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浅い眠りから覚め、私たちは朝早く宿を出た。村長の家の前に書置きを残し、パブロワに戻る。
一度寺へ戻り、一旦落ち着いてから昨日の続きを始めた。石を集めて石塚を作っていく。皆黙々と作業をして気づけば立派な塚が出来ていた。
ソラさんはどこからか沢山の根付き花を持ってきて、墓の周りに植えていく。
「私も手伝いますよ」
「ニト様は休憩していてください。僧侶様は花を摘んではいけないんでしょう?」
「植えることは出来ますよ」
僧侶とは不自由な生き物で、夕焼けも朝焼けも浴びてはいけないし、花を摘んだり除草剤を撒いてはいけないという決まりがある。
「いいんです。これは私の役目ですから」
ちなみにバシーノも僧兵に分類されるので、私と同じく花は摘めない。でも、伝令係として各地を飛び回っているようなので、夕焼け云々は気にしないようだ。
「ニト、これが終わったらシャルサックへ戻るのか?」
「もちろん。ここで穴掘りばかりしてはいられないから」
「そうか。なら出発は明日だな」
「手紙の返信は私が書くから」
バシーノは小さく頷いた。彼らとの別れもすぐそこに迫っていることにようやく気付いた。自分は病人の看病を続ける以上、スペルバ様と同じ道を辿るだろうと想像がつく。ならば、バシーノやソラさん、キュフさん、赤い鳥とはこれが今生の別れになるやもしれない。
今度は花を摘んできて、せっせと塚の周りに並べていく。どうして私は死者の為に花を手折ることもできないのだろう。
生きている人を救う事も出来ないのに、死んだ人に花すら供えてあげられない。
「無力だ」
「ニト?」
「ううん、なんでもない」
ソラさんの気が済むまで見届け、私たちは並んで寺に戻ることにした。寺にはキュフさんを残して来ている。体力のない彼はバシーノに負ぶって貰わなければ動けない。村長への書置きには、シャルサックで治療させますと書いた。
帰り道、集会場の近くを通りかかった時、ソラさんが急に走り出した。
「ソラさん?」
どうやら集会場へ向かっているようで、私たちは彼女の後ろを追いかける。
「キュフ!」
集会場の前では、一人で歩くこともままならないキュフさんが座り込んで、歌を歌っていた。
「ソラヤ、ごめん。どうしても歌いたくて」
ソラさんは悲し気な表情で、虚空を眺めている。
「アロアはルシオラだったのか」
バシーノの言う通り、アロアはルシオラで、死者に歌を歌わずにはいられず、おぼつかない足取りで寺からここまで一人で歩いて来たようだった。
枯れた歌声がぽろぽろと流れた。響く声ではないが、しっかりと人の胸に届くルシオラ独特の歌声だった。
「ソラさん、これは本当に最後の別れの歌なんですね」
私の質問にソラさんは悲しみの表情の中に驚きを混ぜた。
「ニト様、気づいていたんですか?」
「そんな気がしていただけです」
ずっと聞けずにいた質問があった。それはソラさんが幽霊が見えるという話をした時からだ。
「ソラ、あの方はいつから居たんだ?」
「村境の木の下で私たちを迎えてくれました。待ち合わせをしていたんだと言っていました」
その場所は私が足しげく通った場所で、私はスペルバ様に会いたいと村人に託けたが、あの方は来なかった。しかし本当は、来れなかったのかもしれない。
「ずっと、ニト様とバシーノさんの間で立っていましたよ。喧嘩した時も私に耳打ちして、繰り返し喋ってくれませんかと頼まれました」
あの時、ふいにあの方の雰囲気を感じた。喧嘩の仲裁に入る時、あの方はいつも「みっともないからおやめなさい」と言っていたから。
「夕焼けを見るといったニト様には感心していて、私もそうしていれば良かったと呟いていました」
あの方は自由な人なので、よくこっそりと緞帳の隙間から夕陽を覗きみていたことは知っていた。でも本当は外へ出て赤い日差しを目一杯浴びたかったのだろう。
「ここで遺体を見つけた時は、ずっと私たちにごめんなさいと謝り続けていました。地下の祭壇前では、二人の言葉を聞いて、涙を流しながらも微笑んでいましたよ」
