第7話 伯爵家の事情
ルードサレンは、この地を統治するダスターツ伯爵家が所有する領都である。
ダスターツ伯爵領は、北にあのヒマラヤ山脈をも凌ぐ、標高1万mに達する人跡未踏のノレーゲン山脈が横たわり、平地を挟んで南には標高千mから3千m程の山々が連なるホロゲノン山地の山々が、起伏に富んだ地形を形作っていて、その峡谷は南の隣国との境界線にもなっている。
東にはサルエント子爵を筆頭にして、幾つかの弱小貴族の領地が点在し、そのさらに東には、広大な荒地を挟んでネステル帝国が牙を研いでいる。西は王家直轄領だ。
東西に長く南北に短い、帯状の領地だが、北のノレーゲン山脈から流れ出るウーノス川、マロネス川、両川の恵みで比較的耕作に適した土地も多い為、食料の自給率も高く、また、非公式ながら西の王都と東の帝国を結ぶ街道からの通行税による収入によって、王国の貴族の中では比較的裕福な方に入る。
今、このルードサレンには、2つの騒ぎが巻き起こっていた。
一つは毎年恒例のことではあれど、晩秋から初冬に掛けての季節になると、北にあるノレーゲン山脈に生息するモンスターの集団が大挙して南下し、領内に侵入してくる為、これに対する備えが必要になることだ。
これが散発で数匹や数十匹程度の規模ならば、領軍を動かすことで対処もできるのだが、稀に数百から、時として数千の規模の群れがダスターツ伯領を襲い、甚大な被害を被ることがある。
その為、これに備えてノレーゲン山脈の麓一帯に、前もって偵察隊を繰り出す必要があり、数を揃える為の傭兵の募集や、それに応募する傭兵達、それを目当てにした商人達と、非常時には数千の兵を収容した城塞となるルードサレンであっても、そのキャパシティーを超える人間が集まって、混乱の極みを演出しているのだ。
実は、毎年恒例のことではあっても、例年ならばこれほどの人間は集まらない。
今年の領都を、これほどまでに混乱させている理由の、もう一つが、最近になって南のホルーゲン山地の中、隣国との境界線にもなっているヨードフィル渓谷のダスターツ領側で大規模な銀鉱が発見されたことによる。
これによって、南の都市国家連合がキナ臭い動きを見せ始め、これに対する備えの為にも軍備を拡張する必要が出てきたことから、人員の募集をさらに拡大せざるを得ず、混乱に拍車が掛かっているのが現状だった。
今も、ルードサレン城の一角にある政庁の執務室に於いて、この地の主であるログソン・ロウ・ダスターツ伯爵が、短く刈り込んだ銀髪を掻き毟りながら、配下の文官達から上がって来る、うんざりするような量の資料を、唸りながら処理していた。
ダスターツ家当主、ログソン・ロウ・ダスターツ伯爵は62歳。身長は165cmと、それほど高くはないが、筋肉質のがっしりした体格は、若い頃、東の帝国や、南の都市国家群相手の戦争で幾多の殊勲を挙げた猛将でもある。
リドリスファーレ王国国王マイオ・ドウ・リドリスファーレの信も厚く、伯爵という、低くは無いが、それほど高い訳でもない家格にも関わらず、王国の東の要であり最重要地の一つである現在のダスターツ領を拝領している。
「失礼いたします、旦那様。差し出がましいようですが、お茶を用意致しますので、そろそろ一度休憩なされて、気分を変えられては如何でしょうか?」
閉ざされた執務室の扉の横で、立ったまま控えていた侍女が、ログソンの体を気遣って提案する。
その言葉に、ログソンは一瞬だけ苛立たし気な表情でチラリと侍女を見たが、ふと目を閉じて息を吐き、再び目を開けると、今度は厳つい顔に笑みを浮かべて言った。
「そうだな。根を詰めても仕方が無かろうな。侍女長殿の言う通り休憩にするか」
ログソンは、自分が短気だという自覚がある。なので、そんな自分を戒め、それがログソン、引いてはダスターツ家の為を思っての直言であるならば、それが的外れなことであっても決して叱責したり処罰しないと公言し、厳格に実行ている。
身分格差の大きい、この世界に於いては、理由に係わらず平民の方から貴族へ言葉を掛けること自体、時に命懸けの行為である。
それがダスターツ家に於いては、咎められるどころか、寧ろ褒められるのであるから、侍女達に限らず、家臣は主家の為になることなら躊躇わず口にすることが出来、それを誇りにすら感じている家臣も多かった。
エルンは自分の意見が聞き入れられたことに喜びの表情を見せながら、執務室の扉の外に控える待機番の別の若い侍女にお茶の用意を指示し、執務室中央に鎮座するテーブルに、テキパキと準備を進めていく。
そんな彼女を眺めながら、ログソンは執務机から立ち上がると、うん! と一伸びして固くなった筋肉や筋を伸ばす。
