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ブギーマンに魅入られた記憶喪失の青年神官

― これは、私が彼と出会うきっかけになった物語 ―



 街と呼ぶには申し訳ないくらい、片田舎にある「ベロニカ」。私は生まれた時から17年間、一度もこの街を出たことは無い。今日も父の言いつけで、青空の下で栗毛色のおさげ髪を揺らしながら、父のお酒を買いに酒屋へと向かって歩いていた。


「全く・・父さんたら・・母さんがいなくなってから、すっかり府抜けた状態になっちゃって・・。」


「おーい!ローザッ!」


ぶつぶつ文句を言いながら歩いていると背後で幼馴染のジャックの声が追いかけてきた。


「何?ジャック。」


ジャックはそばかすが目立つ赤い巻き毛の少年だ。走って来たのかハアハアと息を切らせながら隣に並ぶと一緒に歩き始めた。


「ローザ、親父さん・・・相変わらずなのか?」


「うん・・駄目ね。あれ程腕の良い銀細工の職人だったのに・・お客さんの注文だって入っているのにちっとも父さんが働いてくれないから、私が代わりに造っているんだからね。」


「へ~・・すごいじゃないか、ローザ。」


ジャックが目を丸くして私を見た。


「あ!ちょっと・・今の話は絶対に内緒だからね?分った?!」


「わ・・分かってるよ・・・。あ、あのさ・・ところでローザ・・。」


ジャックが突然モジモジしながら私を見た。


「何?」


「来週・・収穫祭の祭りがあるだろう・・?お、俺と一緒に遊びに行かないか?」


「来週・・・。」


う~ん・・そう言えば収穫祭の翌日は銀の燭台の納品日だったっけ・・。


「ごめん、行けないわ。」


「ええっ?!そ、そんな・・即答かよっ!」


相当ショックを受けたのか、ジャックは足を止めてしまった。


「うん、その翌日は商品の納品日なのよ。遊んでいたら間に合わないもの。」


「ちぇっ・・・ローザの親父さん・・早く立ち直ってくれればいいのにな。」


ジャックは寂しげに言う。


「仕方ないよ。それに・・うちだけじゃないしね・・・。」


私がポツリと言うと、ジャックも真剣な顔つきになる。


「そうだよな・・・。ローザの母さんで・・この町で行方不明者が出るのは25人目だしな・・。」


「うん・・。」


そう、ここ「ベロニカ」では3カ月ほど前から町の住人たちがある日突然行方不明になる事件が勃発していた。最初は若者が多かったので、この町に嫌気がさして出て行ったのだろうと言われていたけれども、いつしか老若男女問わずに人々が忽然と、まるで神隠しにあったかのように姿を消し始め、ついに町の警察署が捜査に乗り出し始める事態になった。けれども未だに犯人の目星がついていない。


「ローザ、お前・・・絶対に行方不明になんかなるなよな?」


神妙な顔つきでジャックが言う。


「やだな~突然何言い出すの?大丈夫だってば!あんな状態の父さんを残していなくなるはずないでしょう?そういうジャックだっていなくならないでよ?もうこの街に残る同級生はジャックだけなんだから。」


この街にはハイ・スクールが無い。だから友人たちは皆別の町へと行ってしまった。残ったのは進学しなかった私とジャックの2人だけであった。


「ああ、分ってるって。お前に内緒でいなくなったりするもんか。」


いつの間にか私とジャックは話をしながら町の中心広場まで歩いていた。中心広場の真ん前にはこの町の町長さんの屋敷が建っている。3階建ての白い壁に赤い屋根のそれは立派なお屋敷で、私達「ベロニカ」に住む人々の憧れの屋敷でもあった。

アーチ形の立派な門構えの屋敷をみながらジャックが言った。


「そう言えばさ・・・このお屋敷にずっと身体の弱いお嬢様が住んでいたよな?」


「そうね?会ったことは無いけれど・・。」


「いや、それが実は俺・・3日程前に初めて会ったんだよ。あの門からこっちをじっと覗いていたんだよ。」


ジャックは門を指さしながら言った。


「へ~・・どんな人だったの?」


「金の髪の・・ものすごい美人だった。」


「・・・そっか。」


「でも・・何だか背筋が寒くなったな・・・。」


「え?そうなの・・?」


「ああ・・・。出来れば・・もう二度と会いたくはないな・・・。」


ジャックは顔を青ざめさせていた。何だか妙だ。ジャックは子供の頃から度胸があり、真夜中に墓地だって1人で行けるくらい肝が据わった男なのに。


「ジャック・・・。」


そこまで話した時、私の目的地である酒屋に到着した。


「あ~・・残念だったな。もっと話したかったけど・・・それじゃ、俺もこれから仕事だから。」


ジャックは町の食堂で働いている。酒屋の隣がジャックの職場なのだ。


「うん、それじゃあね。」


ジャックは笑顔で手を振る。


「うん、又な。」


私とジャックはここで別れた。そして・・これが私がジャックを見た最後の日になってしまった。




****


 町はずれのほぼ森の近くに私と父さんの住む家がある。


「ただいま~父さん。」


酒屋さんで買って来たお酒を袋に入れて帰って来ると、父さんの気配が無い。いつもならテーブルを前に椅子に座ってお酒臭い身体でぼんやり過ごしているのに・・。


「あれ・・?おかしいな・・・?何所に行ったんだろう・・?」


我が家は3つの部屋がある。台所兼リビング、父と母の部屋、私の部屋、そして仕事部屋・・・それら全ての部屋を覗いてみても何所にも父の姿は無かった。


「変だな・・・?」


その時、台所の勝手口が少しだけ開いているのに気が付いた。そこから先は森へ続く中庭が続いている。


何だろう・・?何となく嫌な予感がする・・・。

そっと勝手口のドアを開けたとたん、プンと鉄のような匂いを感じた。


「え・・?」


何・・この匂い・・・。恐る恐る匂いが強く漂う方向へ歩いて行き・・


「!」


思わず悲鳴を上げそうになった。地面に真っ赤な血が大量に飛散っていたからだ。しかもまだ時間があまり経過していない様子に見えた。そして血だまりの中に・・・。


「う・・嘘でしょう・・?」


父さんが外出時にはいつも被っていた帽子がそこに落ちていた。茶色の帽子は血によって赤黒く染まっている。

ま・・・まさか・・これは・・・父さんの血・・?この血だまりを見れば、生きていることが不可能ではないかと思われる有様に私は気を失いそうになった。


「ううん・・・違う。きっとこれは父さんの血じゃない・・獣か何かの血よ・・・。」


ガチガチ歯を鳴らしながら、私は家の中に駆け込んで勝手口のドアに鍵を掛けた。

そして玄関も鍵をかけると窓と言わず、外から侵入できそうな箇所は全て鍵を掛けると自分の部屋に駆け込み、毛布を被った。


「大丈夫・・・父さんなら家の鍵を持っているから・・鍵を掛けていても家の中に入れるわ・・・。」


ガタガタと震えながら私は自分に言い聞かせた。

けれど・・結局父はその日帰って来る事は無かった。その翌日も―。



****


父さんがいなくなって3日が経過していた。私はなすすべも無く帰りを待ちながら父さんに代わって銀細工の加工の仕事をしていた。


ぐ~・・・・


お客さんの依頼でシルバーリングのアクセサリーの加工をしている時、突如派手に私のお腹が鳴った


「お腹・・・すいたな・・・・。」


時計を見ると1時を指している。夢中になっていて気付かなかったけど、朝の7時から仕事をしていてから、なんと私は6時間も仕事に没頭していた事になる。


「そう言えば今日はまだ何も食べていなかったっけ・・・。」


お腹をさすりながら、台所へ行き・・・そこで私は気が付いた。父さんが行方不明になって・・私は1人きりになってしまったから、すっかり食事についておろそかになっていたことに。


