蹴球遊戯
その日は初めて体育という授業が入ってきた。
実は体育がある日は週全体でちょうど半分、
つまりもうとっくにあったはずだった。
だが一昨日にあったはずの体育はたまたま休校となっていた。
まぁ体操服が届いていなかったのでどの道や済ませてもらおうと考えていたので都合はよかった。
しかし今日は休校にはならないらしい。
そして新しいジャージはちゃんと手元に届いていた。
「おーい、もっと頑張りなよ」
後方から声がする。
その人影はこちらへ笑顔を一つ向けるとそのまま視線の先へと消えていく。
その光景を見るのはこの短時間で二度目である。
空は雲ひとつない快晴、日差しも強い。
体育は簡単な準備運動の後、トラック10周から始まった。
俺は、体育は得意ではない。
体を動かすこと自体やってこなかった。
もちろん体育という科目はあった。
でも、体育という科目は勉強で溜まりがちなストレスを発散するために設けられた科目である。
ゆえにそれに全力を注ぐことはその後の授業に影響が出る馬鹿げた行為。
それが俺の体育というものに関する認識だった。
――でも、どうやらココは違うらしい。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
全力全開
自分が居る場所から見てちょうどトラックの反対側で二人の男子が物凄い雄たけびとともにデットヒートを繰り広げていた。
いや、雄たけびを上げて走っているのは一人だけ、もう一人は凄い速さで走ってると思うのだが涼しげな顔をしていた。
顔の筋肉という筋肉をこわばらせて叫びながら走っているのは、たしか竜太、安部さんと同じクラス学級委員だ。
その少し前を走っていたのは栄太。
結局その学級委員の迫力が栄太を捕らえることはなかった。
俺が後3週を残した状態で彼らはすでに10週のノルマを終えたらしい。
竜太がトラックの中へと入りながら倒れこんでいる。
自分は、どうやら最下位のようだ。
人が居なくなったトラックの上を淡々と進む。
……いや、もう一人居た。
彩姫がふらふらと3レーンくらいをふらつきながら走って、いや歩いているのか?
「ハイ、ラスト! スパートだぞ転入生!」
見るに見かねてなのか体育教師から声がかかった。
今日は、というか一学期の前半はサッカーをやっていくらしい。
ボールをインサイドとアウトサイドで蹴るという技術説明の後、ペアでパスの練習となった。
しかし自由にペアって言われても……
「じゃあウチと組もう」
まるで俺の心を読んだかのようにこちらへと人影がよってきた。
芽衣さんだった。
「それとも他に誰か居る?」
「いえ、知り合いって言ってもまだ少ないですし」
「だよな、それこそ栄太くらいでしょ。でも栄太のペアは固定だから」
「固定?」
「あれ」
指で指し示された先には栄太と、そして学級委員、竜太の姿があった。
「あの二人仲いいんですか?」
「そんな風に見える?」
教室で話しているところなどあまり見た覚えがない。
それになんとなく言い争いをしているようにも見えた。
「あまり」
「正解。竜太が一方的にライバル視してるんだよね」
「学級委員がですか?」
「え、竜太の事知ってたりする?」
「あ、いえ。前に安部さんに学級委員だって教えてもらって」
言いながら無意識に安部さんの姿を探していた。
彼女は自分が話したことのない女子とペアですでにボールを転がしていた。
少しため息をつきながら芽衣さんは続ける。
「竜太ね、悪い奴じゃないんだけどさ。若干プライドが高いって言うか……」
頭をかきながら視線をこちらへと移した。
「なんでも一番になりたいらしくてね。体育は栄太につっかかって、勉強はベッキーにつっかかってるの」
「はぁ、そうなんですか……」
人影がもう一人近づく。
南口さんが彩姫さんと一緒にやってきた。
笑顔を向けた後、話へと入ってくる。
「次のテスト以降、色くんも狙われるかもね」
「えっ?」
「だってそうでしょ? 勉強に関しては十分可能性があるわ」
「それもそうね、気をつけないと」
