愛欠乏症
「愛欠乏症ですね」
ボケ老人みたいな医者は、どうでもよさそうに俺にそれを言った。
「このまま誰からも愛されずにいたら余命3年ってところです」
「どうすればいいんですか!?」
「とりあえず誰かに愛されてください」
「そんなことを言ったって……!」
「お母さんとかでもいいんですよ? 誰でもいいんです」
「家族はわたしのことを皆、出来損ないだと思っていますので……。兄も、妹も」
「そうですか」
「何とかしたいのですが!?」
「人は愛がなくては生きてはいけません。このままでは冬の寒風に吹かれる中、あなた路上でおっ死ぬことになりますね」
「薬とかはないのですか!?」
「愛だけが薬です。私にはどうか愛されるように頑張ってとしか言えない。はい、次の方〜!?」
追い払われるように診察室を出ると、受付で診察料五千円弱を払わされ、俺は11月の街へとぼとぼと歩き出した。
死ぬのは嫌だ。
誰かに愛されなければ。
相談すべきはやはり家族だと思った。
帰宅したらいつもなら一言も発さずに二階へ上がり、自分の部屋でゲームをする。
しかし今日はそれどころではなかった。台所に行くと、煮鯖を作っている母の背中に声をかけた。
「俺……、愛欠乏症ってのにかかってるらしいんだ」
「そう」
「俺のこと、愛してくれないかな」
「無理」
すごすごと引き下がり、高校からもう帰っているらしき妹の部屋へ行った。
友達が来ているらしく騒がしい。俺はきちんと3回ノックをすると、ドアを開けた。
ぴたっと静かになった。
2人の友達も妹も、ホームレスのおじさんでも入って来たのを見るかのような顔でこっちを見た。
「何? 返事も聞かずに入って来ないで?」
睨みつける妹に、俺は何も言えなかった。
その友達が2人とも結構かわいかったのだ。彼女らの前で俺の病名など言えるわけもなかった。
兄も父も社会人なので帰りは遅い。まぁ、俺も社会人なのだが、派遣なので仕事のない日は家でずっとゲームをしている。
ネットで募集してみることにした。
幸い、俺はネットゲームをやっていて知り合いは多い。
まずは彼らにお願いしてみよう。
《俺、医者に愛欠乏症だって言われた》
《えー? それは大変だね!》
《ほっといたらすぐ死んじゃうんでしょ、あれ》
《なんとかしないとダメだよ!》
《頑張れ!》
そうやって励ましてくれるばかりで、俺のことを愛してると言ってくれるやつは一人もいなかった。
マッチングアプリを使ってみることにした。初めてなのでドキドキする。
しかし相手がどうやら業者だったようで、散々な目に遭わされた。
あてもなく外へ出て、街をさまよった。
誰か俺を愛してくれる人との偶然の出会いを期待したのだが、人々はただ俺の横を通り過ぎていくだけだった。
次の日、倉庫の仕事に行った。
いつも通り、誰とも必要以上の会話はせずに、黙々と商品の仕分け作業をする。
わからないことがあったので社員さんに聞きに行った。
ちょうど山崎さんがいたので後ろから呼び止めた。
山崎さんはいつも眩しい。
特別美人ではないのだが、寒々しい倉庫の中で見る彼女は必要以上に魅力的に見えてしまう。
「どうしました?」
少し口角を上げてそう言う声が軽やかで、倉庫内に花が咲く感じがする。
「あ……あのっ……!」
俺は思わず聞こうとしていた仕事のことではなく、別のことを言い出した。
「俺……昨日医者に行ったら、愛欠乏症だって言われたんです。ほっといたら3年の命だって。……で、その……僕と付き合ってもらえませんか?」
生まれて初めての勇気ある告白だった。
恥ずかしさに自分が爆発してしまいそうだったが、俺は最後まで言い切った。
「私、主人も子供もいるんですよ〜」
山崎さんが申し訳なさそうに微笑んだ。
「悪いけど、他を当たってくださいね」
そして逃げるような早足であっちへ行ってしまった。
