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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

倫理の敗北

作者: 人間様

俺はクズだ。

知っている。

両親はとても良い人達だと思う。

けど、その遺伝子を受け継ぎ、その人達に育てられてなお、クズは生まれてしまった。


きっと手のかかる子だったと思う。

幼い頃から、俺はあまり出来のいい人間ではなかった。

だが、出来の悪さに気付かないほど木偶の坊でもなかった。

一般的に、これは大変素晴らしい教育だと揶揄されるだろうが、両親は俺に選択肢を与えてくれた、様々な価値観を教えてくれた、世界を広げてくれた。

その上で、俺は両親の背中を追いかけた。

そして、親との対比に苦しんだ。

これが、洗脳だったなら、どれだけ良かったことか。


視野の広さというのは、メリットだけでは無い。

自分より優れた人を知らなければ、劣等感に苦しむ事はない。

多様な価値観を知らなければ、自らの歪みに気付くことはなかっただろう。

自らの異常性に、劣等性に、気付いていながら、俺は自分を洗脳しようとした。

社会にとって、あるべき姿を知っていたから。

ただ、その度に、その理想は俺を苦しめた。

最初から自分を受け入れていれば、あるいは違ったかと考えたものの、自分が今まで正常で、少なくともそう振る舞えていたのは、自分への洗脳のおかげだと思うと、自らの救えなさに絶望する。


幼い頃、そのストレスは他人に向いていた。

他人と言っても、当たる相手なんて親以外に存在しないわけだけど。

相手は大人、こちらは力の弱い子供。

そういう認識のせいか、人に当たっても対象は大きく傷付かない、そう思っていた。

けど、そうではなくなった時があった。

中学生だったか、その前よりかは情緒に落ち着きが出だした頃、久しぶりの癇癪を起こした。

力加減を誤ったのではなく、今までの力加減ではダメになった、の方が正しいだろう。

中学生男子の、殆ど全力で蹴り飛ばされた母は、机の角に頭をぶつけ、血を流し倒れた。

当たり前の事だと分かっていた、が、その時初めて実感として、本当に暴力は人を傷付けるのだと、そう学んだ。

幸い、大事には至らなかったが、その後、父から見た事も無いような目を向けられ、殴られた。

尊敬する、素晴らしい倫理観を持ち合わせた父からの暴力は、その行為の悪性を随分と裏付けているようで、その日から、他人に暴力を振るうのは良く無いと、俺の脳裏に焼き付けられた。


次に、その行き場のないストレスは物に行った。

が、これは案外すぐに終わった。

傷つけている感じがしない。

物を投げたところで、疲れるだけ。

壊しても、何も無い。

感情が動かないのだ。

恐らく、体を動かすという意味で、ストレス解消にはなっていたのかもしれないが、何かが満たされなかった。

俺は、ここで初めて、自分の異常性を認識した。


そうして俺は、自分を傷付ける事にした。

やった事ない人からすると、マゾヒストなのかと、そう思うだろうが、そうではない。

勿論、自傷行為をする人には、それぞれ違う動機があるだろうが、大半は別の理由だろう。

俺の場合、それは感覚という部分にあった。

自分で自分を傷付ける時、傷付ける事への興奮と、痛みの両方を感じる。

それは俺にとって、俺の心を満たしてくれる数少ない感覚だった。


ただ、ここで一つ気付いた事がある。

つっかえるのだ。

殴るだとか、軽く切り付けるだとか、そこから抜け出せない。

その頃には、とっくに自死を考えていたから、包丁突き刺して死んでやろうとか、試してみたりしていたが、どうにも出来ない。

恐怖を感じる。

それは死ぬ事への恐怖だとか、痛みへの恐怖ではない。

もっと理由の分からない、漠然とした恐怖。

俺はそれを、俺の人間としての最後の抵抗だと思った。

それは、生物的本能から来るものなのか、それとも両親の素晴らしい教育の賜物なのかは分からないが、死という、倫理の根本に反する行為を行う事に、生物として恐怖を感じているんだと思った。