芽衣さんは言いながら苦笑いだ。
南口さんが口を開く。
「二人で組むの?」
「ん、そのつもりだけど。留美は?」
「じゃあ私は彩姫と組むよ」
「OK」
それだけ言うと少しこちらと距離をとった。
「スポーツとか全然ダメなの?」
ボールと言葉が同時にこちらへと向かってくる。
ぎこちない感じで何とかボールの勢いを殺す。
そうすることでようやく口を開けることが出来る。
同時にはムリだ。
「はい、まったく」
答えてから転がした。
「へぇー、勉強はできるけどそれ以外はダメ、か。そんなことトモちゃんが言ってたっけね」
少しずれた方向へと転がったそれを軽いステップで止める。
無駄のない動き、明らかに自分の数倍は動ける。
「まぁそれでも彩姫よりは動けるみたいだからいいや」
「そうなんですか?」
「うんうん、彩姫の相手は大変だよ、何故か視界からボールが消えるからね。まさに消える魔球」
それだけ言われてもよくは分からないが、どうやら彼女の顔を見る限る嘘をついているようにはみえない。
「ウチはさ、真逆だね。体動かすほうが全然得意」
そういうとそれまでパス練習していたボールを不意に後方へずらすとその足の甲で止める。
次の瞬間突然ボールは彼女の顔の辺りまで垂直に浮かんだ。
「よっ!」
そのまま鮮やかなリフティングを見せた。
あまりに自然な動き、特に大きな動きを見せることはないがボールが地面につくことはない。
「……すごい!」
口をついて出たのはそんな簡単な一言だった。
「へへっ、ありがと」
頭上より高く舞い上がったボールが地面へと緩やかに落ちる。
ボールが地面につくか否か、そこでこちらへと押し出されたボールは地面を這うようにこちらへと流れてきた。
見とれていた俺は少しあわてて構える。
うまく止められず横へとボールは転がった。
「あっ、ごめん」
謝る声が聞こえる。
でも明らかに自分のミスだった。
「大丈夫です」
そう言って彼女の正面へと戻った。
「サッカー、やってたんですか?」
「ん? サッカーはあんまり。ガキの頃放課後とかにグラウンドで遊んだりはしたけどね」
それであれだけの動きができるのだろうか?
「凄いですね」
ありがと、と少し照れくさそうにこちらへと笑顔を向けた。
「まぁ、人間一つくらい取り得があるものだってことかな? それに何でも出来るヤツとかなんていうか、ちょっとムカつくし」
「ムカつく?」
なんとなくその言葉がツボをついて少し笑った。
「そりゃそうでしょ、まぁそんな完璧超人見たことないけど」
「……そうですね、そうかもしれないです」
「あ、でも竜太とかベッキーあたりは完璧超人っぽいかも。アイツ勉強いつも上位だし、かなりのレベルで動けるし」
「へぇ、文武両道ですね」
「そうそう、そんなやつ。なんかムカつくだろ?」
そういわれても簡単に「はい」と同意はできない。
「でもさ、アイツ人として若干バカだからなんとなく許せる」
「人として?」
「性格というか人間性というかさ」
そう笑いながら俺が転がしたボールを軽く足元で止める。
――と、突然彼女の頭上にボールが飛んできた。
「――! あぶなっ!」
俺の声が届く前に彼女の体は舞った。
左足が顔の辺りまで振り上げられる。
そのまま体の軸を半回転させて飛んできたボールの勢いを殺すようにして足元へと落とした。
地面へと落ちたボールは足元でそのまま動かない。
「ったく、彩姫ぇ!」
呆れたように芽衣さんは隣でボールを転がしていた二人へと視線を向ける。
「ごめんね、芽衣ちゃん」
彩姫さんが歩み寄りながら申し訳なさそうに謝る。
芽衣さんはボールを彼女のほうへと転がした。
「もう、どうしてサイドのパスであんなに高くボールが上がるんだか」
こちらへと向き直った彼女は苦笑い。
「あ、そうだ。彩姫のこと、どう思う?」
「えっ?」
不意に飛んできた質問
「どうって言われても、よく分からないというか」
「ふーん」
あいづちを入れて話を続ける。
「さっきの話じゃないけどさ、勉強あんまりできない上に体育もダメ」
そう、なんだろうか?
