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数日後、私はバシーノたちが泊まっている宿に顔を出した。受け取っていた手紙の返事を渡しに来たのだ。
「キュフさんもずいぶん良くなって、安心しました」
キュフさんはこの宿で治療を続け、自分で歩いて回れるくらいに回復した。
「あとは旅ができるくらいに鍛えてやらないと」
バシーノの言葉にキュフさんは怯えて寝台に戻って眠ったふりをする。武人の鍛えるというのが、一般人の想像を超える過酷さだろうと想像がついたようだった。
「あの村長は何も言ってこないようだな」
「うん。キュフさんの言う通りなのかもしれない」
昏睡状態だったキュフさんが目を覚ました時、第一声が「あの村長には気をつけて」だった。キュフさんは眠っている間に、アロアの記憶を見てしまったという。
アロアの記憶では、スペルバ様が亡くなった後、健康な村人はあの村長が治める村に移住したいと申し出たそうだ。しかし、村長は病気が村に入っては困ると言って拒み、村人を全員を殺した。集会場に置かれていた骨はその時殺された人たちのもので、村長は骨すらパブロワの村人を自分の村に入れたくなかったらしい。あくまで、アロアの記憶と思われる夢の話。
もしその話が事実ならば、この殺人行為は決して許されることではない。しかし、迫害され続けてきた人が突然、よそ者を受け入れられるだろうか。きっと無理だろう。
自分に置き換えてみたら、この町を守るためなら私も殺しはしないが追い出したりはするだろうと思う。
「病気を持っているかもしれない僕を取り戻しに来たりはしないと思う」
キュフさんの言う通り、村長からはなんの便りもない。もし便りが来たとしても、その時はまた軽く誤魔化しておこう。
私は青い封筒をバシーノに渡す。
「君がこれを持ってきたとき、私はバシーノが生きていてくれてほっとしたんだ」
「何を急に……」
「君の事だから、先の戦には志願しただろうから、死んでいてもおかしくないと思った」
ケルウス王国との戦が勃発し、グッタは勝利を収めたが、死傷者も多く出たと風の噂に聞いた。
「確かに俺は志願したんだが、受け入れてもらえなかった」
「そんな、今回の戦はスペルバ派を一掃するには打ってつけだったはず」
僧侶の中でも派閥があり、私たちスペルバ派はその派閥争いに負けて、こうして地方に左遷させられている。バシーノもいい所まで上り詰めていたのに、スペルバ派というだけで地方伝令係に落とされた。
「今回は、サラトガ様が自ら総指揮として戦地に赴かれた」
「どうしてあの出不精が?」
私の知っているサラトガという人物は、聖人補佐官という役職で寺の奥にこもって事務的な仕事を主にしていたはずだ。小さい会議にはまず出席しないし、自分より身分が上の人には露骨に胡麻を擂るしかできず、戦地に出て指揮をとれるような才覚や力量のある人ではなかったはずだ。
「俺、あの笑顔で嫌味を言うのが苦手だ」
「私はスペルバ様を嫌っていたから嫌いだ」
あの人を好いている人間などルクスには居ないことは確かだ。
「そんなのでよく勝利できたものだ」
「そう、あんなに病人や大罪人を連れて、統率が取れていたなんて嘘だ」
「病人まで連れて行ったのか!」
その言葉を聞いて、私たちスペルバ派よりももっと彼らにとって面倒な人材を徴兵したのだと分かった。あわよくばいなくなって欲しいという下心が見え見え過ぎる。
「相変わらず、腐っているよ。ニト、ここの寺の中にいるあいつらもそうだろう?」
一瞬にして首回りの血の気が引いた。
「バシーノ……」
「部屋の奥の寝台で踏ん反り返っているあの男たちだ。あの靴は戦地靴で、この度の戦で雇われた負傷か脱走の兵だ」
「い、いつから」
「初日からだ。都には引き取りの便りをもう出してある」
「いつ?」
「パブロワに出発する前だが」
私は勢いよく立ち上がって、宿を飛び出た。とにかく寺に戻って、あの二人を隠さなければならない。
回転の遅い足を懸命に動かして寺に辿り着いた時、門の前でうちに手伝いに来ていたソラさんが赤い鳥と一緒にそわそわした風で立っていた。
「ニト様!」
私を見つけるや否や駆け寄ってきて、寺の方を指さす。
「どうしましょう。都から罪状調査官という人が来ているんです」
遅かった……。私は返答もせずに、息を切らしながら寺の中に駆け込んだ。
病室として使っている扉を勢いよく開けると、中には甲冑を身に纏った大柄の男が三人と、青い官服に身を包んだ女性僧侶の姿があった。
「これはこれは、お早いお帰りですね。ニトーシェ殿」
