ほのぼの生活
ゴングがジムに鳴り響いた。
僕は息を荒く吐きながら、佐々木さんに礼をした。
「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございました!」
佐々木さんは涼しい顔で答えてくれる。
「いいのよ、仕事だから。……ミット打ち良かったわよ! その調子で頑張りなさい!」
僕はジムで着実に成長している自分を感じられる。
ジムについたら柔軟体操、縄跳び、シャドーボクシング、サンドバック打ち、そして今日から始まったミット打ち。
打てるパンチも増えてきた。
サンドバックもきつい、でもミット打ちは異次元のつらさだった。
3ラウンドしか動いてないけど、息が上がって動けなくなった
「ねえ、本当に何も運動やってなかったの? 初心者に1週間でフックとアッパーを教えるなんて、あいつら以来よ」
リングの上でスパーリングをしているプロのランカー選手達を指差した。
「は、はい。部活に入っちゃ駄目って言われましたから」
「は!? 親から?」
「いえ……同級生の女の子からです……」
佐々木さんはなにやら複雑な顔をした。
「……これ以上聞かないわ。でもね、あなたのセンスはかなりすごいわよ! この体格といい、筋肉のつきやすさといい、アスリートにならないなんてもったいないわよ!」
佐々木さんは僕のお腹の肉を触ってくる。
「明日はゆっくり休んで、来週からマススパーリング(当てないスパーリング)をやるわよ!」
「はい! お願いします!」
僕は身体がボロボロだけど、充実した気持ちでジムをでた。
桜と出会って、一週間がたった。
僕は毎日ジムに通っていた。ジム以外にも朝の時間にランニングをすることにした。
近くに桜並木があるから、それに沿って大きく一周走って戻ってくる。
大体10キロの距離だ。
これもはじめはきつかった。
でもきれいな風景を見ながら風を感じて走るのはとても気持ち良かった。
今は走らなきゃ身体が気持ち悪い感じになる。
――身体が鍛えられると心に余裕でできるのがわかった。
僕はこの前出会ってしまった、間君と雅の事を忘れるくらい充実していた。
間君はどうでもいいやって思えてきた。
だって、犯罪まがいの事をしていたんだから、あっちが悪い。
ちゃんと証拠を取っておけばよかったな。
雅はあれ以来会っていない。
桜との待ち合わせはなるべく駅前を使わないようにした。
……でも、この街にいる時、よく視線を感じる?
誰か見ているのかな? うーん、僕を見る人なんていないから気のせいだと思う事にする。
なんにせよ、僕の心が少しずつ良くなって来たのがわかる。
――桜のおかげだね。あ、そろそろ起こさなきゃ!
今日は二人とも休日の日。
僕はジムに行かない。
桜は仕事に行かない。
二人でゆっくり過ごそうって約束をした日だった。
「桜……桜! 朝だよ。ご飯できてるよ?」
部屋の扉を開けて桜に声をかけた。
「みゅ……朝……ん……こっち来るの……ん……大樹の心の治療なの!」
桜が手足をジタバタさせて僕にベットの近くまで来るようにお願いをする。
僕はベットの上に腰をかけた。
桜はもぞもぞと布団から這い出て、僕の背中に抱きついてきた。
――なんか日課になってきてるけど……大丈夫なのこれ!?
でも、僕も桜とこうして触れ合っていると、心がすごく落ち着く。胸の奥が温かくなってくる。
桜は僕の背中で寝言を言っている。
「おおきー背中ー、ほわほわー、はぐはぐー……ぐぅ……」
いつも仕事忙しそうだもんね?
本当にお疲れ様……
僕はしばらくそのままの態勢で桜と朝の一時を過ごした。
「……ごほん、大樹? あなたは私に甘すぎよ。もっと叩き起こしてもいいのよ?」
桜はきれいな箸使いで焼き鮭を食べている。
「そんな事できないよ! 幸せそうに寝ているし……」
「はぁ、仕方ないわね。じゃあ、これからも大樹の治療は必要ね? うんそうね。そうよ!」
照れ隠しのように大根のお味噌汁を一口すする。
桜はため息をつく。
「はぁ……本当に美味しいわ……まさか大樹がプロレベルで料理上手だったなんて……」
「プロなんて滅相もないよ! ……料理を作ると嫌なことが忘れられたからね」
僕は少しだけ暗い気持ちになった。
そんな僕に桜は卵焼きを突きつけた。
「馬鹿な大樹ね。昔の事なんて忘れなさい……今は私と一緒に充実した合宿をおくっているでしょ? はい、アーンして」
「ええ!? 恥ずかしいよ!」
「心の治療よ」
目の前に突きつけられる卵焼き。
自画自賛だけど、特製の出汁と完璧な焼き加減で作った最高の一品。
僕は意を決して目の前の卵焼きを食べた。
桜は嬉しそうに僕を見る。
僕は恥ずかしくて、卵焼きの味がわかんなくなっちゃった。
僕は出かける準備をするために鏡の前に立った。
桜がワックスを片手に準備している。
「さすが有楽町のカリスマ美容師【たまきちゃん】ね。6日経って自然な感じでとても良いわ! さあセットをするわよ!」
有楽町の美容院のたまきさんは凄まじかった。
カットだけじゃなくて、気配りもそうだし、ウィットに富んだ会話も楽しかった。
髪のスタイルの仕方や、服の着飾り方も教えてくれた。
人との喋り方も実演してくれた。
そんなたまきさんがカットした髪を桜がセットしてくれている。
腕をまくって、一所懸命ワックスを塗って、髪をまとめたり、流したり……
桜は昔と変わらず、なんにでも一所懸命だな……
僕がロックマーン2をクリアできなくて、桜と一緒に試行錯誤しながらクリアした思い出が蘇る……
ゲームいっぱいやったな……
あ、今日ゲーム機買ってみようかな?
あとで桜と相談しよう。
そんな事を考えているうちに僕の髪のセットが終わった。
桜が僕の両肩を叩く。
「はい、できた! ふむふむ……我ながら完璧ね! というか大樹、一週間で痩せ過ぎじゃない? なんか腕の筋肉ムキムキだし。……いまの大樹はちょいポチャイケメンレスラー体型よ? これはヤバい。可愛い……」
鏡の中の僕はモデルさんみたいな髪型をしている。
まあ、顔は僕だから大した事ないけどね。
正直少し感動している。
こうして落ち着ついて見ると、はっきりと痩せたと実感できた。
清潔感も出た。
まるで別人みたいだ。
「うん、確かに痩せたね……服がぶかぶかで着れなくなってきているんだよね」
「じゃあ今日は洋服買いましょ! それと、動物園に行ってもふもふしましょ!」
動物園! 学校の遠足でしか行ったことがない。
いつも一人ぼっちでいた。
でも今は桜がいる。
「うん! 動物園楽しみ! あ、朝お弁当作ったよ? 持ってく?」
「もちろんよ!」
桜はサングラスと深い帽子を被って、マスクをした。まるで犯罪者だ。
でも僕は詮索はしない。
だって桜は桜だもん。
僕たちは仲良く手をつないで動物園へ向かった。