109話 まじめな話をしてたはずなのに、趣味の話になると急にストーカー気質になるのなに?
「す、すまない。取り乱してしまった」
少し着崩れたシャツを整えながら、先輩は自分の席に深く腰掛ける。
最初は冗談だろうと思っていた先輩の心配だったが、まさかの本気で心配されているようで、体の隅々まで異常がないか確認されてしまった。
といっても先輩が俺の周りをぐるぐると廻って、見てくるだけだったけど。
先輩の確認により俺は健康だと認めてもらえたようだ。
きれいな女性の先輩に自分の身体の調子を心配されるというシチュエーションは、本来であれば喜ぶべき状況なんだろうけど、心配されている理由が何とも言えないくらい残念なため、気軽に喜ぶことはできない。
「それで何の話だったか。……ああ、そうだ。相手にそっけなくされたらどうするかという話だったか。君もついに同棲を始めたのか?」
ちょっと先輩。いつになったらそういう誤解を生むような発言を控えていただけるんですかね。
それについにってなんですか。ついにって。猫の話ですよね? そうですよね?
自分のことに対して紛らわしい発言をするのは先輩の勝手だが、それによって人を巻き込むのは勘弁してほしい。
ほら、さっそく周りにいた人が噂している。
なぜか俺と後輩が同棲しているという噂に派生している。
なんでそういう話になるわけ?
あいつと同棲なんて天地がひっくり返ってもあり得ないでしょ。
隕石が日本のど真ん中に落ちてきた後なら考えてもいいけど。
そもそも付き合ってすらないのに、そんな事実があるわけがない。あってたまるか。
おい、なんか同時に『お似合い』って言ったの誰だ? 聞こえてるぞ。
一人ならまだしも複数人から同時に言われると真実味が増しちゃうだろうが。
あんな変人と俺がお似合いなわけないでしょうが。改めなさい。
「ちなみに何日間くらいなら、放っておかれても平気ですか?」
話の軌道修正を行うために、質問をする。
先輩は少し悩むそぶりを見せてから口を開きぽつりとつぶやいた。
「一日以上放置されたら死ぬかもしれない」
意外ともろいな先輩!
え、猫ってそういうもんってさっき言ったばかりじゃん。
一日以上ってそっけないタイムが二日目に突入したら先輩死んじゃうってこと?
めちゃくちゃ飼い猫のこと大好きじゃん……。
いや俺もたった半日くらいでレイに避けられるような態度をとられて、俺の勘違いかもしれないのに、こんなに悩んでるんだから人のことは言えないか。
「そうならないために気を付けることはたったの二つだ」
急に営業口調というか何かの怪しいセミナーのような口調になる先輩。
ご丁寧に二本の指を立ててこちらに向けてきている。
しかしこれは真面目に聞いていた方がいいかもしれない。
通常時の先輩はどこぞの変人と違って、割とまともなのだ。
聞いていて損はないはずだ。
「一つ目。自分までふてくされてそっけない態度をとらないこと。二つ目。向こうがそっけない時はつかず離れずの距離感でいること。これだけだ」
あまりの声の張りと自信ありげな声に周りの人も耳を傾けて聞いている。
なんかメモまで取ってる人までいるけど、先輩が話しているのはあくまで飼い猫との接し方の会話だからね?
同棲している彼氏とうまくいってないときの接し方では断じてないからね。
……大半が聞いてないんだろうなあ。
「一番大事なのは、距離を置きすぎないことだな。相手のことを考えてだとか、やけになってだとか、理由はどうであれ物理的な距離を何日も置いてしまえば、自然とその分心の距離も離れてしまう。後日仲直りしようとしても、その時には時すでに遅しだ」
なるほどな。こっちも向こうと同じようにそっけなくしてしまったら本末転倒と。
まあもともとそっけなくするつもりもなかったけど、確かに今の先輩の話はためになるような気がする。
堂々とした言い方をしているっていうのもあるのかもしれないけど。
「逆に積極的に関わりすぎるのもだめだぞ。相手に不快感を与えてしまっては、それもまた心の距離まで話してしまう原因となる。まあ結局のところいつも通り……いつもよりもちょっと控えめに接するのが一番いいのかもしれないな」
うーん、難しい。猫も人も接し方は変わらないってことなんだろうな。
周りの人がメモを取る手が止まらないし。盗み聞きはよくないよ?
金払うか、黙ってご飯を食べなさい。
「ありがとうございました」
あんまり理解はできなかったけど、先輩の話は頭の片隅に置いておこう。
意識すぎるのもよくないだろうからな。結局のところいつも通りで構わないってことだろうし。
「珍しく相談なんてしてくれるから、嬉しかったぞ。ところで猫種はなんだ?」
「……ん?」
おっと、この会話の流れはまずい。
俺は例えばの話をしていたんだけど、もしかして先輩の中で完全に猫を飼い始めたことになってる?
「猫種だ。スコティッシュ・フォールドかロシアンブルーかアビシニアンかメインクーンか?」
先輩が呪文を唱えだした。ティッシュ? ロシア? 面食い?
やばい、ちょっと先輩のこと尊敬し始めてたのに急に目がガンギマリになってて怖い。
「すまない。種類にとらわれすぎた。もしかして雑種か?」
いや近づかないで。そんな目を見開いたままこっちに顔を近づけないで!
とっさに周りに目を向けても、すでに俺たちの会話に興味をなくしたのか、それともわざとなのか、みんなそろいもそろってメモ帳を閉じてご飯をかきこんでいる。
こっちの話を聞いている人なんてもう一人もいない。
この薄情者!! そんなんだから先輩のことを勘違いするんだぞ!
今の先輩を見てみろよ! ていうか助けろよ!
こうなったら先輩は俺が白状するまで決して逃がしてくれない。
もう先輩はご飯なんて手をつけずにじっと俺の方を見つめている。
真っ黒な目をこちらに向けて。いや怖い怖い怖い。
「ご、ごちそうさまでした!」
俺は先輩と必死に目を合わさないようにしながら、トレーを持って立ち上がる。
「あ、待て九条!」
後ろから迫ってくる声を無視して、俺は前だけを向いて歩く。
なるべく速足で。
先輩ありがとう。そして、さようなら!!
最近会社で誰かから逃げてること多くない? 治安悪いのうちの会社。