大樹の成長 中
「いってらっしゃい、気を付けてね!」
「行ってくるわ、大樹も頑張ってね!」
僕は手を振りながら桜を玄関先で見送った。
「さて……」
僕はジョギングシューズに履き替えて、ランニングへと向かった。
桜並木まで街を走り抜ける。
「おーい! 頑張れよー!」
「怪我すんなよ!」
「きゃーー!! 噂の彼よ! ラッキー! 今日は見れたわ!」
街の人達と挨拶を交わしながら僕は走る。
会釈をしたり、手を振ったり、昔では考えられないことだ。
桜並木に入るといつものOLさんがいた。
僕は大分ペースを落とした。
「おはようございます!」
「あ、高校生君! おはよう!」
しばらく伴走する僕達。
「はあ、はあ、いつの間にか……追い抜かれちゃったね……お姉さん嬉しいよ」
「はい、お陰様で……」
「なんかすっごく痩せちゃって……悔しいわ!」
お姉さんが僕のお腹をつまんできた。
脂肪が無いからつまめない。
代わりに僕の筋肉を触ってきた。
「いいわー、いいわー、これ。ちょうだい?」
「ダメです。僕に触っていいのは一人だけです」
「ふふ、冗談よ。あ、私に気にせず先行ってね!」
「はい……また明日!」
「バイバーイ!」
僕はペースを上げて走り出した。
同じランナーをどんどん追い抜く。
「小僧! 受けとれ!」
前にいたタオルお爺さんが僕にペットボトルの水を投げてきた。
しっかり受けとると僕は後ろに向かってピースサインをした。
僕の後ろに気配がする。
いつもの4人だ。あれ? 1人多い?
「今日こそは負けねーぞ!」
「はあ、はあ、俺達が勝ったらうちの大学に入れ!」
「ひひ、尻の筋肉が最高だぜ! 待ってろ! 俺の筋肉!」
どこかの大学らしいけど、いつの間にか、たまに勝負しているんだよね。
「先生! 頼みます!」
「おう、実業団ナメんなよ」
一人の男がニヤリと笑いながら僕を追い越した。
――早い!?
無駄のないフォーム、力強い走り、完璧プロだね。
僕は……胸が熱くなった。
身体のギアを一段上げた。
望むところだ!
僕はペースをあげて、実業団の人と並走した。
「はあ、はあ、ゴールは……今通り過ぎた……休憩所……OK?」
実業団の人はこくんと頷いた。
ゴールまで10キロ。
僕は本気を出した。
実業団の人が少しずつ遅れてくる。
これはマラソンじゃない。瞬発力勝負だ。
僕は徐々にペースを上げる。
やがて、僕の頭はクリアになって、苦しさが心地よさに変わっていった。
いつの間にか実業団の人を意識していない。
ただ最高の走りをする。
桜に自信がついた僕を見せたいだけ。
それだけの理由だ。
僕の足は止まらない。
やがてゴール地点に着いた。
僕は後ろを見ると、遠くで彼の姿が見える。とても悔しそうだ。
僕は大きく手を振って、再び走り出した。
ジムに遅れちゃう!
「大樹、今日もよろしくな! スパーは6ラウンドだ。お互いケガしないようにな!」
ヘッドギアとグローブを装着して僕は隆太さんと対峙した。
佐々木さんが叫ぶ。
「隆太ーー! プロが一カ月程度の奴に負けんなよ! 大樹! ぼこぼこにしておしまい!」
僕ら二人の事を応援してくれる。
ゴングが鳴った。
隆太さんの鋭いジャブを、上体を揺らしてスリッピングをする。
フェイントとジャブを織り交ぜながら隆太さんのパンチをいなす。
大振りにならずに細かく打つ。
懐に入られた瞬間ボディに隆太さんのパンチが突き刺さった。
――ぐっ!
痛みを無視して僕はアッパーを繰り出す。
隆太さんの顔すれすれに僕のパンチが走る。
隆太さんは顔色を変えながら距離を取った。
――楽しい。パンチの打ち合いがこんなに楽しいなんて思わなかった。
フェイントとステップでけん制しながら、1ラウンドに2~3発しか当たらないパンチ。
ボクシングは高度な技術で確立されているって肌で感じる。
僕と隆太さんの激しい打ち合いは続いた。
僕は試したい事があった。佐々木さんに怒られるかも知れないけど……
漫画で見た必殺パンチをやってみたい。
僕は打ち合いをしながら、チャンスをうかがっていた。
……今だ! 僕は足を大きく広げて隆太さんのフックをかわす。
ダッシュの如く動いて、一瞬で距離を埋める。
そのままウェービングをしながらフック気味のアッパーを繰り出す。
細かく、小さく……
僕のパンチが隆太さんのブロックを弾く。
隆太さんはフックを打ちながら逃げようとする。
僕は超低姿勢で八の字を描くようにステップとアッパーで隆太さんの逃げ道を塞ぐ。
僕の右フックが隆太さんの脇腹に刺さった。
身体を揺らす。
返しの左アッパーが顔面を捉える。
身体を揺らす。
右アッパーがみぞおちに入った。
「ぐえっ!?」
「ちょっと!? ストップよ!!」
隆太さんはその場でうずくまってしまった。
「……や、ヤバ……佐々木さん……バケツ……」
隆太さんは嘔吐してしまった。
僕はどうしていいかわからなくてまごまごしていた。
佐々木さんが大声で怒鳴ってこっちに来た。
「大樹!! ……あんた……よくやったわよ!! あの隆太をスパーでダウンさせたなんてすごいわよ! スパーでダウンなんてめったにない事よ! はは、あいつ調子乗ってたからいい勉強になるわ。……これで次の日本タイトルに向けて、本気で練習し始めるわ!」
あれ? 怒られない。
ジムはざわついている。
「マジかよ……隆太さんミドル級の日本タイトル控えてんだぜ?」
「ランキング1位だよ!? プロの4回戦にもなっていない練習生ボーイが!?」
「まあ、大樹は死ぬほど練習してたからな」
「いや、練習だけじゃ無理っしょ? あれは持ってるよ」
「……やべ、燃えて来た。俺も来月試合あるから大樹君とスパーしよ!」
練習生たちが駆け寄ってきて、僕の頭を叩いたり、肩をパンチしてくる。
温かいお祝いのパンチみたいだ。
自分のことのように僕の成長を喜んでいる。
佐々木さんが練習生たちに怒鳴りつけた。
「ほらほら! 練習しろ! ゴングなってんぞ!」
練習生は蜘蛛の子を散らすようにその場を離れていった。
着替えてジムを出ると、メッセージの通知が来ていた。
……雅からだ。なんだろ?
あの日以来、僕らはたまにメッセージのやり取りをしている。
まだぎこちないけど、一歩一歩ゆっくりと交流を図っている。
えっと……え!?
『省吾と話し合いをすることにしたの。あいつ、昔はあんな横暴じゃなかったのよ。もし昔の省吾に戻れるなら大樹が学校で嫌な思いしない……明日の13時に駅前のアイスクリーム屋さんでするね。……一応大樹に報告しておくよ。もうすぐ学校だね。……できれば一緒に登校したいな? 迷惑じゃなければ4人で登校しよ?』
僕はメッセージを見て考え込んでしまった。
間が昔は普通だった?
……でも、明らかに普通じゃないよね? 僕をいじめたり、雅と付きあっているって嘘いったり、撮影の時に絡んできたり……
僕は胸がもやもやしたまま、桜を迎えに行った。