さらに左右に体を捩じってストレッチしながら、部屋の窓から見える庭を眺めやった。
よく手入れされた庭には秋の草花が美しく咲き誇り、その先にはログソンの孫娘であるメリーチェ・ロウ・ダスターツが、後ろに御付きの侍女を連れて、時折しゃがんでは足元の草花を愛でながら散歩している姿が目に映る。
夏の物とは違う、やや涼しさを伴ったそよ風に靡く金髪が美しい。
メリーチェは次期伯爵家を継ぐはずだった嫡男の忘れ形見で、ログソンにとっては目に入れても痛くない存在であったが、同時に悩みの種でもあった。
現在、ダスターツ伯を継ぐ人間はメリーチェしかおらず、来年15歳の社交界デビューを果たす彼女に婿を取って、女伯爵としてダスターツ家を継がせるべきか、それとも一族の誰かを養子に迎えてダスターツ家を継がせ、メリーチェには、別に夫となるにふさわしい人物を探して宛がうべきか、どちらにしても、可愛い孫娘の幸せを一番に考える祖父としては悩ましい限りだ。
そんなことを考えながらも、窓から視線を切ってテーブルに設えられた席に着くと、タイミング良くエルンが淹れたてのハーブティーの茶の入ったカップを置く。
ログソンはカップを手に取り、ハーブティーの香りを楽しみながらも、ふと気になったことをエルンに尋ねた。
「そういえば、ギータンはどうした? 珍しく今朝から一度も姿を見せておらんが」
ギータンとは、ギータン・ポアルソン。ダスターツ伯領軍のトップであり、軍事面でのログソンの右腕でもある。
彼もまた、ルードサレンで現在進行中の混乱を少しでも抑えるべく、一日中忙しく領都内を走り回っていることも珍しく無いのだが、立場上、報告を受けたり確認の為、全く政庁に姿を見せないというのも、これはこれで珍しい。
「ポアルソン様でしたら、私もまだ本日はお目に掛っておりませんが……聞いて参りましょう」
そう言って部屋を出ようとするエルンを、ログソンは慌てて止める。
「いや、良いのだ。少し気になっただけで、用がある訳でもない。探したと知られれば良い気分はせんだろう」
この気遣いが、他の貴族と、この主人の決定的な違いだとエルンは思う。
自分が知る他の貴族であれば、家臣がどう思うなど考えすらしないだろう。
しかも、この敬愛する主人は、それをたかが侍女に過ぎない自分にまで説明してくれる。
止められたエルンは、少しだけ残念そうな素振りを見せながら「畏まりました」 と一礼して所定の位置に戻るが、それを待っていたかの如く、扉の外でログソンへの面会の意を告げるギータンの声が聞こえた。
その声に、ロフソンとエルンは、思わず顔を見合わせて苦笑する。
「噂は人を呼ぶ、で御座いますね」 笑いながらエルンが対応に当たる。
入室の許可を得て、ギータン・ポアルソンがログソンの前に姿を現した。
細身の男で身長は180cm強、瞳は明るめのブラウンで、軽くウェーブの掛かった赤毛は、軍人にしてはやや長め。年齢は今年42歳になる。
いつも冷静沈着を地で行くこの男には珍しく、表情には何故か困惑の色が窺え、急いで来たのだろう、前髪は汗で額に張り付いているが、それでも一応は作法通りの挨拶を述べようとしたギータンを、ログソンが制する。
「良い。何があった?」
その問いに、ギータンは姿勢を正して答える。
「リュドーのスコバヤ殿から急使が届きました。モンスター共の移動が確認された、と」
「……始まったか」忌々し気にログソンは呟く。
「今年は随分と早いな。それで? 第一波の種類と規模は?」
モンスターと一括りで呼ばれることも多いが、実際は多種多様に及ぶ。ゴブリンの100匹と、ドラゴンの100匹では対応の難易度に雲泥の差があるのは想像に難くないだろう。
なので、まず種類と規模を確認するのは基本中の基本だ。
「それが……100近いコボルドと、それに加えてギガントライが12と……」
言い難そうにギータンが報告する。
「何っ! ギガントライが12だと!?」
ログソンが椅子から飛び上がらんばかりに驚きの声を上げた。
100のコボルドは、数が数だけに簡単では無いが、まだ何とかなる。しかし、ギガントライは全長10m弱の、毛むくじゃらの犀に似たモンスターで、その突進が始まってしまうと、最早人間では止めることが難しい。
一応、出現の可能性は考慮していたが、その習性から群れで現れるのは全くの想定外だ。
単体であれば、事前に落とし穴を掘って誘い込み、動きを封じてから仕留めるのが定石だが、それが一度に12匹では、一網打尽に出来る程の落とし穴を掘るなど人力では不可能だし、かと言って散らばられれば収拾がつかなくなる。
「リュドーの常駐兵は50だったな? 騎兵は10か・・・・・・傭兵を追加するにしても……1、2匹程度なら何とかなるが……多すぎる!」
