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赤を避ける人(S-03)  作者: 橙ノ縁
3/9


 彼は怒っていた。顔を真っ赤にして語調を強めて鼻息を荒くしながら私を罵ったりはしないが、確かに彼は静かに怒っている。

「すまない。昨日は患者が急変して忙しかったんだよ」

「……」

 彼は昔から怒っている時は、何も喋らない。じっと押し黙って、怒りの炎を宿した恐ろしい目で対象物を睨みつける。今回の怒りの対象物は私だ。

「バシーノ。いい加減に文句の一つでも言ってくれないかな?」

 かれこれ数時間、睨まれ続けながら付け回されている。「彼の怒りはまるで火傷させるほど凍った氷のようだね。」と例えたのは、スペルバ様だった。私は火傷させるほど冷たすぎる氷というのを知らないが、その例えは言いえて妙だと思った。

 バシーノがこんなに怒っているのは、私が約束をすっぽかしたからだ。昨日の朝に彼が宿泊している宿屋に伺うと私から約束したのに、私は宿屋には向かわなかった。

「……」

 今日の朝、寺の扉を開くとバシーノは扉の前で腕を組んで座っていた。朝の挨拶をしてみたが、もちろん返答は無かった。その瞬間、彼が怒っているという事を理解した。

「……」

 すみません。ごめんなさい。すまない。許してくれ。私が悪かった。勘弁してくれ。次こそは約束を守るから。と、一通り謝罪を口にしたが、彼は何も話さない。

 私が重いため息を吐いた時、彼が連れてきた少年が口を開いた。

「ニト様は病気で苦しんでいる人を助けるために、仕方なく来れなかっただけなんですから」

「君は黙っていろ」

 バシーノが珍しく口を開いた。怒りが収まらない内は一言も声を漏らさない男だったのに、彼も少しは変わったのかもしれない。

「お寺の中にあんなに患者さんがいるとは想像以上だった。って言ったのはバシーノさんです」

「……」

「病人の看病はニトにとって専門外だから気骨が折れるだろうな。って言ったのはバシーノさんです」

 少年は彼の真似をしながら一生懸命に説得をする。その姿はまるで父と息子ようで、見ていて微笑ましいほどだ。

「……」

「もう、意固地にならずに許して、今からスペルバ様の話を聞けばいいじゃないですか」

「え!今から?」

「……そうだな」

「ちょっと待って!」

 驚く私を無視して、勝手に二人は今ここで重大な話を聞き出そうと決めたらしい。

「ニト、俺が見る限り、仕事は一段落ついたように見える」

「ええっと。これから広場周りの家々に往診に行かなければならないんだよね」

「大丈夫だ。すぐ終わる」

「まだ、心の準備が……」

「なら、俺の質問に頷くか首を横に振ればいい」

 怒っているだけあって、強引な話の聞きだし方だ。頷くか首を横に触れというのは、軍人が尋問する時に使う方法の一つだ。

「スペルバ様はここには居ないのか?」

 縦に頷く。

「もう戻ってこないのか?」

 もちろん縦に顎を動かす。

「ルクスへ戻られたのか?」

 それは横に振る。

「誰かに連れ去られたのか?」

 大きく顔を横に振る。

「なら、自分から出て行かれたのか?」

 小さく頷く。

「スペルバ様は……死んだのか?」

 私は顔を少しも動かさなかった。

「なあ、どうなんだ!」

 ただ一点を見つめるのみ。

「おい!ニト、はっきりしろ!」

 バシーノの右足が近くにあった椅子を蹴り上げた。おそらく、本当は私を蹴り飛ばしたかっただろう。

「ニト!」

「……分からない。本当に分からないんだ。あの方が今も生きておられるのかどうなのか」

 バシーノに蹴られた椅子の転がる先を見つめながら、責められて驚いたせいなのか、私は一筋の涙をこぼしたのだった。

「ニト様」

 少年が私の背中に手を当てる。慰めてくれようとしているのかもしれないが、腐っても私は僧侶だ。人からの情けは受け取らない。私は少年の暖かな手をゆっくり振りほどいて、自分の涙を振り払った。