と、同時に俺は、そのリミッターを外した時、自分の異常性は剥き出しになるのだろうとも思った。


図ってかは分からないが、自傷行為の習慣は、そのリミッターを少しずつ、壊していった。

そうして、その日はやってきた。

自分の、切り口が重なり、もはや傷の数すら分からなくなった手首を、切り付ける。

力加減が、無意識に強くなっていて、血が止まらなくなった。

タオルで拭いて、そのタオルが真っ赤になっても止まらないような、そのくらいの量の血が出た。

止まらない、痛みという危険信号と、抜け出た血のせいか、少し力が抜けた気がして、その抜けた力と一緒に、今まで完璧には満たされていなかったあの感覚が、満たされていくような、消えていくような感じがした。

そうして、自分を傷付ける事に躊躇がなくなり、そして恐らく、それは他人にも向くであろうことを意識した時、俺は、心から笑顔になった。


それから一週間程経ったある日、通信販売で買ったサバイバルナイフを持って、山へ行った。

それは、恐らく殺傷衝動というよりかは、自分という存在を確認するためだったと思う。

途中で、虫を適当に踏んでみたり、切ってみたりして、その行為は純粋無垢な子供でもする事だったので、俺のその時の意図には足りなかった。

適当に歩き回っているうちに、ノネコを見つけた。

山まで来て猫か、とその時は思ったものの、確かめる対象としては十分だった。

捕まえるのにはかなりの時間と労力を用した。

もしかすると、捕まえられたのは相当ラッキーなのかもしれない。

息切れしながら、それでも確かに強い力で押さえつけられた猫は、恐らく威嚇しているであろう鳴き声を出していた。

もはや鳴き声を出すしか抵抗の手段がない猫に、若干の愉悦を感じ、息が少し落ち着いた頃にナイフを取り出した。

おかしな話だとは思うが、俺はグロテスクなものは結構苦手で、流血くらいなら見てられるが、ぐちゃぐちゃになった内臓が飛び出してきた辺りからは、臭いも相まって吐き気を催していた。

それどころか、途中からは命を奪った罪悪感や、きっとバレたら社会的な立場が危うくなるだとか、そういった人間的な後悔で、嗚咽を漏らし泣きじゃくっていた。

それでも、確かに感じる血の温もりと、命の消えていく感覚は、俺の感覚を満足させ、俺の殺傷衝動が、他人の命を奪えるほどのものだと、確信させる体験だった。


時間が経つと、感情は風化する。

猫を殺してから一ヶ月程経った今、その体験は一時的な感情ではなく、俺の本性なんだと、客観的に、そう思えるようになってしまった。

恐らく慣れだが、次に猫を殺しても、後悔も、そして感じるものも、あの時よりは随分薄いものになるだろう。

そのくらい、頭であの行為に納得してしまっている。


そうして俺は今、包丁を持って、笑っている。

今度の対象は、自分か、もしくは……。

両親に恨みなんてない、自分を精一杯育ててくれた事に感謝しているし、尊敬している。

が、刃先が両親に向かわないと、断じて言えない。

きっと両親を殺したら、その直後、いいやその最中にも、大きな喪失感を味わう事になるだろう。

それでも、俺は寝室へと、包丁を持ったまま向かっていた。

手が震える、抵抗されるだろうかと想像する。

殺した後、自分も死を選ぼうかと思案する。

なんだか、楽しい想像をしているみたいに、思考が止まらない。

きっと、今鏡を見たら、そこには化け物の顔が映っているだろう。


人間は、もとより化け物なのかもしれない。

その残酷さを、加虐性を、社会性で、倫理観で、抑え付けているだけなのかもしれない。

君が社会的に生きたいのならば、これは留意しなけれならない。

君が今まで学んだ道徳も、価値観も、倫理も、仮初でしかなく、むしろこちらが本性なのだと。

だから、その仮初の感覚を、あるいは人間性と呼称するそれを、壊さないように。


俺の倫理はもう、死んでいる。

ご拝読ありがとございました。

よければ、評価やコメントなど、お願いします。

ではまた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作品の倫理と人間観、面白いですね。 身体の障害と違って、心が欠けているのなんて傍目から見て分からないし、社会にも拒絶される。 でも、主人公は心が欠けているのがデフォだから、社会の望む「普通」…
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