大司祭は、先代魔王を目覚めさせる。
駆けていくノイルたちを見送った後、イフドゥアは表情を引き締めた。
「オブリ。アルトのお嬢さんを連れて、東側にある小広場に向かえ。その辺りに住民が避難してる。着いたら、魔道士協会の連中の指示に従えばいい」
「分かりました。行こう、アルト」
「うん……」
心配そうにノイルたちが消えた方向を見つめていたアルトは、少し複雑そうな顔で唇を噛んでからオブリガードについて行った。
ーーー力がねーってのは、歯痒いよな。
イフドゥアには彼女の気持ちがよく分かった。
ノイルにそんなつもりはなく、ただ冷静な判断と心配する気持ちでアルトを外したのだろうが、実質的な戦力外通告を受けたようなものだからだ。
だが、ここで折れなければ彼女もまた強くなるだろう。
「さて。……あまり大っぴらに目立ちたくないが」
イフドゥアは、パン、と手を打ち合わせた。
ノイルたちだけで〝7ツ罪〟レベルの魔性に対峙させるのは、さすがに偲びない。
ーーーあの少年なら、ほっといてもやりそうな気もするがな。
つい最近冒険者になったばかりのはずなのに、あっという間に仲間を集め、鉱山街の権力者に顔を通し、メゾに気に入られ、神器を次々と手にして行く。
そして、英雄形態をすでに二つも扱えるようになった。
ーーー有り体に言って、化け物だよな。
そして、そんな彼を表す〝修羅〟の適性というものが、神や魔ではなく『人』のものであるという事実に恐ろしさを感じる。
歴史を紐解くと稀に現れる存在、修羅。
人の身でありながら、天恵ではなく己が身一つで勇者や魔王に並び立つ者。
間違いなくノイルはそれだ。
邪神に対抗するために必要不可欠でありながら、勇者や魔王とは違い、真の意味でただ『生まれ落ちるのを待つ』しかない存在。
この時代に現れてくれたのは、僥倖と言うしかない。
そして、期待感だけで無茶をさせ、こんなところで死なせるわけにもいかない。
「ラピンチ」
「……もしかしてご主人の出番か? ナァ?」
自分一人残された意味を、きちんと理解しているのだろう。
イフドゥアが笑みとともにうなずくと、彼はキョロキョロと周りを見回した。
「大丈夫なのか? ナァ?」
「お前さんが本性を見せたら、皆そっちに注目するだろ。その足元でやって貰えばいい」
「それもそれで騒ぎにならねぇ!? ナァ!?」
「魔性2体が暴れ回ってんだから、ドラゴン1匹が一瞬姿見せたってそこまで気にならねーって」
「そういう問題じゃねーと思うんだけどナァ……?」
首をひねりつつも、ラピンチは鎧を脱いで武器を置いた。
「本当にやるぜ? ナァ?」
「おう、頼む」
イフドゥアがうなずくと、ラピンチは軽く息を吐いてぽつりと呪文を口にした。
「ーーー《分離》」
それは、ラピンチが行使し続けているスキルを解除するもの。
解除したのは《融合》と呼ばれるスキルだ。
『聖白竜』と呼ばれるドラゴン種の眷属が使える固有のもので、本来は絆を持つ相手と肉体を結合し、力を増幅するものだ。
ノイルの発現した英雄形態に似た能力だが、本来《融合》のスキルはドラゴン側が〝従〟となる。
が、ラピンチはこのスキルを自分が〝主〟となり、融合した相手……力を回復するために、長い眠りについている主人を『隠す』ために使っていた。
メキメキと音を立てて、ラピンチの体が半分に分かれて行く。
頭から背中、腕の表面などから剥がれていった部分が、ドンドン膨れ上がって、フィスモールに匹敵する単体の巨大なドラゴンに変化していく。
別種との雑種であるため、本来なら白であるはずの表面が緑の毛並みに覆われた四肢と翼を備える竜。
その竜が剥がれ落ちた後の人の姿をした本体の方は少し縮み、人の子どもくらいの大きさになると、長大な翼とツノが二本、後ろに向かって生え始めた。
さらに両手足に鱗とかぎ爪を備えており、長大な尾をゆらりと揺らめかせたのは……緑髪でショートヘアの幼女に似た本体。
ラピンチの主人である『彼女』は、ふぁぁ、と大きくあくびをして可愛らしい顔に涙を浮かべながら虹彩の細い竜の目をこちらに向けた。
「よう、久しぶりのお目覚めだな」
「そーだねー。でも、話は聞こえてたよー?」
言いながら、彼女はついにキメラを打ち倒したフィスモール……相手の瘴気を吸い取り、元の体躯よりさらに太ったようにブヨブヨと膨れ上がった魔性に目を向けた。
「あれ、ボクを傷をつけたヤツじゃない?」
「そうだな」
ラピンチの主人である彼女の名は、フィーア・スキャット。
メゾの前に魔王を務めていた竜戦士である。
「リベンジ?」
「一発だけな。話聞いてたなら分かるだろう? 花を持つのはノイルたちだ」
「そっか。よっし、任せて!」
張り切ったフィーアは、すでに完全復活を遂げている。
眠っているのは単に、ラピンチが動いてくれて自分は寝ているだけでいい環境が気に入ってしまったからだ。
そもそもこの幼女は、暴れ回ること以外にまるっきり興味がないのである。
単体での近距離戦闘であればメゾすら屠ることが可能な彼女は、姿を覆い隠すために天蓋のように翼を垂らしたラピンチの元で、獣のように四つ這いになる。
そして、牙の生えたアゴを大きく開いた。
キュィィン……と音を立てて、その口元に凄まじい魔力が収束して行く。
『〝Aohooooooーーーーーー〟!!』
その体躯からは想像もつかない竜族の咆哮と共に、糸のように細い光線が一瞬でフィスモールの元に到達し、その腹を捉えた。
魔道士たちの張った聖結界をたやすく貫き、内側で炸裂した炎がフィスモールの巨体を包み込む。
「めーちゅう!」
「お見事」
パンパン、とイフドゥアが手を叩いてみせると、へへへ、と得意そうな顔で笑ったフィーアはラピンチを見上げた。
「なら、フィーアまた寝るね! ラピンチ、もーいーよ!」
『さすがだなご主人! ナァ!?』
久しぶりに主人に声をかけられて嬉しそうなラピンチが、再び《融合》を行使して竜人の姿に戻って行く。
そんなフィーアが放ったブレスの余波である炎が晴れた後。
残っていたのは、明らかに損傷を負って全身から煙を上げるフィスモールの姿だった。