本当に聞いているだろうと思ったからだろうか、私はスペルバ様に何も伝えることが出来なかった。自分は意気地のない、呆れた人間だ。
「それから私に、墓に花を手向けて欲しいと。ニト様もバシーノさんも花を供えることが出来ないからと」
部屋中に花瓶を置いて、中には造花を植えていた。枯れることのない植物を本物の代わりにして、愛でていた。
「あと、スペルバ様は歌が上手なんですね。ずっと鼻歌を歌っていましたよ」
「合唱団で歌を歌うことが人生で一番楽しいと仰っていましたね」
シャルサックを出て行ったあの日も、スペルバ様は歌を口ずさんでいた。御詠歌や礼賛歌など神をたたえる歌も多かったが、時に軍歌や木こりの歌なども歌っていた。
ソラさんが私たちの前に立って、大きく深呼吸をする。そして目を潤ませながら話し始めた。
「それではニトーシェさん、バシーノさん、これが本当の最後です」
私は奥歯を強く噛みしめて、目の奥に水が溜まっていくのを押し留めようとする。
「私は二人の間で生きているときが、一番楽しかった。だから、そのまま一生、友達でいてください」
「本当に私たちを残して逝ってしまうんですね」
ここへ来てからずっと隣に居てくれた。昔のように私たちの真ん中で立っていていくれた。
「……はい。神様に呼ばれているので、行ってきます」
ソラさんが口を閉じると、名残惜しそうに虚空を見つめた。
彼女の視線の先にあの方は居たのだと思うと、どうして自分には見えなかったのかと悔しく思ってしまう。そして最後に大好きな歌すら歌ってあげられない自分の無知さを呪った。
キュフさんの歌が静かに停止する。
静寂が流れ、私はその場に膝をついて両目から滴る涙を拭った。
「キュフ、糸を切りに行かなくていいの?」
「うん、もう体は火葬されていて糸は切れてしまっているようだ」
集会場の鍵は村長が管理しているので、中には入れない。魂を迎えには行けない状況だ。
「バシーノさん、村長さんに鍵を借りに行きますか?」
「いいや、アロアを勝手に連れ出したんだ、会いに行くのは気まずい。キュフ、そのままにしておいてはいけないのか?」
「大丈夫です。魂は自由ですから好きな時に外へ出て好きな時にプルモのもとへ行くでしょう」
プルモは魂を集めて回るという小柄の人種で、私はプルモを見たことがない。
「やっと自由になったんですね」
バシーノの言葉に、私の胸はより一層、締め付けられた。僧侶と言う生き物はあまりに不自由だ。幼い頃より全寮制の神学校で学び、卒業しても教寺にこもって修行の日々を送る。休日も殆ど無く、女性僧侶は結婚も許されない。どうして私たちはこんな不自由な檻の中で生きているのだろうか。
私が涙を拭いて立ち上がると、キュフさんの顔色が悪くなっていくのが目に入った。目が虚ろになり、より一層顔を青白くさせていく。
「キュフさん、大丈夫ですか?」
「この体、やっぱり体力がないみたいです」
「バシーノ、寺に戻ろう!」
悲しみに浸っている場合ではない。私にはしなくてはならないことがある。まずは、目の前のこの少年を助けなければ。
キュフさんの容体は時間が経つごとにますます悪くなっていき、とうとう気を失ってしまった。
バシーノはシャルサックへ先に戻ると言って、キュフさんを負ぶって闇夜に飛び出していった。
私とソラさんも一緒に帰ると言ったのだが、「足手まといだ」と本気で言われてしまったので、仕方なく夜が明けるまでパブロワの寺に泊まることにした。
ソラさんが隣で何度も寝返りを打っている。私も寝付けず、ただ目をつぶっているだけだった。
明朝、現実に戻る。
私は再びシャルサックの寺僧として人々と共に神に祈りを捧げる日々を送るだろう。収束を見せない流行り病に為す術もないくせに、意味のないような単純な世話を繰り返す。まるで、たぎった鍋の湯の火を消さず、上から水を足すような延命だ。
そして寺に残してきた罪と秘密を解決しなければならない。
「全部夢だったらいいのに」
このまま少し目をつぶって、朝日に起こされた時、すべてが何もかも夢で、悲しかったことも苦しいこともすべて幻想ならいいのに。
