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赤を避ける人(S-03)  作者: 橙ノ縁
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 刺すような直線の朝日が窓を通り抜けて、私の顔を照らすので、目が覚めた。

 焚火は消えていて、すでにバシーノはどこかへ出かけたようだった。日差しから逃げるように上着を頭にかぶせて、寝続けようとする少女と赤い鳥を残して外へ出る。

 秋の朝は日差しは暖かだが空気が冷たい。風は乾いていて、肌や眼から水分を攫っていくようだ。

「ちょっとそこまでって言ったくせに、気合入れてここに来てるじゃないですか」

 日誌の内容を思い出して、愚痴を吐いた。

「ニト!」

 もう一度日誌の中身を調べようと、腰を下ろした時、バシーノが草木をかき分けて戻って来た。

「バシーノ、どうかした?」

「……手を貸してくれないか?」

「私のような細い手でよければいくらでも貸しましょう」

 バシーノに手招かれて、ついて行く。鬱蒼と伸びた草原を抜けて、開けた場所にでると、そこは小さな集落のようだった。

「こっちだ」

 またしても人気は無く、寂れた家々が並んでいるだけだった。

「ここだ」

 バシーノが足を止めたのは集会場のような少し大きめの建物の前だった。扉は壊れておりすでに解放されている。私たちは中へと進む。すると、目に入ってきた光景に言葉を失った。

「祈ってくれないか?」

 集会場には机や椅子などは無く、だだっ広い空間が広がっているだけ。そこには隅々まで白いものが敷き詰められていた。全部、人の骨だ。

 私は頭を抱えて、その場に座り込む。もしかしたら、この中にスペルバ様もいるのかもしれないと思うと、頭が割れるように痛くてだんだん重くなって眩暈で立っていられなくなった。

「ニト、俺は墓穴を掘るから、ここは頼んだ」

 バシーノは足早にここを出て行き、私は一人、沢山の骨の前に残されてしまった。

 神教は土葬が通例で、特別なことがない限りは人の骨を見ることなど殆どない。骨の模型を見たことはあったが、実物を見たのはこれが初めてだった。

 そうか、人は最後にはこうなってしまうのか。

 腕に付けた金属の腕輪をシャンシャンと鳴らす。この腕輪の音は不浄を浄化するとされていて、祈る前には必ず鳴らすのだ。

 一体、ここには何人の人が眠ったのだろう。そんなことを考えながら私は手を重ねて、腕輪を鳴らしながら祈り続けた。

「ニト様」

 しばらくして名前を呼ぶ声が聞こえて、祈ることを止めた。

「ソラさん、入ってきてはいけません」

「私なら大丈夫です。何かお手伝いをさせてください」

 ソラさんは気丈に集会場に入ってきたが、この光景を目にして絶句してしまった。

「ソラヤ、大丈夫?」

 赤い鳥が心配そうに彼女の耳元で囁く。

「ソラさんたちは、よくここが分かりましたね」

「それは、キュフが……」

 ソラさんが困ったように目くばせをすると、赤い鳥が焦ったように答える。

「足跡を辿って来たから。ほら、草木も掻き分けられていたし」

「そうでしたか。観察力があるんですね」

 ソラさんと赤い鳥はお互いに向かい合って、苦笑いを浮かべた。

「ニト様、バシーノさんはどこですか?」

「彼なら、墓穴を掘りに飛び出していきました。あなた達はそちらを手伝ってください」

「ニト様も一緒に行きましょう。これだけの人を埋めようとするならきっと人手が必要だと思います」

 ソラさんが私を手を引っ張って、外へ連れ出そうとする。

「私はここで供養をしようと思います」

「それなら大丈夫だと思います。ここに居る人たちはみんな、ちゃんとルシオラに歌って貰っているみたいですから」

 可笑しなことを言う人だ。何を根拠にルシオラによって魂を切り離されたと分かるのか。

「どうしてそんなことが分かるんですか?」

「そ、それはなんとなくと言うか」

「ソラヤは、幽霊が見えるんだ」

 赤い鳥が意味不明な単語を発したので、私は口を開けて聞き返した。

「詳しくは穴を掘りながら説明しますので、バシーノさんの所へ行きましょう」

 眉間に皺を寄せた私を引っ張って、ソラさんは太陽の下に私を連れだす。赤い鳥が私の背中を優しく押す。あんなに暗い気持ちでいっぱいだったのに、彼女たちの登場でそんな暗さがずいぶん薄らいだようだった。