黙々と作業を続けていると、派遣仲間の石山が前を横切った。
そうだ。石山なら……
俺は昼の休憩時間に石山と話をしてみようと決めた。
休憩室ではパートのおばちゃんたちが昼飯を食べながら楽しそうに会話をしていた。
俺は一番隅っこのほうで一人蒸しパンを食べている石山に近づいた。
向かいの席に座るとギロリと睨まれた。
「あの……。石山さん。話があるんですけど」
そう言うと石山は俺のことを邪魔そうにじろじろ見つめながら、甲高い声を出した。
「なんだよ。俺たち仲良しかよ? うぜーな。あっち行ってメシ食えよな」
20以上も歳上のオッサンにする話ではないような気がしたが、俺は切羽詰まっていた。明らかに嫌な顔をしている石山に、俺は切り出した。
「石山さん……、もしかして俺と同じ病気じゃないかなって、思って……」
「ハア!? 病気ィ!?」
「ええ。俺、愛欠乏症だって診断されたんです。昨日、医者に行って……」
「知らねーよ! プァッ! 恥ずかしい病気にかかってんな、おめー! プァッハッハ!」
「石山さんは違うんですか?」
「失礼だな! おめー!」
信じられなかった。いつもぼっちでいて、誰とも会話をせず、それゆえ仕事でミスしてばかりいる石山なら俺の気持ちがわかるどころか間違いなく同じ病気だろうと思ったのだが……。それなら利害が一致するから、俺と愛し合うことを提案してみようと思ったのだが……。
もしかして母親に溺愛されているとかなのだろうか……。
それとももしや、何かマニアックな趣味を持っていて、どんなのか想像もつかないけどその仲間と愛し合っているとかだろうか?
単刀直入に聞いてみた。
「石山さんが愛欠乏症でないなら、誰に愛されているんですか?」
即答されてしまった。
「うるせー! あっち行け! キモいぞてめー!」
「教えてください! 参考にしたいんです! 僕があと3年で死んでもいいって言うんですか!?」
「いーよ! 死ねよ! うぜーわ、てめー!」
「どうすれば石山さんみたいになれますか!? お願いです! 教えてください! 死にたくないんです!」
『石山さんみたいになりたい』と言ったのがよかったらしい。急に嬉しそうな笑顔を浮かべると、あっさりと教えてくれた。
俺のほうへハエのような顔を近づけてくると、小声で耳打ちする。
「俺はな、神から愛されてんだよ。自分で自分のこともめっちゃ好きだ。自分を愛してる。それを保つために誰とも自分を較べねー。それで……」
そこまで聞くと、俺は「ありがとうございました」と言って立ち上がった。
そういうのは自分には無理だと思ったからだ。なぜなら俺は自分のことが嫌いだった。
仕事帰り、いつもの町が美しく見えた。
クリスマスが近づいて、イルミネーションやキラキラした飾りつけをした建物が増えて来たというのもあるが、そのためだけじゃなかった。
自分が近いうちに死ぬと知ったら、なんだか世界が愛おしいと思えはじめてしまったのだ。
死ぬまでに何かをしよう。
死ぬまでに、世のためになる何かをしたい。
そう思うようになっていた。
派遣の仕事で稼いだ金は今まですべてゲームに費やしていたが、世界の貧しい子供たちのために募金をするようになった。街角でマッチを売っている少女がいたら定価の3倍の値段で買ってあげたり、路上ライブをする夢に溢れたミュージシャンの卵にはお札をプレゼントしたりするようになった。
俺は世界を愛していた。
自分が愛の世界を作り出しているといえた。
しかし、俺は3年後、死ぬのだろう。
誰も俺を愛してはくれないからだ。
こんな人生をくれた神を、俺は憎めなかった。
愛されてもいないのに、自分まで愛することをやめたら、それこそ愛はどこにもなくなってしまう。
それは自分が死ぬことよりも、嫌なことだった。
神様、こんな美しい世界を俺に見せてくれてありがとう。
メリー・クリスマス。
どうかリア充ども、俺の代わりに幸せに。