6
.6
スペルバ様がパブロワの村へ行ってからしばらくの間は、月に数回は交流があった。私が村境まで薬や食料などを届けていた。
ある時は老婆、ある時は青年、ある時は主婦と毎回違う人が受け取りにやってくるので、私は交代制なのだとばかり思っていた。しかし受け渡しの回数が減って、月に一度くらいになったころ、いつもの大きな木がある場所で待っていた七、八歳くらいの子どもに尋ねてみた。
「今日は一人で来たんですか?」
「そうだよ」
子どもはおつかいが出来るぐらい大人になったんだよと鼻高々に話してくれる。
「前回のお兄さんは、今日はお仕事ですか?」
「ううん。死んじゃったよ」
当たり前かのように、人の死を淡々と喋る子どもを見ながら、私はようやくパブロワの状況を想像することが出来た。
スペルバ様から届く注文内容は万能薬と呼ばれるラグレインばかりで、食材も殺菌効果がある物や滋養のある物だった。
村へは一歩たりとも入るべからず。と赤い文字の看板すら建てられていた。目の前の子どもは痩せているし、人の死にも慣れている様子で、私は冷や水に足をつけている気分になった。
「スペルバ様に伝言をお願いできますか?」
「いいよ」
「次回、ここでスペルバ様をお待ちしておりますと伝えてください」
「分かった」
子どもは食材の入った重い籠をずるずると引きずりながら帰って行った。
しかし私はスペルバ様にお会いすることは叶わなかった。次回も現れたのは子どもで、今日は注文書を預かっていないと話した。
「スペルバ様より伝言です。もう、大丈夫ですのでここへは誰も来ません。とのことです」
「それはどういう意味ですか?」
「私は詳しくありませんので。これで失礼します」
十代半ばの礼儀正しい少女だった。深々と頭を下げたのち、私の前から立ちさって行った。
それから私は何度か、村境で村人が来るのを待っていたが、村人は誰一人現れることは無かった。
私はスペルバ様に何かあったんだろうと予想はついていたが、その答えをはじき出すことから逃げて、目を背け続けて今日に至る。
朝から集会場に集まり、骨を見極めながら布にくるんでいく。骨を置いた人も大まかにではあるが区切って並べているようで、作業は滞りなく進んだ。
布でくるんだ骨を墓地へと運び、昨日掘った穴へ並べて埋めていく。
「これで最後です」
ソラさんが骨を置いて、バシーノが土をかけていく。その間私は祈りを捧げながら、埋められていく頭骨を数えた。二十八だった。
「ニト、墓石はどうしようか」
「石を積んだ塚を作ろうかと思っていたんだけど、どうかな?」
「ああ、そうしよう」
穴を掘った時に出た小石を並べて積んでいくが、全然足りない。そして石集めをするために村中を歩き回ることになった。
集会場の前を通りかかった時、違和感に気づいた。確か、すべてを運び出した時に、私は扉を閉めたはずだ。なのに今は開いてる。集会場の扉は重く風で開いたりはしないので、きっちり開け広げあられているということは誰かが中に入ったとしか考えられない。
「バシーノ。もしかしたら、生存者がいるかもしれない」
「本当か?」
バシーノは抱えていた石をその場に置いて、開けられた扉の側に近寄った。
「僕が中を見てきますよ」
キュフさんはそう言って、堂々と中へ入って行く。彼は体が透けているので、少し物陰に隠れるくらいでも見つかりにくい。
数分後、キュフさんが軽い足取りで戻って来た。
「みなさん、こっちです」
手招かれて、私たちは中へと入って行く。すると、一番奥の扉が開いていた。その扉を潜ると、給湯室へと出る。そしてまた奥に小さな扉があり、それは地下へと続いているようだった。
石で作られた下りの階段を進んでいく。階段には所々に火のついた蝋燭が置かれており、明らかに人の気配が感じ取れた。
下りきった先に扉が一枚。そこも開いていて中から光が伸びている。
「やはり誰かいる」
バシーノが扉を背にしながら中を横目で覗いていた。
「悪い人ではなさそうですよ」