「はい……既にルードサレンの領軍からも、騎兵を20と、傭兵から乗騎を持つ者を優先に選抜して30を、御下命あらばいつでも出立できるように準備しております。
しかし、その後すぐに続報が届きまして……その……リュドーのスコバヤ殿はお若いが優秀な方であることはお館様もご存知の通りで、このような事に嘘や冗談を交えるとも思えず……」
驚いたのも束の間、直ぐに対応の算段を思案し始めたログソンを押しとどめて、ギータンは言葉を続けたが、この男にしては珍しく、途中から何やら言い難そうに言葉を濁した。
そのギータンの様子に何かあると感じたログソンが、単刀直入に聞く。
「続報には何と?」
そう迫られて観念したのか、ギータンは表情を引き締め直して答えた。
「それが……コボルド、ギガントライ共に、既に殲滅した。と」
◇ ◇ ◇
ルードサレンのログソン・ロウ・ダスターツ伯爵宛てに鳩便を飛ばす指示を出した後、リュドーの街の代官であるアデッティ・スコバヤは、代官所の執務室で思わず頭を抱えていた。
夜更けにカジユ村からの急使が緊急事態を告げ、叩き起こされてからこれまで、事態の把握に努めてきた。
若くして抜擢され、このリュドーの代官を任されているスコバヤは、年齢24歳。この辺りでは珍しい黒髪を肩の辺りまで伸ばし、ヘーゼルの瞳をした才媛である。
「如何致しましょうか・・・・・・」
やや気弱そうな表情をした副官のゾイーネが声を掛けるが、この上司にしては珍しく答えは帰ってこない。
ゾイーネは文系の副官であり、こういった状況には慣れていない。
リュドーの常駐兵50にとっては、コボルドの100だけでも重荷だ。やってやれないことはないが、犠牲を考えると頭が痛い。
街の警備に騎兵2と歩兵10を残すとして、残りが騎兵8と歩兵30だ。 緊急に傭兵を雇うにしても、どれだけ集まるか・・・・・・。
「傭兵はどれだけ集まっているの?」
その質問に答えたのは、リュドーの常駐兵のトップである、赤ら顔のハズンだった。
「まず、乗騎を持つ傭兵が3名、それに歩兵が21名です」
「全部で24か・・・・・・うちの騎兵8人に、その乗騎持ちの3人を加えて先行させて。ギガントライの前方で気を引いて、なるべく被害の少ない方に誘導しつつ時間を稼がせるように。
歩兵は、うちの20に傭兵の21を加えてコボルドに当らせる。そちらも準備が出来次第出発させて」
それくらいしか打てる手は無かった。
「傭兵の募集は引き続きかけて。穴掘りの人手はどれだけいてもいい。今は金より人手よ」
どれだけ考えても、12体のギガントライというのが余計だった。
カジユ村に、リュドーでは有名な傭兵の、ハイ・オークのダグが先着しており、その仲間2人が既に向かっているというのは朗報だったが、それも複数のギガントライに対しては意味が無い。今、必要なのは数だ。
「私も出ます。後はゾイーネに任せるから、ある程度人数が纏まったら逐一出してちょうだい」
「しかしそれでは・・・・・・」 ハズンが異議を唱えるが、それを遮ってスコバヤは言い募った。
「今は人手が一人でも欲しいの! ハズンも第二陣で数を纏めたら出てちょうだい」
「人手が足りないのは分かっています! しかし、後を託すにしても、荒事に慣れてないゾイーネでは荷が重い」
荷が重いと言われたゾイーネも、青い顔で頷いている。
「カジユから続報です!」
言い争う2人を他所に、兵の一人が慌てふためいて執務室に飛び込んできた。
室内にいた3人の視線が一斉に兵に突き刺さる。
「「「何があった!?」」」
リュドーの街の権力者トップ3の視線と声にたじろぎながらも、なんとか兵はその役目を果たす。
「それが・・・・・・コボルドもギガントライも排除した。と」
「は?」
「え?」
「何?」
その答えに、3人の口から三者三様ながら信じられないと疑問符が漏れる。
「何を言ってるの!? 相手はギガントライよ? そんな簡単にケリの着く相手じゃ無いでしょう!」
アデッティが混乱にイラついたように怒声を飛ばした。
「もしかして、ギガントライは誤報だったとか?」
ハズンが真相を思いついたように予想を話すと、ゾイーネもそれに同意した。
「だとしても、もう、ルードサレンには一報を報告済みよ? 今更間違いでしたとか、失態にも程があるわ・・・・・・」
忌々しげにアデッティが呟く。
「やっぱり自分で確かめる! 急いで馬を用意してちょうだい。ハズンとゾイーネは残って、ギガントライが本当だという前提で準備を。ハッキリしたら鳩便を飛ばすから、それで行動するように!」
素早く指示を飛ばすと、取るものも取りあえず、アデッティは執務室を後にした。