「そう言えば食べ物も保存食も何も無かったっけ・・・。」


仕事の手を止め、買い物に行く事にした。肩掛けかばんにお財布を持つと私は家を後にした―。



****


「ふ~・・・久しぶりに大量に買い物したわね・・。」


 町で野菜と果物、保存食の干し肉を買った私は青い空の下、自分の家へ向かって歩いていた。私の家は林の間の1本道を歩いて行けばやがて家に着くと言う分りやすい場所にある。

荷物を抱えて歩きながら空を見上げれば青空がどこまでも広がっている。まるでピクニックにでも行きたくなるような陽気だった。そして父と母の事がふと頭をよぎる。


「はあ~・・・・お父さん、お母さん・・・たった1人きりの娘を残して本当に何所に行ってしまったのよ・・・。」


呟いたその時・・。


「う・・・。」


すぐ傍で人のうめき声が聞こえた。


「え・・?」


何だろう?空耳かな?立ち止まって耳をそばだてると再び右側からうめき声が聞こえてきた。


「うう・・・・。」


「な、何っ?!」


咄嗟に足元に落ちていた棒を拾い上げると、私は声の聞こえる方向へ向かってゆっくりと近づいて行った。


「!」


すると1本の太い木の根元に教会の神父さんが着るような青い法衣にショートブーツを履いた若い男性が寄り掛かるように、目を閉じてそこにいた。首からは大きなロザリオを下げ、背中に剣を背負い、腰にも剣を差していた。髪の色は私と同じ栗毛色をしている。


「うわ・・・神官様だわ・・・。でも・・し、死んでいるのかしら・・?」


この街は教会が無い。だから週に一度の礼拝には隣町から神官がやってきて、祈りを捧げてくれる。だから、尊い人と言われてこの街では崇められているのだ。何しろこの街の掟は「神官様に会ったら親切に!」を掲げているほどなのだから。


すると再び神官から呻き声が漏れて来た。


「う・・み、水・・。水を・・。」


えっ?!生きていたのっ?!


「お水ねっ?!分かったわっ!」


私は駆け足で家に向かうと、家の中から木の桶を持って庭に設置してあるポンプで水を桶にくみ出すと、こぼさないように慎重に神官の元へと運んだ。


「神官様、お水・・持ってきましたよ?」


「・・・。」


ど、どうしよう・・・!反応が無いっ!まさか私がもたもたしているから死んでしまったのだろうか?!


「神官様っ!お水ですよっ!」


私は水を右手ですくって、ちょうど斜め上を向くような姿勢で座っている神官の口に水を垂らしてみた。すると・・・・。


「あ・・・み、水・・。」


薄目を開けて神官が呟いた。


「あ、意識が戻ったのですね?!そうです!水を持ってきました!」


すると・・・。


ガバッ!


突然神官は身を起こし・・


ドブーンッ!!


いきなり水桶に顔ごと突っ込んだ。


「キャアアアアアッ!!」


何っ?!何っ?!一体何なの?この人っ!


「んぐっんぐっ」


神官は桶に頭を突っ込んだまま水をゴクゴク飲み干し、最後に桶を持つと上を向いて一気に飲み干した―。


****



「ふう~・・」


神官はトンと地面に桶を置くとニコニコしながら私に言う。


「どうもありがとうございます。お嬢さん。お陰で命拾いしました。」


「は、はあ・・・。」


それにしても驚きだ。この神官・・・今まで見たことが無いくらいの美形だ。しかし・・・頭から水桶に突っ込んで水を飲むようなおかしな男だ。一応神官の姿はしていけれども剣を2本も所有しているなんて怪しすぎる。見ると、彼の首からは大きなロザリオがぶら下がっている。


「あの~・・・。」


私は地面に正座しながら尋ねた。


「貴方は何処の町の教会の方なのでしょうか?教会の所属名とお名前を教えて頂けますか?」


すると彼は照れ臭そうに言う。


「いや~・・・・実は・・僕は神官では無いんですよ・・。」


「え?だ、だって・・・どう見てもその服装・・・神官様ではないですかっ?!そんな立派な法衣を着て・・しかもとても豪華なロザリオをぶら下げているじゃないですかっ?!大体それ・・・・水晶ですよね?」


「ええ、そうです!よくご存じですね?でも・・本当に神官では無いんです。」


彼は申し訳なさそうに言う。


「あ、貴方・・・神官でもないのに・・そんな法衣を着ているなんて・・は、犯罪ですよっ?!警察を呼びますよっ?!」


私は立ち上がり、ニセ神官を指さした。


「わーっ!お願いですから、大声でそんな事言わないで下さいっ!」


ニセ神官は必死になって頭を下げる。


「頭を下げるって事は・・聖職者でもないのに、神官の姿をするのは犯罪だと分かっていてやっているんですよね?!その服を着ていれば、人々から寄付を募れますものねっ?!」


そう、神官は家々を回って寄付を募れる。そして訪ねられた家は寄付を断るわけにはいかないのだ。


「ですから、僕は寄付を募る為にこんな格好をしているわけでは無いんですよっ!」


「それじゃあ一体何故、そんな姿をしているんですっ?!」


「そ、それは・・・。」


神官が言いかけた時・・・突然、林の木々がざわざわと騒ぎ出し、辺りの空気がひんやりしてきた。次の瞬間・・・突如、頭上で声が聞こえた―。


< ついに・・この街までやって来たか・・・?フェイクのくせに・・。>


「え?一体何ッ?!」


慌ててキョロキョロ見渡し・・・


「ヒッ!」


私は悲鳴を上げた。すると林の奥から今まで見たことも無いような真っ黒な狼のような生き物がノソリと現れたのだ。その大きな口からは牙が見え、真っ赤な舌が伸びている。身体には不気味なオーラのようなものがまとわりついている。


「あ・・・な、何・・?あの生き物は・・?」


「し・・・静かに・・危ないから下がっていて・・。」


突如、彼の雰囲気が変わった。それまでのどこかおちゃらけた態度から一変、凛とし佇まいで腰の剣を握りしめて低く構えている。


< 全く・・しつこい男だ・・・だがいくらあがいても無駄だぞ・・? >


獣は頭の中に語り掛けて来る。


「さあ・・それはどうかな?君たちを倒し続けてきたらかお陰様で大分自分の記憶を取り戻せているよ?」


ニヤリと笑みを浮かべながら彼は言う。


< だまれ・・所詮その身体などフェイクのくせに・・! 死ねっ! >


「あいにく・・僕はまだまだ死ねないのさっ!僕自身を奪った全ての『ブギーマン』達を倒すまではねっ?!」


え・・?何?僕自身を奪った?ブギーマンって・・・一体何?