罪状調査官というのは、法典の名のもとに罪を調べてその罪状を明確にする僧侶の事を指す。認定官とか審問官とか数種類あって、総じて罪官と呼ぶことが多い。
「ここで何を?」
「シャルサックの教寺にて兵士がいるとの通報がありました」
「兵士……そんな人はここにはいません。お引き取りください」
「いいえ。この度、軍志願帳簿と照らし合わせた結果、そこの男性二名が脱走兵だということが判明いたしました。これにてルクスへ連行致します」
男二人は甲冑の僧兵に叩き起こされ、手に縄をかけられている。
「待ってください。彼らは病気なのです。治療が済むまで連れて行かないでください」
「病気?どう見ても健康そうだけどね」
手に縄を付けられ、裸足でトロトロ歩く姿にはどこも体に麻痺などは見受けられない。
「お願いします。病気が治り次第、私がルクスへ送り届けますので、どうか」
「ニトーシェ様、俺たちのことはもういいんです」
頭を下げる私の肩を叩いたのは、手に縄のついた二人だった。
「これでやっと不味い飯を食わなくて済むんだ」
「こんなしみったれた場所より、都会の豚箱のほうがよっぽどマシってこと」
「ダメです。ここに居てください」
男二人は顔を見合わせて、少し笑った。
「ニトーシェ様くらいだよ。こんな厄介者にここに居ろっていう奴は」
罪官が動いたとなると、確実に何らかの罪は確定している。敵前逃亡なら一生重労働か死刑。この町に来ての殺人や傷害事件が知られていれば、もちろん死刑だ。
「ロゼット様、厨房の棚に大量の薬瓶を発見しました」
部屋に入って行きたのは四人目の僧兵で、ロゼットと呼ばれた罪官は「ごくろうさま」とねぎらって、厨房の方へ向かう。
ロゼットが私を手招くので、しぶしぶ付いて行く。
「中身は確認しましたか?」
「高濃度の麻痺薬です」
戸棚には鍵をかけていたのだが、僧兵は無理矢理にこじ開けたようだった。厨房のあらゆる引き出しや棚も荒らされている。
「ニトーシェ殿、これはどういう意味ですか?」
「傷治療や病の末期症状を誤魔化すために使用している麻痺薬です」
「それにしてはずいぶん多いんですね」
「患者が多いので、切らすことなく用意しています」
「そうでしたか。確か、麻痺薬はシャルサックの特産物でしたね」
古来より、この土地には食せば麻痺を起こす茸が自生しており、無味無臭という事で貴族階級がこぞって買い占めていた。おかげでこの町はこの麻痺薬で裕福な町だったという。
「この薬品は薬品管理規制法で、薬師又は調薬師の管理を義務付けているはずです。一個人、一団体に所有できる量をずいぶん超えているようですが」
「ならば、私も一緒に連行してください」
私の言葉にロゼットは眉を動かした。
「そう言えば、ここの患者から脱走兵の二人に麻痺症状が伺えたと聞きました。どんな治療で使用したのですか?」
にこやかな表情のまま、私の顔を覗き込んでくる。よく見ると、どこかで以前会ったことのあるような見覚えのある印象を受けた。
「それは……」
「麻痺?そんなもん演技に決まってるだろう」
私の言葉を遮って、男たちが大声で叫んだ。その声は入院中の患者の耳にも届いただろう。
「ここへ来たとき、酒場で酒をあおって泥酔したらここへ連れてこられていた。それで二日酔いで寝込んでたら飯は出てくるし、宿賃もいらない。これは都合がいいからってそいつと病人のふりをしただけだ」
「ニトーシェ殿、本当ですか?」
困ったようにロゼットが私に聞き返す。私もどう答えたらいいのかわからず、口ごもってしまった。
「あんた、俺たちと一緒に死のうなんて無理に決まってるだろう」
「あんたが、いつもはやく病気にかかって死にたいってぼやいてたのは知っている。心の声が漏れ過ぎだ」
この二人の言う通り、私はずっと人の死を見送るという日常に、遺族の悲しみを汲むという日常に疲れていてすぐにでも死んでしまいたかった。
「すまないな。あんなに優しくしてもらったのに、あんなに神様の話を聞いたのに改心しなくて」
「死んで生まれ変わったら少しはマシな人間になるからよ」
そして二人は町の人たちに「すまないと」心からの反省の言葉を私に託けた。
彼らが来た日、本当は酒場の女性従業員が「特産物を出せ」と暴れた二人に麻痺の茸を出した。二人は食べたとたん昏睡状態になり、この寺に運ばれてきた。女性従業員はこの男たちに幼い息子を殺されており、恨みによる犯行だった。
目が覚めた二人には麻痺が残っていて、その分大人しくなった。町の人々はこのまま麻痺薬を与え続けようと私に提案した。私は町を守るためならば仕方ないとその提案を受け入れた。
その次の日、体調を尋ねると彼らは手足に力が入らないと答えた。そしてその次の日もそのまた次の日もそう答えた。私は一切薬を盛っていないのになぜ?
