幼馴染の少女は、精霊に啖呵を切る。
ーーー怒れる者よ。
ソプラは、頭の中に直接響く声を聞いて目を開いた。
「え……?」
思わず体を見下ろすと、炎に包まれたはずなのに傷一つない。
続いて顔を上げて周りを見回すと、そこはそれまでいた場所ではなかった。
真っ白な、何で出来ているかも分からない地面と、同じように真っ白な空。
どこまでも広がっている何もない世界の中にぽつんと立つソプラの周りを、膝丈の炎の円が包んでいた。
そして目の前には、祭壇にあった聖剣と同じ高さに浮いている巨大な異形がいた。
人に似ているが、赤い肌と、瞳孔のない瞳。
ねじれたツノがこめかみから二本生えており、両手足の鋭い爪と牙の生えた口元、尖った耳。
そして頭からは、銀の鬣が生え、長く足元まで伸びていた。
「……魔獣……?」
『我は聖剣の精霊。炎の化身にして、聖剣そのものにして、試練を与える者なり』
再び頭の中に響いた声は、目の前の異形のものらしい。
その自称精霊とやらが浮いている場所の足元にも、ソプラの周りにあるのと同じ炎の円が描かれていた。
精霊は、そこでさらに言葉を重ねる。
『汝、心根清らかならざれば、我が炎はその魂の全てを焼くだろう。また、我欲のために聖剣を求める者には相応しき報いが訪れる』
ソプラの周りを包む炎の円が、問いかけと共に大きく膨れ上がった。
「っ!」
熱と痛みを感じて思わず顔をしかめるが、すぐに炎は元に戻る。
『ーーー心して応えよ、怒れる者よ。何ゆえ聖剣を求めるか?』
「何で、ですって?」
ソプラは、精霊の問いかけに目を細める。
「あんた、外の状況見てなかったわけ?」
『知覚している。問いの答えを』
「見てたなら分からないの!? オブリガードが死にかけてるのよ! 聖気なら救えるかも、ってアルトが言ったわ。だから取りに来たのよ!」
ソプラにしてみれば、しごく当然の話だった。
「それが終わったら、剣をへし折ってやるわ!」
『聖剣の破壊を望むか。己を利する行為にのみ利用せんとする者に、聖剣所持者の資格なし』
「オブリガードを救おうのするのが、我欲だっていうの!?」
『是。救済は正しき行い、その後の破壊は、己を利するが失われれば所持者としての資格を放棄する行為。その一連、すなわち我欲なりと察する』
表情の読めない異形の顔を、ソプラは睨みつけた。
「そう、なら別に我欲でもいいわよ! 聖剣なんかあるから、オブリガードが酷い目にあってるのよ! 他人を苦しめる道具なんて、道具としての価値なんか微塵もないんだから!」
ダン! と地面を踏みつけたソプラに、少しの間、精霊は沈黙した。
『……聖剣を壊す行いを、正しいと呼ぶか』
「だったら何よ!?」
『それにより救われざるモノが未来に存在するとなれば、その正しさは悪である』
精霊の言葉の意味が、ソプラにはまるで理解出来なかった。
そもそも。
「さっきからゴチャゴチャうるさいわね! 誰が! 自分の行動を正しいとか間違ってるとか言ってるのよ!? いい加減にしなさいよ!?」
『……』
「さっきから人のこと決めつけてんじゃないわよ! 聖剣があるから救われる奴がいるってんなら今目の前に連れてきなさいよ!! 時間がないのよ、こっちは!」
大きく右腕を横に振り、ソプラは叫ぶ。
「どうでもいいのよ、そんなこと! 大体、私の人生を、私の好きに生きて何が悪いの!? 我欲ですって? 上等じゃないの、こっちは正しいとか間違ってるとか、いちいち考えて生きてないのよ!」
やりたいことをやるのだ。
救いたい相手を救うのだ。
我欲と呼ぶのは、構わない。
ーーーだが、それの何が悪いのか。
「オブリガードのためになりゃそれでいいのよ! 出来ることがあるのに、見捨てろっての!? 聖剣が残ってたらもっと今よりも苦しむかもしれないのに、どこの誰ともしれない奴が救われなくなるかもしれないから折るなって!?」