私には何の事かさっぱ分からなかった。


獣が彼に向って走って来る。そして剣を鞘から引き抜く彼。


< 死ねえっ!!>


勝負は・・一瞬でついた。彼は頭上からとびかかって来る獣の攻撃を素早く避け、剣を大きく振り払い、獣の身体を横に大きく切り裂いた。


ザシュッ!!


彼に剣で切られた獣は一言も声を発することも無く、チリのようにかき消えた―。



****



「ふう・・。」


チン・・・・


神官は剣を鞘に納め、私の方を振り向いた。


「大丈夫でしたか?」


「あ・・・な、何?今のは・・・?」


「ああ?あれは・・・『ブギーマン』の使い魔ですよ。」


「え・・何?『ブギーマン』て?」


「ええっ?!もしかして・・ブギーマンを知らないんですかっ?!」


神官は心底驚いた顔をする。


「ええ、知らないわよっ!知るはずないじゃないのっ!」


そんな名前知らない。初めて耳にする。それなのに・・何よ。この男は。ちょっと顔がいいからと言って田舎者の私を馬鹿にしているのだろうか?


「ええと・・・つまりブギーマンというのは・・・。」


そこまで彼が言いかけた時・・・。


グウ~・・・


私と彼から同時にお腹のなる音が聞こえてきた―。




****


「いや~・・・それにしても有難うございます。僕まで食事に呼んでもらえるなんて・・。」


彼はニコニコしながら私の向かい側の椅子に座っている。


「仕方ないでしょう・・・?お腹を減らしている人を見捨てる事なんて出来るはずないじゃない。」


ましてや神官の姿をしていれば尚更だ。

私はテーブルの上に料理を乗せていく。町で買って来たパンの中に塩漬けあぶり肉を野菜で挟んだサンドイッチ。あまり野菜で作った野菜スープに、手作りのチーズ。


「はい、どうぞ食べて。」


全ての料理を並べて椅子を引いて座ると、彼は目をキラキラさせて両手を胸に組んでロザリオを握りしめながら言う。


「ああ、飢えている者に食べ物を用意して下さるとは・・何と慈悲深いお嬢さんなのでしょう。貴女に神の御加護がありますように・・。」


「ちょっと、待ちなさいよ。貴方・・本物の神官じゃないんでしょう?偽物のお祈りなんか捧げて貰ってもありがたみも何も無いわよ。それより早く冷めないうちに食べましょう?」


「ええ、そうですね・・・。では頂くことにしましょう。」


そして私達は一緒に食事を始めた―。



「美味しいっ!すごく美味しいです!お嬢さんっ!」


彼は一口食べるたびに笑顔で美味しい美味しいと言って喜んでくれている。・・何だかこういうのいいな・・・。母さんがいなくなるまでは・・こんな食卓だったのに・・。母さんが消えたとたん、父さんは飲んだくれになって、食事の時間もぶっきらぼうで・・・・。思わずしんみりした気分になってしまった。


「お嬢さん・・?どうしましたか?」


突然彼が話しかけてきた。


「う、ううん!何でもないわ。そんな事よりも、私にはローザって名前があるんだからお嬢さんて呼ばずにローザって呼んでくれる?」


「分りました。ローザですね。」


彼はじっと私の目を見つめて言う。う・・何か、無駄な位に顔が整っているから見つめられると照れてしまう。


「そ、それで・・貴方の名前は何て言うの?」


すると、途端に彼の顔が曇る。


「え・・?どうしたの?私・・何か気に障る事言った?」


「いえ・・実は・・僕、自分の事が分らないんです・・。」


「え?分らない・・?それってどういう事なの?」


「僕は・・ある日を境に記憶喪失になってしまったんです。名前も・・家族も・・・何所に住んでいたのかも・・。」


「え・・?」


あまりにも重たい話で、何と声を掛ければ良いのか分からなくなってしまった。すると彼は言った。


「あ、でもこの間一つ思い出した事があるんですよ?僕は自分の年齢を思い出しました。現在23歳、多分独身です。僕は自分自身を取り戻すために旅を続けているんですよ。」


「23歳・・・。」


私より6歳も年上なのか・・童顔だからまだ成人年齢には達していないかと思っていた。


「あ、でも旅に出れば思い出すんだね?でも不思議ね~旅に出れば記憶を取り戻せるなんて・・。」


すると彼は言った。


「いやいやまさか・・・旅に出るだけじゃ記憶なんて取り戻せないですよ。僕が旅を続けているのは世界中に散らばっている『ブギーマン』を倒す為なんです。この街にも『ブギーマン』がいる為に訪れました。」


ブギーマン・・?私は聞き覚えの無い言葉に首をかしげた―。



****


「え・・?ブギーマン・・?ブギーマンって何?」


すると彼は大げさなくらいに驚いた。


「えっ?!ま、まさか・・・ローザは『ブギーマン』を知らないのですか?今や世界中で『ブギーマン』について騒ぎになっているのに・・。この間まで僕がいた街でも新聞に載って大騒ぎになったんですよ?」


その言い方が何となく気に障り、私は言い返した。


「な、何よ!さては貴方この街が田舎だからと言って馬鹿にしてるでしょうっ?!」


「い、いえ。馬鹿になんてしていませんよ。ただ・・・かなり驚いているだけです。何故この街では『ブギーマン』の存在が知られていないのか・・。大体国をあげてお触れを出しているというのに・・それぞれ市長や町長、村長などに教会から知らせが届いているはずですよ?ひょっとすると・・この街の町長が『ブギーマン』の存在を隠蔽しているのかも・・・。」


彼は考えこむように首をひねっている。


「ねえ、それよりも『ブギーマン』て何?教えてくれる?」


すると彼は今迄とは違い、急に顔つきが変わった。


「『ブギーマン』というのは恐ろしい悪霊のようなものです。実態というものが存在せず、霊体となって空中に漂っている・・そして憑りつきやすい人間に憑依して、最終的には・・宿り主を殺し、その身体を完全に乗っ取ってしまいます。また『ブギーマン』は人の血肉を何よりも好み・・4日に1回は血肉を食らわなければその肉体を維持できません。その為に人間社会に溶け込み、昼夜を問わず、飢えを感じれば人を襲います。そして僕は・・世界中に存在している『ブギーマン』を討伐する為に旅を続けているのです。」


