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5.次から次へと試練がやってきます

ちょっと長くなりました。

 癒しの神術による騒ぎの後、私は教会奥の司祭長室に通された。

 エリックはというと、治癒したものの目が覚めるのは明日になるだろうと言われている。

 高位貴族と平民なので、もう会うことはないかもしれない、というかもう会いたくないが、助かって本当に良かった。


 だがしかし。


 集まった司祭たちが「この町始まって以来の癒しの力だ!」と興奮しながら話しているのを、椅子に腰掛けながら聞き流す。


 正直、やっちまった……な感じが強いので、素直に喜べない。

 脳裏にチラチラと破滅ルートが見え隠れする。

 これはあれなのか?

 ゲームの強制力的な何かなのか??

 めちゃくちゃ不安だ。




 そうこうしているうちに、簡素な修道着を纏った金髪の青年がひとり、司祭長室に入ってきた。


「司祭長、お呼びですか?」


 涼やかで落ち着いた声が耳に心地良い。

 思わずその青年を見上げてから、ゆっくりと顔を隠すように下を向いた。


 金の髪、緑がかったヘーゼルの瞳。

 少しだけ年上の青年。


 この人、クリスやん。


 つい慣れない関西弁が出る程度には動揺していたことは認める。

 あまりのことに赤面したことも認めよう。


 でもしょうがない。

 彼は「白と黒の世界」中での一番好きだったキャラ、いわゆる推しだったのだから。


 ーー教会長の息子であるクリス。


 攻略対象者の一人である彼が、目の前に立っていた。




 一瞬惚けたものの、すぐに現実に思考が戻る。


 予想もしない出来事だと認識してから、心臓が嫌な音を立てた。背中を汗が一筋伝う。


 どう切り抜ければいい? 何をしたら正解?


 クリスは、リリーが神子認定された後に、たまたまこの町に巡礼に来ていたことから、リリーと面識を持つ設定だった。

 でも看板は落ちない予定だったし、癒しの力も使うつもりもなかったから、クリスに会うのは想定外だった。


 癒しの力を使ったらクリスに会うっていうのはわかっていたはず!

 会えるかもって期待をするのが嫌で、今まで考えることもしなかった自分が恨めしい……。


 そんな私の動揺をよそに、司祭の中でも一番高さのある帽子をかぶり、白いひげを蓄えた老年の男性が嬉しそうにクリスに近づく。


「おお、クリス殿。お呼びだてして申し訳ない。実はそこにいるリリーが大変な癒しの力を得ましてな。早急にご報告せねばと思いまして」


 おまえが元凶か。あとで覚えてろよ。


 内心悪態をつきながら立ち上がると、うつむき気味に会釈する。

 顔を見るものか、との強い決意だ。

 見たら挙動不審になるのは間違いない。

 興奮のあまりうっかり変なことを口走ったら、寿命が縮まる。

 物理的に。


 司祭長とクリスがやりとりしているのを遠くで聞きながら、意識しないようひたすら羊を数えていると、ふわりといい香りがして、そっと手を持ち上げられた。

 思わず視線を上げると、心配そうにこちらを窺うヘーゼルの瞳と目が合う。


「大丈夫ですか? 顔色も悪いし、震えてる……立たせたままですみません。座って下さい」


 イ ケ メ ン か。


 震えているのはあなたにどう対応しようか考えた緊張からですよ。

 いやもしかしたらあまりのイケメンぶりに武者震いしているのかもしれませんね、ええ。


 予想外のドアップといい香りに、体は動かず思考だけがグルグルと渦巻き、私は人生二回目の意識消失を経験するのだった。



 ☆



 目が覚めると、見知らぬベッドの上だった。


 これ、覚えてる。

 この白いシーツ、間違いない。

 教会のベッドだ。


 コンコン、とノックがあるところまで最初と一緒。

 アデル、毎回タイミングがいい。


「はい、どうぞー」


 ベッドから降りながら返事をすると、ガチャリ、と扉が開いた。

 視線を向けると、見開かれたヘーゼルの瞳と目が合う。


「失礼」


 パタン、と扉が閉じられた。

 一呼吸置いてから、私の頭の中で今の映像が処理される。


 驚いた顔のイケメンはまごうことなくクリスだった。

 一方私はベッドから抜け出したばかりで、足元がはだけ……はだけすぎだよコンチクショー!!

