの練習。ついでにレギュラーとか考えるためのデータも欲しい……らしい」
「――らしい?」
最後の一言が気になる。
問い直すと少し苦笑いを浮かべていう。
「いやー、よくわかんないんだよなそういうの。僕は考えるのそんなに得意じゃないし。だから監督的なことは全部ベッキーの担当……ってぇ!」
いつの間にか竜太に近づいていた人影は背後から彼の脳天に書類をたたきつけていた。
「ってぇな、何すんだ……」
「おはよう渡良瀬色くん」
竜太を無視してこちらへと歩み寄った安部さん
「話はどの辺りまで聞いてる?」
「あ、えっと、クラス対抗戦があるということくらいで……」
答えていると竜太が間に入ってきた。
「ちょっと待てよ、俺が話してたんだしそれにお前頭をさ……」
言いかけたところで安部さんはその言葉をさえぎる。
「ハイ、ストップ! とりあえず竜太はみんな集めてアップを始めてて」
「はっ? 何言ってんだお前」
「借用も時間性なのよ? 時間がもったいないでしょ。それにウチのメンバーは竜太がいないと統率とれないんだから」
その言葉を聞いた竜太は少し間を置いてうれしそうに笑顔を見せた。
「そっか、分かった。じゃあ後はよろしくな」
軽く手を上げたと思ったらやや駆け足でグラウンドの中へと入っていった。
「おーし、集合! ちょっと練習始めるぞー!」
大きく張り上げた声が周囲に響いた。
「……バカは頭動かすより、体動かすほうが性に合ってるでしょ」
その背中を眺めながら言い捨てるように安部さんは言った。
「それで、何したい? 選手? サポート?」
「選ぶんですか?」
「全員参加ってことになってるんだけど、全員が選手ってのはムリでしょ? サポーターってことで裏方もあるんだけど」
「じゃあ裏方で」
「……即答ね」
「全然スポーツできないので足手まといかと思いますし」
「野球経験は?」
「ありません――あ、いや、キャッチボールくらいなら……」
そうだ、キャッチボールは、したことがある。
「ふーん、そっか。じゃあ何か当日は雑用ってことで。じゃあ記録係が、あなたの知り合いだと南口さんが確か……」
安部さんがそこまで言ったところで後ろから背中をたたかれた。
「おっす、色くんっ!」
しびれる背中に振り返るとそこには芽衣さんがいた。
「昨日はいきなり電話して悪かったな」
「あ、いえ全然大丈夫です」
彼女はそっか、と合づちを入れた。
「――ちょっと、東出さん」
少し咳払いをして彼女は自分の存在をアピールする。
「あぁ、ベッ……安部っち、ゴメンゴメン。何話してたんだ?」
「彼にとりあえず裏方の話をね」
「裏方? 選手やらないのか?」
不思議そうにこちらへと聞いてくる。
「あ、いや知ってると思いますが運動苦手ですし、選手とか邪魔になるだけですから」
「なぁにいってんだよ。邪魔とか、そんなの誰も思わないって。やる気というかそういうのがあればOK! どうせなら体動かしたほうが楽しいだろ?」
そりゃあれだけ動けたら楽しいのかもしれないが、しかし俺は……
――と、グラウンドから声がかかり、芽衣さんはグラウンドのほうへと消えていった。
安部さんはそれらに少しだけ間をおいていう。
「どっち選んでも別にかまわないわ。ちょうど半分ずつくらいで分かれているからどちらが一人増えても問題ないもの」
「そう、ですか」
「だったら、あの……やっぱり選手で出てもいいですか?」
「ん、そう。わかった」
わりと無反応というかあっさりOKだった。
「言っておいてなんですが、いいんですか?」
「問題ないって言ったでしょ。出たい人はでればいいわ」
興味ないといった具合だ。
「でも一昨日? じゃないや、木曜日の体育見たけど体育ダメそうよね?」
「はい、まったくダメですね」
「どうして選手で出る気になったの? やっぱり東出さん?」
まぁ、彼女にけしかけられたから、という感じはあるかも。
「彼女と仲よさそうだし、ね」
「仲がいいというか、話せる人自体まだ少ないですし」
「――それもそうか」
会話をしながら一つ疑問が出てきた。
「あの、安部さんはどちらなんですか?」
「えっ? 私? 私はプレイングマネージャーよ」
……聞いたことがない。
「監督で選手よ、知らない、ラクルトの古川選手とか?」
「すみません、野球はほとんど見ないので」
「へぇ、そう」