「そんな・・・それじゃ・・まさか・・・?」


私はその話を聞いて背筋が寒くなる思いがした。


「何か心当たりがあるのですか?」


彼は身を乗り出してきた。


「う、うん。実は・・この街では3か月程前から人が突然行方不明になると言う事件が起こっているの。もう30人近く既にいなくなっているわ。ううん・・本当はもっと大勢いなくっているかもしれない・・・。でもちょっと待って・・・。さっきの話だと『ブギーマン』は血肉を食らうっていってたけど・・それって・・?」


すると彼は目を伏せると言った。


「・・・文字通り・・・人間を食べると言う意味です・・。」


え・・・?食べる・・食べるって・・そ、それじゃ・・あの血だまりはやっぱりお父さんの血だったの・・?!


「そ、そんな・・・っ!いやああああっ!」


私は頭を抱えて絶叫した。


「どうしたのですかっ?!ローザッ!!」


彼が驚いたように私を見る。


そ、そんな・・・!母さんは半月ほど前に突然いなくなってしまった。そして父さんは3日前にいなくなってしまった。しかも・・・誰の血なのかは分からないが・・勝手口を出たところで大量の血だまりが出来ていた。そして血だまりの中に落ちていた父さんの帽子・・!


「と、父さん・・・母さん・・・!」


見る見るうちに私の目に涙がたまり・・・。


「ウアアアアアアアンッ!!」


机の上に突っ伏して・・・人前だと言うのに泣き崩れてしまった。


「ローザ・・・。」


突っ伏して泣く私の傍に、彼が近づいてくる気配を感じた。そしてそっと髪の毛に触れる。私は彼の温もりを傍で感じながら、いつまでも無き続けていた―。



****


 どのぐらい経過したのだろうか・・・。気付けば私は泣きながら眠ってしまったようで目が覚めたら自分のベッドの中にいた。ベッドサイドにはランタンが灯され、窓の外を見れば、星々が輝き、月が見えた。今夜は満月だったが・・・オレンジ色の妙にまがまがしい色をしていて、私の心を何となく不安にさせた。そこで気が付いた。


「そうだ!あの人はっ?!」


慌てて部屋を飛び出すと、彼は窓の傍の床の上に座り剣を抱えたままこっくりこっくり船を漕いでいた。月明かりに照らされた彼の姿は・・・悔しい程に美しかった。


「ね・・ねえ・・。」


私は彼の肩に手を置き、揺すぶった。すると次の瞬間―


バッ!


彼は瞬時に目を覚まし、まるで人間とは思えぬほどの動きで素早く後ろにとび下がると同時に私の喉元に剣の切っ先をあてがった。


「あ・・・・。」


あまりの恐怖に身動きが出来ない。すると彼はハッとなって急いで剣を床の上に置くと、頭を床に擦り付けるように土下座をしてきた。


「す・す・すみませんっ!『ブギーマン』かと思ってつい・・・!」


「な・な・・・何するのよっ!私を殺す気っ?!」


喉元を押さえながら抗議した。


「い、いえ・・・!そんな事は決してありませんっ!た、ただ・・今夜は赤い月夜なのでいつも以上に神経が過敏になってしまって・・!」


「え・・?赤い月・・・?」


私は窓から夜空を眺めた。確かに今夜は月が赤く見えるけど・・・。


「ねえ・・月が赤いと・・どうなるの?」


すると彼は途端に顔つきが変わる。どうも『ブギーマン』の話になると人格が変わるようだ。


「赤い月の夜・・<ブラッディ・ムーン>の夜は・・・『ブギーマン』が活発に動くと言われています。実際他の国ではこの月夜に一晩で3人も犠牲者が出たことがあります。」


「そ、それじゃ・・・今夜も出るかもしれないと・・・?」


声が恐怖で震えてしまう。


「ええ・・・特にローザさんは注意してください。『ブギーマンは』一家族を狙ってくる場合があります。」


「え・・?何故・・?」


「『ブギーマン』は元は人間の身体を乗っ取っています。どこか人間的な考えをもっているようで・・・家族が犠牲になって1人だけ残すのは忍びないと・・・って!な、何故僕をそんな目で睨むんですかぁっ?!」


「それって・・・つまり私が次の犠牲者になるかもしれないって事でしょうっ?!」


興奮のあまり、右足をダンッと彼の前についた。


「ひいっ!」


彼は後ずさりながら私を怯えたように見る。全く・・・『ブギーマン』の事になるとまるで人格が変わったようになるのに、それ以外は何というか頼りない青年だ。


「す、す、すみませんっ!で、でも安心して下さいっ!必ず狙われると言う訳ではありませんし・・・僕がついていますから!」


「本当に・・・?何だか貴方・・・頼りないのよねえ・・・?」


「う・・す、すみません・・・。」


その時・・・突然周囲の空気が冷たくなり・・・何処からともなく風が吹いてきた。

テーブルの上に置いておいたランタンの明かりが風によってフッと消え・・部屋の中が真っ暗になった。


「キャアアアッ!」


私は怖くなって思わず彼にしがみつく。


「落ち着いて下さい、ローザッ!」


彼は左手で私をしっかり抱きしめると、スラリと右手で剣を構えた。すると何処からともなく声が聞こえて来た。


「ローザ・・・。」


「え・・?そ、その声は・・・。」


「ローザッ!駄目ですっ!耳を貸してはっ!『ブギーマン』は人の心を幻惑しますっ!」


彼は叫ぶが、私にはその声に聞き覚えがあり・・無視すること等出来なかった。


「ま・・・まさか・・そ、その声は・・・ジャック・・・?」


「ローザッ!駄目ですっ!奴が・・奴が実体化するっ!」


彼が叫んだ―。





****



「え?何?実体化って・・?」


私は驚いて彼を振り返った。


「・・・もう遅いです・・・。」


彼は真剣な表情で腰を低く落とし、いつの間にか剣を構えていた。


「ローザ・・・お、俺・・・。」


ユラリと暗闇の部屋から何者かが立ち上がり・・ミシッミシッと床を踏み鳴らしながらゆっくりこちらへ近づいて来る。


「あ・・・。」


まるで腐った肉のような強烈な刺激臭が濃く漂って来た。


「ローザ・・・僕の後ろにさがっていて下さい。」


彼は私を守るように一歩前に進み出た。


「だ・・・誰だ・・・?お前・・・お、俺のローザに・・きやすく・・近付くなよ・・。」


ギシッ・・


足音がより一層近付き・・月明かりの届く場所まで近づいて来た。そして青白い光に照らし出された姿を見て私は絶叫してしまった。


「キャアアアッ!!」


それはジャックだった。いや・・・かつてジャックだった化け物だった。左腕は今にもちぎれそうにブランブランと揺れ動き・・ブクブクと緑色の泡が噴き出している。身体のいたるところは腐りかけ、両目は空洞になっていた。腐りかかった肌は歩くたびにボロボロと崩れている。


「ローザッ!見ては駄目ですっ!目を閉じて!奴の言葉に耳を貸してはいけませんっ!」


彼の声が何とか私を恐怖のどん底から少しだけ引きずり上げてくれた。


「気の毒に・・・『ブギーマン』の餌になってしまったようですね・・・。余程彼女の事が好きだったのですね?そんな身体になって・・自我も崩壊してしまったと言うのに・・。会いにやって来たのですから・・。」


え・・?彼は一体何を言っているのだろう?ジャックが・・私の事を好きだった?