 っていうか、この服なに?

 私の服じゃないんですけど!!!


 今更ながらに顔に血が昇り、思わず布団に潜り込んだ。

 恥ずかしい。もう死にたい。嘘だけど。


 扉の向こうから声が聞こえる。


「すみません、リリーさん。淑女の部屋に入るには迂闊だった……」

「い、いえ、こちらこそすみません。何も考えずに返事をしてしまって……」

「その、昨日は体調が悪い時に申し訳ありませんでした。君には無理をさせてしまったようで……」

「あ、いえ……」


 昨日のはどう考えてもあなたは悪くありません。

 そう言いたいが、言葉が出ない。

 沈黙を埋めるようにクリスが続ける。


「重ね重ね申し訳ないのですが、身支度お願いしてもいいですか?体調が万全でないのは承知の上なんですが……。朝食後に、昨日の話を聞きたいんです」

「わかりました」


 少ししたらまた来るとのことで、彼の足音が遠のいていく。

 私はひと息つくと、赤い顔を冷ましながらそばに置いてあった自分の洋服に着替えたのだった。




 昨日エリックの血で汚れたと思っていたが、服は綺麗だった。誰かが神術で綺麗にしてくれたのかもしれない。

 誰かって誰だろう、とか考え出すとまた顔が赤くなりそうなので、出来るだけ考えないようにする。


 しばらくしてノックの音がした。緊張しながら返事をすると、シスターが入ってくる。

 クリスが来るかと思って気が抜けた自分に、心の中で喝を入れた。


 適切な距離は大切だ。彼のためにも、自分のためにも。




 スープとパンの朝食をいただくと、昨日と同じく司祭室に連れて来られる。

 心配そうにこちらを見るクリスと目が合ったので、軽く会釈をした。

 彼も安心したように微笑んでくれる。

 平静を保った自分を褒めてあげたい。


「さて、リリー」


 昨日倒れてしまったことと一晩泊めてもらったことについてお礼と謝罪をして座ると、司祭長が口を開いた。

 今日は司祭長とクリスしかこの場にはいないようだ。


「そなたが昨日どういう経緯でここに来たかは、おおよそ見当がついている。アデルからも話を聞いとるからな。だが、腑に落ちんことがある」


 司祭長の目が細められる。

 表情はかたく、昨日興奮しながらクリスと話していた人とは思えない。

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


「そなた、教会にエリック殿が運ばれたとどうやって知った?」

「……アデルの話を聞いて、飛び出してから、何も考えずに走ってました。大怪我をしたなら教会だと思って」

「ほう、なるほど。その時すでに治癒の神術が使えることはわかっておったのか?」

「いえ、無我夢中でした」


 なるほどの、と言っている司祭長が次に何を言うかとドキドキする。

 これ、絶対何か疑われてる。


「では、なぜ、看板が落ちるとわかっておった?」

「え……?」


 動揺したのが伝わったのか、司祭長の目がさらに細められたので、慌てて否定する。


「わ、私は看板が落ちることなど……」

「そなたが町中の看板を修理しておったのは、町中の者が知っておる。そのおかげでセイライムは以前よりも景観が美しくなり、それに伴って治安も良くなった。特に、大工の棟梁が出てきた頃から、看板修理のついでに空き家の修理も行うようになり、治安の良さは加速した。だが、お主は執拗に看板のことを気にして、全ての修理が終わった後も、毎日のように見回っていたそうではないか。それは、なぜじゃ?」