「そうだな、普通の男がいいな。田畑を耕して綺麗なお嫁さんの手料理を食べて、自分に似た子どもと暮らす、そんな普通がいいな」
聖人アーザム様もこういう似た気持ちになったのだろうか。誰かに様付けされて、良い人であり続けようと努力し、偉くもないのに偉そうに語り、人の最期ばかりを見送る。そんな日常から離れたくなったのではと思った。
古の聖人の中でアーザム様は異色の人物だ。ルクスで何不自由なく暮らしていたのに、突然都を飛び出して放浪の旅に出る。立ち寄った先々で働きながら数年間暮らしていく。ある時は漁師、ある時は養蚕、ある時は木こり、ある時は麦農家。今では職業を司る聖人様として有名で、子どもにも絵本で語り継がれている。
私は彼に興味を持ち、禁書まで読み漁ったくらいだ。自分が聖人だということも言わず、偽名で働いていたそうで、そこに奇跡は起きないし、神の話を説いて人々を救うわけでもない。ただ一人の男して素直に生きたそうだ。
アーザム様のように生きられたらと憧れる割には実際に行動に移せないのが、私なのだろう。
「なら、そんな夢捨てればいいのに」
私がぶつぶつ独り言を言うので、ソラさんはランタンを抱えたままじっと固まっている。寝息が聞こえないから、おそらく起きているだろう。
口を閉じたら、少しは眠気を感じた。そして次に目を開けた時、外は明るくなり始めていた。眠れない夜を過ごしただろうソラさんに私は声を掛ける。
「ソラさん、起きていますか」
「はい」
「早いですが、出発しましょうか」
「はい」
火の始末をして、スペルバ様の日誌を鞄に入れる。辺りを見渡して、忘れ物がないことを確認し、外へ出た。
「ニト様、時間を置きますか?」
ソラさんが指さしたのは赤色に染まり始めた雲だった。朝焼けが始まるらしい。
「大丈夫です。それより雨が降ってきてはいけませんから、行きましょう」
朝焼けの日は雨が降ると言われ、農家は早々に仕事を済ませてしまう。私たちは雨具の用意をしていないので、濡れないようにするためにも急がなければならない。
「では、シャルサックへ帰りましょう」
そう、私の帰る場所はシャルサックだ。
帰りの道中、私たちはスペルバ様の話をした。自由奔放なあの方の起こした数々の事件をソラさんに聞いてもらった。
「ニト様、ごめんなさい。私、スペルバ様が女性だって知らなくて、この村の住人だとばかり思っていました。幽霊の話をしたとき、スペルバ様が隣にいると伝えようとしたのですが……」
「あの方の事だから、内緒にしておいてと頼んだんでしょう?」
「自分の事が見えていないようだから、伝えなくてもいいと言っていました」
想像がつく、どこかあっさりした考えを持っている人だったから。
「死んだ人はみんな同じことを言うんです。私が側にいるという事は言わないで、と。どうしてでしょうか」
「うーん。それは死んでみないと分からないかもしれません。でも、私の考察では別れが済んでいるからなのではないでしょうか」
ソラさんは細い首を傾げ眉間に皺を寄せる。
「人と別れるというのはとても精神力を使います。何度も別れを繰り返すというのはお互いに寂しさや悲しさが増すばかりですから」
時間が経てば虚しさも寂しさも慣れていく。しかし幽霊になってもう一度会って、別れるというのはその感情を再びぶり返すことになる。それでは辛い期間を長引かせるだけだ。
「ニト様はスペルバ様にお別れの言葉をかけなくて良かったんですか?」
「あの方は挨拶が苦手ですからね。生前、別れは手を振るくらいでちょうどいいと言っていました」
「なら、ニト様、手を振りましょう」
都合のいいことに、私たちの今いる場所は村境の大きな木の側だった。私がスペルバ様と待ち合わせをした場所であり、ソラさんが初めてスペルバ様に会った場所だ。
夕焼けとは違って朝焼けには物悲しさが感じられなかった。悲しいと思うのは、日が沈んで夜が来ると分かっているからだろうか。
「スペルバ様!」
二人して大声で名前を呼んで、両腕で大きく手を振る。魂になったあの方は私たちのこの姿をどこかで見ているだろうか。
母のような妹のような親友のような、そんな貴女の事が好きでした。