「うう・・・ロ・・・ロ・・ローザ・・・お、俺と一緒に・・・。」


ズルッ


かつてジャックだった化け物は穴の空いた両目でこちらに顔を向けた、その瞬間に花が崩れ落ちた。


「イヤアアアッ!こ、こっちに来ないでっ!」


私は腰を抜かしながら叫んだ。


「ローザッ!落ち着いて・・・僕が必ず貴女を守ります!」


彼は私を安心させる為にギュッと手を握りしめるとジャックの方を振り向いた。


「見て分ったでしょう?彼女は君を見てこんなにも怯えている。まだ彼女の事を思う気持ちがあるなら・・大人しく天に召されなさい。罪を犯す前に・・・。」


しかし彼が言い終わる前に突然化け物と化したジャックが飛びかかって来た。


「グワアアアッ!!」


「・・・仕方ない・・・。」


彼は口の中で小さく呟くと剣を構えて化け物へ向かって突進していく。


「ガッ!!」


化け物は口から緑色の液体を突然吐き出した。


「!」


咄嗟に避ける彼。すると液体がかかった床が煙を上げてジュウジュウと溶け出した。

そして次から次へと液体を吐きだし、彼はそのたびに液体を避け、化け物に近付くことが出来ない。


「チッ・・!」


彼は舌打ちすると、左手を法衣のポケットに突っ込み、中から何かを取り出した。


「これでもくらえっ!」


彼はそれを化け物に向かって投げつける。それは液体が入ったガラス瓶だった。ガラス瓶は化け物にあたり、液体が漏れて化け物の身体にかかる。


「ギャアアアアッ!!」


物凄い絶叫と共に、化け物の身体からジュウジュウと煙が吹きあがる。その瞬間、彼は素早い動きで化け物に近付き、大きく袈裟懸けに剣を振り下ろした。


ザクッ!!


「グワアアアアアアッ!!」


肉を切り裂くような音が聞こえ化け物の断末魔が部屋の中に響き渡り・・ドサリと床に化け物は倒れこみ、たちまち黒い靄が化け物の身体から吹きあがった。

そして煙はやがて、掻き消え・・辺りは元の静けさに戻った・・・。


「大丈夫でしたか?ローザ。」


彼が私を振り返る。


「あ・・・・。」


駄目だ。あまりの光景を目にしたショックで言葉が出てこない。彼は私に近付くと震える身体をギュッと抱きしめると言った。


「落ち着いて・・・もう彼は・・天に還りました。」


「あ・・・。ジャ・・ジャック・・・。」


気付けば私は彼の胸に縋り・・・可愛そうなジャックを思って涙した―。



****



 結局その夜、怖くて一睡も出来なかった私は彼の傍で床に座って一晩を過ごした。


翌朝―


「う・・ん・・・。」


寒くて身じろぎした時、私は誰かに寄り掛かって眠っている事に気が付いた。


「あ、目が覚めましたか?」


不意にすぐそばで声を掛けられ、顔を上げると至近距離で私を見つめている彼の顔があった。


「キャアアアッ!」


私は思い切り彼を突き飛ばし、彼は床の上に倒れてしまった。


ゴンッ!