勉強に関してはよく分からないが体育は自分以上にダメな感じだと短時間ながら思う。
「でもね、バカと天才は紙一重、ってね」
ボールが鋭くこちらへと飛ぶ。
コツが分かってきたのか、大分うまく止められた。
そういわれても自分はそれがなんなのか分からない。
「ま、そのうち分かるかもよ」
分からないといった顔をしていたのがばれたのか、彼女は笑いながらそう言うと再びボールをこちらへと戻した。
最後にフルコートを使ったサッカーのゲームがあった。
みんな予想以上に本気で、結果として次の授業は机にうつぶせて動かない屍が何体も教室に転がっていた。
放課後、教室からは人が消える。
自分は少し出遅れた。
廊下へと出るといろんな人影を見て取れた。
廊下の窓から中庭を見る。
――彩姫さん?
カバンを手に中庭を一人くるくると回っている。
階段を降りて、一階の踊り場、中庭へと足を進める。
「あれ、色くん」
中庭に出るとこちらに気が付いたのか、声をかけてきた。
「あ、えっと」
「帰る?」
「え、はい」
「そっか、自転車だよね?」
俺が軽くうなづくと笑顔で続ける。
「じゃあ私も帰ろう」
そう言ってこちらへと歩み寄る。
「えっ?」
不意をついた彼女の言葉に驚く。
「あれ、何か用事でもあるの?」
「いえ、そんなのないですけど」
それだけ聞くとススっと自分の横を通って先に自転車置き場のほうへと歩き始めた。
俺はまだ動けずにいて
「ん、どうしたの? いこうよ?」
「あ、はいちょっとビックリしたので」
「?」
彼女は不思議そうな顔をしていた。
少しだけ戸惑った。
――誰かに一緒に帰ろうと、言われたことがなかったから。
自転車置き場には自分たち以外にも人の姿が見えた。
彼女の手にトラのキーホルダーにつながれた鍵が見える。
「えっと、家はどの辺なの?」
簡単に説明すると少し顔が曇る。
「あれ、逆方向なんだね。私の帰る方向、商店街だから」
一緒に帰る理由がなくなった。
商店街には自転車を買いに行ったが、校門を出てすぐの分岐で家とは逆方向だ。
そもそも場所も知らずに一緒に帰ろうと誘うのは間違っている気もしてきた。
しかし彩姫さんは満面の笑みで言う。
「じゃあ、校門まで一緒に帰ろう」
断る理由もなく、自転車を手で押しながら校門までの数分、一緒に帰ることになった。
「美術部はいいんですか?」
「今日は部活お休みにしたんだ」
部活、というものに所属したことがないので分からないが、彼女に一団体の活動を決定するほどの権限があるのか。
「まぁ実質私しか活動していないから、私が行かなかったらないんだよ」
――そういうことか。
「それに明日美術があるから少なくなってる絵の具買いに行こうかなって思って」
「そういえば明日は選択授業ありましたね」
選択授業、美術、音楽、書道から選択する芸術系の授業だ。
俺は前の学園でも選択していた美術をここでも選択した。
理由は、まぁ道具はあるし、とかなんとなくだ。
「色くんは?」
「え?」
「これからどうするの?」
これから、というのは放課後のことだろう。
「とりあえず、家に帰ります」
「そんなの、分かってるよ。帰ってからのことだよ。アハハ、色くんってやっぱり変わってるね」
笑いながら彩姫さんは言う。
――帰ってから?
そうだな、多分
「今日の復習とか、明日の予習とか」
「勉強、ってこと?」
「はい」
「ほぇー、凄いなぁ」
「――凄い?」
「うん、凄い」
「凄いって、勉強するだけですよ?」
「だって私しないもん」
……それにツッコんでいいのか分からず悩む。
「――ねぇ、どうしてそんなに勉強するの?」
「えっ?」
――そんな問いかけをされたのは初めてだった。
「なんでって……それは、えっと……」
なんで、と言われると困る。
「あ、校門きちゃったね」
――と、気が付けば校門だった。
「じゃあ、またね」
軽く手を振り、自転車に乗ると彼女は逆方向へと去っていく。
小さくなる影を呆然と眺めた後、われに返って帰路へとついた。
自分の部屋、教科書を机の上に出す。
予習復習でもしようかと思ったが、よく考えたらそんな必要のないレベルの内容だった気がしてきた。
――それに、
「……なんでって、言われても……な」
勉強をする理由?
そんなこと、改めて考えたことなんてなかった。
少なくとも自分はそういう風に生きてきて、だから、えっと……