セリバとマリナとツインブ
銀貨7枚で購入したばかりの一般的な冒険者の服と鞄を身につけ、ダンジョンの素材を活かした特産品が有名なモーナの町を歩く。
情報収集のために多くの人の記憶を見たところ、この世界も金さえあれば現代社会並の快適な生活ができるらしい。
元の世界にはほとんど未練がない。快適な暮らしができるなら、元の世界に帰れなくても良い、と思う。
そのためにも金が必要だ。
魔力が尽きるまでは洗浄屋でいい。
その後は記憶操作の《グレース》が効かない相手が現れたときに備えて、戦闘技術を磨ける冒険者になるとしよう。
そうすると、一人でダンジョンに行くより複数人でパーティーを組んだ方が効率がいいな。
だが、強すぎる力は間違いなく無差別に警戒心を与えてしまい、有象無象が取り込むか排除しようと動き出すだろう。
それに毎回対処するのは面倒だ。
だから、記憶操作の《グレース》が使えることは誰にも悟られたくない。
いずれ《グレース》を使わずに済むようにしたいものだ。
手っ取り早く、記憶を完全に塗り替えて忠誠心を植え付け、都合良く使えるような駒を用意するか。
さすがに一般人を駒にするのは、必要がなければ避けたいので、重犯罪者が潜む治安の悪いスラム街に向かうことにした。
――モーナの町、スラム街。
ゴミが無造作に散らばり、悪臭もする全体的に薄暗い印象を受ける通りを歩く。
そして、汚物を踏まないように注意しながら、辺りの記憶を探っていく。
軽く記憶を漁っただけでも、彼方此方に犯罪者がいた。
また同情しそうなほど不遇な人や貧困に喘ぐ人もいるようだ。
そんな人達を目にし、手駒にするのは同意が得られれば重犯罪者でなくてもいいか、と思い直して声をかけることにした。
しかし、単純に話しかけても、生きる気力が無さそうな人達に言葉は届かず、無視されるだけだろう。
だから、その人達の記憶を参考にして、ある日に望んだ機会を、こんな言葉が欲しいと願った、弱い自分を庇護してくれる上位者の振る舞いを言葉と共に贈る。
「同じ町に住んでいるのに、店で普通に買い物ができる奴を羨んだことはないか? 自分もそうでありたい、と。そんな人並みの生活ができるようにしてやろう。ただし、私に絶対の忠誠を誓った者だけだ。私の命令はどんなことにも従ってもらう。それでも良いと思うのであれば、私の前に来なさい」
俯いていた顔を上げ、話を聞いていた3人が前に出てくる。
「……そうだな。まずはお前から話を聞きたい」
そう言って、指を差した先にいたのは老年の男だ。
「私はセリバ・ネカサイアと申します。以前、ある商家の主人に仕えておりました。しかし、突然お亡くなりになり、その影響で経営されていた商家の業績が悪化して解雇されました。そして、路頭に迷い、このスラムに流れ着きました。あなた様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
日本人的な名前は一般的でないので、新たに考えていた自分の名前を名乗る。
「ミスト・アスリールだ」
「……アスリール様。この二人も同様に解雇された者達です。こちらの青年が商家の護衛をしていたツインブ・ユーク。並の冒険者未満の実力しかありませんが、コネで雇われていました。そして、彼女が私の娘のマリナ・ネカサイアです。マリナは生まれたときから膨大な魔力をその身に宿していましたが、その影響で初めて魔法を使った際に事故が起きました。そして、生涯忘れられない恐怖を魔法に覚え、使うことができなくなりました。」
セリバに紹介され、二人は頭を下げた。
「お役に立てない実力しかありませんが、よろしくお願いいたします」
ツインブは自分の不甲斐なさに悔しさを滲ませながら、言葉を絞り出す。
記憶を見る限りでは、毎日欠かさずに鍛練を積んでいるが、まったく才能がないようだ。
何をやっても上手くいかず、周囲の人間には呆れられ、侮辱される。
それでも努力を怠らなかったが、並の冒険者未満の実力しか得られない。
記憶には、そんな苦悩がずっと続いていた。
「気にすることはない。私が指導すれば、すぐに熟練冒険者くらいにはなれるだろう」
下を向いていたツインブは、急に顔を上げて確認してくる。
「本当ですか!?」
「無論だ」
断言すると、ツインブは心底嬉しそうだった。
それほど才能の無さを嘆いていたからだろう。
一方、無口なマリナは黙ったままだったが、小さな声で一言話す。
「……よろしく」
それをセリバが注意しようとしたが、止めた。
「――よい。それが精一杯の言葉だと分かる。無理をする必要は無い」
セリバは説明する。
「これも事故の後遺症です。事故前から物静かな子でしたが、事故後はそれがより一層酷くなりまして、このようなことに……」
記憶を見れば知ることができるが、記憶操作の《グレース》は秘密にしたいので、普通に尋ねる。
「マリナは魔法が使えないそうだが、魔法の知識はあるのか?」
「……ある。魔法が……使えなくても、……魔力を……活かしたかった……から」
辿々しく言葉を発するマリナ。
「なら魔法を使えるようにしてやろう」
「そんなことができるのですか!?」
「……本当?」
娘のことに激しく反応する父親と、自分のことなのに冷静な娘。
「ああ。カウンセリングという話術の一種で可能だ。だが、マリナ以外は離れてくれ。邪魔だ」
実際はそんなことはなく、記憶操作の《グレース》でマリナの記憶を弄ることを誤魔化すための方便に過ぎない。
セリバとツインブが十分に距離が離れると、マリナの記憶に干渉して魔法への恐怖を取り除く。
後は話術の一種ということにしたいので、マリナと会話をしている振りをしながら、10分くらい待つだけだ。
その間のマリナの記憶は、様々な質問に答えていたことにした。
これには毎回マリナに質問しなくても、読み取った記憶から得た情報を既に聞いたことにできる利点がある。
(知っていることを敢えて尋ねるのは面倒だからな)
「もう魔法が怖くないだろう?」
「……うんっ」
マリナの無表情だった顔に笑みが生まれる。
そして、掌の上に水球を浮かばせて魔法が使えるようになったことをアピールしてくる。
随分と可愛く笑えるじゃないか、と内心思いつつ、魔法を使えるようにする作業が終わったことをセリバとツインブに伝えるために、マリナと一緒に二人のもとに向かった。