キュフさんは何も警戒せずにどんどん部屋へと進んでいき、その後をソラさんが続く。若いというのは本当に怖いもの知らずなのだなと思った。
「こんにちは」
しかもソラさんは朗らかに挨拶などするもんだから、こっちは心臓が五月蝿いくらいに跳ね回っている。
私も扉越しに中を覗いてみると、そこには背骨の曲がった年配の男性が立っていた。
「バシーノ中に入ろう」
室内は案外広く、左右に座布団が並べられている。そして正面中央には祭壇のような長机が置かれ、机の上には高さの浅い箱が置かれてあった。
「お邪魔します」
「ああ、やっとお見えになりましたね」
私が声を掛けると、年配の男はこちらをゆっくり振り向き、柔和な笑顔を見せた。
「貴方は?」
「儂は隣村の長をしておるものです。僧侶様たちは聖女様のお連れの方ですね」
聖女様という呼び方を聞いて、私とバシーノはこの者がどういう人物なのかを悟った。
「そうです。ところで村長様はスペルバ様とどういう間柄なのでしょうか」
「ただ顔見知りにすぎません」
そう寂しげに呟くと、祭壇の箱の前に近寄り、顔を近づけて喋り始める。
「聖女様。待っていた方が来られましたよ」
私とバシーノは咄嗟に駆け寄って、その祭壇の箱の中を覗き込んだ。
「……」
「……」
浅い箱の中には白い骨が人型を残して収められていた。
言葉を失った私たちに村長はこんこんと話を始める。
「流行り病にかかったと知った聖女様は儂らにこう語られました。私はまもなく死ぬだろう。死んだ後はこの骨をあなた達に使って頂きたい。ですが、私の連れがきっとここへ訪ねてくるだろうと思うので、それまではここに骨を置いておいて欲しいのです。私は彼らを魂になっても待っていたいのです。とおっしゃいました」
村長が言うには、パブロワも村長の村も聖女信仰者が多く住んでおり、スペルバ様は村人の希望になっていたそうだ。
「ニト様、骨を使うとはどういう意味ですか?」
ソラさんが首を傾げながら、小声で私に質問する。たしかに聖女信仰はどこの国でも忌避しており、信者は土地を追い出されるか信仰を隠すという。語られることも少ないであろうから若い少女は知らないだろう。
「聖女と呼ばれる女性僧侶を神聖化していて、聖女の骨をお守りにしたり、削った骨を薬として服用するといった風習があるんです」
私の説明に村長が優しく反論する。
「それも古い時代の風習で、今となっては誰も骨を飲んだりはしません」
「そうでしたか。無知をお許しください」
頭を下げた私に村長は顔の筋肉を止めて驚いたような表情だった。そして何故かスペルバ様の骨に向かって「貴女のおっしゃる通りでした。ありがとうございます」と礼を述べたのだった。
そして村長はこの集会場の骨の事を語ってくれた。
村人が減り、力仕事のできる男や若者が居なくなって墓穴を掘る人が居なくなってしまった。しかし死人は次々に増え、火葬した骨の保管場所に困り、この集会場に並べたそうだ。
村長の住む村から若者をつれて墓穴を掘って埋めていたが、病気の流行った村に近寄りたいという人間は少なく、最近は足が遠のいていたそうだ。
「一昨日の夜にパブロワ方面に立ち寄った者が光を見た言いまして。はじめは気のせいかと思ったのですが、昨日の夜も目撃情報が入ったので、こうして参った次第です。そしたら集会場の骨が綺麗に無くなっていて、心配になり聖女様を確認しにこの部屋を開けたのです」
やはり、ソラさんのランタンの光はあまりに鮮烈でよく輝いていたようだ。
「そうでしたか」
「パブロワの村人にかわって儂が礼を述べさせていただきます。埋葬してください、ありがとうございます」
村長はゆっくりと背を曲げて頭を下げた。
「村長殿、ここはみな火葬なのか?」
バシーノがスペルバ様を眺めながら質問した。
「はい。もともとはこの村はゼノの村で、彼らの風習から火葬し埋葬するようになったのだそうです」
それで、墓は小さく隣の墓との間隔も狭かったのだと納得した。
