第1話「コイントスの裏」
登場人物
僕 : 音楽と映画が趣味の都内の三流私立大学生。頽廃的な世の中を嫌悪する一方で刹那的な生き方に憧れを抱くが、中産階級故のエゴか、道を踏み外せずにいる。両親の離婚やDV、恋人との別れを引きずり、それを盾に取ることで自分が頑張らずに済む理由にしている。ナイーヴで内省的だがイキりがち。
男 : とある酒場で出会った謎の男。詭弁が特徴的な難物で、冷静だが物言いは粗暴。若く、その風貌は日本人には見えない。半熟のハードボイルドに狂気と慢心さを注ぎ込んだような印象。「人生はどれだけ多くの伝説を残せるか」「若くして死ぬことが美徳」がモットーらしい。
無精髭 : 中盤から登場。スティーブンセガールのような堅物の巨漢であり、'男'の幼少期を知る唯一の男。獲物に襲い掛かろうとする狂犬のようだが、情緒豊かな仲間思いで、たまに涙もろい一面を見せる。酒が入ると明るくなる。身体に謎の傷が多数ある。(後記)
あずみ : '男'の連れ。(後記)
智美 : '僕'の高校時代からの親友。たまに顰蹙を買うようなストレートな物言いをするが、'僕'に対しては母性に似た優しさを持つ。'僕'とは正反対の性格で、社交的であり勉学も非常に優秀である。柔らかいアジアンビューティーといった風貌。
転載防止のため、本サイトから著者が前もって当サイトに重複で投稿しています。
http://www.franzkendo.com/2019/04/blog-post.html
第一話「コイントスの裏」
「コイントスの裏は人生を変えると思う?」
その日は雨だった。フロントガラスに激しく打ち付けられ、死んだように転がってゆく雨粒を、インテグラルな日本人が作ったワイパーは休むことなく払いのけた。ヘッドライトに写し出されたスペースデブリと先の見えないハイウェイは、どことなくBastilleのジャケットを思わせた。
「コイントスの裏が出た時にもきっと同じことを言うと思うよ」
男は答えた。
「同じ結末を歩むときにコイントスなんかしないんだから」
「そうじゃないの。もし裏を選択していたなら、今の選択よりもずっと良いものなんじゃなかったのかってこと」
「それは誰にも分からないよ。だからコインを宙に弾くんだ」
「あなたは何も分かってない」
あずみは情動的な口調でそう言った。
「迷っているときにどんな選択をしたって結局は後悔するんだ。それが迷うってことなんだよ」
男は正面を向いたまま答えた。
前からフェードインするヘッドライトが一瞬のフラッシュバンとともにフロントガラスを焚くと、後ろの闇へ吸われるように消えていった。カーラジオから、stingのfragileが流れた。
しばらくの沈黙を、2人は哀愁と脆さのあるアルペジオの響きを聴いて共有した。
「あなたは可能性を信じないの?」
あずみの言葉とともに音楽はフェードアウトした。
「信じるよ」
「ただ、起こりえない可能性について俺は考えていないし、ない選択肢は取らないよ」
「つまり、不可能ってこと?」
「俺たちは無銭飲食をすることができる。万引きだって、殺人だって。今ここでハンドルを切って川に飛び込むことだってできる。ダッシュボードの中のグロックで今すぐ君を撃てる。銀行だって襲える。でも、俺たちはそんなことはしない。そういう"可能性"という選択肢が選べるにしても、俺たちにはそれらの選択肢はあってないようなものなんだよ」
男は殺された雨粒を見てそう言った。
「うん」とだけ彼女は答える。
「俺にとってのコイントスの裏は同じようなものだ。その"可能性"があるにせよあったにせよ、実際今は起こりえないんだ。俺はそういうことについては考えない」
あずみは上手く呑み込めない表情で男を見た。
男はあずみと目線を交わすと、また流れてゆく死んだ雨粒を見た。
「Anarchy Burgerを聴けば分かるよ」
男は言った。
「なにそれ」
「アメリカの80年代のパンクバンドの曲」
「私はパンクは聴かないわ」
「聴ける可能性はあるよ」
と男は返した。
あずみはその頓智に笑みを浮かべた。
雨音が混じったスウィープサウンドのドップラーを数回挟み、あずみは「きっとみんな心配してるよ」と男の顔を見た。
「俺には友達はいないから」
「あなたが撥ねつけているだけよ」
「いたとしても皆薄情だ。俺がいようといまいと関係ないさ」
「そうだけど..」とあずみは路肩に視線を移した。
休符が続いた。
しばらくして、「ねえ」とあずみが呟いた。
「私たち、この後どうなるんだろう」
対向車が水しぶきをあげて去っていく音だけが続いた。
「そういうことは考えないほうがいい」
男は片方の眉毛を掻いた。
「将来がないのは嫌よ」
「人はいつでも考えてるさ。でも結局見定まらないのはそういうことなんだよ」
「考えても分からないってこと?」
男は数回ゆっくりと頷いた。
「自分が実際に挑戦して挫折して、すぐ諦めるのもそういうことだし、本当にしたいこと
なんてその日の惰性で決まることさ。乙女心と同じさ。全てはその日の気分なんだよ」
あずみは数回ゆっくりと頷いた。
「そうやって毎日の惰性が積み重なって、そのカルマみたいなのが軌道を描いて他の人間の惰性と衝突するんだ。そこで軌道が変わったりなくなったり、後はね」
対向車のフラッシュが2人を照らした。
「私たちの出会いも、考えも、こうして一緒にいるのも惰性なの?」
あずみは男の方へ向き直った。
「そうだよ、でも悪い意味ではない。俺たちの惰性の軌道が似てるからこうして一緒にいるんだよ。今はね。でももし俺たちの軌道が0.1でも違えばこの先俺たちは離れていくんだ。でもそれは誰にも分からないし、俺たちがどうしたって変わらない。でもそれを悲しいと思っちゃいけないと思う」
男は前を見て静かに話した。
「私はあなたを離したくない」
ミラー越しに見るあずみの目は微かに潤んでいた。
男は空の引き出しから掘った墓穴を埋める言葉を探した。
しばらくして、"引力"という言葉を見つけた。
「引力」
とだけ呟き、男は女の瞳を見た。
時間が流れた。
光が彼女の横顔を照らし、想いを装填した唇を重ねられた。
唇をゆっくりと離し、口先の艶めく音を聴いた。
女の頬に雨粒が流れた。それは生きていた。
そしてまた時間が流れた。
一瞬の記憶の休符の後、2人は正面に向き直った。
「私たち、疲れてるのかもね」
男は鼻頭を指で擦った。
「近くに泊まろう」
「うん」
急に現実に戻ったような感覚がし、ラジオ番組のトークが聞こえはじめた。
2人の間にしばらく沈黙が続いた。気づけばハイウェイを降り、水滴で輪郭がぼやける赤信号を眺めていた。
Kings of LeonのCloserが流れた。
「ところで」
あずみは言った。
「ところであなた、いつの間に免許とってたのね」
男は正面を向いたまま、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。
「独学だ」
twitter @pellocy