闇の勇者は悪どく立ち回る。
「聖女オブリガード。貴女の選んだ〝勇者〟は、どちらの方ですか?」
フィスモール大司教は、ふ、と引き締まっていた雰囲気を緩めて目を細めた。
全てを包み込むような柔らかな雰囲気……の演技だ。
ーーーまぁ、普通なら騙されるかなぁ。
例えばこの表情と雰囲気を聖堂の祭壇前で見せていれば、信徒たる者たちは素晴らしい司祭だと思うのかもしれない。
目に宿っていた冷徹な光も糸のように細められたまぶたの奥に隠されており、先ほどの雰囲気を目にしていてもなお、ノイルが優しげな雰囲気を感じるほどだ。
が、オブリガードの背中は全く緊張感を失っていない。
つまり先ほどの冷たい雰囲気が、フィスモールの本性であるということなのだろう。
ノイルは、オブリガードの返答を待った。
「二人ほど、候補がいます。大司教様」
「ほう」
フィスモールは、関心を持ったようにノイルたちを見回した。
「冒険者と見受けられる方が三名に、魔族の方が三名……お二人はすでに神器をお持ちのようですが……」
ノイルはその言葉に舌を巻いた。
バスの【ミョルニル】は見た目からして無骨ながら神聖な雰囲気のある武具だが、ノイルの【イクスキャリバー】は有名でもなければ、見た目はただの黒鞘の片手剣なのである。
ーーーミシーダで、大司教まで成り上がるだけあるみたいだね。
この街の先にある神聖国家『ナムアミ』は、聖教会の信徒が最も多い。
そのナムアミの聖教会と、この国の魔道士協会が知識の探求のために共同で作った街がこの『ミシーダ』なのである。
ここを任される立場にいる、ということは、フィスモールはすなわち『ナムアミ』の中で成り上がった存在なのだ。
「そちらのお嬢さんのどちらかが、資格者でしょうか?」
ソーとラピンチは、自分たちを無視した大司教の言葉に顔を見合わせた。
ーーーそれは仕方ないと思うけどね。
聖剣魔剣の所持に人族と魔族の区別はない、が聖教会はほんの数十年前まで魔族を仇敵として相争っていた勢力である。
そこに安置された聖剣の資格者に魔族が含まれないのは、当然といえば当然の話だ。
表向きで、そうした差別的な扱いを否定していても、お互いの間にある溝は理屈では埋まらない。
むしろ、こんな聖教会の勢力下である街の最奥に来るまで、それを理由に呼び止められなかっただけでも公平と言えるかもしれなかった。
「……ソプラは〝勇者の資質〟の持ち主です」
オブリガードの言葉に、ソプラが目を上げる。
フィスモールを見据えた瞳には恐れや怯みといったものは浮かんでいないが、彼に対して好意を持っていそうでもなかった。
単に相手の凄さが分かっていない、というわけではないだろう。
ノイルはトントン、と軽く太ももを指先で叩く。
口裏を合わせろ、の合図に、ソプラはこちらに目も向けないまま口を開いた。
「私は〝勇者の祭典〟に出るために聖剣を探しています。正式に神託を受けたので、たまたま知り合ったオブリガードにお願いしました」
スラスラとほぼ事実のみを口にしたソプラに、フィスモールは改めて目を向けた。
「なるほど。勇者の資質に関しては、疑うものではありません。我らが神の祝福を受けた貴女を、私は歓迎いたします」
「光栄です」
「ですが」
フィスモールは、あくまでも柔らかく否定の声を上げる。
「この地に安置された聖剣は、邪悪を討つために存在しているものです。軽々しく、人同士の争いのために持ち出すべきではありません」
穏やかに諭されて、ソプラは小さく眉根を寄せた。
「〝勇者の祭典〟は本来、人同士で争わないようにと作られたものなのでは……?」
各国が勇者を選出し、お互いに戦う、というのは表面上を見ればただの闘技会に過ぎない。
だが、ここで示されるのはお互いの国力であり、その勇者を擁するという戦力の示唆である。
〝勇者の祭典〟で勇者が好成績を収めれば国際社会での発言権も増すという暗黙の了解の元に開催される……要は冷戦状態を維持するための祭典だ。
「そもそも、祭典の主催は神聖国家『ナムアミ』だったはずだけど……ねぇ、アルト?」
「そうね」
ノイルが世間話のようにソプラの言葉を補填すると、アルトもうなずいた。
「その通りですよ」
フィスモールは、まるで自分の中では何も矛盾していないかのように、こちらの話にうなずいた。
「だからこそ、申し上げているのです。あの剣を世に出すのは、世界が保っている調和を崩す可能性があります。真なる邪悪との闘争以外で、目覚めさせるべきではないのです」
そのことを、貴女も理解していると思いましたが、と。
フィスモールがソーたちに目を向けながら揶揄するような言葉を口にすると、オブリガードは小さくアゴを引いた。
幾度も視線を向けられたソーが、不愉快そうに獣の耳に小指の爪を突っ込んで言い返す。
「さっきから奥歯にモノが挟まったような喋り方だな。……なんだテメー、魔族だから邪悪だってぇのか?」
