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赤を避ける人(S-03)  作者: 橙ノ縁
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 村長に連れられてやって来たのは、隣村との境にぽつんと一軒だけ建っている小さな家だった。

「さあ、中へどうぞお入りください」

 ここは村長の家で、住人は村長とその娘だけだそうだ。

「おかえりなさい」

 出迎えてくれたのは、四十代くらいの女性で面影が村長に似ているのですぐに娘だと分かった。

「聖女様のお知り合いをつれて来たんだ。彼に会わせたくてね」

 娘は小さく頷くと、私たちを部屋の奥へと案内した。

「彼ならまだ生きています」

 部屋には寝台が一つあるだけで、とても殺風景だった。窓も小さいものが一つあるだけで、日が落ち始めたこの時刻では薄暗く、物の輪郭がぼやける。

「パブロワの生存者は彼です。名をアロアといいいます」

 寝台の上で眠るのは青白い顔をした痩せた少年だった。年齢は十歳ぐらいだろうか、痩せているので予測が難しい。

「こんなの初めて見た……」

 口に手を当てて驚いているのはソラさんで、眉尻を下げてまるで辛い光景を見たかのような悲壮感が伺える。

「ソラさん、どうしましたか?」

 キュフさんは村長が怖がるといけないと言って、隠れながら付いてきて、赤い鳥と一緒に外で待機していると言った。が、よほど気になったのかキュフさんはこっそり中に入ってきて私の後ろに身を隠している。

「村長殿、この少年も流行り病なのか?」

 バシーノが少年の顔を覗き込みながら、尋ねた。でも、どこか違う。これは流行り病で衰弱していく雰囲気と違って見えた。

「儂も詳しくは知らないのですが、聖女様の話では彼はある日を境にこうして動けなくなってしまったそうです」

「村長様。ある日、と言うのは?」

 私がキュフさんを隠しながら、不自然な態勢で質問をする。

「ある日、パブロワ村に旅人風の男がやって来たそうです」

 そして語られた内容はこうだ。

 ある日、村に旅人のような風情の男がやってきて丘の上の寺を尋ねた。男は旅の道中で泊まる場所を探していると言って、寺に泊まらせてほしいと頼んだそうだ。スペルバ様は快く受け入れ、旅の疲れを癒していくようにと伝えたらしい。

 男は旅支度を整えたいと村をくまなく歩きまわったそうだ。その後、美しい村だからと言ってスペルバ様に案内を願い出て、二人は村の中心部から離れた民家を歩いて回った。そこでアロアに出会った。

 男はアロアを見つけるや否やすぐさま近づき、異国の言葉で話しかけて彼の胸を軽く叩いた。アロアは不思議そうな顔をしていたが、元気な様子でスペルバ様に手を振って帰って行ったそうだ。

 次の日、スペルバ様が目を覚ました頃には男の姿はなく、男が村を出て行ったところを見た村人は一人もいなかったらしい。

 数日後、アロアの知人がスペルバ様のもとを尋ねた。彼が衰弱して今にも死にそうだから、助けて欲しいと言った。

 スペルバ様は身よりのないアロアを寺に連れて帰り、看病することになった。どんな病か見当もつかず、手の施しようがない。しかし、口元に水や柔らかい食べ物を持っていくと、ゆっくり口を開けて飲み込むことが出来た。いつか良くなると信じ、スペルバ様は病の高熱で朦朧とする中でも彼の看病を続けたそうだ。

「そして聖女様がお亡くなりになる前に、儂に託したのです」

「その旅人が胸を叩いたせいで、こうなってしまったというのですか?」

「僧侶様の言う通り、そんな魔法のような出来事を信じるものなどおりません。しかし、聖女様の考察ではあの男が何かしたとしか思えないと仰っておりました」

 横たわる彼に触れてみても、体温が高いわけでもなく、どちらかというと体が冷えていた。栄養不足による貧血などの症状は伺えたが、それ以外に悪い所は見つけられなかった。こんな時、自分が医者ではないのがとても悔しかった。こんなことになるなら、神学ではなく医学を学んでおけばもっと人の役に立てたのに。