 集落の山手に墓地が広がっていた。小さな墓石が密集し並んでいて、私の知っている墓地とは雰囲気が違った。

「バシーノさん。お手伝いします」

「ソラ、助かる」

 バシーノは開けた場所で穴を掘っていた。どこかで調達した農業用の鍬は錆びていて、今にも折れてしまいそうだった。

 私たちも土を掘り返せそうな石や、農具を探して掘り始める。集められた骨を一人一人を見極めるのは困難なため、バシーノの発案で、共同の墓を建てることにした。

 掘っている最中、ソラさんは幽霊とかというものと魂の違いを力説した。すべて理解したわけではないが、大まかにはこんな感じだ。 人は体が死んでも魂は生きているらしい。魂はルシオラの歌を聴くまで、自分の体が死んだことに気づかず、幽霊という透けた人の形で過ごすらしい。幽霊はルシオラの歌を聴くと、死んだことを理解し、雫状に変容する。これが一般的に言う魂だそうだ。

「分かるような分からない話ですね」

「すみません、説明が下手で」

 見えないもの知らないことを口頭で理解するのは難しいもので、彼女の説明下手のせいではないと思う。

 魂も幽霊も見当たらず、ソラさんにもあの場にいた遺体の人数は分からないらしかった。

 黙々と土を掘り返すバシーノの横で、私は度々休憩を取りながら穴を掘り続けた。ゼノと呼ばれる人たちはあっという間に棺より大きい穴を掘ってしまうので、もっと簡単だと思っていたが、考えが甘かった。土は固いし、石にはぶつかるし、手や腕、腰や膝は悲鳴を上げるし、汗は滴り落ちて目に入るし、辛いことばかりだ。

 それでも三人で掘ればそれなりの深さと大きさの穴を掘ることが出来た。

「ニト様!」

 私が腰を下ろして汗を拭っていると、ソラさんが私の真後ろに立って、手を伸ばして私を自分の影の中に入れようとする。

「ソラさん、どうかしましたか?」

「ニト様、夕焼けです。今すぐに建物の中に入ってください」

 気づけば日も傾いていて、空が橙色に移り変わっていこうとしている。おそらく、これから空が真っ赤に染まるだろう。

「ニト、そこの木陰に入れば大丈夫じゃないか?」

 バシーノが指をさしたのは農具を入れる小屋のような建物の側に堂々と立っている大木だ。その木はまるで墓地を守ろうとするかのように枝を伸ばし、数々の墓石の上で緑を茂らせている。

「もう、いいんです」

「え?ニト様、どういう意味ですか」

 赤い鳥がやや首を傾げて困惑そうな声を発する。

「もう、夕焼けを避けるのに疲れました」

 幼少の頃より、夕焼けや朝焼けを避けて生きてきた。空が少しでも赤くなれば家から外に出ず、赤味が消えるまで暗い場所で待っていた。

 赤い食べ物も避けて、赤い花も視界に入れず、赤い鳥すら煙たがった。それもこれも赤は不吉の色だからだ。私の周りの教育者がそう、厳しく教えたからだ。

「ソラさん、私を覆わなくても大丈夫です」

 赤い空を見たからといって罰せられるわけではなく、死ぬわけでもない。

「本当にいいんですね」

「はい。気を遣って頂きありがとうございます」

 ソラさんが私の後ろから離れ、隣に座った。

 私も振り返って座り直し、沈みゆく太陽の姿を眺めることにした。

 雲を金色に輝かせ、青い空を赤く色づけしていく。赤い光線が私たちにまで届いて、バシーノやソラさんの顔や髪までも赤色に照らしていく。

「こんなに眩しくて、こんなに美しかったとは知らなかったな」

 そういえば、中央書庫に蔵書されている禁書に聖人が神託を受けたという話があって、その中で聖人は夕焼け空の下で神と邂逅したと書かれていた。

 赤い鳥が細い足でぴょこぴょこ近寄ってきて、私の膝に上った。

「キュフさん、触ってもいいですか?」

「僕の体ではないけど、どうぞ」

 またしてもよく分からない話の端っこを聞いてしまったようで、私が首を傾げていると、ソラさんが少し微笑んだ。

「キュフの事を説明し忘れていました」

「貴女方は本当に何者なんですか?」

 私は赤い鳥の頭や背中を優しく撫でながら、気軽にそんな質問をした。毛並みが肌に気持ちよく、もっと早くからこうして愛でていればよかった。

「何者なのか私たち自身、分からないのでこうして旅をしているんですよ」

 赤く輝くソラさんの瞳と肌を横から見ながら、私は質問の言葉選びを間違ったんだと反省した。

「ソラさん、ごめんなさい。私だって自分が何者か言えないのにそんな言い方をしてしまって」

「気にしないでください。私とキュフは昔の自分を思い出せないだけですから」

 頭の怪我や心の病気で記憶を喪失する人がいるという話を聞いたことがあったが、実際にそのような境遇に遭った人に出会ったことがなかった。僧侶として様々な人の悩み相談などを聞いてきたが、いろんな人生を知っている方だという考えは驕りだったなと痛感した。