その時鈍い音がした。どうやら彼は突き飛ばされたはずみで頭を強打してしまったらしい。


「ううう・・・ひ、酷い・・・いきなり何するんですか・・?」


頭を押さえながら彼は起き上がって私を見た。


「う、う、うるさいわねっ!そ、そういう貴方こそ・・寝ている私に何したのよ!このスケベッ!」


「そ、そんな・・スケベなんて・・何も僕はしていませんよ。そもそもローザが怖がって僕から離れないから2人で床に座って夜を明かしたんじゃないですか・・。」


彼は恨めしそうな目で私に言う。


「確かに・・・言われてみればそんな気がしないでもないけど・・?うん・・?」


私は自分の服の匂いをクンクン嗅いでみた。・・何これ、臭い・・・。いや、それ以前に私よりも強烈な匂いを発しているのが彼だった。


「ちょ、ちょと!何でそんなに臭い身体してるのよっ!」


私は後ずさり、鼻を押させると言った。


「あ・・・これは昨夜『ブギーマン』の死霊と戦った時に・・体液がかかってしまったみたいで・・・。」


「ちょっと!臭いから洗ってあげる!父さんの服があるから乾くまでそれを着ていてよっ!」


クローゼットから父さんの服を引っ張り出しながら彼に命じた。

すると・・・。


「え・・?法衣を脱ぐ・・?だ、駄目ですっ!絶対にこの法衣を脱ぐことは出来ませんっ!」


「何でよっ?!洗って上げるって言ってるでしょっ?!ついでにこの家の裏に川が流れているから水浴びしてきてよっ!」


「そ、それなら水浴びしながら自分で法衣を洗ってきます!それでいいでしょう?」


何故か彼は必死で法衣を私が洗うのを拒んでくる。


「分かったわよ・・・なら自分で洗ってきて。」


ついに妥協した私は固形石鹸とタライを渡しながら言う。


「ありがとうございます。」


彼はタライと石鹸を受け取ると言った。


「絶対に・・覗かないで下さいね?」


プツン


そこで私の我慢が切れた。


「誰が覗くか~ッ!!さっさと行って来なさいよっ!」


「は、はいっ!」


彼は私の剣幕に驚いたのか、逃げるように外に飛び出して行った。


「全くもう・・人の事を何だと思っているのよ・・!」


荒い息を吐きながら時計を見ると8時を過ぎている。


「朝食の準備でもしていようかな・・・。」



****


「遅い・・・。」


細工の加工の仕事をしながら時計をチラリと見た。時刻はもう12時をとっくに過ぎている。


「これじゃ、朝ご飯じゃなくてお昼ご飯になっちゃうじゃないの・・。」


ぶつぶつ言いながら仕事を続けていたが・・。


ガタン


不意に外で大きな音が聞こえた。


「ん?帰ってきたのかしら?」


しかし、一向に中へ入ってくる気配がしない。


「もう・・何してるのかしら?」


ガタンと音を立てて椅子から立ち上ると私はドアへ向かった。


「何してるのよ、入って来なさいよ。」


言いながらガチャリとドアを開けても、外には誰もいない。


「え・・?気のせい・・だったのかな・・?」


しかし、次の瞬間・・私は背筋が寒くなるような視線を感じた。本能的に悟った。何か恐ろしい物がこちらを見ていると・・・。


「な、何よ・・・?まさか私を狙ってるつもり・・?」


恐ろしくなった私はスカートを翻し、川で水浴びをしているはずの彼の元へと走り出した―。




****



 脱兎の勢いで川原へ走ってきた私は辺りをキョロキョロ見渡してみた。家の裏を流れる川は幅が3m程。深さも私が中に入って肩が出る程の深さしかない穏やかな川だ。周囲は林に囲まれ・・ちょうどよい具合に川付近には大きな岩がゴロゴロしているので、誰か水浴びをしている姿も見られる事は無い。けれど・・今回はそれが裏目に出てしまった。川に水浴び兼、洗濯をしにやってきたはずの彼の姿が見当たらないのだ。


「全くもう・・・何処に行っちゃったのよ・・・。」


キョロキョロしながら歩いていると、大きな岩の上に洗ったとみられる彼の法衣が張り付けられていた。法衣の上にはところどころ石が乗っけられている。多分風で飛ばされない為だろう。でも彼の法衣がここに干されていると言う事は・・・?


「ねえーそこにいるんでしょう?出てきてよーっ!」


声を張り上げて彼を呼んだ。すると何処からもなく風に乗って彼の声が聞こえてくる。


「ま、まさか・・・ローザッ?!な、何故ここに来たのですかっ?!」


明らかに動揺した彼の声が聞こえてくる。なのに不思議な事に姿が見えない。


「何故って・・・貴方がいくら待っても戻って来ないからでしょう?!それだけじゃないわっ!な、何だか家のすぐ傍で奇妙な気配を感じたのよっ!だ、だから・・怖くなって貴方を呼びにきたのよっ!ねえー出てきてよっ!」


すると・・


「だ、駄目ですっ!ローザッ!貴女がそこにいる限り・・僕は川から出られません!出て欲しければ・・・お願いですから何処かへ行って頂けませんかっ?!」


切羽詰まった声で彼が言う。


「な・・・何よっ!男のくせに・・そんなに裸が見られるのが嫌なわけっ?!」


「はい、嫌です。」


きっぱり言い切られてしまった。


「あ・・・貴方・・もしや・・私に襲われるとでも思っているわけ・・・?」


声を震わせて尋ねると、しばしの沈黙の後に彼が答えた。


「・・ええ、そうですね。」


「はあ~っ?!」


これには流石に切れそうになってしまった。


「わ・・分かったわよっ!家に戻るわよっ!戻ってブギーマンとやらに襲われてやるからっ!」


半ばやけになって捨て台詞のような言葉を吐いた私は怒り心頭で家へ戻って行った。・・・しかし、この時私はのちにあんな言葉を吐いたせいで、死ぬほど後悔することになるとは思いもしていなかった―。



「全く・・・あいつったら・・・!人が助けを求めているって言うのに・・何なのよ・・っ!」


プンプンしながら銀細工の仕事の続きをしていると、不意に扉がノックされる音が聞こえた。


コンコン


「戻って来たわね・・・?」


ガタンと席を立つと、私はずかずかとドアに向かって歩き・・・ガチャリとドアを開けた。するとそこに今まで見たことがない美しい女性が立っていた。

金の長い巻き毛に青い瞳・真っ白な肌の女性は私を見ると優雅に笑う。


「あ、あの・・・どちら様ですか?」


「私は・・この街の町長の娘でアメルダって言うの。実は頼んでおいたシルバーリングが出来ているか尋ねてきたのだけど・・・。」


シルバーリングは父さんが受けていた依頼の品で、私が引き継いでいる仕事だった。


「あ、すみません・・・。実はもうほとんど出来上がっているのですが・・最後の仕上げの研磨をしないといけなくて・・。すぐに終わるので、もしよろしければ中でお待ちいただけませんか?」


私はアメルダさんを招き入れた。


「ええ、そうね。では・・そうさせて頂こうかしら?」


アメルダさんは部屋の中に入って来た。


「ではこちらの椅子に掛けてお待ち下さい。」


私は部屋のベンチにアメルダさんを座らせて、再び作業に映った。


キュッキュッ・・・


研磨剤を付けて、クロスで拭いて磨き上げていると背後にアメルダさんが近づいてくる気配を感じた。


「へえ~・・・流石・・上手ね・・?」


背後から声を掛けられた。


「あ、ありがとうございます・・・。」


アメルダさんの異様な距離感に戸惑いつつ、返事をした。すると不意に耳元で囁かれた。


「ねえ・・・貴女・・・ブギーマンに襲われてもいいのよね・・・?」


「え・・?」


その言葉と同時に私はアメルダさんに布で口を塞がれ・・・意識が暗転した―。



****


「ローザ、起きて下さい、大丈夫ですか・・・?」


う~ん・・・誰かがわたしを揺すぶっている・・。でもまだ眠い・・・。


「ローザッ!」


いきなり大声で名前を呼ばれた。


「え?!」


ガバッと飛び起きると、薄暗く、だだっ広い部屋の中に私は転がっていた。そして目の前には私を心配そうにのぞき込む彼の姿があった。


「え・・?あ?こ、ここはっ?!」


ガバッと起き上がり、辺りをキョロキョロ見渡すと、天井からほど近い場所に窓があり、そこからは月が見えていた。そして窓からは長いロープがぶら下がっている。


「ああ・・目が覚めたんですね。良かった・・・・大丈夫でしたか?助けに来るのが遅くなってすみません。」


彼は私に手を差し出した。


「ここは・・一体どこなの?」


彼の手に掴まって立ち上がり、辺りをキョロキョロと見渡した。部屋の中はがらんどうで何も置かれていない。


「ここは町長の家です。」


彼は私に言う。


「町長・・?あ!そう言えば・・・気を失う寸前に私、町長の娘を名乗る女性に会ってるのよ!確か名前は・・。」


「しっ!」


そこまで言いかけた時、彼が静かにするように口に人差し指を1本立てた。


「ここはブギーマンのアジトです。この場所で戦うには分が悪いので今すぐ逃げますよ。さあ、早く僕の背中におぶさって下さい。」


彼は背を向けてしゃがむと言った。


「え・・?お、おぶさるって・・?」


戸惑っていると彼が言う。


「早く!ローザッ!」


急かすような彼の口調に思わず私は言う通りに彼の背中に乗り、腕を回した。


「しっかり僕に掴まっていてくださいね?」


彼は言うと立ち上がり、窓から伸びているロープにぶら下がると、スルスルと昇って行く。


「ええええっ?!」


何と言う身体能力なのだろう。普通ならブラブラ揺れるロープにぶら下がって腕の力だけで昇るのすら至難の業だと言うのに、彼は私を背中におんぶした状態で軽々と昇り着り、右手でロープにぶら下がったまま左手で窓を開けて、そのまま窓から屋根に出た。


「キャアッ!」


彼におぶさったまま屋根に出た私はその高さに悲鳴を上げてしまった。何て高さなのだろう。落ちたら間違いなく死んでしまうのではないだろうか?