「二人とも、仕事の邪魔だからそろそろ帰ってくれませんか」

「ニト、スペルバ様がどこへ行ったのかそれだけでも教えてくれ」

「いいから、今日は帰れ!」

 大声を出すと、また目から水が零れそうになった。これは緊急事態だ。このままでは人前で号泣してしまう。

「ニト様、大丈夫ですか?」

「私どもは赤いものを嫌います。どうかその赤い鳥と共にここから出て行ってください」

 少年の肩には大きな赤い鳥がじっと置物のように大人しく乗っている。この赤い鳥は我が宗教では不吉の鳥で、患者達もその鳥を見かけただけでふさぎ込んでしまうのだ。

「ニト、そんな言い方しなくてもいいだろう。ソラはお前のことを心配してーー」

「私の事を心配してくれる人が、尋問したりはしない」

 私は二人を残してその場を離れ、本を押し込めた狭い物置部屋に閉じこもった。

 分かっている。バシーノがあんなに激怒していることの理由が私にあるという事を。

 昨日、私はバシーノの元へは行かなかった。行けなかったのではなく、どうしても行きたくなくてわざと行かなかったのだ。きっとこの本心を彼は察したのだろう。

 スペルバ様の事を話す気も無いくせに会話の約束をして、その約束を簡単に破いた不誠実な私に酷く嫌気がさしたことだろう。

 分かっている。自分がいかに弱く、愚かな人間だということを。



 次の日の朝、寺の扉を開けると、そこにはバシーノの連れの少年が扉の横で座っていた。もちろん赤い鳥も一緒だ。

「ニト様、おはようございます」

「ここで何をしているんですか?」

 しばらくは会いに来ないだろうと思っていたが、まさか翌日に笑顔で会いに来るとは思いもしなかった。

「ニト様にお願いがあって来ました」

「願い事なら、私にではなく神様にされてはどうですか?」

 扉を開け広げ、私が出入り口周りの掃き掃除を始めると、少年は塵取りを手に取って私の横をウロウロついて回る。

「このお願いはニト様にしか出来ないんです」

「お断りいたします」

「まだ何も言ってませんよ」

「嫌な予感がするので、門前払いをさせていただきました」

 少年が口をへの字に曲げて眉間に皺を寄せると、肩に乗っていた赤い鳥が私の背中に飛び移ってきた。柄の短い箒だったため、体を曲げていたせいか、飛び移りやすかったのだろうか。

「キュフ、ニト様に迷惑をかけないで。ここでは大人しく何も喋らないでって約束したでしょう?」

 少年が赤い鳥を私の上からどかそうと掴みかかるのだが、鳥は爪を立てて私の上から頑としてどこうとはしない。それよりも、私が気になったのは少年の発言の内容だ。「何も喋らないで」とはどういう意味だろうか。

「早くどかしてください。重いです」

「ソラヤの願いを聞いてくれるなら、下りてやってもいいよ」

「え?」

 その声は背中から聞こえた。初めて耳にする若い男性の声で、確かに赤い鳥から聞こえてきた。

「もう、キュフ。喋っちゃダメだってば!」

「ごめんごめん。僕だってニト様と話がしたかったんだ」

 人の体の上で勝手に話をされて、こっちを置いてけぼりにされるというのは気分がいいものではない。

「君たちはいったい、何者なんですか?とにかく、重い」

「ニト様、願いを聞いてくれる気になった?」

 赤い鳥が私の耳元に嘴を近づけ、優し気な物言いではあったが、したたかさはよく伝わった。

「わかりました。その願い聞き入れましょう」

 了承の言葉と同時に赤い鳥は翼を広げて、舞い上がり、朝日の中を滑空して優美に扉の前で着陸するのだった。

「ニト様、私たちと一緒にスペルバ様に会いに行ってください」

 少年は満面の笑みで、少女のような愛らしい表情でそう言った。

 どうして気付かなかったのだろうか、少年だと思っていたこの人は女性だった。思えば声も可愛らしく、喋り方の端々にも表れていたはずなのに、何故気づくことが出来なかったのだろう。

