幼馴染の少女は、因縁をつけられる。
「さてと」
ソプラを無事に返したノイルは、のそりと影から現れたバスに手を挙げた。
「おめぇ、何がどうなってんだ?」
「領主様に協力することになった……っていうか、次代のターテナーっていう息子に協力することになった、って感じかな」
「はぁん?」
「後で説明するよ。とりあえず会いに行こう」
また面白いことしやがって、という感じで片眉を上げたドワーフも連れ立って、再び屋敷の中に入る。
案内されたのは、二階の一室だった。
待っていたのは、金髪碧眼の少年だった。
貴族の資料に載っていた祖父の肖像画とはあまり似ていないので、おそらくは母親似なのだろう。
自室らしく、何かの本を窓辺の一人がけテーブルに座って読んでいたらしい彼は、立ち上がって柔らかい笑みを浮かべた。
「初めまして。君がハモニさんから連絡があったノイルさんですか?」
「そうです。お初お目にかかります、ターテナー様」
相手は貴族なので丁寧な口調で膝をついたノイルに、少年は朗らかに笑う。
「敬語も臣下の礼も必要ありませんよ。今の僕はただの領主の息子で、まだ尊敬に値するようなことは何も成し遂げてないので」
はっきりとそう言い切って手を差し出すターテナーに、ノイルは立ち上がってその手を握った。
見た目に細いと感じたが、手には剣ダコやペンだこに加えて、杖触り、と呼ばれるツルツルとした感触があった。
魔法の媒体となる杖に魔力の伝達を行うのに熟達するほど、なぜか指紋や掌紋が消えていく……それを指して杖触りと呼ぶのだ。
「地位があるにも関わらず文武魔法に手を抜かない方が、こちらに丁寧に接してくださるのに無礼な態度は取れませんね」
「じゃ、僕がタメ口なら同じように接してくれるかい?」
急に口調を崩したターテナーは、ニヤリと貴公子然とした容姿に似合わない笑みを浮かべた。
「この領地の状況を一目で見抜くほど頭がキレる上に、直接ハモニさんのところに乗り込んだ度胸の塊のような人物、と聞いているよ」
「過分な評価だと思いますけど」
「僕は友人が欲しい。それも賢い人をなるべく多くね。そっちの方がいつか領地を継いだ時にやりやすいと思うし、利害関係がはっきりしている方が接しやすい」
だから謙遜はいらない、と手を離した少年に、ノイルは好感を持った。
この類いの好感はノイルにとって珍しいものだった。
ハモニと違い、裏表なく歯に絹着せない物言いだが目の奥には知性があり、背後のドワーフや獣人たちにも同じように握手して回る様子には差別の意識も見えなかった。
「なるほど。……俺もあなたの友人になりたいと、今思いましたよ」
「そう? 僕も一目見た時からそう思ってたから、一緒だね。楽しい関係が築けそうで嬉しいよ」
ノイルは自分でわざわざ椅子を出してきて進めてくれたターテナーに、礼を言いながら腰を下ろした。
「侍従はいないんですね」
「僕は自分のことくらいは自分でしたいと思ってるからね。父親の傍若無人ぶりを見てると、いい反面教師になる。母も死んでいなければ、あの父親に愛想を尽かしていたかもしれない」
ーーーなるほど。ハモニが気に入る訳だ。
どう見ても悪評高い彼の父親よりも、ターテナーの方がはるかに統治者に向いている。
黒幕はハモニだと思っていたが、こうなると実際、本当に二人で領地を影から運営していると思えた。
「帳簿は、もしかして貴方がつけているのですか?」
「あ、分かる? やっぱり外からごまかすより、中にいる人間の方がその辺はやりやすいからね」
そうして棚からお茶のセットを取り出したところで、ふと動きを止めたターテナーは、ノイルのポケットを見た。
「魔力の気配がするけど」
彼がそう言った直後に、賢者の札に着信があった。
思った以上に魔法に熟練しているようだ、と思いつつ『失礼します』と札を取り出す。
見ると、アルトからだった。
「どうしたの?」
そう問いかけるのに被せるように、切羽詰まった声が聞こえて来る。
『ノイル!! ソプラが……魔族に襲われて……!!!』
ーーー襲われた?
その意味を一瞬頭の中で反芻して理解した瞬間、ノイルは駆け出した。
※※※
話は遡り、十数分前。
行く手を塞がれたアルトは、ソプラとともに立ち止まった。
「何よ、あなたたち」
ソプラが誰何したのは、二人の魔族だった。
一人は、おそらくオーガと呼ばれる種族の大男。
下顎から巨大な牙を生やした凶悪な顔をしている。
もう一人は、キツネ顔の獣人だった。
動きやすそうなローブを身に纏っており、暗殺者なのか魔導士なのか見分けがつかない。
「お前さっき、ノイルとかいう小僧と一緒にいただろ?」
「だから何よ」
キツネ顔の甲高い声に、ソプラの顔が不機嫌そうなものに変わる。
しかし相手は全く意に介さず、キャキャキャ、と笑った。
「俺らは、アイツに恨みがあってな。せっかく魔剣を手に入れるチャンスを小賢しい手段でフイにされた」
「だから、少し嫌がらせしてやろうと思ってな」
ニヤニヤと、キツネ獣人は短剣を取り出し、オーガは腰のオノを抜き放つ。
「痛めつけてやるよ」
「恨むなら、あの小僧を恨むんだな」
その言葉に、ソプラがピクリと眉を震わせた。
ーーーマズイ。
そう思ったアルトが声をかける前に、ソプラも剣を抜く。
「へぇ。ノイルに勝てないから、弱っちそうな私を倒して鬱憤を晴らそうってわけ?」
「アレのバックにゃ魔王がついてるからな」
「だがテメェなら、殺したって文句は出ねぇ。小僧の悔しがる顔が目に浮かぶぜ。……ま、殺す前に楽しんでやってもいいがな」
オーガはベロリと舌舐めずりをした。
「どっちもツラが良い。泣き喚く顔は最高だろうぜ」
「お前も好きだねぇ」
キャキャキャ、とキツネ獣人が笑うのに、アルトは小さくソプラに声を掛ける。
「相手の実力も分からないのに、ダメよ……! 逃げる方法を考えないと……」
「……あいつら、強いわよ。二人で逃げたら逃げ切れないと思う」
言い返してきたソプラは、冷静な顔をしていた。
ノイルのように腹黒くはないが、彼女も学校首席……しかも勇者の素質を持つ強い少女なのである。
多分、アルト以上に正確に相手の実力を見抜いているのだ。
「だから……私が引きつけてる間に、あなただけでも逃げて」
「え……」
「あなたが逃げたのを確認したら、私も逃げるから」
微笑んだソプラは。返事も聞かずに軽く剣を構えて、スキルを発動した。
「ーーー〝強襲特化〟。……教練3番! 隊則例外12番!!」
突然声を張り上げて石畳を蹴ったソプラに、アルトは叩き込まれた通りに動いてしまった。
教練3番は、撤退戦の先駆けを行う者がそれぞれに敵側と逃亡側になりながら交互に入れ替わって移動する動き。
そして隊則例外12番は……戦線を支える必要がない場合、かつ彼我の実力差が明白な場合の敵前逃亡を許可する例外だ。
合わせると〝一人で逃げろ〟。
ーーーもう! もうっ!!
一回動いてしまえば、今更戻る動きを見せたところでワンテンポ遅れるだけだ。
なら、アルトに出来ることはもう、後一つしかない。
【賢者の札】を取り出して元来た道を疾走しながら、アルトはノイルに連絡を入れた。