「ローザ。失礼します。」


彼はいきなり私をお姫様抱っこすると、その目もくらむような高さの屋根から飛び降りたのだ。


「キャアアアッ!」


私は必死になって彼の首に抱き着き、目を閉じた。耳元では風を切る音がごうごうとなる。


ダンッ!!


やがて物凄い振動が身体に響き渡った。


「・・大丈夫ですか?ローザ?」


彼に声を掛けられ、恐る恐る目を開けると眼前に彼の顔が有った。


「な、な、何よ!こ・これくらい・・・な、何て事無いわっ!」


必死になって虚勢を張るも、私は内心彼の謎が深まるばかりで戸惑っていた。恐るべき身体能力・・・本当に彼は人間なのだろうか?しかし、彼は私の思いとは裏腹に人懐こい笑みを浮かべると言う。


「良かった・・・それを聞いて安心しました。これからブギーマンと戦うのに最適な場所に移動します。しっかり掴まっていてくださいね?」


「え?キャアアッ!」


彼は私の返事も聞かず、抱きかかえたままものすごいスピードで走り始めた。


「ど、どこへ行くのよっ!」


彼にしがみつきながら尋ねた。


「教会ですっ!ブギーマンの本来の姿は死霊ですからっ!」


彼は私を抱きかかえたまま、静まり返った深夜の町を教会目指して走り続けた―。



****



 この街の教会は普段は神父が常駐していないので、あまり管理が行き届いていない。教会の裏手にある墓地は草がぼうぼうで崩れかかっている墓標もある。


「神に見捨てられた街・・・。」


ぼそりと呟く彼の言葉が気に入らなかった。


「ちょっと待ってよ。どうして神に見捨てられた街なんていうのよ?私達はね、これでもちゃんと神に関する教育を受けているのよ?この街を訪れる神官様を大切にしなさいってね。」


すると彼が言った。


「それこそ、神に見捨てられた証です。神官を大切にする事で、神からのおこぼれをもらおうとする・・・。」


「おこぼれって・・何よっ!その言い方・・!」


彼は一体どこまでこの街を侮辱するのだろう。すると彼は真剣な顔で言った。


「僕が今までブギーマンを倒すために訪れた町や村は・・・全て神に見捨てられた土地ですよ。その証拠に・・・。」


彼はある一転をじっと見据えながら言う。


「神聖な教会の敷地に・・死霊であるブギーマンが入れるはずはありませんからね・・。」


「え・・・?あっ!」


見ると、教会の門の入り口に私を攫ったこの街の町長の娘が月明りに照らされて立っていた。その姿は・・・怪しくも、とても美しかった。


「ローザッ!こっちへっ!」


彼は私の右手をつかみ、教会の中へと走っていく。教会の中は暗く、ところどころ窓から差し込む月明りがかろうじてあたりの様子を照らし出していた。

彼は私を祭壇の下に座らせると言った。


「いいですか?ローザ。この場所が一番安全な場所です。何があっても絶対にここから出てはいけません。これは・・お守りです。」


彼は法衣のポケットから小さな小瓶と、ロザリオを取り出して私の手に握らせた。


「身の危険を感じたら・・迷わずブギーマンに使って下さい。そして・・何があっても絶対に驚かないでくださいね。」


そこまで彼が言ったとき・・・。


ギイイイ・・・・・


きしむ音とともに、扉がゆっくり開かれた。そして月明りに照らされた町長の娘が長い髪をなびかせながら現れた。

彼女は一歩一歩ゆっくり歩きながらこちらへ近づいてくる。


「フフフ・・・相変わらず馬鹿な男ね・・・。こんな信仰心の薄い教会で私の力が減るとでも思ったの?」


すると彼は立ち上がり、町長の娘に近づくと言った。


「その口ぶり・・・やはりお前は僕の事を知っているのですね?」


「当然でしょう・・?我々の餌になりながら・・生き延びた・・唯一の人間なんだから・・。でも・・・もはや人間とは呼べないかしら?」


「だからこそ・・・お前達を倒して、元の自分を取り返すんですよ。お前たちに奪われた僕の全てを・・・返してもらうために!」


彼は言い放つと2本の剣をスラリと同時に引き抜いた。剣が月明りに照らされてキラリと輝く。それにしても・・・あの2人の会話はどういう意味なのだろう?何の事なのか私にはさっぱり理解出来なかった。


「フフフ・・・今まではお前に散々やられてきたけれども・・・今夜はそうはいかないわよ?」


町長の娘はパチンと指を鳴らした。すると・・・。


「ウオオオオオーッ!!」


地響きと共に、この世の者とは思えぬ叫び声が辺り一帯に響き渡った。


「キャアアッ!!」


そのあまりの恐ろしい悲鳴に全身は鳥肌が立ち、毛穴が泡立つような感覚に襲われる。本能的に恐怖を感じ、私はガタガタ震えて肩を抱きかかえるしか出来なかった。


「チッ・・・!」


彼は忌々し気に舌打ちをしたその瞬間―


ガシャーンッ!ガシャーンッ!


教会の中の窓と言う窓が割れ・・そこから腐った腕を伸ばした異形の者達がうめき声を上げながら次々と教会の中へ進入してきた―。




****




 窓ガラスを割って侵入して来る異形の者達をこの目で見た瞬間、あまりのショックで私は意識を失ってしまった―。



ザシュッ!!


強烈な異臭と、何かを切り裂くような音に私の意識が徐々に戻って来た。


「う・・・。」


気付けば床に倒れていたようで頭をブンブン振りながら起き上がり、目の前に目玉が無い、枯れ木のような肌をした死霊が倒れているのを見て絶叫してしまった。


「キャアアアッ!!」


すると・・・


「ローザッ!良かったっ!意識を取り戻したのですねっ?!」


彼の声が教会に響き渡った。


「え・・?」


見ると彼は死霊が山となって倒れている場所で何者かと戦っている姿が目に入った。その生き物は彼の3倍はあろうかと思われる巨体に金の長い髪を振り乱し、全身はまるでカエルの肌の様にぬめぬめとしている。巨木のような腕を振るう度に身体にまとわりつく液体が床に飛び散り、ジュウジュウと煙を立てて床に穴が開く。


「く・・・っ!」


その飛散る液体のせいで、彼は容易に近づけない。きっと・・・あれが恐らくブギーマンなのだろう。

彼は剣で液体を弾き飛ばし、何とかブギーマンの懐に飛び込もうとしているように見えた。特殊な加工がしてあるのだろう。その剣は液体に触れても溶ける事は無かった。


その時・・・。


「ガッ!!」


突如ブギーマンが鋭い爪を振りかざし、彼の胸を切り裂いた。


「グアアアッ!」


彼の胸から激しく血が飛び散る。さらにそこをブギーマンが彼の右腕を切り裂いた。


ザシュッ!