「そうしたことは、一言も申し上げておりませんよ。ですが安置された聖剣は、心根清らかなる者に確実な勝利をもたらすための剣である、と言われております」
挑発に乗るのは愚策だ。
案の定、フィスモールはソーの言葉を透かして、オブリガードに目を戻した。
「しかし勝利は、必ずしも平和をもたらす訳ではないのです。調和こそが平和とするなら、魔族とも調停を結んだ今、むしろ人の為の剣が乱れの元凶になる可能性があります」
それを是とは出来ません、と言う彼の言葉は、なるほど額面通りに受け取れば正しいことを言っている。
ーーーでも確実に勝利をもたらすって言うなら、むしろ欲しいんだよね。
ノイルは内心だけ本音をつぶやいた。
真実なら、ソプラがそれを手にしていれば『負けることがない』という理屈になる。
それこそがノイルの望むところなので、最悪目の前の大司教を殺すことになっても手に入れるのが自分にとっての『正しい行い』だ。
が、誇張されているだけで、本当はそこまで都合がいい剣ではないだろうとも思っていた。
つまりは、フィスモールの言葉は聖剣を渡したくないなにがしかの事情を隠す為の、屁理屈だ。
ーーーさて、どうやって切り崩そうかな。
考えながら、ノイルは口を開く。
「フィスモール大司教。発言をよろしいですか?」
「どうぞ」
「貴方様の懸念はその通りです。ですが我々には正式な聖教会の許可書があり、同時に〝剣の護り手〟である聖女の認可もあります」
「……そのようですね」
「大司教のお志、深く理解いたしました。ですが、聖女とは神より与えられた神聖な役目を負う者であり、その認可は神の意志であると言えるのではないでしょうか」
真正面から試練を受けさせろ、なとど言っても無駄な相手である。
であれば、相手の弱みを突いていく方が幾分か勝機があるだろう。
「さらに、約束や誓約とは、聖教会の聖典、その第一義に記されており、守るべき『人の矜持』と神は示しておられます。であれば」
ノイルは一歩前に出ると、オブリガードの横に並んで自分の胸元に手を当てた。
「試練を受けること、そのものだけは認めていただける範囲かと愚考いたします」
「と、言われますと……?」
フィスモールは、こちらの真意が読めていないのか、あるいはとぼけているのか、発言の内容には触れずに問い返してきた。
「試練に臨むことは、誰にも止められぬ神の定めた教義の内ではありませんか? ……そして同時に、聖剣を手にする資格があるかどうかも、神の御心のままに定められていることです」
「確かに……その結果聖剣を手に出来ずとも、試練を受ける権利『だけ』は、私に止められることではありませんね」
「ええ。しかし我々としても、世を乱す可能性のある剣を外に持ち出すのは憚られます」
ノイルはにっこりと笑い、本題に切り込んだ。
「なので、こういうのはいかがでしょう。我々は試練を受け、認められなければそのまま去ります。ですがもし仮に認められたとしても、持ち出すことはしない、とお約束しましょう」
すると、オブリガードとソプラがその言葉に息を呑んだ。
当然の話だろう。
オブリガードはこの地から解放されるために、ソプラは聖剣を手にするためにこの場にいるのだ。
「……意図が読めませんが」
「所有者に勝利をもたらす剣である、というのなら、所有者と認められるだけで身の安全が保証されることになる、とは思いませんか? 持ち出さずとも、認めて下さるだけでいいのです」
所有者が生まれた、と聖教会が保証するのなら、それは聖教会の後ろ盾を得るも同義である。
「我々は、他の地にて改めて聖剣を手に入れることにいたします」
聖剣そのものは他にもあるので、手元になくとも良い。
そして聖教会が持ち出されることすら恐れる聖剣の所有者となれば、逆に他の地で聖剣を手にする際に箔がつく。
巨大な後ろ盾と保証によって、話が通りやすくなることは明白だ。
そうしたことを言外に滲ませると、初めてフィスモールの態度が揺らいだ。
こちらを認める方向ではなく、警戒する方向に。
ーーーここからが本番かな?
今のところ優勢だが、もうひと押し何かが欲しい。
そう思っていると、後ろから楽しげな笑い声が響いてきた。
「はっはっは、フィスモール殿。なかなか面白い少年ですなぁ!」
大司教に対して随分親しげな声音に、一番最初に振り向いたのはオブリガードだった。
「イフドゥア大司教!」
「おお、オブリ嬢。久しぶりに顔を見たな……元気だったか?」
フィスモールに対する時とは違う明るい口調の彼女に、えらく砕けた口調で大司教と呼ばれた男は片手を挙げる。
長く伸ばした灰色の髪に、伸ばしっぱなしのヒゲという出で立ちの痩せた男は、確かにフィスモールと同じ服装をしている。
そしてそんな外見でも、不潔さより野性味と少年のような雰囲気を纏ったイフドゥアは、渋面を浮かべた同僚にニヤリと笑みを浮かべて見せた。
「楽しそうなやり取りを耳に挟んでね。少しばかり、俺も混ぜてくれるかい?」




