都市伝説夫婦
これが倦怠期なのでしょうか……。
ソファで雑誌を読む妻を見ながら僕はそんなことを思った。最近の妻はずっとあんな調子だ。明らかに会話が減った。もう僕には飽きているのかもしれない。
僕らの出会いは、エレベーターの中だった。そのときの僕は、異世界に行くための都市伝説に挑戦していた。とある順番でボタンを押していくと、最後に異世界に行ける、というものだ。
僕は最後のボタンを押して、エレベーターはその階に降りた。目の前に髪の長い女性がいた。異世界最初の住人との対面である。僕はおそるおそる声をかけた。
しかし、あんな都市伝説はただのデマで異世界転生などはしていない。それなのに女性はまるで異世界の住人であるかのように振る舞った。あの頃から妻はイタズラが好きな性格だったのだ。
出会いが都市伝説なら、倦怠期の脱出も都市伝説だ。僕は「飽きた」という言葉に心当たりがあった。ちょうどいい都市伝説がある。
「あの……」
妻に声をかけ、一枚の紙を渡した。その紙には六芒星が描かれている。
「この六芒星のまんなかに『飽きた』と書き込むと異世界に行ける。そういう都市伝説があるんですけど、やってみませんか……?」
妻は無言のまま、紙とペンを受け取り、六芒星の中に文字を書いた。乗ってくれたのだ。
書き終わり返された紙には、こんな風に書かれていた。
『ごはん、あっためて食べてね』
「もう寝るんですか……?」
僕は肩を落とした。まるで取り合ってもらえない。かつての妻なら楽しそうに都市伝説に挑戦してくれたのに。
それでも僕はめげなかった。ふたたび六芒星の紙を用意して妻に手渡す。
返ってきた紙にはこう書かれていた。
『たまねぎ、ひき肉、たまご』
「買ってこい、と……?」
どうやら妻は、この紙をメモ用紙かなにかと勘違いしているらしい。
「……」
スーパーの袋を抱えた僕が帰宅すると、妻は相変わらずソファに座って雑誌を読んでいた。
「今度こそ、お願いしますよ。異世界転生の都市伝説です。『飽きた』と書いてくださいね!」
僕は紙を渡した。
返される。
『実家に帰らせていただきます』
「やっぱりそうなんだ……!」
僕は涙目になった。
でも仕方ないのかもしれない。最近は仕事が忙しいという理由で、一緒に出掛けることも減った。たまの休日くらいゆっくりさせてくださいよ。そんな言葉を何度も繰り返した気がする。
最初に渡した六芒星に目を落とす。
『ごはん、あっためて食べてね』
やけに書き慣れた文章。僕は妻に何回くらいこの文章を書かせたのだろうか。妻は夕飯に帰らない僕を待ちながら、どんな気持ちでこのメモ書きを残したのだろうか。
こうなって当然だ。妻に寂しい思いをさせておきながら、なにが倦怠期だ。被害者ぶるな。僕は自分を責めた。
そのとき、ソファに座る妻が紙になにかを書き始めた。
その紙を渡される。六芒星が書かれ、そのまんなかには、
『秋田』
と書かれていた。
「……アキタちがいですよ。これだと異世界じゃなくて秋田に飛びそうです」
妻はまた、紙に六芒星を書いた。
そして、渡される。
『ハワイ』
「ですから、これだと異世界ではなくてハワイに……」
その瞬間、気付いた。
妻が読んでいる旅行雑誌の表紙にデカデカと書かれた文字に。
「もしかして……行きたいんですか?」
「アロハオエ〜」
今日の夕飯はロコモコだ。