グレースと魔法
大勢の猿の化け物に襲われて目覚めた力は、自分と他者の記憶を自由自在に操るものだった。
その力を使って、あのときは同士討ちをさせるために、全ての化け物の記憶を『目の前にいる同じ姿をした化け物が自分の敵』と認識するように書き換えた。
そして、このダンジョンを抜け出すために猿の化け物の記憶から出口がどこにあるか探った。
残念ながら出口の場所は知らなかったが、人がよく通る道は知っていた。
人の往来がある道さえわかれば、出口もその道を通じて見つけることができるだろう。
(猿の記憶では、この辺りのはずだが……)
猿の化け物の記憶を頼りに道を探しながら、緩やかに右へと曲がっている道を歩く。
――足音が聞こえた。
カーブした道の影響でその姿は見えない。
できる限り足音の主と距離が取れるよう立ち止まってから、その記憶を読み取る。
どうやら冒険者という職業の人物らしい。
運良くダンジョンの出口までの道のりと、その冒険者の素性、この世界の知識を得ることができた。
(こいつはモンスターという化け物や鉱石といった素材を目当てにダンジョンへ来たのか)
冒険者は狭いダンジョンでも扱いやすい短めの剣と安価な背嚢を身につけ、こちらに向かって歩いてくる。
このまま接触すると、今の服装やダンジョンに必要な武器も道具も持っていないことから、確実に怪しまれると思い、その冒険者がこの状況に違和感を抱かないようにして通り過ぎた。
それからダンジョンの入り口までの道は、頻繁に冒険者が行き来するためなのか、モンスターは現れなかった。
出会ってしまう他の冒険者の記憶も参照し、偏った知識でないことを確認しつつ、絡まれないように同様の措置を記憶に施した。
やがて、ダンジョンの入り口を目にし、ようやくダンジョンの外に出られる、と思った。
ダンジョンの入り口は、モンスターが町に入り込むのを防ぐために頑丈な建物に覆われていた。
その建物は冒険者ギルドと呼ばれており、モンスターがダンジョンから出てきた際に迎撃しやすい構造をしている。
冒険者がダンジョンから持ち帰った物の買い取りや依頼を斡旋する場所にもなっているようだ。
そこに配置されている衛兵と冒険者の記憶も読み取りながら弄り、ダンジョンを後にした。
(そういえば、この力は《グレース》というのか)
魔法とは違う、その人しか使えない特別な力である《グレース》のことを、人々は『その人の鏡だ』と言う。
なぜなら、《グレース》はその人の普段の言動や行動、思考に影響を受けたものであるからだ。
日常生活の中で、突然を授かることもあれば、あと少しでモンスターに殺されるという状況で《グレース》に目覚めることもある謎の多い力らしい。
今の服装に違和感を覚えないように周囲の人達の記憶を書き換えながら、ダンジョン付近の活気がある商店街を歩いていると、ある商品が目についた。
(……ザイルの串焼き……あの猿の化け物の肉も売られているのか)
良い臭いが漂ってくるが、買ってまで食べることはおそらくないだろう。
その前に金がないから買えないがな、と内心思う。
目立つ服装を着替えるために服を買うにも金がいる。
ダンジョンでモンスターを倒してもそれを入れるものがないから、手掴みになる。それは遠慮したい。
そうして金を稼ぐ方法を考えているうちに面倒になり、周辺の記憶を探って何か良い手段を見つけることにした。
しばらくして、金を払えば汚れた皿や服、体などを綺麗にする魔法を使ってくれる洗浄屋を見つけた。
その洗浄屋がいる場所に向かうと、確かに籠一杯の洗い物を持った人や返り血で汚れた冒険者が並んでいた。
「この臭い血を早くなんとかしてくれ!」
酷い臭いの冒険者が洗浄屋に魔法の行使を急かす。
「臭いので少し離れてください」
そして、洗浄屋が魔法を使うと、冒険者の装備と体に染みついた血が一瞬で消え失せた。
その冒険者がお礼とともに魔法の代金を払って去ると、すぐに次の人が来る。
「あと6回で魔力が切れるので、7人目からは魔法が使えません」
それを聞き、7番目以降に並んでいた人は洗浄屋に愚痴を言いながら列を離れる。
洗浄屋の記憶を読み取ると、あの魔法は《クリーン》というらしい。
わざわざ風呂に入らないでも体の汚れを落とせるのは、便利そうだ。
少し汚れていた靴に《クリーン》の魔法をかけると、魔力が減る感覚とともに汚れが全て落ちた。
これで記憶を読み取るだけで魔法を使うために必要な知識と経験、技術を問題なく利用できることがわかった。
魔力がなくなり、その場を去って行く洗浄屋を確認し、先ほどまでそこに集っていた人がまだ残っていたので、同じ所で《クリーン》の魔法を使って金を稼ぐことにした。
声をかけ、《クリーン》の魔法をかけて欲しい者たちに一列で並んでもらう。
そして、浄化屋と同じく銀貨1枚を受け取り、《クリーン》の魔法を使う。
9人目で魔力が尽き、銀貨9枚を稼ぐことができた。
(《クリーン》10回分の魔力があるのか)
魔力を増やす訓練をしたことがなければ、これくらいの魔力が平均らしい。
魔法を使える回数を増やすために空いた時間は訓練に費やすことを決め、一般的な冒険者の服と道具を買いに行く。
ダンジョンのモンスターと戦うために必要な武器と装備を買うには手持ちの金が足りないので後回しにした。