序章 王弟殿下は令嬢を見かける
豪華絢爛な内装に、卒業を迎え華やいでいる学生たち。いや全く若いことだ、と一回りも離れていない後輩を見ながらレナートは思った。
「やぁ、レナート」
「おぉ、セヴァリアーノ。久しいな」
セヴェリアーノ・サムエレ・ディ・カスティリオーネ。小侯爵であり、この学園を総括する若き学園長。そして旧くからのレナートの友人であった。
「一年ぶりかな? 前に会ったのは君の外遊前だ」
「なるほど、道理で老けたな」
「僕は君と同い年だよ!?」
友人とふざけ合っていると、突然耳にこんな宣言が飛び込んできた。
「ベアトリーチェ・マヌエーラ・ディ・カヴァリエリ! 貴様との婚約を破棄する!」
水を打ったように静まり返ったホール内に、繊細な友人が落としたワイングラスが割れる音が細く響く。
「……レナート、今幻聴が」
「残念だな、幻聴ではないぞ。我が甥御殿は婚約破棄すると宣言した」
愚かな真似をするものだ。カヴァリエリ家の後ろ盾を自ら失くし、貴族界の信頼を失うようなことをするとは。
「代わりにジュリアマリア・アルテーア・ディ・デアンジェリスと婚約するっ!」
もはや友人の顔色は白を通り越して青くなっている。
「ほぅ、あれが噂のジュリアマリアか」
「やはり知っているのかい……今年からの編入した子なのに……」
「外遊中とて『耳』を動かさぬわけではないさ。さて、後釜はチェルレーティかそれともヴィアダーナか……」
レナートが呻吟していると、再び甥の叫びが聞こえた。
「貴様は私の寵愛を受けているジュリアを妬み、嫌がらせを繰り返したっ! 悪評を流し、教科書を隠し、ドレスを裂き、剰え階段から階段から突き落としたのだっ!」
「身に覚えがございません」
「この証拠を見よ! 証言者がいるのだぞ!」
「このような場で証拠を検分するのはよろしくありません。後日、陛下と父を交えお話ししたく存じます」
「はっ、逃げる気か!」
「殿下に恥をかかせぬためでございます」
「なんだと!?」
「証拠の信憑性も分かりませんもの」
「ふん、しっかりとした証拠だ」
カヴァリエリ嬢は紙を数枚拾い上げると、そこに書いてある証拠を次々否定していった。王妃教育で王宮にいた、友人邸でお茶をしていた……反駁の材料は、十分過ぎるほどだった。
「ほぉ、これはなかなか面白い」
「カヴァリエリ嬢を気に入ったのかい」
「いや。良い余興だが、私の好みではない」
「よかった……」
「何がだ」
「カヴァリエリ嬢がお前のような性悪の妻になるのはかわいそ……いやなんでもない」
「9割9分9厘口に出してるぞお前」
「ーそれで、わたくしが何をしたと?」
完全に制圧された甥はただ唸るだけだ。
「……っ、王太子に歯向かうとは不敬だぞ!」
「わたくしは過ちを正しただけですわ」
「黙れっ! 貴様は国外追放だ! 二度と顔を見せるなっ!」
そろそろ潮時か、と階下に声をかけようとした時だ。レナートは視界の端でひとりの令嬢の姿を捉えた。何故、とは言えない。ただ吸い寄せられるように視線を送った先、気になるものが見えた。
「ベル。あれはあの愚かな娘の姉か」
「あれ? 黒髪の令嬢かい?」
「そうだ。フェデリカ・ヴェルディアナ・ディ・デアンジェリス」
「残念ながらファミリーネームが違うね。彼女はアンヌンツィアータ辺境伯の養女となった。件のデアンジェリス嬢の異母姉という点では正解」
「いつ頃養女になった?」
「秋頃だったかな」
「理由は」
「彼女の義理の伯母、アンヌンツィアータ辺境伯夫人が娘を欲しがっていたこと、同い年の異母妹に縁談が吸い寄せられたこと、かね」
「ほぅ」
あぁ、とセヴェリアーノは嘆息した。
可哀想に。こんな厄介な男に興味を持たれるとは、ついていない。
「どこが気に入ったんだい」
「ー笑っていた」
「は?」
「愉快そうに、それはそれは愉快そうに」
あの娘は何を隠しているのだろう。考えるだけで胸が躍った。
レナートは心持笑顔を浮かべ、階下に向かって声を上げる。
「――我が甥御殿。それより先は国王陛下の権限だ」