野球については詳しくないが権力が集中するようなポジションだな。
「でも大変そうですね」
「そうでもないわよ、監督ったって様子見て適当にレギュラー決めればいいだけ」
――それでいいのか
「まぁでも私は常時レギュラーかな? 渡良瀬くんよりは全然動けるし」
少しだけ意地悪なことをいいながらスっと練習している集団のほうへと歩いていく。
確かに、彼女のほうが動けそうだ。
というか、勢いで出るなんていったものの俺はレギュラーはムリだろうな。
少しだけそんなことを思ったあと、彼女の後を追った。
練習している集団は全部で十三人。
野球は九人でやるはずなので多いが、控えを入れると少し少ない。
だが、学校のクラス対抗戦だ。
そんなに気にする必要などないんだろうな。
「おぉ、色くん! やっぱり選手やるって?」
もう話を聞いたのか、芽衣さんが寄ってくる。
「はい、迷惑かと思いましたが」
「迷惑だなんて誰も思わないって。そっかー、じゃあ一緒に頑張ろう! そして勝とう! ってかぶっ殺す!」
輝くような目をしていう。
だが殺すのはよくない。
「勝つ、ってどこに?」
「初戦の相手は確か、隣のクラスだから四組だったかな?」
自分のクラスの人もまだ全員はいえない状態だ。
隣のクラスのことなど知る由もない。
「まぁ、来週はゴールデンウィークだし、実際の試合はまだ先だよ」
そうそう、その試合の日程も知らない。
「そうなんですか」
「知らないんだっけ? そっか。えっと今日で4月が終わりでしょ。そしたら来週はゴールデンウィークで、空けたらすぐに中間テストがあって、それが終わった次の週からだから……」
うわごとの様にそこまでいって少し顔が青くなる。
「……ってそうだ、テストあるんだっ」
絶望に打ちひしがれたような凹み方。
そのまま黙って動かなくなった。
不意に顔を上げる。
「ねぇ、どうしよう!?」
「えっ、あっ、その……」
「助けて色くん」
「あ、はは」
笑うしかないが、なんとなく彼女は真剣に言ってそうだった。
話題を変える。
「……あ、あの。南口さんはサポートですか?」
「ん、そうそう。留美はスコアラーやるとかいってたっけな。結構動けるはずなんだけど」
「えっと、じゃあ彩姫さんは?」
「彩姫は特別枠」
――特別枠?
「一応まぁサポート側なんだけどね」
「なにか、違うんですか?」
「運営チームのサポートなんだ」
運営チーム、というのがそもそも分からない。
「生徒会が主催してるんだよね、このイベント。そこのサポートってこと」
「へぇ、すごいじゃないですか」
彼女がそんなところで活躍するのか……
「あ、いや。実際役に立つのかは微妙なんだけどね」
「――どういうことですか?」
ふふっ、と笑いながら
「一応、写真係ってのがあるんだけど」
名前から想像はつく。
「試合の写真を撮るってことですか」
「そうそう、新聞部とか有志を募ってね。で、彩姫もそこに入ったってワケ。入ったっていうよりはウチと留美が入れたって感じだけど」
「どうして?」
「だってあの子が運動なんてムリでしょ?」
「――それは、同意しづらいです」
「ハハッ、本人に直接言ってもほとんど気にしないよきっと。かといってサポートもあんまり向いてない気がしてさ。まぁそんなわけで団体の記録係すれば写真撮るだけでOKだと思ってね」
「なるほど」
「でも写真じゃなくて絵だったり」
「――はい?」
「写真は普通写真部の担当なんだけど、美術部が絵で記録するって面白くないっすかって」
「で、絵を描くんですか?」
「そうよ、面白いでしょ?」
まぁ、物凄い記録係だ。
あまり枚数は稼げないだろう。
「生徒会もノリがいいのが多くてね、面白そうっていってOK」
「じゃあ、今日は?」
「今日は、多分来てないんじゃないかな」
――あれ?でもさっき……
「自転車あったと思うんですけど」
「えっ、そうなの? ――えっと、じゃあ……あれかな? 部活やってるのかも?」
「日曜日にですか」
「まぁ彩姫はそういうの考えてないよ。まぁ気になるならコレ終わりに探しにいってみれば?」
結局シートノックなどの守備練習などをやったり、打ったりしたがどちらもダメだ。
――キャッチボールは、したことがあるんだけどな。
周りは気をつかってか触れないでいてくれたが、竜太は若干呆れているのが見てとれた。