「会いに行くのはいいですが、仕事が……」

「お仕事の事なら大丈夫です。手は打ってありますから」

 しばらくすると、バシーノが町の女性たち数人と宿屋の主人をつれてやって来た。バシーノの話によると、数日、寺の患者たちの看病を引き受けてくれるという。

「ニトーシェ様、何も心配せずスペルバ様に会いに行ってください」

 いつも手伝いに来てくれている女性二人がどこか楽しそうにそう言った。

「でも、私はここに派遣された時から、寺の管理を一日たりとも疎かにするべからずと命じられています」

 僧侶に休暇は無い。神に仕えることは労働ではないので、もちろん休みをとるという概念が存在しないのだ。

「役所の記録を見せてもらったら、この寺の管理者はスペルバ様になっていた。ならば、俺が持ってきた手紙はニトではなくスペルバ様に渡すのが道理だ。そのスペルバ様に手紙を届けるという役目があればニトがこの寺を離れることも許されるだろう」

 バシーノはしっかり役所まで足を延ばしてこの寺の現状を把握していたらしい。流石にまじめな男だ。

「患者さんの薬の事なら薬師さんに来てもらうようお願いしてますから、ニトーシェ様は行ってきてください」

 この場に集まった全ての人が、私にここを離れてスペルバ様の元へ行けと優しく説得する。みんな忘れているかもしれないが、私はスペルバ様の元へは行きたくないんだ。行きたくない人間を無理矢理に行かそうとするのは脅迫ではないのか?これは優しさの暴力だと思う。

「ニト様、行きましょう」

 赤い鳥をつれた少年風の少女はそう笑顔で手を差し出す。

「今から?」

「もちろん今からです。ぐずぐずしているとまたキュフを背中に乗せますよ」

 あの赤い鳥は体重が重い上に、爪が背中に突き刺さって痛いから勘弁してもらいたい。

「分かりました。着替えてきますから、バシーノたちは水と食料を鞄にまとめておいてください」

「ああ、それならもう済んでる。早くそのひらひらの礼服を置いてこい」

 バシーノの背中には大きめの肩掛け鞄がぴたりと張り付いていた。

 彼らはいくら私が行きたくないと駄々をこねても無理やりにでも連れ出す算段だったのだろう。

 私は深いため息を吐いて、箒を扉の側に立てかけた。



 この服に袖を通したのは、シャルサックの町へにやって来た時以来だ。普段は簡易礼服を着ていて、これは裾や袖が緩く長いので、運動には不適切だ。袖の詰まった綿生地の中着に太腿にゆとりのあるズボンと革長靴を履く。そして夜間の寒さ対策に丈の長い薄い上着を羽織る。

「黴臭い気がする」

 戸棚の奥にしまい込んでいたせいで、どこか黴臭いし湿っぽい気がする。こんなことになるならもう一度洗濯しておけばよかったと後悔した。

「さ、ニト様。行先はどちらですか?」

 赤い鳥がバシーノの右腕の上で翼を広げている。片腕であの大鳥を軽々と乗せている姿を見ると、やはり武人というのは私とは違うのだなと思わずにはいられない。自分の痩せ細った骨ばった腕を服で隠して、彼らの隣に立った。

「隣村、パブロワへ行こう」

「その村は数十年前に廃村になっているはずだ」

 バシーノは近隣の村々まで下調べをしていたらしく、パブロワの道筋や距離まで知っていた。

「うん。記録ではそうだけど、現実はそうじゃない。役所の台帳には神教住民と原住民の記録しか載っていないんだ」

 神教住民とはグッタ国が管理する戸籍に名前が書かれている人の事を指す。原住民とはルシオラやゼノ、プルモといった移民ではない人の事で、彼らはそれぞれに戸籍のような台帳を持っている。役所にはその二つの写しが集められているのだ。

「どういう意味ですか?」

 少年風少女が首を傾げる。同時に喋る赤い鳥も人のように首を傾げて見せる。

「つまり、パブロワにはどちらの枠からも外れた人たちが住んでいるんです」

 パブロワは行き場を失った者たちが行きつく場所と言われている。

「さ、出発しましょうか」

 天気は快晴で、風はやや強く、気温は低めだが昼にかけて上昇しそうで、この上着が鬱陶しくなるのは嫌だなと思った。

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