表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

第二十六話:「一緒に出掛けてみたい」

校外学習の翌朝。

窓の外は、春らしい柔らかな光で満ちていた。

昨日のあれこれが嘘みたいに、教室はいつも通りのざわめきを取り戻している。


でも、私の胸の中には、まだあの一日の余韻が残っていた。


――白津の、あの言葉。


『ずっと側にいるから。君を置いていったりしない。』


不意に思い出す。あのとき、自分がどんな顔をしていたのか、もう曖昧で思い出せない。

でも、胸の奥にぽつりと灯ったものだけは、はっきりと残っていた。


(……なんで、そんなふうに言えるんだろう)


信じるには、まだ時間が必要だ。

簡単に心を預けたくなんてない。

でも、それでも。


(……あのときは、嬉しかった)


不安でどうしようもなかったのに、白津の声が救ってくれた気がした。

気づけば、あの声や目が、ときどき頭に浮かぶようになっていた。


嫌いなはずだった。

信じないって、決めたのに。

なのに、白津の言葉だけは、するりと心の奥に入ってきた。


……だから。


ちらりと視線を横にやる。

静かに教科書をめくる白津の横顔。

ほんの少しだけ、心を許してもいいのかもしれない――

そんな思いが、言葉にならないまま、胸の奥でゆっくりと膨らんでいた。


「……結月、行くよー。次、音楽室でしょ?」


結花の声が弾んで響く。


「あ、うん……ごめん、今行く」


慌てて教科書をまとめ、椅子を引く。

カーテン越しの光が、きらきらと教室に降り注いでいた。


廊下に出て、結花と並んで歩く。

けれど、心の中は落ち着かなくて、つい声を落としてしまう。


「……ねえ、結花」


「ん?」


「……あのさ…男子って何もらったら嬉しいと思う?」


唐突だったのか、結花が目を丸くする。


「…葵さん? えーと…」


「じゃなくて、白津…」


その名前を口にするだけで、少し息が詰まった。

結花の足が止まる。


「え、……ええ!! どうしたの、急に」


「……昨日、迷惑かけたから。そのお礼。」


「お礼」って言葉にすると、途端に胸の奥がちくりとした。

私にとって「ありがとう」って、簡単に言える言葉じゃない。

でも、あのとき助けられたのは事実で。

嫌いだとか男だからとか、そんな言い訳を捨てて、白津に向き合ってみたくなった。


目を逸らして小さく続ける。


「……なんでも喜んでくれそうだけどね。でも、本人に聞いてみたら?」


結花はそう言って笑ったけど、すぐ首を振る。


「……無理……」


「なんで?」


言葉に詰まる。

理由を説明できない。

喉の奥がぎゅっとして、声が出なくなる。

でも、結花は私のそんな様子を見ても、怒ったりはしなかった。

くすっと笑って、優しい目を向けてくれた。


「お礼も大事だけど、まずは友達として白津くんを認めるのが先じゃない?」


「……そうだね」


そのひと言が、胸の中の小さな棘をゆっくりと溶かしていくように思えた。



夕方。


制服を脱いで、私服に着替えた。

階段を下りてリビングに入ると、ソファに座る白津が見えた。

テレビはついていたけれど、画面をぼんやり見ているだけみたいだった。

その横顔が、静かな水面みたいに落ち着いていて。


(……今なら、言えるかも)


胸がドクンと鳴る。

呼吸を整えて、声を出した。


「……あのさ、白津くん」


白津が少し驚いた顔をして、こっちを見た。

でも、その瞳はやっぱり穏やかで。


「なに?」


「……なにか欲しいもの、ある? この間のお礼させて」


言った瞬間、心臓が跳ねる。

恥ずかしくて視線を外した。


沈黙が落ちる。

長いような、短いような時間が流れて。


「お礼なんて。僕は当たり前のことをしただけだよ」


その声に、ほっとするような、でも少しだけ期待を裏切られたような気持ちになる。

会話がそこで終わるかと思ったとき。


「……あ、でも、もしも叶うなら……僕、結月ちゃんと出かけてみたいな」


「……え?」


思わず顔を上げる。

その言葉が頭にじんわり染みていく。


(……二人で、出かける?)


脳裏をかすめたのは――葵の顔。


(……葵がいるのに)


胸の奥がざわざわする。

でも、お礼をしたいって言い出したのは私で。


「……ちょっとだけ、考えさせて」


それが、精一杯だった。



夜。


自室でベッドに腰掛けて、スマホを手にした。

「葵」の名前をタップする指が震える。


(…言わなきゃ)


呼吸を整えて、コール音を聞く。


『……もしもし? どうしたの、珍しいね。結月から電話してくれるなんて。』


いつも通りの声が、逆に怖い。

だから、なるべく淡々と話した。

一つずつ、必要なことだけ。


話し終えたあと、少しの沈黙。

胸がぎゅっとなる。


『そっか。僕のことは気にしないで。楽しんでおいでよ』


「……え?」


あまりにあっさりした声。

拍子抜けしてしまった。


『だって、白津くんはただの友達なんでしょ? だったら問題ないよ。ヤキモチは妬くけど。』


軽い口調に、思わず小さく笑いそうになる。


「……うん。ありがとう」


通話を切ると、ぽつりと息を吐いた。


(…そうだ。ただの友達なら)


自分に言い聞かせるように天井を見つめた。

でも、胸の奥では何かが揺れていた。


智紀を信じてみたい気持ち。

でも信じて裏切られるのが怖い気持ち。

また同じ思いをするくらいなら、ただの友達でいい。

いつ裏切られても大丈夫なように。


でも、胸に残る小さな違和感は、不快なものじゃなかった。


(……悪い人、じゃない。……きっと)


そんな思いが、静かに胸の中に残っていた。


外では、春の夜風がカーテンを揺らしていた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