静寂が流れ、私は村長にスペルバ様とのお別れをさせて欲しいと願った。頷いた村長はこの部屋から出て行き、ソラさんとキュフさんもその後を追いかけた。
静まった薄暗い部屋には私とバシーノとスペルバ様だけになった。
「予想はしていたんだけど、いざ目の前にしてみると力が抜けるよ」
「本当に、スペルバ様なのだろうか」
バシーノが疑うのはもちろんで、骨の並び方で本人かどうかを特定させるのは私たちには無理だった。
といって、村長が嘘を吐いているようにも見えない。
「スペルバ様は一人で生き残るような人ではないと思うから、あの方がお亡くなりになったのは間違いないと思う。バシーノもそう思うだろう」
どんな病気の人にも罪人にも臆することなく、手を握り抱きしめるようなそんな愛情溢れる方だ。パブロワにきても毎日欠かさず病人の看病を続け、遺族の悲しみを聞いて生きていただろうと想像がつく。
「貴女が眠る時に側に居たかった」
「バシーノ、それはまるで告白だ」
「告白と言うか、最後くらいちゃんと礼を伝えたかっただけだ。俺はこの方のお蔭で今もこうして生きていられる」
私の知らない話があって、彼はスペルバ様に多大なる恩があるという事は昔から知っていた。しかし、それを根ほり葉ほり聞くのは無粋だろうと未だに聞けてはいない。
「これにてお暇いたします。安らかな眠りを」
バシーノに代わって、私が祭壇の前に立つ。嗚呼、何を言えばいいのか分からない。
「……」
学校を卒業して以来、ずっとスペルバ様のもとでお手伝いをさせていただいた。ある時は友人である時は師匠で、ある時は母のようでもあった。
「バシーノ、行こうか」
「いいのか、何も言わなくて」
「頭が真っ白で、何の言葉も出てこないから、もういいよ」
あんなに会いたかったのに、あの日から会いたくなくなった。ずっと、スペルバ様がシャルサックに戻ってきてしまったらどうしようと、不安だった。もう、戻ってこないと知って安堵している自分がいる。もう、戻ってこないと知って悲しむ自分がいる。
胸の中がぐちゃぐちゃだ。なのに頭は考えることを放棄しようとする。私はなにも言えない。
集会場の出入り口を出ると、外に村長たちが待っていた。
「近々、聖女様の骨をわが村に持ち帰ろうと思っています」
「分かりました。あの方をどうぞよろしくお願いします」
スペルバ様の死を弔ってくれる上に、意味を与えてくださるとは宗教は違えど有り難いことだ。
「やはり聖女様の言った通りでしたね」
そういえば先ほどもそんなことを呟いていた。
「どういう意味ですか?」
「私の友人達は物事を宗教という物差しで見る人ではないのです。自らの心で見て測るので、どんな人も受け入れようとするんです。だから私はそれを見習ってここへ来たのだと仰っておりました」
村長の表情はとても柔和で、今にも涙が零れ落ちそうな潤んだ瞳をしていた。
「流行り病に恐怖し、未来に絶望を感じ始めたとき、聖女様が来てくださいました。儂らがどれほど救われたか。他宗教の人に手を差し伸べられ、優しくしてもらい、受け入れてもらった。これほどの幸福はありませんでした」
聖女信仰はどんな国でもどんな部族でも、忌避され続け、数十年前などは大規模な迫害もあった。祭壇を地下に作るのは宗派を知られるのを恐れたためだろう。
「村長様、人というのはなかなかどうして捨てたもんじゃないですよね」
ソラさんが突然透き通った声で朗らかにそう言うと、村長は息を止めて、穴があくほどソラさんをじっと見つめた。
「……お嬢さん、あなたは」
「ありがとうございます。スペルバ様に私たちを会わせてくれて」
「いいえ。こちらこそ」
村長はソラさんの手を優しく握って、感謝の言葉を述べていた。私とバシーノはその光景が少し不思議で、いまいち状況がつかめなかった。
「ところで、村長殿。パブロワには生存者は一人もいないのか?」
「いいえ、一人だけおりますよ」
集会場の蝋燭をすべて吹き消し、あらゆる扉に鍵をかけてまわり、私たちは次の目的地へと向かうことになった。
唯一の生存者の元へ。