「ウアアアッ!!」


右腕から鮮血が飛び散り、彼はガクッと膝をつく。


『どうだ・・・先の死霊との戦いで体力を使い切ってしまったのだろう・・・?おとなしくもう一度我らの仲間となるか・・大人しく餌となれ・・・。』


ブギーマンが彼に語り掛ける。


「う・・あ、あいにく・・・・僕は仲間にも餌にもなる気は無くてね・・・。」


荒い息を吐きながら、青ざめた顔で彼はジロリとブギーマンを睨み付ける。けれども息も絶え絶えで、剣を支えに立っているのがやっとに見えた。


「ねえっ!しっかりしてっ!」


思わず私は駆け寄ろうと立ち上がった時・・・。


「来るなっ!」


彼が突然大きな声を出した。思わずその声に足を止める。


「こ・・来ないで下さい・・。」


彼は私を見て言った。


「い・・いいですか・・・ローザ・・・。今から起こる事・・驚かないでくださいね・・?」


息も絶え絶えに彼は言うと、いきなりロザリオを外すと私に投げつけてきた。


「そ・・それを受け取って下さいっ!」


慌てて私は空中でロザリオをキャッチした。それを見届けた彼は次に自分が見に付けていた法衣を一気に脱ぎ、肌着姿になった。その途端・・・・


メキメキメキメキ・・・・ッ!


彼の身体が物凄い音を立てて、彼の肌がごつごつとした岩の様な肌になった。


ボコン

ボコン


更に身体から奇妙な音が出たかと思うと、身体が巨人の様に大きく膨れていく。


「あ・・・・。」


そ、そんな・・・嘘・・・・彼はまるで眼前で戦っているブギーマンのような姿に変わってしまったのだ。


「ま・・・まさか・・・人じゃなかったの・・・?」


彼だった化け物は激しい咆哮をあげ・・ブギーマンに向かって突進していき、拳を振りあげ・・・


ボンッ!!


一瞬でブギーマンの身体を拳が貫通した。


ギャアアアアアッ!!


激しい叫び声を上げたブギーマンは身体から黒い煙を噴き上げ・・・そこから一筋の光が飛び出し、彼の身体に吸い込まれていく。ブギーマンは煙り事掻き消えてしまったが、彼の変身が解けない。


「グアアアアアゥッ!」


頭を抱えて暴れまわる姿は見ていられなかった。


「ど、どうしよう・・・どうすれば元に戻るのっ?!」


その時私は彼が投げつけてきたロザリオを握りしめていた事に気付いた。


「そうだ!これをまた渡せば・・・!」


うまくいくかは分らなかったが、私はギリギリまで彼の傍に近付くとロザリオを彼に向かって投げつけた。

すると運よく彼の身体にロザリオが触れた。


「・・・?」


化け物になった彼は不思議そうにロザリオを握りしめた途端、身体がグングンしぼんでいく。


「うまくいったの?!」


床に落ちていた法衣をかき集めて彼の元へ行くと、身体は元の大きさに戻ってはいたが、外見だけはブギーマンの姿だった。

ひょっとして・・この法衣は彼を人間の姿にとどめておくためのアイテムだったのだろうか?苦し気に荒い息を吐いている彼に法衣をそっとかけてあげた。すると一瞬彼の身体が光に包まれ、眩しさのあまり目を閉じた。


すると・・。


「ローザ・・・。」


彼の声が聞こえてきた。

ゆっくり目を開けると、肌着姿の彼が法衣を羽織って私をじっと見つめていた。


「ありがとう、ローザのお陰で人間に戻ることが出来ました。」


そして彼は法衣を着用すると言った。


「僕は先ほどの戦いで名前を思い出しました。僕の名前はトビーです。」


「トビー・・・。」


「僕は自分の事を全く覚えていません。ブギーマンに襲われて死にかけていた僕を救ってくれた神官様がこの法衣とロザリオをくれたんです。これを身に着けていないと僕は自分を見失ってしまいます。いつもなら自分の体力が付きるまで暴れまわっていたのに、今回ローザが僕にロザリオと法衣を返してくれたのですぐに元に戻れました。」


「トビー・・・。」


私は彼の名を呼ぶと、トビーは笑みを浮かべると立ち上がった。


「ローザ。僕はもう次の街へ行きます。別の街にブギーマンが潜んでいます。神官様が言ったのです。全てのブギーマンを倒せば、僕がブギーマンに掛けられた呪縛が解けるだろうと。だから・・ここでお別れですね?」


「え・・?行っちゃうの・・?」


すると彼は私を振り向くと言った。


「はい、もう・・この街のブギーマンはいません。もう人々の命が脅かされる事は無いでしょう。ローザ?どうしました?」


彼は私が俯いているのに気づき、声を掛けてきた。


私は家族を失ってしまい。1人になってしまった。そして・・彼もまた去ろうとしている。


「ねえ・・・!」


気付けば私は彼の襟首をつかんでいた。


「な、何ですかっ?!」


彼は驚いたように私を見る。


「さっき・・私のお陰で・・・すぐに元に戻れたと言ったでしょう?」


「え?ええ・・確かに言いましたけど・・?」


「なら・・・私は役に立つよ!お願い!戦い方を覚えるから・・トビーの相棒にさせてよっ!」


「ええええっ?!で、でも・・・。」


尚も言いよどむ彼に私は言う。


「駄目って言っても・・例え地の果てだってついていくって決めたからねっ?!」


私は彼の襟首をつかんだまま、視線を外さない。


「・・・。」


彼は黙って私を見ていたが・・やがて言った。


「その分じゃ・・何を言ってもついてきそうですね・・?」


「ええ!当然よ!」


「危険な事がつきまといますけど・・いいんですね?」


「覚悟の上よ。」


「分りました・・・それでは一緒に行きましょうか?次は・・・南に向かいますけどいいですか?」


「もちろんよっ!」


私と彼は握手を交わした。いつの間にか夜が明け、眩しい太陽が辺りを明るく照らし始めていた・・・。


「どうします?荷造りでもしていきますか?」


彼は私に尋ねてきた。


「ううん、何もいらない。このまま行きましょう!」


「では、共に参りましょう、ローザ。」


彼は私に微笑むと言った。


「ええっ!それじゃ・・南に向けて出発ね?!」



こうして私と彼のブギーマン討伐の長い旅が始まった―。





<終>





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