疑問の日々は続き、とうとう数日が経った頃ようやく分かった。彼らは病人のふりをしてここに残ろうとしているのだと。その理由は分からなかったが、私の話に耳を傾け、少しは改心しようとしてるのではないかと希望を抱いた。そして彼らの演技を誰にも言わず、人々には私が薬を使っているからだと信じさせた。
しかし改心したとして、彼らの犯した罪が消えてなくなるわけではない。
「どうしてこの町にやって来たのですか?」
最後にこの寺を出て行く二つの背中に問いかけた。
「それは、大きな罪を犯したら死ねると思ったからだ」
「俺ら詐欺師に死刑はないから、戦にも志願したが死にきれず、この町で人を殺せば死ねるだろうと思った」
「どうしてそんなに死にたいんですか?」
「そんなの、ニトーシェ様と同じ気持ちだからだ」
そうあっさり答えて、二人は僧兵に連れて行かれてしまった。
そうか、私はまたしても人を救うことが出来なかったのか。
はじめはこの二人を殺してやろうと衝動的に思った。でも、麻痺のふりをしてまでここに残り、私の話を聞く二人を見ていて、彼らをなんとか真っ当な人間にすることができるのではないかと、淡い希望を抱いた。しかし、そんなに簡単に物事は都合よくいかないのだと思い知らされる。
「貴方たちを殺したいと思った事、どうか謝らせてください」
私の懺悔は彼らには届かなかっただろう。こんな懺悔はただの自己満足に過ぎない。つくづく愚かな人間だと情けなく思った。
残されたロゼットが私にくるっと向き直り、こっちへ歩み寄って、顔を近づけてきた。
「あの麻痺薬、すべて私に譲ってくれませんか?そうして頂ければ、この薬の製造者も管理者も、毒茸を客に出した者も、罪人を匿ったあなたも見逃してあげます」
すべてお見通しというか、すべて把握されている。私だけならもちろんこの交渉は断ったのだが、町人の人生すら引き合いに出されては私が断るわけがない。
「好きなだけ持って行ってください」
「安心してください。あなたにはまだ死んでもらっては困るんです」
表情は笑っていたが、目の奥はとても冷ややかで直視するだけで、こっち胸の奥が凍りそうだ。
「ニト様、二人を行かせていいんですか?」
調理室前に飛んで来たのはソラさんで、心配そうにこちらを窺っている。そして質問に答えたのはロゼットだった。
「いいんですよ。彼らは詐欺罪に逃亡罪に殺人罪に傷害罪などなど、罪深い人たちだったのです。安心してください、神の名のもとに罰せられますから」
飄々と語るロゼットの背中に私は言葉を投げた。これだけは譲れない私とスペルバ様の信念だから。
「神の名のもとに罰など下してはならない。人を罰するのは人です」
そうだ。自分で言っていて改めさせられる。人を簡単に殺そうと思ってはいけなかった。
私たちスペルバ派が左遷された理由、それは死刑制度を否定したから。
私は心の中でスペルバ様に何度も謝った。人々に嘘をついて騙し、自分の命まで放棄しようとし、人を簡単に殺したいと思った私にあの方はきっと怒るだろうから。
ロゼットは手を叩いて少女の様に喜んだ。そして満足げに笑って歌すら歌いだす。それはスペルバ様が好んでいた御詠歌だった。
「いずれお迎えに上がります。ニトーシェ様」
その歌声を聴いて、ようやく思い出した。ロゼットはスペルバ様と一緒に合唱団で歌っていたあの少女だ。
ロゼットは上機嫌で歌を歌いながらシャルサックを出て行った。あの妙に耳に残る歌声がいつまでも聴こえているような気がして、私は耳を塞いだのだった。
スペルバ様の日誌を一枚一枚捲っていくのだが、ほとんどが白紙だ。
私は町の人々に謝罪した。今まで麻痺薬を使っていたと嘘を吐いていたことに、罪人を寺に置いておいたことに、都に通報しなかったことに、流行り病を対処できていないことに、そしてスペルバ様を連れて帰ってこれなかったことに。
