ラミ ―――The last mermaid of her kin
先に投稿しております「ラミ」にいただいた感想をもとに加筆修正しましたものになります。
武 頼庵(藤谷 K介)様主催の「初恋」企画参加作品です。
お時間いただけましたらお読みくださいませ。
※アルファポリスにも投稿しています。
ラミは岩の上で体を休めながら対岸の村を眺めていた。
村には掘立小屋のような貧しい家屋が並び、ほんのりと、だが、闇夜の中では、きちんと目印になる明るさを、ラミのいる沖の海に浮かぶ岩場の上にも投げかけていた。
あの光の中の一つにカガリがいる。
ラミはこの浜に棲む人魚だった。
浜には、昔、大勢の人魚がいた。
遠い遠い昔の話だ。
そのころ人魚はたくさんいた。そして、人間たちと協力して暮らしていた。人間は船を操り海に網を落とした。人魚たちは、その網に魚を追い込む役をやった。
多くのの収穫があり、豊かな暮らしがそこにあった。
だが、ある時、潮目が変わり、浜の海には魚がめっきり少なくなった。
少ない恵みは人間と人魚の争いを産み、いつしか、人間は人魚を追うようになった。
そのころから人魚の数はだんだんと減りつづけ、今ではラミの家族とわずかな仲間しかいなくなっていた。
海の幸が減り、人間に嫌悪される存在となり、時には命を狙われる。
飢えること、争うことで、人魚は自分たちの、そしてこの世界の未来の終焉を予感し、そこに子孫の不幸をまざまざと見た。人魚は子孫を残すことを恐れるようになった。
人魚は、少しずつ、生きる力をそいでいった。
いつのまにか人魚に子が生まれることはほとんどなくなった。
ある日ラミは、人間が船をだし、魚を取ろとしているところに出くわした。
船には若い男が乗り、歌を歌っていた。
ラミの父はいつも言っていた。
「人間にはかかわるな」と。
もう人間は、かつて、人魚とともに、協力していた日々を知る者もいなくなっていた。
そして、どんなに親しくなっても人間と人魚は違いすぎた。
人魚は千年を生きるが、人間はその十分の一の年月を生きることもまれ。
人間の口から出てくる言葉と、時に、心の中に流れ込んでくる彼らの思うこととの大きな違い。
人間の使う道具は、最初から人魚を殺すために用意されたものもある。
人間は人魚がどんなに人間を思い、手助けしても、人魚を、飼いならした家畜のようなものとしか思わない。
人間は、道具を使うが、人魚をもその一つと思っている。
…………心は同じなのに。
ラミはその船に近づき、網に魚を追い込んでやった。ただの気まぐれだったが、驚いた船の上の若者と目があった時、ラミは笑いかけてしまった。
人間の若者は海に出るたびにラミの姿を探し、待ちわびるようになった。
ラミは遠くから若者を見つめていたが、ある嵐の日に、若者が船から落ちてしまった。
ラミは若者を助け、心を交わした。
言葉はいらなかった。人魚は相手の体に手を触れるとその考えが頭の中に流れ込んでくるのだ。
――――――助けてくれてありがとう、なんという美しさだろう、ずっとこの瞳を見ていたい――――――
若者の名はカガリと言った。
ラミはそれから、カガリが海に出ると、船に近づくようになった。仲間の目を盗み、会うようになった。
カガリは海に出ると歌を歌い、ラミを呼んだ。
だが、そのころ…………海の恵みはますます少なくなり、人間たちは少ない収穫を嘆き、そのことを―――――浜に人魚がいるせいで魚が来なくなった、人魚は海の幸を食い尽くしている、あいつらは海を操り嵐を起こし、船を沈めようとたくらんでいる―――――と、すべての不漁の、不幸の原因を人魚のせいだと逆恨みし、人魚に今までにないほどの憎しみを抱くようになった。
人間たちは人魚を追うばかりでなく、時には、容赦なく獲物として狙うようになった。
――――――これ以上の争いは、もうたくさんだ―――――
とうとう仲間の一人が捕えられ殺された時、一族の長であるラミの父は決意し、人魚たちは、この岸を離れることになった。
――――――海は広く、果てしない。どこかに自分たちと同じ姿の、同族がいるかもしれない。
