幼馴染の少女と再会が早い。
「じゃ、行ってくるー」
親に声をかけると、はーい、という返事が戻ってきた。
これから異国に息子が向かうというのに、顔も見せない母親の軽さに、さすが自分の母親、とノイルは思った。
お互い、あんまり物事にこだわりのない性格をしているのだ。
養成学校生活でも、寮暮らしとは言え週末には戻ってきていたのでそのくらいのつもりでいるのかもしれない。
ーーーまぁ、そんなポンポン戻ってこれるのかはよく分からないけど。
魔の国は、ここから歩くとそこそこ距離がある。
人族の国々との間に魔物の支配する大森林も挟んでいるので、下手をすると帰ってくるだけで一ヶ月くらいかかるだろう。
もっとも、魔力で動く【賢者の板】があれば連絡は取れるので、正直会えなくてもいいか、というくらいノイルは気軽なものだった。
【賢者の板】はなんでも物凄い大魔導師が開発したもので、これ一つで色んなことができる優れた魔導具である。
声も届けられるし、文字を打つと届けたい相手の手元にある賢者の板の紙面に反映されるのだ。
風景を念写できるし、それも送れる。
その上、最近では『共有記憶』と呼ばれる情報共有空間上に地図や魔物図鑑を見れる機能まで追加されているし、冒険者ギルドの依頼もそこで受けられるようになった。
社会を変えた、至れり尽くせりの板である。
「そろそろだな」
玄関の靴箱に置きっ放しのそれに表示してある時計で時間を確認した後、ポケットに放り込んだ。
だが、ノイルが外に出て歩き始めると、いきなり声を掛けられる。
「ちょっと! ま、待ちなさいよ万年二位!」
幼い頃から聞き慣れた声に、ん? と振り向くと、先ほど別れたばかりのソプラが彼女の家の前に立っていた。
なぜか目を真っ赤に腫らして、グズ、と鼻をすすり上げている。
「どうした、花粉症か?」
「確かに最近その時期だけど、私は魔法薬でここ最近患ってないわよ!」
「そりゃ良かったな。飲み過ぎたら効かなくなるらしいから気をつけろよ」
「うん、ってだから違うって言ってるでしょ! このバカ!」
ムキー! と怒って地団駄を踏むソプラに、ノイルは頬を掻きながら眉根を寄せた。
「ソプラ。俺急いでるんだけど……挨拶はさっきしたろ?」
「わ、私と話すより用事の方が大事だって言うの!? ノイルのくせに!」
「そりゃ遅刻はダメだろ。待ち合わせだし」
するとため息の音が聞こえた。
ソプラの後ろに目を向けると、そこにアルトまで立っている。
「それがダメだって言ってるのに……」
などとつぶやいているが、ソプラの耳には入っていないようだった。
「じゃ、じゃあ待ち合わせなんか行かなくてもいいようにしてあげるわ!」
腰からスラリと細身の片手剣を引き抜いて、ソプラが構える。
意味がよく分からず、ノイルはパチクリとまばたきしてから問いかけてみた。
「えーっと。なんで剣を?」
「勝負よ、ノイル! ど、どうしても行きたいなら、私を倒してから行きなさい! そ、それでもし、もし私が勝ったら!」
ズビ、と鼻を鳴らしたソプラは目と鼻をゴシゴシと袖で擦り、言葉を重ねた。
「あ、あなたは私と一緒に、冒険に出るのよ!」
ノイルは、うーん、と考えた。
「……ソプラ、やっぱり花粉症なんじゃない? 頭がぼーっとしてるから訳わからないこと言ってるんじゃないの?」
純粋に心配したのだが、彼女の返事はトゲトゲしかった。
「違うって言ってるでしょ! いいからさっさと剣を構えなさいよ!」
気が進まないなー、と思いつつ、ノイルは自分も腰に差した剣を抜いた。
こちらはごく普通の片手剣で、幅の広さ以外は特にソプラのものと変わりはない。
ーーー約束を破るのはダメだしなー。仕方ないか。
ノイルは、約束の順番をきちんと守るタイプなのである。
魔王に誘われて了承した以上、向こうに行くのは揺らがない事実だし、約束の時間には間に合うものなのだ。
「後悔するなよー?」
「どっちがよ!? あなた、養成学校に入ってから私に一度も勝ててないの、忘れてるんじゃないでしょうね!」
「忘れてないよ」
当たり前じゃないか、と思いつつ、ノイルは笑みと共に告げる。
「ーーーだって、ずっと手加減してあげてたんだから」