第十二話:「届かない想い」
(……僕、“好き”って、言っちゃった)
自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。ただ、思ったままを言っただけ。
けれど——その一言が、場の空気をまるごと変えてしまった。
箸を持っていた結月の手が止まる。そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
無表情だったはずのその横顔に、かすかな揺れが浮かんだ気がした。
けれどその感情は、すぐに深いところへ沈んでいく。
——沈黙を破ったのは、彼女自身だった。
「……よく、そんな軽々しく言えるわね」
低く、抑えた声。
その一言で、昼休みの穏やかな空気が一瞬で張りつめた。
智紀は、きょとんとしたまま彼女を見つめていた。
結月はそっと箸を置くと、真正面から智紀を睨むように見据える。
「“好き”なんて……よく簡単に言えるわね。誰にでも優しくして、誰にでもいい顔して……そういうのが一番嫌い」
「え……」
智紀の瞳が揺れる。
「私はね、アンタみたいな、“誰にでも好かれようとする男”が、一番嫌いなのよ」
その言葉には、怒りというより、痛みに近い棘があった。
結月の瞳は冷たく、でもどこか悲しげでもあった。
机の上の空気が、一瞬で凍りつく。
智紀は、何も言えなかった。
怒らせるつもりなんてなかった。
ただ、素直に、自分の気持ちを伝えただけだった。
けれど——伝え方が、間違っていたのだろうか。
(……また、僕……何か、間違えたのかな)
指先が、震えそうになる。
そんな中、圭介がすっと空気を変えるように口を開いた。
「……な、なあ、そういえばさ」
思い出したような顔で、智紀に向き直る。
「智紀って、前はどこに住んでたんだ? 引っ越してきた理由とか、まだ聞いてなかったなって思ってさ」
結花もすぐに反応し、笑顔で続ける。
「そうそう、気になってたんだ~。転校って急だったの?」
その声は、意図的に明るかった。
張り詰めた空気を少しでも和らげようとする、優しい気遣い。
智紀は、しばらく黙ったまま目を伏せていたが、やがて小さく息を吐いて、顔を上げた。
「えっと……引っ越してきたのは、一週間くらい前で……。前は、もっと静かな町にいたんだ」
「へぇ、どんなとこ?」
「山が多くて、駅も遠くて……コンビニまで歩いて20分くらいかかるような場所」
「うわ、マジか。それは不便すぎるな」
圭介が笑うと、結花も小さく吹き出した。
「でも、空気はきっとおいしいよね~。虫は……多そうだけど」
その言葉に、智紀も少しだけ笑った。
(……助けてもらった)
結月の言葉は、まだ胸に刺さったままだ。
けれど、それをかばうように話題を変えてくれた二人の優しさが、今は救いだった。
そして——結月はもう一度、そっと箸を持ち直すと、何も言わずに視線を逸らした。
その横顔は、さっきよりもほんの少しだけ、険しさを和らげていた。
——すると、圭介が軽く首をかしげながら口を開いた。
「にしても、コンビニまで20分って……相当だよな」
「虫とか、出るでしょ? 夏とか特に」
結花が、話に乗るように笑いながら続ける。
「えっと……まあ、たくさんいたけど……慣れれば平気だったかも」
智紀がぽつりと答えると、圭介がやや大げさに眉をひそめた。
「無理だわ。虫だけは無理。なんかこう、あれだろ? 顔の前に網とか被って歩くんだろ、田舎って」
「え、それって本当にあるの?」
結花が吹き出しそうになりながら言ったところで、自然と笑いがこぼれ始めた。
空気が——すこしずつ、柔らかくなっていく。
そしてその中、誰にも気づかれないまま、結月の目がほんのわずかに伏せられた。
わずかな迷いがそこに宿っていたけれど——
智紀は、それに気づくことはなかった。
こんにちは紗倉です!
最後までお読みいただきありがとうございます。
唐突ですが皆さん虫は平気ですか?
私は圭介と同様に虫が大の苦手なので、夏は特に通勤時など虫の恐怖に怯えてます(´;ω;`)
(カメムシ、セミなど)
もし虫除け対策などオススメあったら教えてください〜!
それではまた次回お会いしましょう!