魔道士は変異する。
「ごふっ……!」
右腕を失い、胸をイクスキャリバーに貫かれたフィスモールは、口から大量の血を吐き出した。
体から力が抜け、その重みが剣を握ったノイルの腕にのしかかる。
だが、彼は目から急速に光を失いつつも、ごぼりと濁った声音で小さくつぶやいた。
「……けん、は、わだじの、もの……だ……」
グルリと白目を剥いたフィスモールから、ノイルが黙って剣を引き抜くと、その体がガクンとかしぐ。
体を締め上げていたソーも離れると、大司祭の死体は地面に倒れ込んだーーーが。
「ヤベェぞノイル! その男の本体はそれじゃねぇ! ナァ!?」
「魔力の気配が……消えてない!?」
ラピンチとアルトの焦った声と共に、空中で魔力の気配が膨れ上がる。
目を向けると、発動直前だった時空魔法が引き起こす空間のひび割れが、宙に留まった右腕を中心にさらに数を増やしており、ステンドグラスのようになっている。
ソプラが斬り飛ばした右腕の断面……浄火に焼かれた部分がドロリと腐り落ち、そこから新たな肉が盛り上がり始めた。
「ッ……あの錫杖か!」
おそらくは神器に類するそれが、ドクン、ドクンと心臓のように脈打つたびに人間が手に持つサイズからドンドン大きくなり、それに合わせて腕が変質していく。
紫の体色を持つ明らかに人外の肉塊になり、それまでとは比べ物にならない瘴気と……砂金のようなきらめきを辺りに撒き散らし始めた。
「これは……!?」
「〝魔性〟だ、ノイル! 部屋の隅まで離れろ、ナァ!?」
普段とは明らかに違う焦った声に、ノイルはソーと目を見交わして同時に飛び退いた。
ーーー魔性。
それは、魔物とも、魔族とも、魔獣とも違う存在だ。
冒険者養成学校の授業で習ったことがあるだけだが、その言葉が持つヤバさは目の前で膨れていく腕だった肉塊を見るだけで理解出来た。
魔性という存在の一つに、人狼病というものがある。
ある種の魔獣に噛まれた人間だけが稀に発症する病で、満月の晩に無差別に生き物を襲う存在になってしまうというものだ。
そうした魔性の存在そのものは知っていたが、まさか聖協会の大司祭が『それ』だというのは予想外だった。
ーーーでもなんで、ラピンチがそれを知ってるんだ?
普段の明るく間の抜けた様子と裏腹に、かの竜人に関することをそういえば何も知らない。
ソーの相棒で、故郷を失った彼を助けたということしか。
だが、ノイルがそんな疑問を覚えた直後に。
肉塊が変異を終え、醜悪で巨大な魔性としての姿をその場に表した。
『我ハ、フィスモール……フィスモール・イプシロン……』
黄金の王冠を被って手に錫杖を持つ、ブヨブヨと膨れ上がった四肢を持つ巨大なゴブリンのような姿。
紫の肉体はブツブツと何かのイボが膨れ上がり、腐った水死体のようにも見える。
頭はフィスモールの顔を醜く歪めたようなもので、黒い眼窩には赤い瞳孔だけが浮かんでいた。
『カツテ、〝勇者オメガ〟ト共ニ在リシ魔道士カラ、天使ヘト昇華セシ者ナリ……』
ーーー天使?
その言葉に、ノイルは嘲りの笑みを浮かべる。
「あなたの神は、ずいぶん趣味の悪い神だね」
『侮辱ハ……許サヌ……全テ、ハ、我ラガ神ノ御意志ノママニ……!』
宙に浮いた巨大な魔性が、時空魔法を完成させて放とうとゆっくり腕を上げる。
『夢幻ノ彼方マデ……吹キ飛ブガイイ……』
そこで。
変異したフィスモールだったモノに向かい、隻腕隻眼のドワーフがミョルニルを片手に地面を蹴って跳ね上がった。
「ハッハァ! ーーーまさかテメェが、オラの左腕を奪った魔獣だったとはなァ!! いや、魔性か!?」
「バスッ!!」
バチバチバチと今までで最大の雷撃を纏う神器を、フィスモールが眼前に構えた錫杖の柄頭に……黒い空間の穴がポツンと浮かぶ、時空魔法の中心点に向かって振り下ろす。
「丁度いいじゃねーか! あの時の再戦と行こうぜェ!?」
凶悪な笑みを浮かべて、無謀とすら感じられる特攻をカマしたバスの雷撃が弾け、時空魔法に干渉する。
『ッ……虫ガ……!!』
神威の一撃によって魔法が歪むと、フィスモールが口元を引きつらせるのと同時に、時空魔法が暴発した。




