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第1話 フェデリカ、同期を嵌める

「なんだこの決済書は!」


財務省事務官室に怒声が響き渡る。


「……規定に従い決済」

「見苦しい! 下らん言い訳をするな!」

「申し訳ありません」


フェデリカは弁解の余地なしと悟り淡々と頭を下げた。


「もうこの仕事はしなくて結構。君に任せるから、アンヌンツィアータ、そなたは何もするな」

「……承知しました」


黙って頭を下げ、退出する。勝ち誇った様子の同僚とすれ違いざま、罵詈を囁かれた。

売女、無能、成り上がり、似非貴族……よくもまぁここまで出て来る、と思うような罵詈雑言の囁き声は、当人の耳に届くように音量調節までされた優れものだ。

フェデリカはなんてことはないように席に戻ると、過去の書類を確認するという不毛な作業を始めた。


カルロ六世13年、初夏。





とうとう仕事がなくなりそうだ。

フェデリカは庭園の隅でサンドイッチを頬張りながら思った。仕事の失態を押し付けられたり、ありもしない失態をでっち上げられて仕事を奪われたのは、仕事を始めて一ヶ月で既に五回目。残った仕事を指折り数えようとして一本しか指を折れないことに気付き、フェデリカは心の中でひっそり溜息を吐く。


「フェーデリカッ!」


背後からの衝撃に、フェデリカは体勢を崩した。あと髪の家数本分で薔薇の生垣に突っ込むところだった。振り向いた先にいるのは、数少ないフェデリカの友人だ。


「ラヴィニア。元気そうね」


ラヴィニア・クロエ・ディ・プロヴェンツァーレ。プロヴェンツァーレ子爵家の養女で、数少ない女官吏のひとりでもある。


「うん! 総務省、なかなか楽しくって! ディーはどう?」

「難しいところね」

「そっかぁ……」

「そんなに落ち込まないで。優しい方もいるから」

「ディーはいつも心配事隠すから信用ならない」


返す言葉がない。


「やっと追い付いた体力馬鹿め……」


そこでようやくもうひとりの登場だ。額に汗を滲ませ肩で息をついている青年の名を、カルミネ・ヴェナンツィオ・ディ・ラ・ヴァッレという。


「だーれが体力馬鹿よひょろひょろもやし」

「煩い黙れ単細胞」


こんな口を聞いているが、彼は王家の流れを汲むラ・ヴァッレ公爵家の次男であり、既に伯爵の地位を有している男だ。


「ラ・ヴァッレはどう? 内務省は大変だと聞くけれど」

「まぁ、大変ではあるがやり甲斐がある」


内務省は内政や人事を司る。


「それは何より」

「アホツァーレは良いとして」

「誰がアホツァーレよ」

「アンヌンツィアータは……」

「ディーは優しい方もいるって言うけど信用性何割だと思う?」

「三割だな」


そんなジト目で見ないでほしい。


「……ちょっと面倒くさい事態になってるだけよ」

「ちょっと」「面倒くさい事態」

「その様子だと、まだ噂は届いてないのね」

「……ちょっと待て、今朝方上官が『財務省も腐敗したものだ』と言っていたがまさか」

「えぇ。私が事務次官に色仕掛けをしたと噂になっているの」

「「何がどうしてそうなった!」」

「仲良いわね」

「「そこは問題じゃない!」」

「私が監査した書類が、同僚が監査したことになっていて。何回かそういうことがあったものだから、腹が立って少し細工をしたら、それが上官にバレてね。同僚は大目玉を食らって、そういう噂を吹聴したの。噂が流れないようにしようと試みたけれど、ダメね。ここでは伝手がない」

「事務次官殿は?」

「噂の鎮静に努めていらっしゃるわ。ルアルディ次官とて私との艶聞なんて面倒でしょうし」


財務省事務次官ルアルディ卿は27歳の好青年だが、未だに婚約者を置いていない。


「加えてそれを真に受けた長官が私に仕事を回さなくなったから、今仕事がないの」

「なんてことだ! 厳重に抗議を」

「今の私の言葉には一銭の価値もないわ」

「......何をする気だ?」


胡乱気なまなざしを向けられ、フェデリカは微笑んだ。


「――ちょっとした(自滅の)お手伝いを」

「なぁお前、私とアホが読唇術できるってわかった上で言ってるな? ついでに手伝わせようとしているな?」

「まぁ! ちょっとした頼み事よ、この前あなたにラーー」

「あーあーあーあーあー! 喜んで手伝おう、わが友よ」


ラヴィニアの好きな観劇のチケットが偶々二枚取れたから、と渡してあげたのは誰だったかしら、と言いかけた声はあーあーあーあーあーに掻き消された。うるさい、とラヴィニアは顔を顰めている。


「まぁ嬉しい」

「ディー、あたしも手伝うよ! 何すればいい?」

「ありがとう、ヴィー」


フェデリカは笑った。紫の瞳が弧を描く。


「――そうねぇ、まずは、鼠捕りから始めましょう?」




――数日後、ひとりの官吏が財務省から地方へ飛ばされた。理由は不貞。結婚間もない男は、あろうことか王宮の女官に手を出していたのだ。官吏学科の成績もよくなかった彼は、ついでに離縁もされていた。


「末恐ろしいなお前......いつの間にそんな情報を」

「いやだわ。私はいつも女官と親し気であることをラヴィニア経由で夫人に教えて、あなたから上官にそれとなく仄めかしてもらっただけだもの」

「あの官吏がいつ女官と親しくしていたんだ! 我々はまだ官吏になってひと月だぞ?」

「あら、あの男、昔から娼館に通っていたことで有名よ? 女官の誰それが可愛いという噂を流したら食いついてくれるかと思ったけれど、あんなに鮮やかに釣れるとは思わなかったわ」

「恐ろしいな......」

「安心して、女官の方も身持ちが悪い令嬢だし、夫人は想いあっている騎士と再婚するそうよ」

「用意周到すぎるんだっ!」

「まぁ、彼が左遷されたことで彼の仕事も見直されて、私の筆跡であることが証明されたから幸いね」


もはやカルミネはげっそりしていた。ラヴィニアはにこにこ笑っている。


「――お前だけは敵に回したくない」

「あら、私と敵になる予定が?」

「ないわ! 死ぬわ!」

「いやだわ、私、(物理的には)人を殺せないわ」

「だから読唇術ーー!」


カルミネの叫びが響き渡った。




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