闇の勇者は、大司祭の正体を知る。
「あれは……?」
ノイルは、浄化の輝きが消えた後に残ったモノを目にして眉をひそめた。
丸く、黒いそれは宝玉のようにも見えるが、実態のない幻影のようにも見える。
渦巻いて中に全てを喰らい尽くそうとしているかのような妙な雰囲気を持つそれは、聖剣の間でフィスモールが行使しようとしていた時空魔法にも似ていた。
しかし、その答えをノイルが得る前に、また奇妙な出来事が起こる。
パキィン、と何かが割れるような音と共に、黒い球体の前に何者かが出現したのだ。
羊のような二本のねじれた角を頭の脇に生やした、紫の髪に褐色の肌の美女だ。
魔族の特徴である赤い瞳を持ち、胸元どころか肩の半ばまでむき出しになった黒く体のラインがはっきりと浮かぶタイトなドレスを身に纏っていた。
「メゾ……!?」
背が高く、スレンダーなソプラとは違ってメリハリの効いた体つきをしており、チェーン付きの丸メガネをかけている彼女は、魔の都にいるはずの女魔王だった。
「ハハハハ……!」
口の端を凶悪な笑みの形に釣り上げ、瞳を爛々と輝かせた彼女は、スゥ、と腕を球体に向けて差し出した。
その手に握られているのは、漆黒の翼に似た意匠を施したワイングラスのような形の杯である。
「新たな力を、我が物に……!」
酷く禍々しさを感じさせる口調でそう呟いて傾けたメゾの杯に、スルリと黒い球体が吸い込まれる。
そのまま、滑らかな仕草で煽るように杯に彼女が真紅の唇をつけると、ゴクリと喉が鳴り。
ーーー先ほどのフィスモールなど比にならないほど激しい瘴気の気配が、メゾを包んだ。
「クク……ククク……!」
愉しくてたまらない、というような笑い声を漏らしながら、俯いて肩を震わせたメゾのツノが肥大化し、紫の髪が不自然に蠢く。
一瞬、髪の一筋一筋が蛇と化す幻影を見た後に、メゾの体から吹き上がっていた禍々しい気配が治まった。
「何…だ……今の……?」
「ていうかメゾって誰……?」
駆け寄って来ていたソーと、着地してすぐそばにいたソプラの疑問に、ノイルは我に返った。
「ソプラ。あれは魔王だよ」
「魔王……!?」
「そう。魔王メゾだ」
ソプラの疑問に応えた後に、ノイルは頭上で満足そうに息を吐いたメゾに声をかける。
「一体、どういうことですか?」
声をかけると、こちらの存在には気づいていたのか、メゾが目線を下ろしつつ地面に降りてくる。
「いや、すまなかったね。早めに片付けておきたかったから後回しにしてしまって」
メゾが片目を閉じるが、ノイルは思わず眉根を寄せた。
「……質問の答えになってないですよ」
「誤魔化すつもりはないさ。もちろん君にも今起こったことが何なのかは説明するが……その前に、役者を揃えなくてはね」
言いながら、メゾが議事堂の周りを覆う塀の門に目を向けると、そこから何人かが姿を見せる。
ラピンチと、チューン、そしてイフドゥアだ。
「やったなノイル! ナァ! ……って、あれ?」
「なぜ貴女がここに?」
「ッ。呼んでねーのに来やがったな」
メゾに気づいた三人が三様に声を上げたところをみると、どうやら本当に知り合いらしい。
対するメゾは、笑みを消さないまま肩をすくめる。
「〝七ツ罪〟覚醒の気配は感じていたからね。まして以前に逃げられた相手だ。……今度こそ逃げられないように、機を伺っていたのさ」
「勝手なことすんじゃねーよ」
イフドゥアがやれやれと前髪をかき上げ、周りを見回す。
「……デュラムは?」
「彼なら、そこにいるだろう?」
メゾが親指で示した先には、最初にノイルを魔の都に連れて行ってくれた、帽子を目深に被った従者……〝魔王軍三魔将〟の一人、デュラムがひっそりと立っていた。
「……とりあえず、場所を移すか。メゾ、お前さんちょっとそのツノ隠せ。他の奴らに見つかると面倒になる」
「キミの頼みとあれば仕方がないな」
傲岸不遜を絵に書いたような彼女は、思いの外大人しくイフドゥアの言うことを聞いて指を鳴らした。
すると、外見はそのままに、ツノがシュルシュルと縮んでなくなり、尖っていた耳が人間のような丸いものになる。
「で、今からどうするんだい?」
「チューン。魔道士協会の会議室を押さえてくれ。……あのキメラやフィスモールが暴れたことの後始末を終えてから、改めて説明する」
「時間がかかるのかな?」
「ノイルたちも疲れてるだろうし、一時休息だ」
イフドゥアは、少し面倒くさそうなメゾにピシャリと言い、チューンとうなずきあった。
そして、こちらに声をかけてくる。
「ノイル。そしてソプラ嬢、よくやったな。こちらから冒険者ギルドに掛け合って、君たちには破格の功績と褒賞を用意しよう」
「それはありがとうございます……ですが、夜まで待たせるつもりですか?」
「不満か? 君たちがこの状況をどうにかしてくれるなら、すぐに説明させてもらうが」
「いえ無理です」
即座に断ったが、実際多分出来ないし、何よりめんどくさい。
「なら、今の間にオブリガードとアルトを迎えに行きます。バスの様子も気になりますし」
「そうしてくれ」
イフドゥアがうなずいて踵を返そうとするのに、ノイルはひとつだけ問いかけた。
「貴方は、本当に何者ですか?」
その問いかけに、彼は足を止めてチラリと周りにいる面々を見回す。
「教えてやればいいじゃないか」
「……そうだな」
メゾがおかしそうに口添えをするのに、イフドゥアも笑みを浮かべた。
「俺が聖教会の大司祭であることは本当だ。イカサマで成り上がったんだがな。……だが、それ以前に、俺にはもう一つの顔がある」
「それは?」
ノイルが首を傾げると、イフドゥアは片目を閉じて軽く自分の胸に手を添える。
「俺の本当の名は、イスト・ヌール。ーーー〝魔王軍四天王最弱の男〟さ」