不甲斐ない私を町の人々は許してくれたが、謝ったところで消えないのは罪悪感と無力感だ。
簡単に人を騙し、救えるかもしれない命を救えず見殺しにして、殺人衝動にも駆られ、生きる気力もない。これならあの二人と一緒ではないか。どうして私だけが何の罰も受けないのか。祈っても祈ってもその答えが未だに出ない。
白紙続きの日誌の中に小さな文字の集合体を発見した。
「よく、ここまで小さく書きましたね」
睫毛が当たるくらいまで日誌を近づけて、その内容を読んでいく。
ニトーシェさんへ。こんなところまで読むのは貴方くらいなものでしょう。最後にもう一度伝えておきます。私たちは人を救えない。神様にはなれないし、神様になってはいけないから。見捨てなければそれでいいんですよ。貴方は無力さを数える悪い癖を持っているのでそれを治しましょう。
この小さな文字からは、スペルバ様の声が聞こえるようだ。また泣きそうになった私は日誌をすぐに閉じた。
「ニト様!それではもう、行きますね」
「ニト、世話になった。また顔を出す」
二人は今日これからルクスに向かって旅発つ。肩に赤い鳥を連れて、華奢な少年の手を引いて、紅葉で赤く染まった秋の道を行くのだ。
「道中、気をつけて」
もう、二度と会えなくても、やはり人というのはこんな風に別れの言葉を言いたくなる生き物なのだろう。
「また会いましょう」
手を振る友人たちに私も手を振り返した。スペルバ様の言う通り、別れというのは手を振るくらいがちょうどいいのかもしれない。
刺さるような夕日の光線は熱くて、僕には眩しくて目を逸らす。
隣で歌を歌っていた僧侶が、音階をなぞるのをやめて僕に語り掛けてきた。
「私はこの都を出て行くんだ」
先日宗教会議が行われ、巫様を支持する一派が異端とされて神教から除外された。この僧侶は巫派らしく、首都ルクスを追い出されるらしい。
これから何処へ行くのかと尋ねると、僧侶は少し間を置いて切なげに答えた。
「ここから北東にパブロワという町があって、そこへ行こう決まった。その町は巫様が奇跡を起こした町として有名で、私たちにとっては聖地だから受け入れてくれるだろう」
巫様は静養先のパブロワという町で、心臓の止まった少年を生き返らせたという。
噂に聞く巫様というのは独自の治癒魔法を編み出し、これまで治療不可能とされてきた様々な病を癒してきた。その治療効果は劇的でまさしく奇跡だと言われている。
「寂しいね。生まれ故郷を離れるというのは。二度と戻ってこれないからこうして感傷に浸っているんだ」
虚しい笑い方をする僧侶の横で、僕も同じ経験があると同調した。
「この夕日が沈んだら、もうここを懐かしむのは止めようと思う」
僕は真っ赤に染まる僧侶の横顔を見ながら質問した。どうして夕日を浴びているのかと。神教の僧侶は赤を避けて夕日や朝日を見ないようにすると聞いたことがあったからだ。
「赤い光が駄目だ、見るな、浴びるな、というのは最近の可笑しな風習で、法典にはそんな規則は載っていないんだよ。アーザムという聖人様は夕日の中で神のお告げを聞いたくらいだ。なんの問題もない」
僕はそのアーザム様と言う人を知らなくて、僧侶に「珍しい」と笑われてしまった。
夕日が水平線の彼方へ落ちていく。光線の威力がだんだん弱まり、紺碧の空が深まっていくと、物悲しい雰囲気が漂い始める。
僧侶は赤い光の筋が沈むのを確認すると、踵を返して、僕の横を通り過ぎていく。
「それではもう、行くよ」
僕は最後にもう一つだけ聞いてみた。アーザム様はいったいどんなお告げを聞いたのかということだ。
「……人々よ、魔法を捨てよ」
その言葉は僕の胸に夕日の光の様に熱く鋭く突き刺さった。痛みすら感じた。
僧侶の背中が小さくなるまで見送った。彼は一度も振り返ることはせず、夜の街に消えた。
エアルの手記より。