やめろ!
僕は間省吾君に胸倉をつかまれて、路地裏に連れてかれた……
胸の奥がキュウっとする。
脂汗が出る。
僕に襲いかかるであろう言葉と肉体の暴力を想像すると頭がおかしくなる。
身体が小刻みに震えてしまう。
心で震えるなって思っていても震えが止まらない。
思考が停止する。
ジムで温かい気持ちになれた記憶が吹き飛ぶ。
――恐怖。
それが僕の身体を縛ってしまった。
間君は僕の肩に手を回している。
「おいおいおいおい。お前が今日来なかったから雅の機嫌が悪かったじゃねえかよ? あーん、何とか言えよ」
僕は歯をガタガタ震わせてかろうじて呻いた。
「は、は、はい、す、す、すみませ、ん」
頭に軽い衝撃が来る。
平手で頭を弾かれた。
「馬鹿野郎が! 何言ってんかわかんねーよ!」
耳元で大声を出される。
僕の心が殺されそうになるのがわかる。
「ていうか、お前ここで何してんだ? ……荷物見せろよ」
勝手に僕のバッグをひったくった。
「……なんだこれ? ジムの会員証? ボクシングジム? はははっ!! こいつは大笑いだぜ!! みんなに言ってやろ!! いじめられっ子がボクシングで復讐か?」
間君は僕のバッグを逆さにして中身をぶちまけて、バッグを投げ捨てた。
「汚ねえ包帯となんだこりゃ? お前スマホなんて持ってたんだ?」
駄目、それは僕と桜が一緒に買った大切な物。
やめて、やめてくれ!!
「……おい、なんだその眼は。ケンカ売ってんのか? まあいいや、キモデブは黙ってみてろ? ……け、何にもねえじゃねえか……写真が一枚あるな……!? おい、キモデブ!! こいつはお前の知り合いなのか!!」
スマホショップで僕と桜が試し撮りをした時の写真だ。
「…………」
「マジか……これ……こいつを使って……俺がアイドルと……ふふふ」
間君は僕のスマホを手に持ったまま気持ち悪い笑みを浮かべている。
僕はこれ以上僕の荷物を触れてほしくない。
桜と一緒に買った思い出が穢される。
地面に捨てられたバッグだって桜が選んでくれたものだ。
ジムの会員証は踏みつけられている。
「…………るな」
「あーん、聞こえねえよ。なんか言ったか?」
手が震えている。
身体が震えている。
同じ同級生なのにすごく怖い。
でも……僕は変わらないきゃいけない。
変わるんだ。
佐々木さんの言葉を思い出す。
――誰かを叩きのめすために強くなるんじゃない。自分自身を高めるために強くなる。
一回しか行ってないジムだけど、僕の世界は広がった。
見えていなかったものが見えた気分だ。
僕は深呼吸をして……間君をみた。
「……さ、さわるな」
間君の雰囲気が一気に険悪になった。
「……なんだと、こら……てめえケンカ売ってんのか? ……おい、何とか言えよ」
低い声で僕を脅してくる。
僕はさらに深呼吸をした。
変わるんだ。
変わるんだ。
僕は桜を出会ったんだ。
変わらなきゃ。
桜に心配かけちゃ駄目だ。
死のうとした僕の事をすごく心配してくれた。
そんな桜にもう心配かけちゃ駄目だ。
あ、死?
僕自殺しようとしていたよね?
あれは桜に止められてなかったら、普通に落ちていたよね?
僕は今も死にたい? いや、死にたくないよ。だって桜に会えたんだもん。
買い物が楽しかった。
ジムも楽しかった。
死ぬ事と比べて、今の状況は……大した事ない?
僕の身体の震えが自然と止まった。
僕のスマホを持っている間君を見る。
――間君って意外と小さい?
高校生になってから間君にされたことを思い出す。
トイレから水をかけられた。階段から突き落とされた。服を燃やされた。裸で立たされた。サンドバックにされた。自分の持ち物を何度も盗まれた。
胸になにかがこみ上げて来た。
なんだこれは? ずっと昔に感じていた感情……怒り?
僕は間君に怒っているんだ。
僕はもう一度、間君に言った。
「やめろ! それは大切なものだ!」
間君は何かを言う前に僕の腹にパンチをした。
お腹に激痛が走る。
思わず倒れそうになる……
僕はお腹を抱えて耐える。
今度は自分の意思で間君を睨みつけた。
僕は叫びながら間君に向かって体当たりをした。
「うおおぉぉぉぉぉぉーー!!」
「え、ちょっと……うおぉ!?」
僕は進むだけだ。
叫びながら間君をひたすら押した。
「やめ!? やめろって言ってんだろ!」
間君は僕の身体に肘打ちをしてくる。
それでも僕は進んだ。
「ぎゅっ!?」
やがて大きな音とともに僕は止まった。
間君は壁と僕との間に挟まれておとなしくなってしまった。
目の前に倒れている間君がいる。
――どうしよう……暴力ふるっちゃった……逆らっちゃった……夏休みが終わったらもっといじめられるのかな……
後ろから肩を叩かれた。
振り向くと桜が立っていた。
……あ。
僕は安堵でその場に座り込んでしまった。
桜は僕に優しく声をかけてくれた。
「……なんかいつの間にか少しだけ昔に戻ったね。後ろでずっと見ていたよ? ちゃんと嫌だって言えたね」
桜が散乱した荷物を拾ってくれた。
「桜……僕、暴力振るっちゃった……どうしよう!?」
「はあ、安心しなさい。こんなの暴力じゃないわ。ただの自衛よ。ちゃんと録画してあるから、警察行ってもこのクズが悪いってわかるわ」
桜は間君に唾を吐きながら言った。
「大丈夫よ。大樹は夏休みが終わったら変身するんだから。もういじめられないよ?」
桜が僕の手を取って立たせてくれた。
僕らは気絶した間君を放置してその場を離れた。
僕らは家まで歩きながら話をした。
「大樹は自分で立ち向かう事が出来たんだ。これは大きな前進だよ? よし! このまま大樹をもっとカッコよくしてやる!」
「か、カッコよく? できないよ! ……そりゃ痩せられるかもしれないけどさ」
「……はあ、大樹はわかってない。大樹は今の太っちょのままでもかっこいい。痩せて、髪型も変えて、眼鏡をはずして、ちゃんとした服を着たらヤバい。みんな群がる。……ちょっと嫉妬しちゃう」
「……自分ではよくわからないよ。ずっとキモデブって言われてきたから」
「そうね。大樹の一番治さなきゃいけない所は心の傷ね。……大丈夫、一緒にゆっくり変わっていきましょ!」
桜は手を出してきた。
僕は桜の手を取って笑顔を浮かべた。
「うん! 僕頑張る! 一緒にいてくれる桜が馬鹿にされないようにするね!」
「ふふ、ありがと。明日はまた違うところに行ってもらうからね!」
「う、うん……努力するね……」
僕たちはそのまま僕の家に帰った。
簡単な料理を桜に作ってあげて、長い一日が終わった。