「村長殿、スペルバ様はどんな男だったと?」

「それがですね。おそらく、あれはランテルナなのではないかと」

 全員が弾かれたように村長の方へ向き直った。

「その話は本当ですか!」

 真っ先に飛びついたのはソラさんで、私の背中からキュフさんも飛び出そうとするので、必死で彼を隠す。

「アピス人でもレピュス人でもない。プルモのように小さくも幼くもなく。死者の前を通っても歌わなかったのでルシオラでもない。ゼノのように愛嬌があって器用でもなかったそうです」

「でもでも、だからといってランテルナだと思える決め手は何だったのですか?」

 確かに、いくらプルモでも大人っぽい人はいるだろうし、歌を歌いたくないルシオラだっているだろう。不愛想で不器用なゼノがいてもおかしくない。ならばなぜ、スペルバ様はその男をランテルナだと感じたのか。

「男は香りの話をよくしたそうです。普通の人では嗅ぎ分け慣れないような違いを言い当て、出会った人を香りで覚えていたとか」

「香り?」

 ソラさんは首を傾げている。

「その昔、ランテルナは良い香りのするところを好むとされ、子どもが生まれた家は芳しい花を飾ったり子どもに匂い袋を持たせ、ランタンを持ってきてくれる日を待つという風習があったそうです」

 私がそう補足説明をすると、ソラさんは初めて聞いたと言って何度か頷いた。この風習はどこの国に行っても有名なはずだが、最近の若い子にはもう受け継がれなくなったのだろうか。

「ニト様、アロアが元気になればランテルナの事を知る手掛かりになるかもしれないんですね」

「……おそらくは」

 しかし、どう見ても回復しそうに思えない。彼はこのまま鼓動を緩やかに止めてしまいそうだ。

「それこそ、魔法があれば救えたかもしれませんが……」

 もし、魔法でアロアがこんな風になってしまったのならば、おそらくは元に戻すにも魔法が無ければ上手くいかないだろうと思う。

「みなさん、少し席を外していただけませんか?」

 ソラさんの頼みで、私たちは部屋を出ていく。キュフさんも部屋に残し、あの部屋には三人だけになった。

 私とバシーノは外へ出て、大人しく待っていた赤い鳥を迎えに行った。そしてバシーノが巾着に入れいた鳥用の餌を手ずから与える。

「この鳥も元気になって良かった」

「ああそうだな」

 そんな他愛のない会話をしていると、突然扉が押し開いて、中から人が飛び出てきた。

「ソラさん、どうしたんですか?」

 血相を変えて、動揺したソラさんは、私たちに駆け寄って、抱き着いた。

「私、してはいけないことをしてしまったかもしれません」

「ソラ、それはどういう意味だ」

 ガタガタと足を震わせて、ソラさんは私たちの間でそれぞれの服裾を握りしめながら座り込んだ。

「ソラヤ、君は悪くない」

 その声は、誰も聴いたことがない。幼い子どもの声で、枯れていて聞き取りにくい。でも、私たちの中でソラさんを「ソラヤ」と呼ぶのは彼しかいないのだ。

「どういうことだ」

 開かれた扉の影に人が立っている。今にも折れそうな手足、げっそり痩せた頬、青白い肌。何かに捕まっていなければ立っていられないその人は、先ほどまで寝台で眠っていた少年アロアだった。