「……」


 思わぬことに言葉が出ない。

 大工の棟梁が新人を鍛えるために放置された空き家を直していたのも知っていたけど、確かに私は看板しか見ていなかった。


「リリー、お主、予言の力を賜ったのではないか?」


 司祭長が伺うように、私の表情を見逃さないように見つめているのがわかる。

 動揺を見せないように、ゆっくりと呼吸しながら必死で考える。

 これは予言の力ではない。でも、口にすれば恐らく、問答無用で神子コースだ。

 どうすればいい、どう返せば。

 その時、閃きが降ってきた。


「私は!」


 意を決して言葉を紡ぎながら、司祭長を見つめる。司祭長が私と目を合わせてからひと呼吸おいて、あたかも耐えられなくなったように目を伏せて少し声をかすれさせながら呟く。


「私は……看板が大好きなのです」


 はた目には完全に恥じらう乙女だ。

 中身ダメダメでもスペックはヒロイン。

 自分で言うのもなんだが、淡い金の髪に濃紺の瞳の可愛い系美少女なのだから。


 そんな美少女が恥じらいながら紡ぐ言葉に効果がないはずがない。


「看板が……好き?」


 ぽかん、とした様子の祭司長が呟いた。

 かかった!と内心ガッツポーズしながら、ええ、としおらしく続ける。


 十三歳の女の子としておかしいから、恥ずかしくて言えなかった……顔を赤くして前置きしてから、流れるように、看板の素晴らしさと好みについて話しはじめる。


 看板は、その店の顔だ。看板を見るだけでどんなお店か想像することができる。

 大きな看板は迫力があっていいけれど、どうしても優雅さみたいなものを感じられない。小さな看板は可愛らしくて時には神秘的な感じもするけれど、目立ちにくい。

 中くらいのものは、大きさ的にはちょうど良いけれど、デザインが難しい。

 そんなことをつらつらと述べていく。


 私が好きなのは、アデルのパン屋の看板だった。

 パンの形の板は磨かれ、柔らかなツヤがまるでパイ生地に付けた卵黄の照りにも見え、食欲を促す。そして程よい大きさに、美しい文字……。


 嘘は一つもない。毎日看板チェックに走るうちに、本当に好きになってしまったのだから。

 あの看板は本当にお気に入りだった。砕け散ってしまって、悲しい。落ちないように毎日きっちりと見ていたのに。


 私が語る看板への熱い愛に、司祭長が呆然としているのがわかる。


「リリーさん、すみません。そのくらいで大丈夫です」


  先日大工の棟梁と直した看板がいかに大変だったかを話している途中で、困ったような笑みを浮かべたクリスから声をかけられる。


 そこで初めて、現状を再認識した。

 そう、この部屋には司祭長だけでなく、クリスもいたのだ。

 切羽詰まりすぎて忘れていた。


「リリーさん、ありがとうございました。司祭長も、ちゃんとリリーさんにお礼を言わないと。彼女にとって、とても恥ずかしいことをお話ししてくださったのですから」

「あ、ああ、そうだの。リリー、もう大丈夫じゃ。誤解だったようじゃ。その、個人的な趣向について話させてしまって申し訳なかったの」


はっとしたように司祭長が頭を下げる。


「いえ、司祭長様。自分の趣味を伝えるのが恥ずかしくって、いらぬ誤解を招いてしまい、申し訳ありませんでした」


 司祭長に申し訳なさそうに微笑みながら、クリスの前で変な子認定させたこと一生忘れないからな、と心の中でメンチを切っておく。


「ではこの話はここまで、ということで。……さて」


 次の瞬間、クリスの顔から笑みが消える。

 その視線はやや憐れみを含んでいるような……。


「今後について、お話ししましょうか」


 声質も、先程までの爽やかさがなぜか重い。


 これはあれだ、リストラの告知直前ってこんな感じなんじゃないだろうか。


 めちゃくちゃ怖い。


 私はほんの少しだけ、クリスから距離を取ったのだった。




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