早口でまくしたてたソプラは、肩を怒らせて自分の剣を引き抜く。
そして、目の前の聖剣の精霊とやらにまっすぐ切っ先を向けた。
「どうでもいいのよ! 今、ここで『私が』『オブリガードを』救いたいって言ってんの! そのために出来ることをやるのよ!!」
ただ怒りのままに、ソプラは自分の想いを目の前の精霊にぶつける。
綺麗事なんてどうでもいいのだ。
報いがどうとか言うのなら、目の前の精霊を殺してでも聖剣を手にしてやる。
そんな気概を込めて、ソプラは最後の一言を吐き捨てた。
「ーーーゴチャゴチャ言ってないで、従いなさいよ! この、クソ精霊!!」
『……理屈も何もないな』
異形の精霊は、ポツリとそう言葉を漏らすと、ふわりと地面に降り立った。
「……?」
どこか雰囲気の変わった精霊に、口元を引き締め、肩で息をしながらソプラが訝しさを覚えると、精霊の体躯が少しずつ縮み始める。
『だけど……そういうのは、嫌いじゃないよ』
「は……?」
いきなり口調が変わったのでポカンとしていると、精霊はある程度縮んだところで炎に変わった。
その炎が形を変えて、人の姿を取る。
炎を纏った銀髪の青年。
苦笑を浮かべ、かなり顔立ちが整っているその顔にソプラはどこか見覚えがある気がした。
「……イフドゥア大司祭?」
ヒゲもなく、歳も若い。
だが灰色の髪をした彼と、異形が化身した青年の姿はよく似ていた。
人を食ったような態度の彼に比べると、幾分誠実そうではあったが。
『改めて名乗ろう。俺が聖剣の精霊、というのは、嘘だ』
「嘘!?」
いきなりの種明かしに、ソプラは思わず問い返した。
『そう。聖剣に宿っているのは本当だけどね。昔は君と同じ人間だった』
「……どういうこと? 前に聖剣を持ってたのが、あなたなの?」
『厳密には、先々代かな? まぁあまり変わらないけど、君の言う通りだね』
青年は、軽く肩をすくめてから胸元に手を当てた。
『改めて名乗ろう。俺は、オメガ。聖剣レーヴァテインになぜか宿ってしまったかつて勇者だった魂だ』
苦笑から、浮かべる表情を笑みに変えたオメガは、胸に当てた手をこちらに向けて差し出す。
『聖剣の中で目覚めた時に聞いた、懐かしい言葉を君から聞けてよかったよ。俺は君を、聖剣の所持者として認めよう。俺から離れた、勇者の力を持っているようだしね』
「……?」
力、と言うのは、勇者の適性のことだろうか。
「俺から離れた、って、どういうこと?」
『勇者の資質を持つ者はいっぱいいるけど。君に宿っている力は、かつて俺が持っていた、聖剣レーヴァテインの所持者の力だ』
だから、と言いながら、青年は再び炎に姿を変える。
『俺は君の気概と力をもって、聖剣の所持者と認めよう』
「ち、ちょっと待ちなさいよ!」
『ああ、外の世界で時間はほとんど流れてないよ。そこは安心するといい』
「そういうこと聞いてんじゃないわよ!」
いきなり告げられた情報に少し混乱していると、オメガは軽く、明るい笑い声を立てた。
『俺のことを知りたかったら、イフドゥアに聞くといい。さ、剣を手に取って。ーーーその瞬間から君は、聖剣の勇者だ』
ーーーただ、折らないでくれると嬉しいな、と。
そうしてオメガの声が途切れ、炎が凝縮して現れたのは、赤い聖剣。
目の前にあるそれを少しの間見つめたソプラは、認められた、という事実だけを受け入れることにした。
ーーーま、結果オーライね。
元々、彼に言った通りゴチャゴチャ考えるのは好きではないのだ。
ーーーやってやるわ。
ソプラが自分の剣を収めて、聖剣の柄に手をかけると。
また視界が灼熱に包まれて、真っ白に染まった。