「思い出せていないだけならば、いつか思い出せるはずです」

「やっぱり、そうですよね。ニト様にそう言って貰えると、そんな気がしてきました」

 彼女はにこにこ笑っておもむろに立ち上がり、「私のバカヤロー!はやく思い出せー。」と急に叫び始めた。

「ソラ、夕日に向かって何故叫ぶ」

「胸のもやもやは吐き出したほうがいいと思って。ほら、キュフも叫んでみたら?」

 赤い鳥も誘われて飛び上がると、彼女の肩に乗り、翼を広げながら息を吸い込んで叫ぼうと体を反らす。すると飛び出したのは声ではなく白い煙のようなものだった。

「あ!吐き出してはダメなの」

 赤い鳥から吐き出された煙はだんだん色を濃くして、形を作っていく。そして夕焼けが小さくなり始めた頃、煙は淡い人の姿を現した。

「もう、限界だったみたい」

 煙で出来た人がキュフさんの声で喋り、赤い鳥はソラさんの腕の中で目をまわしている。

「これは、どういう事?な、何が起きているんだ?え?」

 混乱する私の肩を叩いたバシーノが、ため息交じりに「説明するから」と優しく囁く。

 夕焼けはゆるやかに収束し、空は深い紺色に変わって、夜の気配を孕み始めている。

 骨を埋めるのは明日にしよう。私の提案に反論する者は誰もいなかった。



 丘の上の寺に戻り、夕食をとりながらソラさんとキュフさんの話が始まる。その話は私の想像を超えていて、まるでお伽話かのように思えた。

 戦場後に記憶を失った少女がルシオラに拾われた。少女はランテルナが授ける祝福の灯こと「ランタン」を持っていた。

 ルシオラの里に体が透けた少年が彷徨っていた。彼も自分の事を知らず、手がかりは真鍮で出来た蝶の耳飾りだけだった。

 少女と少年は出会い、自分を探す旅に出る。魂に詳しくランタンを配るランテルナに会いに行こうと、目撃情報が残るグッタの首都ルクスへ向かうことにした。

「それでアーザムに立ち寄った時、この赤い鳥がキュフを丸呑みにしたんです」

「ソラさんちょっと待ってください。意味が分かりません」

「この赤い鳥はコキベニアヴィスという種類の鳥で、魂を飲み込むと魂の声を代弁することが出来るんです」

「へえ、そうなんですね」

「でも、ずっとは飲み込んでいられないようで数日間後には吐き出してしまうんです」

「ふーん」

「拍子様が言うには、魂は体のような入れ物に入っていないと自然に還ってしまうそうなので、なるべくキュフを鳥の中で留めておきたいんです」

「ああ、ナルホド」

「キュフは生きたまま体から魂を離されたのではないかと言われていて、私はランテルナと出会った後、キュフを体に戻すためにケルウス王国へ行かなくてはいけないんです」

「そっかあ」

「……ニト様、私の話を聞いていますか?」

「聞いてはいるが、意味は分からない」

 これほどの突飛な話をわずか数分、数十分で理解しろなど私にできようはずもない。未知の情報が多すぎる上に、どれもこれも作り話ではないのかと思えるほど、非日常すぎる。

「ニト、すべてを理解しようとするのはやめておけ」

「君はどうこの話を理解したんだい?」

 私の横で焚火の管理をする大男に虚ろな目で問うてみた。

「ソラは自分の事を知るため、キュフを元に戻すために、ランテルナを探している。その為にまずルクスへ行きたい。と、まぁこんな感じに簡単に考えることにした」

「確かに」

「必要なことはいずれ分かっていくもんだし、そうでないものは簡単にしておく方が楽だ」

 何事も隅から隅まで熟知し、何から何まで理解していなければならないなんてことは無い。バシーノから教わることはいつだって、私の常識を変えていく。

「という訳でソラさん。貴女方の境遇を理解するのを諦めました」

「そんな」

 ソラさんとキュフ君は少し残念そうな顔を浮かべて俯いた。

「でも、私は二人の話を嘘だとは思っていませんし、頭がおかしい人だとも思っていませんから、安心してください」

 鳥が言葉を話し、口から人を吐き出す。その上透けた人が目の前に居て、ランタンの光は見たことのないほど美しい。この目で見て知ったことは疑わないようにしている。

「ニト様、ありがとう」

 体の透けた優しい声の少年は、蝶の耳飾りをキラキラ揺らしながら儚げにそう言った。

 彼の表情を正面から初めて見て、その瞳の奥に冷えた何かがあるのを感じ、私は不安感を抱いてしまった。

「今日はもう疲れたから、寝ましょうか」

 穴掘りに疲れているはずなのに眠気が私を襲うことは無く、無理やりに目をつぶって幾度も寝返りを打ちながら、取り留めのない考えばかりを巡らせた。

 夜は長い。


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