第十五話:「見えない傷痕」
購買の前には、すでに人だかりができていた。
ざわつく空気の中、結月は少し離れた壁際でその光景を眺めていた。
しばらくすると、結花が小さな袋を手にしながら歩み寄ってくるのが見えた。
「……相変わらず、争奪戦だね」
そう言って、結花は得意げな表情で手に持ったプリンを軽く揺らす。
「これだけは、真っ先に確保してきた」
結月は壁にもたれかかったまま、小さく笑った。
「お昼のパンより重要かもね」
結花はそんな彼女の横顔をちらりと見てから、そっと言葉を選ぶように声をかけてきた。
「さっきの、ちょっと言い過ぎじゃなかった?」
結月の眉が、わずかに動く。
「……なにが?」
「智紀くんのこと」
その言葉に、結月は一瞬だけ視線を逸らす。
「結花だって知ってるでしょ。ああいうへらへらしてる男が一番大嫌いだって」
抑えたような口調。その奥には苛立ちの熱が静かに宿っていた。
教室での光景が、脳裏に浮かぶ。
——“好き”って、言われた。
あの無垢な瞳と、まっすぐな声。
胸の奥がきゅっと縮こまる。その記憶に、別の記憶が重なった。
——“大丈夫だ”って、言ったくせに。
——“信じて”って、笑っていたくせに。
思い出したくもない顔が浮かぶ。笑い合っていたはずの顔が、次には自分を拒絶するように冷たく歪んでいた。
胸が微かに軋む。
「どうせ……裏切るくせに」
その呟きは、誰に向けたものだったのか。
結花が息をのんだ音が、かすかに聞こえた。
ふたりのあいだを沈黙が包み込む。
購買の喧騒が遠くに感じられる。
その中で、結花の静かな声が響いた。
「……結月」
わずかに沈んだ声色。
けれど結月は答えなかった。視線だけを前へ向け、目の前の騒がしさを無表情に眺めていた。
「……あの時から、ずっと止まったままなんだね」
その言葉に反応は返さなかった。だが、髪が風に揺れたように、微かに肩が動いた。
「別に、責めてるわけじゃないんだよ。忘れろなんて言わないし、無理に許せとも言わない。ただ……」
言葉を切る結花の声が、どこか苦しげだった。
「智紀くん、ちょっと陽向くんに似てるところがあるじゃん?」
その名前に、結月の肩がぴくりと動く。
「だから、怖くなるのはわかるよ。でもさ——きっとあの子は、陽向くんとは違うよ」
「……わかんないでしょ、そんなの」
今にも消え入りそうな声だった。
「同じように笑って、同じように優しくして……それで最後に裏切るなら、最初から近づいてこないでほしい」
目を閉じて、唇を噛む。
「……“好き”って、簡単に言うやつの言葉なんて、信用できない」
すると結花が静かに言った。
「……でも、智紀くんの“好き”って、ちょっと違ったよ」
結月は目をゆっくりと開ける。
「私には、なんか……言葉そのものっていうより、気持ちの“色”みたいなものが見えた気がしてさ。あれ、誰にでも言ってる感じじゃなかったと思う」
結花の目は真剣だった。
「ねえ結月。少し、ほんの少しだけ、智紀くんのこと、見てあげたら?」
その声には、穏やかさの奥に、確かな思いが込められていた。
「今度は、違うかもしれないよ」
——結月は黙ったままだった。
けれど視線は、もう購買の行列には向いていなかった。
何気なく窓の方へと顔を向ける。
春の光が差し込むガラス越しに、遠くの校庭が広がっていた。
そこに、銀白の髪が映っている気がした。
「……プリン、溶けるよ」
結月がぼそりと呟くと、結花がぱちりと瞬きをして、照れたように笑った。
「ほんとだ。やばっ。帰ろっか」
ふたりは再び歩き出す。
静かに、けれど確かに動き出した昼休みの残り時間の中で。
どうも皆さんこんにちは紗倉です。
今回のシーンは初の結月パートでした!
過去に結月に何があったのか、陽向とは誰なのか、
今後徐々に明かしていこうと思いますのでどうぞ気長にお待ちいただければと思います。
次回もどうぞよろしくお願いします!