「僧侶様、奇跡です。奇跡が起きたんです」

 腰を抜かしたのか、這いつくばって村長が中から顔を出した。その表情は妙に輝いていた。



 村長は奇跡だと叫んだが、私とバシーノはその光景に気味の悪さを感じだ。これはただ事ではない。何とか誤魔化さなければと咄嗟に思った。

「ソラさん、何の薬を与えたのですか?」

「え?私、薬は何も」

 私の質問にソラさんは戸惑っておろおろと首を左右に振る。私の作戦に感づいたのか、バシーノまで話に乗ってくる。

「ソラ、ほら以前出会ったルシオラに万能薬を貰ったんだろう?」

「へ?」

「私も確かに聞きました。ルシオラ秘伝の希少価値の高い万能薬で、大方の病に一定の効果があると」

 バシーノが目配せでソラさんに話を合わせるように訴えかける。

「まさか少ししか持っていなかったのに、全部使ったのか?」

「ああ、なんと慈悲深いことでしょう。きっと神も福を下さるに違いありません」

 ソラさんは涙目になりながら、「うん、そうです」と嘘を吐いた。いいえ、私たちが嘘を吐かせたのだ。

「なんと、そういう事情でしたか。もしや彼女こそ奇跡を起こす聖女様なのではないかと思いました」

 村長はさっきまでも歪に光った瞳に影を落として、残念そうに俯いた。やはり危ない所だった。このまま奇跡だと認定してしまえば、ソラさんが神格化されて、聖女信仰者に祭り上げられてしまう。そうなってしまえばランテルナを探す旅は志半ばで打ち切りになるだろう。

 そして無理矢理に話を変えて、今晩泊まれそうな所は無いかと尋ねた。村長の家はあまりに狭いので私たちが眠れる場所はなさそうだったし、なるべく距離を置いてぼろが出ないようにしたかった。

 行商人や旅人が泊まる宿を紹介され、私たちは一室で構わないと言って大部屋を占拠した。

 村長には無理を言って、目覚めたばかりのアロアの面倒を見させて欲しいと願い出た。薬の効果や副作用が出ないか確認したいのです。とソラさんに言わせて、どうにか一緒に過ごすことになった。

 部屋の扉に鍵をかけ、部屋の一番奥に全員集まる。

「ソラさん、説明をお願いします」

「俺たちにも分かるように簡単に、そして小声でだ」

 アロアを寝台に寝かせて、その周りを囲むように椅子を配置する。もちろん赤い鳥も一緒だ。

「その、アロア君は体が生きているのに魂が飛び出ている状態で、魂と繋がっているはずの金の糸が何十本も取れていました。そして糸が魂を探すように右に左にと蠢いていたんです」

 そんな姿は私たちにはもちろん見えていない。幽霊が見えるというこの少女だけは特別な目を持っていることは間違いなかった。

「それで?どうしてキュフさんがアロアさんの中に入れたんですか?」

「ニト、やっぱりそうなのか。キュフが少年の体を乗っ取ったんだな」

「乗っ取ったって聞き捨てならないですね。代わりに納まっただけです」

 アロア姿のキュフさんは水分の殆どない掠れた声で反論する。心は元気そうだ。

「そうなんです。幽霊のアロアさんにランテルナの事を聞いたんですが、上手くと言えない、でも見ればすぐ分かると言われました。なのであなたを治す方法は無いのかと尋ねたんですが、自分はもう助からないと分かっていると答えました」

 魂を繋ぐ金の糸はこの時、残り二本だったそうで、話している最中にも一本が切れ、彼の寿命はあと少しで尽きるという事が分かったとソラさんは言いました。

「私、言ってはいけない事を言ってしまったんです」

「ソラヤのせいじゃないよ。アロアもそれでいいって言ったんだから」

 キュフさんは細った手を伸ばして、ソラさんの手に重ねる。

「それで、何て言ったんですか?」

「私たちはランテルナを探している。だから見つけるまであなたの体を私たちに貸してくれませんか、って」

 アロアは何の迷い無く「いいよ」と答えたそうだ。

「体から伸びた糸は魂を求めているように見えたので、魂のキュフが近づけば上手くいくような気がしたんです」

 予想通りアロアの体は簡単にキュフさんを受け入れ、新しい魂を手に入れた体はアロアの魂を切り離した。

「魂はどうなったんですか?ルシオラを呼んだ方がいいのですか?」

「それが、眩しく輝いて跡形もなく消えてしまいました。もう、どこにもいません。ごめんなさい。私が身勝手なお願いをしてしまったせいで、消してしまった!」

 ソラさんはキュフさんの手を握り返して、ボロボロと大粒の涙を流すのだった。

 私とバシーノは何も言ってあげられず、一晩中泣き続ける少女の背中をさすることしかできなかった。


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