第二十話:「少しずつ、隣へ」
「今日も、やっぱり難しかったな」
夕暮れの歩道に並んで歩きながら、圭介がぽつりと呟いた。
「……うん。全然、話してくれなかった」
智紀の声も沈んでいる。
「ま、あいつは人に心開くの、めちゃくちゃ苦手だからな」
「……どうして?」
智紀の問いに、圭介は少しだけ歩を緩めた。
視線を遠くにやりながら、言葉を選ぶように息を吐く。
「それは……俺から話すのはちょっと違うかもしれねーけど」
そう前置きしながらも、圭介は智紀の方をちらりと見て続ける。
「昔、結月には好きなやつがいたんだ。けど、その相手に裏切られた。……それがきっかけで、あいつは男を信じられなくなった」
「……そう、なんだ」
「それ以上は、本人の口から聞いてくれ。でもな」
圭介は足を止め、真っ直ぐに智紀を見た。
「お前のこと、嫌ってるわけじゃない。たぶん、自分の過去と重ねて、無意識に距離を取ってるだけだと思う。だから――」
小さく笑って、照れ隠しのように頭をかいた。
「……だからさ。俺、協力するよ。お前が本気であいつに向き合うつもりなら、結月との距離を縮める手伝い、俺にもさせてくれ」
「えっ……」
思いもよらぬ言葉に、智紀は目を見開いた。
「もちろん、すぐにどうにかなるとは思ってねーけどな。けど、お前なら……少なくとも、ちゃんと向き合える気がするんだ」
圭介の言葉は、ふざけているようでいて、どこかまっすぐだった。
「俺も、結花も、ずっと見てきたからわかる。結月があのままでいいなんて思ってねぇ。誰かが背中を押してやらなきゃ、きっとあいつ、このままずっと過去に縛られたままだ」
「……ありがとう。圭介くん」
「おう。まあ、なんか困ったら、いつでも言えよ」
圭介のその一言に、智紀はわずかに戸惑った顔を浮かべた。
「……ほんとに、僕が困ってるの、分かるんだね」
「そりゃ分かるさ。見てりゃバレバレだって。あの子の隣で、あんなにしょんぼりしてるやつ初めて見た」
圭介は苦笑しながら言い、ふっと顔を上げた。
「だったらさ、作戦立てようぜ」
「……作戦?」
「そう。いきなり正面からぶつかっても、結月は絶対に心開かねぇ。なら、こっちから回り道して、少しずつ距離を詰めてくしかないだろ」
「……たとえば、どんなことを?」
「まずは“話しかける理由”をつくる。例えば明日、天気崩れるらしいからさ。もしあいつが傘持ってなかったら、迷わず貸してやれ」
「……それで、少しでも会話ができたらってこと?」
「そう。無理に話しかけようとするから不自然になる。自然なきっかけで話せば、相手もそんなに構えない。今のあいつには、それくらいがちょうどいいんだよ」
智紀は真剣な眼差しで、圭介の言葉を受け止めた。
「……うん。やってみる」
「よし。あとさ、できれば結花にも協力してもらうといい。あいつ、結月のことほんとよく見てるから」
「結花ちゃん……」
「俺からも頼んどくよ。お前が頑張ってるの、伝えたいし」
圭介はそう言って、にかっと笑った。
「で、上手くいったらそのときは――焼肉でも奢れよな?」
「えっ?」
「いや、冗談だって。……ま、でもな。お前には上手くいってほしいよ。マジで」
並んで歩く二人の足音が、静かな夕暮れの道に響いていた。
智紀は胸の奥に小さな火が灯ったような気持ちで、そっと拳を握りしめた。
放課後。
ざわつく廊下の先、ガラス窓の向こうはすっかり曇天。しとしとと細かな雨粒が、グラウンドを灰色に染めていた。
(……あ、雨降ってきたんだ)
鞄を肩にかけながら昇降口へ向かった智紀は、校舎の外に目をやって小さくつぶやく。
すると、少し先を歩いていた結月の姿が目に入った。
(あれ、傘持ってない……?)
けれど、教室に傘を置いていただけかもしれない。そう思い直し、智紀は足早に彼女に追いついた。
「結月ちゃん。あの……傘、持ってる?」
声をかけると、結月はちらりとだけ彼に視線を寄こして、
「あるけど」
とだけ言って、再び前を向いた。
(そっか……そうだよね)
一瞬だけ、胸の奥がすうっと冷たくなる感覚がした。言葉には出さずとも、表情が僅かに曇る。
けれど、数歩歩いたところで、結月が不意に立ち止まる。
「……ない」
鞄の中を漁っていた彼女が、小さく独り言のように呟いた。
「入れたはずなんだけど……家に忘れてきたのかな」
そう言ってため息をついた結月に、智紀は思わず声を上げる。
「じゃあ、僕の傘に入ろうよ!」
「……は?」
「あっ、嫌だったらいいんだけど……。でもこの雨じゃ、濡れちゃうし」
結月は無言で彼を見つめたあと、少し語気を強めた。
「……別に、濡れて帰ればいいだけでしょ」
「でも、風邪ひいちゃうよ」
「それくらい、平気」
きっぱりと言い放ち、再び歩き出そうとする結月。
けれどその肩に、智紀はとっさに声を張り上げた。
「じゃあ、僕が濡れて帰る!」
その言葉に、結月の足が止まる。
「……は?」
「僕が傘を貸すよ。代わりに濡れて帰る。結月ちゃんを雨に濡らすくらいなら、その方がいい」
「……意味わかんない。バカじゃないの?」
呆れたように吐き捨てる結月に、智紀はそれでもまっすぐに言った。
「バカでもいい。わかってるよ、今の僕が結月ちゃんにどう見えてるか。でも……結月ちゃんを放っておくなんて無理だ。僕にはできない。」
結月の視線が一瞬揺れる。
「……あんたが濡れて帰ったところで、私が気にすると思う?」
「いいんだ。僕が勝手にやってることだから」
そんなやりとりの間にも、智紀の肩や髪は徐々に濡れ始めていた。開いたままの傘は、結月にだけ傾けられている。
「……ったく」
結月は小さく舌打ちすると、ため息をつきながら傘の下へ歩み寄る。
「しょうがないから入ってあげるだけだから」
「……うんっ!」
ぱっと顔を明るくする智紀。その笑顔に、結月は露骨に顔をしかめた。
「その顔、やめて。ほんと腹立つ」
「ご、ごめん」
歩き出した二人。
一つの傘の中、距離はぎこちなく、言葉はほとんどなかったが――
結月はもう、外に出ようとはしなかった。
それが、ほんの小さな一歩だったとしても。
皆さんこんにちは!紗倉です
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
今回は、智紀がちょっとだけ前進するお話でした。
……いや、正確には「前進させてもらった」回、かもしれません。圭介のナイスアシストに拍手。笑
結月のこと、どう接していいかわからず空回りしがちな智紀ですが、少しずつ彼なりに「向き合う」覚悟を見せてきました。
あの傘のシーンは、ただの“優しさ”じゃなくて、彼にとっての精一杯の勇気だったんじゃないかなって思ってます。
そして結月も、一見冷たいようでいて……本当は、誰よりも傷つきやすくて繊細な子。
だからこそ「入ってあげるだけだから」と言いつつも、ちゃんと傘に入ってくれる。そんな彼女の“揺れ”も感じ取ってもらえたら嬉しいです。
まだまだ二人の距離はぎこちないけれど、こうやって、少しずつ、少しずつ。
今後も、ふたりの“ちょっとした変化”を楽しんでもらえたら嬉しいです!
ではでは、また次のページでお会いしましょう☔