いくら海に棲む人魚と言っても、ここしか知らない、この浜の人魚たちには外海へ出ていくことは恐怖でしかなかった。
ラミの父の決意は一族の未来を思って、己を奮い立たせた最後の賭けだったのだ。
だがラミはここに残ると言い張った。カガリのいるこの浜にいたいと。
ラミの父は泣いて諭した。
「あの男と一緒にはなれん………。人間とは………。」
それは悲しい真実。
人魚は、人間と……愛を交わすことはできなかった。
心がどんなに惹かれあったとしても、人魚と人間は、男女の契りを結ぶことはできない。その間に………子どもを、愛の結晶を、望むことはできなかった。
心は同じなのに。
ラミの家族や仲間は、ラミを置いて、岸を離れた。
ラミは一人岸に残りカガリと会うことだけを生きるよすがにしていた。
昨秋は珍しく豊作で、村は浮き立ち、収穫の後、年が明けると縁組が盛んに行われ、カガリは嫁取りをすることとなった。
もちろん…………人間の女を、だ。
ラミは岸から離れず、そのすべてを見ていた。
村が喜びに包まれ、貧しいながらも華やかに宴が行われ、そして、…………初夜の明かりが消えるのを。
もうカガリは海に出てもラミを探さなくなった。
そして、今、ラミはこの岩場に座り、飽くことなく、対岸の村を眺めているのだった。
寂しさに、ラミはカモメたちに、ここを去った人魚の群れの話を聞いた。父さんや家族はどうしているのか知りたかった。
カモメはラミに教えた。
―――――遠くの岸で暮らしていたけど、この秋の大嵐に飲み込まれ、みんな消えてなくなったよ。
ラミは心のよりどころである家族を、仲間ををなくしてしまった。
あくる年は海の幸、山の幸も少なく、大飢饉が続いた。
カガリの村のものがいう。
――――人魚の肉は長寿の薬という。 あの人魚をお殿様に献上して年貢を方便してもらおう。
カガリは、女の子を授かっていたが、その子は飢えて死にかけていた。
夜、船を出すカガリ。
歌を歌いカガリはラミを呼んだ。
ラミが船にやってくる。
カガリはラミに襲い掛かった。
ラミをとらえなければ村が全滅すること。ラミを岸から逃がすことはわが子を殺すこと。
襲われながら、流れ込んでくるカガリの苦悩に、ラミは身を震わせ、咽び泣いた。
ラミは涙を流し念を送った。
―――――――――これでいいのです。なんと幸せ!二度とあなたに触れられないと思っていたのに、あなたはこうして私を抱き、捕えてくれた! 私はもうこの世に一人です。ひとりぼっち。もうこれ以上、生きて…………――――――――――
はたして、その思いは伝わったのか。
ラミの思いはそこで途切れた。
カガリがとどめを刺したのだ。
かつてはその笑顔を見たいと思い焦がれた相手に。
結ばれぬと分かっていながら、待ち焦がれた女に。
カガリは鬼となった。鬼にならねば守れぬ者たちをその肩に背負い、生き抜くために。
ラミがその一族の最後の一人だったので、ラミの死で、いつともしれぬ太古からこの浜に棲み繁栄を続けてきた人魚の種族は絶滅となった。
お殿様は献上された人魚に喜び、その肉を食らった。
貧しい村はその年の年貢は免除された。カガリの子も命拾いした。
だが、三年後にその村も、はやり病で全滅した。
人魚の肉を食ったお殿様は、やがてごく普通の寿命で亡くなった。
大したことではなかったのだ、言い伝えなど。
大したことではなかったのだ、人の一生など。
それは、ほんの数分、呼吸が止まるだけで終わってしまうような、はかないもの。
それは、争うことに費やす暇などありはしないほどの短い時間。
人魚と人間の一生の違いは、ただ愛するために生きるか、愛するもののために他者を踏みにじりながら生きていくか、の差だけ。
どちらが良いとも悪いともない。どちらも、その時をその生を、ただ生きぬいただけ。
それぞれが大切なものを心の奥底に秘めながら。
…………たとえそれがどんなに悲しく、寂しい生き様だったとしても。
時はやがて、人々の暮らしの跡も、その思いも、掻き消していった。
変わらないのは海の波の寄り返す音だけ。
Love&Peace.
お時間取っていただきお読み下さいましたこと、お礼申し上げます。<(_ _)>